空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

「クリエーターのメッセージ」とかまずは不要なのであって

2019-03-05 18:19:09 | ノート


クリエイターの色が無い」が批判としてなりたつという前提が隠れている。これは面白い。では、劇場版シティハンターが、誰か(原作者ではない)クリエイターの色で染められて、さてそれはウケるかというと―疑問だろう。

「我々はシティハンターを見に来たんだ」といわれるだろう。「作家色だとか新しい挑戦なら、新作でやれよ」である。



 と言う言葉もある。換言すれば、「オレが」「オレは」といいたがりの人たちが山のようにおり、それらの者たちに対するニーズがないわけだ。しかし娯楽はあってほしい。そこで一大娯楽映画・シティハンターが製作され、それは原作者の描いたとおりの安定感のある作風だったわけだろう―当然モダナイズは多少しただろうが―それでウケたらしい。

 この際、現代のクリエーターに求められるのは、「昔と変わらぬシティハンター」と見えるような程度の微妙なモダナイズの腕前であって、今回の製作者はそれに適切に答えたものなのだろう。これはその腕前の非凡を示唆する。それでこそ商業的にも成功したものなのだろう。そうして、それでこそ、その腕前の確かさが認められ―

 ―”名をあげる”ことができる。個々のクリエーターの「つまらない自意識を披露するというのは二の次三の次であるということが忘れられていませんか」という問いかけを、我々は自らに問いかけねばなるまい。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヴァチカン、ピウスXII世の文... | トップ | WWFが提携した現地団体が…と... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ノート」カテゴリの最新記事