空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

詳しい事情は分からないながら、ご同僚は私と同じような思いを抱くのではないかなとか

2016-03-24 01:27:25 | Weblog


毎日新聞 視覚障害理由、授業外す 准教授、地位確認求め提訴 2016年3月23日 東京夕刊

岡山短期大(岡山県倉敷市)の山口雪子准教授(51)=幼児環境教育=が23日、視覚障害を理由に授業や卒業研究の担当から外され、研究室からの退去を命じられたのは不当として、短大を運営する学校法人を相手取り、地位確認と事務職への職務変更の撤回などを求める訴えを岡山地裁倉敷支部に起こした

 どのくらいの視覚障害かというのは:

山口准教授は、網膜の異常から次第に視野が狭くなる難病「網膜色素変性症」を患う。1999年に同大に採用され、文字は読めたため授業や研究を続けてきた。しかし約10年前から視力が低下し、現在は明暗が分かる程度で手書きの文字の判読は困難になった

 …今は2016年である。2006年頃から目が悪くなった―とすると、彼女のCinii登録論文の最も最近のものは以下のものということになろう:

Cinii 幼児を対象とした環境教育プログラムに関する研究 紀要 岡山学院大学・岡山短期大学紀要編集委員会 編 (33), 15-17, 2010

 わずか3ページ。
 目が元気だった頃は、タバコ培養細胞をつかった細胞の研究に従事していたらしい。特に1997-2000年には生産的だったようで―正直、ご同情申し上げる、という気持ちが先にたつ。

 毎日新聞によれば

短大側は2014年、視覚補助を行う職員の確保ができないことを理由に退職を勧めた。山口准教授は私費で補佐員1人を雇う許可を得て授業をし、「指導の質に支障はなかった」と主張

 とある。
 
 明暗が分かる程度の視力。それでは、卒論の指導もしかねるだろう。手書き文字がようわからんというのは大きい。学生のレポートを判読できない水準にある可能性がある。

山口准教授は「目が見えないのは教員の能力が欠けるという大学の態度は差別そのもの

 とはいうものの。
 授業を途中で抜ける学生に気付かない―というのは、どれだけ目が見えないかということの描写であって、教員としての能力の問題ではない。能力は間に合っているのかもしれないが、教員としての社会的な機能を果たせないと言われているわけなのだろう。私語を注意するとかいう、低水準のことも含んだそれを。

 で、まあ、教員としての能力を保証するのは、学術業績なのではあり。
 で、まあ、学術業績って、直近5年くらいで計るものであり(※例えば端的に言って、科研費応募書類は直近5年の業績の記載を求める。文科省へ出す書類も、まあ5年くらいだろ、しらんけど―学科改変とかだと直近3年とかかなー…)。

 そこで「2010年」という上掲Cinii情報が重く響くのである。

 授業を任すことは非常に困難である。
 卒論指導を任すのも非常に困難である。
 学術業績は出ていない。
 アイディアの沸き出でる泉であれば、まあ特別相談役だとか、研究コーディネーターとかいう名目で残すことはできるだろう。しかし共同研究の実績ははるか過去のものであり、最近はない模様である。
 科研費も関わっていない模様である。ということは、外部から予算を持ってくることもできない。

 そこで

十分な配慮があれば改善可能なのに自主退職に追い込もうとする差別は許されない」と訴えている

 が重い。
 十分な配慮はしたいのだとしよう。明日はわが身じゃないか。同僚じゃないか。では、その「十分な配慮」のコストは誰が持つんだ…?

 …私が同僚なら、彼女の分の学術業績程度なら十分フォローしてあげられる。まあ、5年に論文2本くらいなら、並みの人の分の数にはなる。その程度、我々なら1年あれば、2~3人分出せる(つまり、アベレージのひとの10~15年分を1年で出せる)。外部研究費をとれば、まあ間接経費分で、補助員さんのお給料を出せるかもしれない。だが―それらは、ほかの目的にも使用できる資源である。

法人の理事長で、岡山短大の原田博史学長は取材に、「大学としては思案を重ね、(山口准教授を)支えてきた。視覚障害を理由に差別はしておらず、提訴は驚いている。我々は教育の質を担保すると約束している学生の立場に立っている」と説明した

