空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

ちゃんと本音と建前を意識して記事を書いてますかという疑念はあろう

2019-05-22 22:45:19 | Weblog



 対比する文章の構造が違っている、齟齬がある、かも。

政権が復興アピールするのは[事実としては復興していないし、事実としては事故は大きいのだけれど]事故を小さくみせたいからだ[しかし我々朝日新聞は事実を報じよう]」という立場なんだろう、という場合、前段・後段がともに文をなし、前段が事実認識で後段がその理由を推定する、むしろ副文のいちにある。

「[朝日新聞は]政権を叩くためには[事実としては大きすぎはしない]事故を大きく見せるのだ」だと、前段は後段のための理由句に留まる。後段の「見せる」は動作主体=「朝日新聞」を予定するので、これで一文をなすだろう。前段も同様の理屈を適用できるかもしれないが、in order to blame the governmentが素直な訳よね、きっと。

 こうした文章のひねりは文学作品なら麗しい。しかし事実に関する情報伝達・意見表明の場では、悪くすると論理のすり替えになり、それこそ”唾棄すべき朝日新聞文法”的なものじゃないか、と思うと、ああやっぱり朝日の中の人たちって、頭はいいんだよなあ、こういう論法を自然なようにするする毎日大量に生成するんだから、とはちょっと思った。

 ともあれ「政権が復興アピールするのは事故を小さくみせたいからだ」に構文・構造をできるだけ近づけてみれば「朝日新聞が福島の復興度合いを低く評価するのは事故・事故の影響をできるだけ大きく見せたいからだ」になるか。その上で「朝日新聞は政府を非難するためにそうするのだ」という理由節、ないし動作主体の欲望の説明が付くだろう。

 ということで、朝日新聞的作文では、この動作主体=政府の欲望の要素が「ジョーカー」になっており、なんでも突っ込める状態にある―おそらく読者の希望によって、あるいは記者の意向によって、適宜のものをはめ込める。この限りでは生産性の高い論法であって、上手いには上手い。どんな方向をむく生産性かなという問題や生産物の質はどうだろうという問題もあるが。

 結論的には、『政府は偽りを話し続けることで偽りの支持率を得ようとしている・得ている』と朝日新聞的には主張されることになろう。でまあ、朝日新聞的には『政府の欺瞞を指摘し続けることで』大衆に真実への目を見開かせ、より良質の民主主義を実現しようというプロパガンダをうちつつ、そんな「真実」の報道によって『朝日新聞への支持率、具体的には発行部数、売り上げを得ようとしている』ということになろう。だって私企業だし。

 でまあ、問われるのは
1) その試みには、どれだけ成功していますか
 ということと、
2) あまり大手をふって言えない感のあるこの結論ですが、そこそこ意識的に仕事できてますか
 ということだろう。

 ときどき政府側というか自民党の議員さんにも変に誤解してマイジャスティスで日本社会をマイレボリューションしちゃいたい、なんてのが発生してる気もするが、朝日新聞の中の人、記者さんにも、日本の民主主義をスカなv0.12から流行のv2.0やv3.0にアップデートするのは知的エリート・オピニオンリーダーのオレタチさ!みたいなひとたち、いませんかー、と。

朝日新聞 福島復興を演出する政権 避難者少なく見えるカラクリ 石塚大樹、石塚広志、太田成美 2019年5月20日21時50分

安倍晋三首相が政権に復帰して6年半。権力が放つ強い磁力に吸い付けられるように、首相官邸の意向が霞が関で忖度(そんたく)される構図が強まっている」と、大変文学的な、その意味ではよい書き出し。

東電側から廃炉作業の現状について説明を受けた首相は「防護服に身を固めることなく、スーツ姿で見られるようになった。着実に廃炉作業も進んでいる」。視察後の作業員らとの懇談でも「5年前に視察した時は防護服に身を固めた。今回はスーツ姿で視察ができた」と繰り返した

5年半ぶりとなる原発視察。首相周辺は、防護服やマスクをつけない姿をメディアに取り上げさせることで見栄えを良くし、「復興の進み具合をアピールすること」を狙ったと認める

 そりゃまあ、ふつう、できるだけ格好良く見せるように演出くらい考えるわな。


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