空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

環境保護の正義の戦士たちは”怠惰な”障害者たちに優しくない

2019-04-23 13:36:37 | ノート
 なんだかなーというお話。






MisesInstitute How Capitalists — Unlike Environmentalists — Make Life Easier for the Disabled 04/08/2019Ryan McMaken

これは、現代の運動家たちへの重大な批判・示唆かな。

 ―”自分たちは正しいことを主張している。これは、いまは少数派であるかもしれないが、実は潜在的には多数派たりえる・多数派の支持を得るべきものであり、我々は先覚的にそれを主張しているに過ぎない。この見解は流通し、通るべきだ”という大きな声、大きいものであることが要求されている声がか細い声を圧殺していく。

 まあ身内にいたから例に挙げると、パーキンソン病のひとが、多少なりと、比較的にせよ一応まあまだしも健康っぽい生活を僅かながらも延長するために、トマト切り器とかベルクロ靴とか、そりゃ役に立つわな、という。ストローもそのお仲間だ、と。それらは安価なほうがいい、と…。

 ―そーゆーのを実現するのは、少なくとも先進国では、イシキタカイ運動家様たちではなく、金儲けしようという汚れた資本家どもだと。ということで、我々が子供の頃に学んで知って維持したような、「清新にして正義の左派と悪のドグサレ資本家野郎ども」という単純な二項対立が―

 ―そのドグサレ資本家野郎どもが延々批判の波に洗われとおした結果、わりと品行方正になってしまって、対立項の安定性が失われつつあると。そんなのが現状になっちゃったかな。

When I was a kid in the 1980s, Velcro shoes hit the stores in force. Although Puma first started using the fasteners in 1968, it was not until the 1980s that the shoes became commonplace on the street and at retail outlets.
At the time, many of us mocked the idea. "Who is so lazy he can't tie shoelaces?" we snickered.


 これは面白い表現だ:「At that point, my playground cleverness didn't seem quite so clever anymore.


 姪の一人が、『地球環境のために、自動車を使わなければいいのに―田んぼから米を運ぶのは、人力でできるじゃないか』という旨、言ったことがあった。私は、なるほど、じゃあひとは30kgの米なら十分に運ぶことができるが、都市部までそれを運ぶのに、どれだけのロスが出るだろう?と問いかけてみた―小学生にも理解できた話だ。

「3秒で考え付く地球環境によい方法」、というのがどれほど考えの浅いものか、感得したのではないか。これもその一例ではある:

Another environmentalist posted in response to the photo of the pre-peeled oranges:

Fu—ing hell. That makes me unbelievably angry actually. Talk about necessarily contributing to plastic taking over the planet.

When confronted with the idea that "not everyone is physically able to peel an orange," she retorted "You know, as well as i do, that that is NOT who that is marketed towards."


 むいてあるオレンジをプラスティックでカバーするのは、そりゃまあアレっちゃあアレだが

What received far fewer likes was a comment from another user, who wrote:
I'm so sorry you've decided to do that. I have rheumatoid disease and it's often impossible to peel an orange.
This, however, was apparently not very convincing to the Environmental Justice Warriors.


 …リューマチ女は介護人に剥いてもらえよ、その程度も判断つかないような愚劣だから、我々がモノを教えてやってんだ―とでもいうことになろうか。介護人の負担をできれば減らしたいという欲望は、この際、無視されることになる。まあ、合理的かもしれない。介護人は介護人として働くよう配置されているので、その雇用を守るためにもなるだろう、とか。まあそこは賢げな人たちが賢げに作文できるわな(そりゃ私だって、そうした賢げな人たちの業界の末端にはいる)。

 でまあ、そんな怠け癖のついた怠惰なリューマチ女に対してありがたい託宣である:
To that, the Enlightened Environmentalist essentially responded "tough luck, there's too much plastic in the ocean."

 ストローがないと飲み物を飲むのも難だが、という障害者連中に対して、”君たちはマイストローを持ち歩く程度の知恵も働かないのかね?”とご高説である:
This argument didn't get much of a better hearing than the orange-peel argument. Many social media readers suggested that disabled people should just carry their own straws everywhere. And after all, what's the big deal? What did disabled people do before straws anyway?