 …同僚の生活保護のために、我々は働いているのではない。
 いや、即座にクビというのは難だ。そこで

2月5日、来年度から授業と卒業研究の担当を外れ、学科事務に移るよう命じた

 なのではないか。
 ―さて、これはアレな指示であって。
 字も読みかねる、明暗が分かる程度の視力で、何の事務をするんだろうか? ここに「「大学としては思案を重ね、(山口准教授を)支えてきた」との、被害者側からすれば傲慢無礼極まりないであろうコメントが出てくる「配慮」が透けて見えはしないだろうか。

 ひとには、得手不得手がある。
 だから、准教授に相応しい、何かをしてくれさえすればいいのだ。
 足りないところは誰かが補ってあげられるさ。
 研究室が必要なら使ってくれ。

 コスト分にみあう成果を出せばいいだけなのだ。



 …超過去の、伝説的なお気楽極楽お学者さん生活を目の当たりにしていた世代なら、「なんで私が苦労しなきゃいけないのよ」とか思うかも知れないが、まあ仕方ないんだよ…お金、ないんだ…どこもかしこも…!


 追記(3/24):

毎日新聞 視覚障害 「授業ダメなど不当」岡山短期大准教授が提訴 2016年3月23日 11時45分(最終更新 3月23日 15時33分)

 これはちょっと記事が違っている。
改正障害者雇用促進法も4月1日に施行され、雇用分野での障害者に対する差別の禁止と、障害者が働くうえで支障になることを改善する措置(合理的配慮の提供)が雇用者に義務づけられる。
 と言う文章は、「東京夕刊」にはなさそう。

 ともあれ、合理的配慮の提供、はどこまで要求可能か、ということに連なる。無限の資源があるなら、無限の配慮~援助が可能である。

 しかし―

朝日新聞 「視覚障害を理由に授業外された」 短大准教授が提訴 小川奈々、田部愛2016年3月24日08時19分

訴状によると、山口さんは2月、短大側から①授業中に飲食したり、無断で出て行ったりする学生を注意できなかった②筆記試験を採点する際に学生の答案を第三者に読み上げてもらった――などと指摘され、2016年度から授業や卒業研究の担当を外すことを伝えられたという

 …んー…。

 筆記試験の採点に際して、第三者の朗読を要する…というのは厳しいものが。
 それって、先生と学生との間の秘密に属するところがあろう。というか、点数つけるに際して問題。それって、個々人の個人情報でもあるわけで、学校側が雇って契約で公的に縛られる者ならともかく、個人の資格で雇われた人が学生の個人の情報・秘密を持ってしまうのはマズイかも:

14年には退職を勧められたが、私費で補佐員を雇い、授業を続けている

 その辺の管理の問題で、学校としては、教員の自由裁量を公認するわけには行くまい。

一方、原田博史学長は取材に「差別ではない。教育の質の保証に関わるため、指導がきちんとできる教授に代えた」と話している

 この判断は止むを得ないか、とも思われる。

 この学長の判断を不合理と言うためには、この学校の予算が十二分あったり、補助員を雇うにあたって国費補助があるとかなんとか、という、財務上の余裕があることを指摘せねばならないのではなかろうか。

 まあ、県が持っている事業で「お金ないですぅ」と正面から言うわけにはなかなかいくまい。障害者保護のためにも、この裁判自体は告発者側勝利で終わるべきかとも思われる。

 が。

 そうやって、准教授たる者の十全な能力発揮を補助できるほどの有能さを持った者(だって、卒論指導するんだよ? 言ってること、書いてることが分からない人では勤まらない)を補助員にとどめておくのは、人材の浪費とも思われ…この点にも疑問がのこったりするかと思われる。

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7 コメント

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Unknown (とおりすがり)
2017-04-01 15:05:48
地裁の判決でしって、ここへ辿り着きました。
この記事の予想通り、原告、勝訴。

過去の記事を読むと、普通の講義でなく、ゼミで
ラーメン、お菓子、私語、無断退出も注意できない
とのことで、視力の程度は明暗が分かる程度で文字は
読めないらしい。それなので卒業研究からも外された。

法律上は大学の命令がおかしいということになるので
しょうが、こんな研究も指導もできない人が大学教員
というのはおかしいのではないかと思う。企業でも
普通に配置転換だろうし、全国に視覚障害関連の大学
教員が26人いるというが、多くは障害関係の研究で
今回のように無縁の研究はほとんどないのでは。

関連の分野なら講義や研究室活動でも学生も納得かも
しれないが、初等中等教育ならともかく、障害と
無関係の分野でこの教員の講義や指導を受けるハメに
なった学生は災難でしかないのではないか。最新の
知見にも疎いであろうなら、教育内容も昔のままだろう。

