BBC Kenyan teacher killed 'after confiscating phone' 25 January 2019
ケニアで高校の物理教師が生徒に殺害された。3名ほど逮捕。
理由は携帯電話の没収。ケニアでは、多くの学校で学校に携帯電話を持ち込むのを禁止しているのだそうだが、まあ校則違反をしたというので没収したんでしょう。それをうらみに思ったというわけだ。
こうした校内暴力―ああまあ、日本で言う校内暴力の範囲を超えている気もするが―はだんだんに問題になっているとのこと。
数年前の例:
BBC Kenya pupils burn dormitories 'over Euro match ban' 27 June 2016
寄宿学校の寮で放火騒ぎ。理由はクロアチア・ポルトガル戦のキックオフが遅い時間で、視聴を許されなかったため。
「Kenyan authorities are investigating if pupils who set fire to their school dormitories did so after being told they could not watch a Euro 2016 match on television.」
…いやあ…旧ヨーロッパ諸国植民地でサッカー視聴を禁じるの、超鬼門じゃないかなあ…。al Shabab(というか当時はイスラム法廷連合だったか)でさえ認めざるを得なかったんだし…。
「It began with a few students throwing stones and shouting "our rights", school principal Andrew Otara said.」
彼らにとってサッカー視聴は人権なのである。まあその、放火の権利と一対のものであるなんて主張は成り立たないのは当然としても。
BBC Kenya's school arson attacks lead to national debate 1 July 2016 By Dickens Olewe
「But it caught people's attention as it appeared to be the result of anger that students were not allowed to watch a live broadcast of a Euro 2016 football match.
Many thought that there must be a more profound reason.」
そりゃまあ、管理教育に対する反抗、管理のやりようが―なんというか、収奪的であったりすることへの反抗とかあるでしょうよね。
「Some suggest that this is a matter of indiscipline, caused by poor parenting, and that caning should be reintroduced.
Kenya banned corporal punishment in 2001.」
体罰にせよなんにせよ、教師と生徒の間にはそれなりの信頼関係とかがあって、それに依存しつつ抵抗運動とか強圧的な指導とかするもんだ。まー古い共産主義者的には「権力との共犯関係」とか評価するだろうナアナアなところとか。そういう関係が構築されてないのに・「お約束」を絶対的に踏み越えるような行為があれば、そりゃ、まあ。
…私なら、寮に持ち込まれるTV数台を見逃し、しかしその翌日にテストを行うことをあらかじめ予告しておくかな。『このテストを行うことは予定の行動ですよ? サッカーの試合視聴を邪魔する意図? ないに決まってるでしょ? 何日前に予告されてたとおもうの?』とでも。そのくらいの自由選択権がないと、そりゃ学生側だって反抗するだろ、という。
「John Mugo, head of education charity Twaweza, believes the problem lies with poorly prepared teachers」
先生側の教育ももっと提供されるべきではあるかねえ、とか。
なお
「The Nation newspaper reported that school officials blamed an electrical fault rather than student action.」
まあその、「ンなタイミングよく漏電が起こるもんかよ」という突っ込みは十二分にアリである。だが、まあ管理教育のやりようがちとマズすぎたかねえ、という反省もふくめ、『うちに本格的に悪い子はいなかったんだよ! たまたま、ほんと不幸な偶然だったが、極めてまれではあっても単に偶然、学生のデモと同時に漏電火災が起こっちゃったんだ! イヤア不幸、不幸な出来事だったね!』で手打ちにするというのは、まあ、それなりに「共犯関係」を構築する手法ではある。『…もう許さんからな』という意志は『寮再建費用は保護者の”みなさま”からの”自発的寄付”によります』という仕方で表明することもありえようし。いや本気で百姓一揆の処理の様態のような気もするが、コミュニティの再建の手法のひとつではあろう。
ケニアで高校の物理教師が生徒に殺害された。3名ほど逮捕。
理由は携帯電話の没収。ケニアでは、多くの学校で学校に携帯電話を持ち込むのを禁止しているのだそうだが、まあ校則違反をしたというので没収したんでしょう。それをうらみに思ったというわけだ。
こうした校内暴力―ああまあ、日本で言う校内暴力の範囲を超えている気もするが―はだんだんに問題になっているとのこと。
数年前の例:
BBC Kenya pupils burn dormitories 'over Euro match ban' 27 June 2016
寄宿学校の寮で放火騒ぎ。理由はクロアチア・ポルトガル戦のキックオフが遅い時間で、視聴を許されなかったため。
「Kenyan authorities are investigating if pupils who set fire to their school dormitories did so after being told they could not watch a Euro 2016 match on television.」
…いやあ…旧ヨーロッパ諸国植民地でサッカー視聴を禁じるの、超鬼門じゃないかなあ…。al Shabab(というか当時はイスラム法廷連合だったか)でさえ認めざるを得なかったんだし…。
「It began with a few students throwing stones and shouting "our rights", school principal Andrew Otara said.」
彼らにとってサッカー視聴は人権なのである。まあその、放火の権利と一対のものであるなんて主張は成り立たないのは当然としても。
BBC Kenya's school arson attacks lead to national debate 1 July 2016 By Dickens Olewe
「But it caught people's attention as it appeared to be the result of anger that students were not allowed to watch a live broadcast of a Euro 2016 football match.
Many thought that there must be a more profound reason.」
そりゃまあ、管理教育に対する反抗、管理のやりようが―なんというか、収奪的であったりすることへの反抗とかあるでしょうよね。
「Some suggest that this is a matter of indiscipline, caused by poor parenting, and that caning should be reintroduced.
Kenya banned corporal punishment in 2001.」
体罰にせよなんにせよ、教師と生徒の間にはそれなりの信頼関係とかがあって、それに依存しつつ抵抗運動とか強圧的な指導とかするもんだ。まー古い共産主義者的には「権力との共犯関係」とか評価するだろうナアナアなところとか。そういう関係が構築されてないのに・「お約束」を絶対的に踏み越えるような行為があれば、そりゃ、まあ。
…私なら、寮に持ち込まれるTV数台を見逃し、しかしその翌日にテストを行うことをあらかじめ予告しておくかな。『このテストを行うことは予定の行動ですよ? サッカーの試合視聴を邪魔する意図? ないに決まってるでしょ? 何日前に予告されてたとおもうの?』とでも。そのくらいの自由選択権がないと、そりゃ学生側だって反抗するだろ、という。
「John Mugo, head of education charity Twaweza, believes the problem lies with poorly prepared teachers」
先生側の教育ももっと提供されるべきではあるかねえ、とか。
なお
「The Nation newspaper reported that school officials blamed an electrical fault rather than student action.」
まあその、「ンなタイミングよく漏電が起こるもんかよ」という突っ込みは十二分にアリである。だが、まあ管理教育のやりようがちとマズすぎたかねえ、という反省もふくめ、『うちに本格的に悪い子はいなかったんだよ! たまたま、ほんと不幸な偶然だったが、極めてまれではあっても単に偶然、学生のデモと同時に漏電火災が起こっちゃったんだ! イヤア不幸、不幸な出来事だったね!』で手打ちにするというのは、まあ、それなりに「共犯関係」を構築する手法ではある。『…もう許さんからな』という意志は『寮再建費用は保護者の”みなさま”からの”自発的寄付”によります』という仕方で表明することもありえようし。いや本気で百姓一揆の処理の様態のような気もするが、コミュニティの再建の手法のひとつではあろう。
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