 いやあ、有難すぎて涙がでるねえ! もちろん嫌味だ! 文章にすべきでないような罵倒の言葉が頭の中をめぐるがねえ!

 …いやこれ、『障害者の社会進出』なんて概念に反するのでないかねえ。片手しかない障害者が、仕事の帰りにちょろっとカフェでメロンクリームソーダを楽しめるほうが、社会は豊かなのと違うだろうか。それに対して、”いや、あらかじめ、本日は帰りにそういう気持ちになることをも予測してマイストローを持っていくくらい、なぜできないのかこの愚劣”というようなのは、ちっとあまりにその手の少数者に負担をかけすぎなのと違うだろうか。

 まあ、そういう、多種多様な正義があり、できるだけそれぞれが実現するように資源配分を考えると言うのが政治の機能であったりするのと違うかねえ。



 ―注意しよう。若者たちの自民党支持率があがっているのは、若者たちが愚劣であることの証明ではなく、自民党がその名の通り、多少なりとも自由で民主的な価値観を反映しつつある証左かもしれないこと。LGBTについて杉田水脈の妄言(と私は言おう)を自民党の責に帰するのは、まあいいが、しかしあそこは杉田氏の再教育の手間をかけてもいるようだ。

While the consumer thinks "nobody needs that!" the entrepreneur thinks "I wonder if someone needs that." These are two very different ways of looking at the world. Only one of them helps disabled people live easier lives.

 多数派であることを偽装して・僭称して要求を貫徹させようとするものたちは、自分たち以外の少数派を、それゆえに軽視する・度外視する。環境運動家たちような類の人々のこうした傲慢が続く限り、彼らは決して民主的な勝利―彼らが、自分たちが得るべきだと確信するそれ―を得るには至るまい。



 まあそのとおりである:


 あと




 うちの大ボス様が海洋プラスティックに興味を持たれたようです。
 そりゃまあ海洋プラスティックを減らすこと自体は大正義なので、その限りは付き合うことはできますが、私としては比較的古い左翼というか、独立系左翼という属性なので、今現在のファッショナブルな環境運動には大賛成とはいきませんよと。


 追加


 というわけで、介護人のマンパワーも足りてない・足りないことが確実なわけで、できるだけ安価に便利にというのは、別に、『人並みのこともできねー怠惰な老人や障害者ども』のためだけじゃねーんだからなというわけなのだ。労働人口様がたに、できうる限り高度で収益性の高い職でばりばり稼いでもらうためにも、介護人業務にとられる人材数は少ないほうがまあよいという、えらく資本家的な思考ではあるが、これはこれでやっぱり合理的なのである。

 まあその、「心のこもった(というか手間がかかりまくった)手厚い看護」を求める向きには受けそうにない話ではあるが―
 ―下の世話とか食事の世話とか、できるだけ手間がかからないほうが、より息子・娘の手は楽だし、息子・娘とお話しする時間がよけいにとれるぞ。万々歳じゃね?

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2 コメント

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Unknown ()
2019-04-23 23:52:21
> …リューマチ女は介護人に剥いてもらえよ
この点、enlightened environmentalistsはおそらく抗弁を予定していない。
既にたった一つの賢い解答を出し終え、それに従う以外に理性的な道はありえないと信じるものと思われ、そのような大義に反するような個々の身勝手はあってはならず―

―ましてや、健常者の介護を必要とするような「半人前」の異議申し立てなど聞きもすまい。とゆーか聞かれなかったわけですよね、という記事だ、これ。
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Unknown ()
2019-04-23 23:59:15
なお本日、学生から、”うちの親は、止むを得ず自民党と言って…”という発言を得た。
たいへん正直な、おそらく投票者の半数程度を占める意見の中核部分かな、と思う。

…だから普段、ここしばらく、自民党が勝ち続けているのだし、自民党頼むべからずと思われれば野党が勝てる。
浮動層が野党側に振れない理由こそ問うべきだろうなあと思って見ているのだが―。
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