日本が専守防衛すべきで、一切の外国への軍事的支援をするな、憲法違反だという人は、北朝鮮が韓国を攻撃した場合、在日米軍基地が韓国の支援に使われることを拒否するんだよね?
— buvery (@buvery) 2017年12月29日
勿論、理屈どおりならそうなる。米軍機が日本人を乗せて避難して来ても着陸を認めてはならないこともあろう―純粋に避難民だけなら、閣議をひらくか首相・外相・防衛相の合議による超法規的措置の認可の式をいちいちしなければならない。スーダンのときのようにだ。
だからこそ私は、国際協調ということもあり、消極的ながら共同防衛を認める立場だ。
この点、重大事件はこれだ:
「弾薬1万発 他(2013-12-23)」
例のスーダンでの、韓国軍への弾薬供与「事件」。明らかに当時の法律解釈・憲法解釈ではアウトそのものだったはず。あの当時、私は当時の九条解釈厳守の立場からは「韓国軍は、もしものことがあればそこで死ね」といわざるを得ないと思った(私はいいたくなかった)。しかし当時の我が国の政府は超法規的措置で弾薬供与を行い、そしてこの「事件」は事件化することなく流された。
…あきらかな九条解釈違反だったはず、と思うのだが、アレを「OK!」と流したことで、我が国は以降、事実上、共同防衛OKの立場に切り替えてしまったと私は考える。
九条護持者は、あのときこそ、「韓国軍よ、そこで死ね。我が国は我が国の憲法(解釈)上、諸君を援護できない」と宣言し、かつ韓国軍への供与を行った日本政府を倒閣まで追い込むべきだったのだ、「韓国軍を助けてはならなかったのだ! お前たち、内閣は反憲法的存在だ!」と叫んで。
ということで、同僚の軍隊を援助することに国民的合意を得てしまったからには、政府としてはその後の対応を考えなければならない。そこで共同防衛OKの法律を作らざるを得ない。基本的に共同行動が多いのは米軍なので、まずは米軍を念頭に共同のありかたを考えることになるだろう。
ところがその法律を作るに際して、延々と憲法うんぬん言う人たちがつっこみまくった。では韓国軍を超法規的に援護するのは正しくて、米軍と共同防衛するのは絶対にアウトな理由を構築しなければならない。
私には無理だ。
「「スレブレニツァ・アゲイン」が見え隠れしつつある昨今(2013-12-24)」
「私は「間違いのない左翼」とまで評されたほどなので,今回の件は世界人民の連帯のために資することとして大いに評価したい。国内的には問題があるが」
私は世界人民の連帯のため、vulnerableな存在を守るため、共有する価値―人道、人権、自由と平和―を守るため、止むを得ず共同防衛を認めたい。
そしたら、その後も従来どおりの九条解釈でいけたんじゃないだろうか。いや南スーダン人はむっちゃ死んだだろうけど。