何ができるのかともかく、事務職への配置転換の命令
は大学としてはやむをえないだろうし、この教員の
わがままと大学の公益性を比較すれば、原告の主張は
全く正当性があるとは思えないが、差別といわれたら
法に照らせばこういう判決にならざるえないのか。

これが短大だからまだいいが、旧帝大などの大学院が
主力のところでこんな論理がまかり通るのだろうか。
こんな話で居座られたら、その講座の分野に大きな
影響を与えるようなことにもなりかねず、昨今の
芸能人の事務所問題ではないが、会社員などの代わり
がいるような仕事とそうでない仕事は分けて考える
べきだと思う。

そういう意味では控訴して欲しいとは思うが、おそらく
障害関連の分野とはいえ、勤務している大学教員が
いる以上、合理的な配慮が足りないと一蹴される気も
するが、もう少し公益性というものも考えるべきだと思う。
普通の大学なら研究室配属で人気最下位が普通だろうし、
原告には同情するが、自分なら勇退しますけどね。
教授会でもアンタッチャブルな存在だろうな。
返信する
Unknown ()
2017-04-02 13:38:55
ああ、地裁判決がでましたか。時間を見てチェックすることにします。お知らせくださり、ありがとうございます。

>この記事の予想通り、原告、勝訴。

まあ、そりゃそうかな、とは。
高裁で「いやまあしかし、予算の裏づけとかねえ」だなととして原告一部敗訴を打ってくる、とかでしょうか。

返信する
Unknown ()
2017-04-02 13:50:40
> こんな研究も指導もできない人が大学教員

微妙な論点はあるのではないかなとは思われるところ。

>多くは障害関係の研究で

これだったら、話は楽で、外部への説得・外部からの納得も得られやすいかなあとは思われますね。
そっち系統のひとの共同研究者におさまり、ゼミではこうした、ほぼ目の見えないひととどうやってコミュニケーションをとるか、実地でやる、とか。

となると、実習助手みたいな感じになり、「実習助手に准教授の肩書きはいらないだろ?」という文句付けはできるものの、「でも准教授に上がったのは過去の業績によるのだし、いまは現に教育任務・共同研究ができているのだ」といえる。

それでもなお「いうほどの研究が出来ているのか」と文句がつくかもしれない。が、「短大の、しかも実務者養成コースで貴重な教育サービスを提供しているのだ」で説明可能だろう。

だから

>これが短大だからまだいいが、旧帝大などの大学院が
>主力のところでこんな論理がまかり通るのだろうか。
といわれるのであって。
返信する
Unknown ()
2017-04-02 13:59:20
> もう少し公益性というものも考えるべきだと思う。

自分が生きるか死ぬか、という問題になりますからねえ、これ。給料が出るかどうか、という大問題。
こんな場合に「ウム、公益性を考えると、私は退職して無職無収入になるべきだなッ!」とおもえるものかどうか。

また、先生たちはどーも、事務員さんたちを低く見ることがあるようで。なので、事務職への異動は「格下げ」と感じられるだろうところ、この点にかけては本人の誇り、プライドの問題に関わり、大人しく「格下げ」を認めはすまいなあ、とも思われる。
返信する
Unknown ()
2017-04-02 14:00:49
…生活者としてはこの先生に非常に同情するが、同僚にいるとその人が負担すべきはずだった負担がかかってきてきっつそうだなあとも思い

…また経営側の判断もわかりみーって感じで、なんとも辛いお話です。

民主主義のコストの一種なのだとも思いますが。
返信する
Unknown ()
2017-04-02 14:12:44
>最新の
>知見にも疎いであろうなら、教育内容も昔のままだろう。
(そういわれても、学部1-2年とかの授業だと、まずは基礎を教え込むのが主体で、最新の知見はどこまで言えるものかなあ、とか)
(「この間、本で読んだことと同じことを言っている!(だから正しい)」という納得をするのが普通の子なんじゃないだろうか。高校までのできる子って、何かに既に書いてあることこそ、正しき知識だと考えるんじゃないかな、わりと)
(そこの意識転換をどうするか、導くか…というのは教育者の腕の見せ所で、この点にも目をむけてみたい。大学の先生だって教育者の一種だし)
(そういう貢献の仕方だってあるのであり、できるひとはほんとに見事で…)
返信する
視覚障害を理由とした短大教員の配転命令、「無効」判決の件 ()
2017-04-04 19:31:21
つづき。
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