現在日本で観念されている「街頭演説」がまったく行えなくなっても,「政治」や「デモクラシー」の観点からは,選挙の健全性を何ら損なうものではないのではないか。街頭演説者側も,演説中,徒党の形態を取るのが常だからである。 https://t.co/buQ9kH5FEp
— kouteika (@kouteika) 2017年10月9日
街頭演説を気楽に行えなくなった世界と言うのはヒドイのだが。
というか、様々な可能性は、合理的な範囲で、できるだけ開かれているほうがよい。
徒党を組む自由はある。他人が徒党を組む自由を阻む自由はない。それがあるんだったら自民党が日本会議なり役人の家族なり動員して常に政権党が野党の結社集会の自由を封殺する自由があることになる。それでいいの?それでいいと言った人たちがファシズムをやった、と言っているんだが。 https://t.co/BsnLxeDsUq
— 中東ニュース速報 (@chutoislam) 2017年10月9日
そして、候補者の安全とは、割と非政治的な理由で侵されるものだったりする―少なくとも我が国では:
朝日新聞 衆院選の候補者殴った疑い、無職の男逮捕 駅前で演説中 2017年10月12日00時20分
「衆院選・千葉8区の候補者の選挙活動を妨害したとして、千葉県警は11日、自称、同県柏市在住の無職天野佳夫容疑者(66)を公職選挙法違反(選挙の自由妨害)容疑で現行犯逮捕」
「陣営関係者などによると殴られたのは自民党千葉県連会長の桜田義孝候補。現場にいた秘書が取り押さえて110番通報し、駆けつけた警察官に引き渡した。桜田氏はその後も約1時間、演説を続けた」
「容疑者は酒に酔っていたという」
酒酔いですってよ。
また、Wikipedia日本語版長崎市長射殺事件。場所が場所、以前の例が例だが、基本、カネの恨みということになっている。
…やはり、選挙のときの候補者に「しかける」のは、品の良いことではないのだ、まっとうな市民はそれをしないものなのだ…という心理的な規制があるほうが健全な社会ではないかなあと思う。
もちろん、反安倍のひとたちは、それでもなお過激な行動をせざるを得ないほどの悪がそこにいるのだ、と主張するものなのだろう。それに対しては「野次とばし隊から逃げ回るのが独裁者の独裁っぷりかよ」という突込みが予想される。もちろん、これにも、「それは民主主義を支持しているように見せかける安倍の擬態なのだ」という反応が予想されよう(原口氏への励ましの言葉と、それにたいする反応など想起)。
ともあれ、いずれにせよ、我々個々の人民には一定の解釈の自由が許されており、それを一定のルールに従って表明する自由も認められている。その機会が近々めぐってくるので、そこで表明されるものがあろう。その結果によっては日本を脱出したり、脱出を勧めたりするひとも出ることかと思われるが、そういって現実に脱出するものもさほどいないようでもある。
さて有名人がなにやら言っているようなのだが:
少し表現を変えました。煽る感じなのをやめました。→「2017年秋の総選挙は民主主義を破壊している。「積極的棄権」の声を集め、民主主義を問い直したい。」 https://t.co/gHLBz4DjUt via @change_jp
— 東浩紀@炎上中&ゲンロン6発売中 (@hazuma) 2017年10月2日
東さんが批判を受けているが、私は東京1区にずっと投票してきて今回の解散は二つのアジェンダがあると思うので棄権しないけれども、この署名活動の意義は大いに評価したいと思う。これこそ何かを「止める」署名活動のようなものより含蓄のある声だと思う。何かを選択するということは投票に限らない。 https://t.co/63dBP8D0qn
— 三浦瑠麗 Lully MIURA (@lullymiura) 2017年10月11日
…「政治的自由を享受していいのはあなたじゃないよ!」という叫びを聞かされた人民の気持ちである:
この国の文化人を気取っている人間たちが、どの程度の感性なのかがよくわかるエピソード。そこまで署名を集めるなら、オマエらもちゃんと棄権しろよ。なんで「自分は棄権しないけど、棄権する人は増やそうと思います」のスタンスなんだよ。バカなんじゃねぇの? 改めて、バカなんじゃねぇの? https://t.co/Aiw0bJFM46
— ちだい(選挙ウォッチャー) (@chidaisan) 2017年10月11日
貴族や富豪の男性だけが選挙権を持っていた時代に、どんな思いで女性が選挙権を求め、得てきたのか。不愉快な他者と共存するのが民主主義。その根幹の選挙を否定して、どんな国家像を描いておられるのか?数人のエリートが国家と投票をコントロールする国か?暴力が物言う国か?私は選挙に行きます。
— もこすけ (@moconaksm) 2017年10月8日
「理解を示す」までは良くても棄権を呼び掛けることを大いに評価しちゃ駄目なんじゃないの https://t.co/oZoEqsA449
— 山本一郎(やまもといちろう@告知用) (@kirik) 2017年10月12日
だよなあ。
私は待鳥聡史『代議制民主主義』の
「…ある政権や政策に対する否定的評価が、代議制民主主義の全否定につながりかねないリスク…」(p.56)
「…有権者の意思をより忠実に反映した政策決定を目指す変革か、民意をむしろ遮断しつつエリート間の競争により新しい政策課題に機動的かつ柔軟な対応を可能にすることを目指した変革…」(p.118)
の言葉を想起する。私としては、現政権をよし嫌っていても、それは民主主義への信頼を根本的に放棄するべきものではないということと、個人的には一応仮にも知的エリート層に属するにしても、政治的資格としては一市民に過ぎない私としては、民主主義的要素を重視したいということ、注意したい。
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