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私としては現物の音声を確認していないものの、この定義は「恐らく先方さんの思うところではこうだろうなあ」と考えていた所で、大変に「我が意を得たり」といったような感を持つ。
およそ「女性の性的収奪」「性的消費」「女性の性的対象化」といった用語で、現実の女性の奴隷化等々ではなく漫画・アニメ絵への攻撃がしばしばなされていたことの理由はまさしくこれであろうと考えていたのである。
なんで二次元絵を見て興奮することが「女性の性的収奪」に当たるかといえば、現実の女性が所有する女性的美を(しばしば女性以外の人物が)客体化し、現実の女性総体の同意なく・代価の支払いなく消費してしまうから、であり―
―つまり全世界の・全時代の女性たちが分有している所有物を略奪し、消耗したからであって、その罪はそこらで現実の女性一人をもてあそんでカネを貢がせ、性風俗に身売りを強要するような個々の悪事ごときではとても比較にならぬ大罪なのである―と理解すれば、なんでああも漫画・アニメを嫌うかという理由が分かる。
そして自分たちはそんな全世界かつ全時間軸の女性の代弁者である。なぜなら自分たちは女性であるから。漫画・アニメ絵を描いて非モテ男性に資するような女性がいるとしたら、それは単に騙されていたり、認識がおかしかったり、名誉非モテ男性なのであって女性ではない―と理解する―
―という理解なら、先方さんの理屈はほんと論理的に整合的に理解できると私は考えている。
そうした意識であろう傍証が出てきたというなら、先方さんの理論構成の理解に資する。
関連メモを掘り出しておく。
「ひとをモノとしてのみ扱ってはならぬ」という倫理規定の過剰適用に発するものかなーとか思ってる。
そりゃまあ、どうしてもひとはひとを手段として用いることには、なるのである。だって世界は欲望の体系にはなっちゃうし。
けど、純粋にモノとして扱う場合、本気でその対象はモノにしかならん。
…つまりまあ、女性の肉体が、「女性」ではなく、ほどよく保温されたダッチワイフ以外のなにものでもないモノになっちゃう。
この際、『いや、そうじゃないんだ、女性をモノとして扱うというのは』云々いう反論があろう。まあ端的には強姦あたりを想定して。しかし強姦が強姦として成立するためには、なんらかの人間的な要素が必要だろう。たとえば抵抗の要素。『いや、俺は手荒な扱いの果てに、人間としての尊厳を奪われ、生還する見込みも含めて一切の希望を失った、そんな雰囲気に興奮するんだ』というごっつい趣味であってもなお、「希望などなどが失われた」状態というのは、その時点以前には希望などなどがあった状態を予定するのであり、そこには人間が存在するのである。
純粋な肉塊に、純粋な肉塊であるがゆえに性的興奮を覚えるほどのど変態は、ほぼ想定できないだろう(いや、すごいことに存在するらしいが)。
―というのは、極論を想定すると、なるほどと得心できるなあと思ったことである。たぶん、こんなアレな極端な状況を想定して書いてはいないと思うけど。
美しい話で中和しておこう。
仁藤・Colabo弁護団批判者の間で「全時間軸」とか実際には言ってないと周知されるのが早くて、浅く広い連帯でも健全な集団ならこういう「自浄作用」って発揮されて、何ら過剰な要求でないんだなと感心してしまった
— まーにゃ・うらら姫🖤🎗 (@lyricalium) November 30, 2022
「Colabo記者会見で『全世界かつ全時間軸に存在する全女性への攻撃』と発言」というデマが拡散される
— Nathan(ねーさん) (@Nathankirinoha) November 30, 2022
「娯楽にしてる」というの、あながち間違いじゃないですよね。https://t.co/R5ETAkRk3h
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colaboの記者会見で出たと言うトンデモ発言"全世界かつ全時間軸に存在する全女性への攻撃"ここだけ少年漫画みたいで不謹慎ながら笑ってしまう彼らのよくやる「自分勝手な主語の拡大」全世界くらいならよく見る表現ですけど、まさか全時間軸にまで及ぶとは…勝手に被害者にしないで頂きたい
— サツマッシュ (@satsumash) November 29, 2022
私としては現物の音声を確認していないものの、この定義は「恐らく先方さんの思うところではこうだろうなあ」と考えていた所で、大変に「我が意を得たり」といったような感を持つ。
およそ「女性の性的収奪」「性的消費」「女性の性的対象化」といった用語で、現実の女性の奴隷化等々ではなく漫画・アニメ絵への攻撃がしばしばなされていたことの理由はまさしくこれであろうと考えていたのである。
なんで二次元絵を見て興奮することが「女性の性的収奪」に当たるかといえば、現実の女性が所有する女性的美を(しばしば女性以外の人物が)客体化し、現実の女性総体の同意なく・代価の支払いなく消費してしまうから、であり―
―つまり全世界の・全時代の女性たちが分有している所有物を略奪し、消耗したからであって、その罪はそこらで現実の女性一人をもてあそんでカネを貢がせ、性風俗に身売りを強要するような個々の悪事ごときではとても比較にならぬ大罪なのである―と理解すれば、なんでああも漫画・アニメを嫌うかという理由が分かる。
そして自分たちはそんな全世界かつ全時間軸の女性の代弁者である。なぜなら自分たちは女性であるから。漫画・アニメ絵を描いて非モテ男性に資するような女性がいるとしたら、それは単に騙されていたり、認識がおかしかったり、名誉非モテ男性なのであって女性ではない―と理解する―
―という理解なら、先方さんの理屈はほんと論理的に整合的に理解できると私は考えている。
そうした意識であろう傍証が出てきたというなら、先方さんの理論構成の理解に資する。
関連メモを掘り出しておく。
え!?女性を性的対象物として扱っちゃいけないんですかい!?えぇー!?そしたらいろんなSF作品とか芸術品とかも規制しなきゃじゃん!!やだー!!!
— 鳴島かんな (@kanna_peche) 2016年12月12日
「ひとをモノとしてのみ扱ってはならぬ」という倫理規定の過剰適用に発するものかなーとか思ってる。
そりゃまあ、どうしてもひとはひとを手段として用いることには、なるのである。だって世界は欲望の体系にはなっちゃうし。
けど、純粋にモノとして扱う場合、本気でその対象はモノにしかならん。
…つまりまあ、女性の肉体が、「女性」ではなく、ほどよく保温されたダッチワイフ以外のなにものでもないモノになっちゃう。
この際、『いや、そうじゃないんだ、女性をモノとして扱うというのは』云々いう反論があろう。まあ端的には強姦あたりを想定して。しかし強姦が強姦として成立するためには、なんらかの人間的な要素が必要だろう。たとえば抵抗の要素。『いや、俺は手荒な扱いの果てに、人間としての尊厳を奪われ、生還する見込みも含めて一切の希望を失った、そんな雰囲気に興奮するんだ』というごっつい趣味であってもなお、「希望などなどが失われた」状態というのは、その時点以前には希望などなどがあった状態を予定するのであり、そこには人間が存在するのである。
純粋な肉塊に、純粋な肉塊であるがゆえに性的興奮を覚えるほどのど変態は、ほぼ想定できないだろう(いや、すごいことに存在するらしいが)。
性的な目で見ろとは言わんが、性的要素が消えたら女なんてクソ程の価値もなくなるぜ?って思う出勤前の嫁さんでした。
— 鳴島かんな (@kanna_peche) 2016年12月12日
―というのは、極論を想定すると、なるほどと得心できるなあと思ったことである。たぶん、こんなアレな極端な状況を想定して書いてはいないと思うけど。
美しい話で中和しておこう。
池袋マルイの百合展は一部の女性が被写体の女性達を男の性的消費から守るために中止され、百合展に展示されて観測される筈だった女二人は永遠に何処かで誰の干渉も受けることなく存在し続ける。池袋マルイの百合展は百合という概念そのものになったんだ。
— いりこしうむ (@rinpa1059) 2018年3月13日
ちょっと待ってください。一部の女性が被写体の女性を男性の性的消費から守るために百合展を中止させるのって完全に百合じゃないですか?これは一種の現代アートですよ。
— いりこしうむ (@rinpa1059) 2018年3月13日
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