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4300円の身分証明書

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10月17日(火)
町内ご近所でおこる話し (43)
簡略すぎる運転免許更新講習会
 運転免許証更新のお知らせのハガキが届いた。自分のリアクションは次の3つである。
① 長い間車に乗っていない。もう免許証は廃棄しようかどうしよう。
② 指定日を見て,都合が悪い。日曜日の予約をしなくてはならない。
③ 写真をどこで撮ってもらおうか。以前に撮ったデジカメ写真を持っていこうか。
これらが最初のさっと読みの印象である。

 ①は学校や職場の身分証明書より信頼度が高いから継続することにして,もういちど文面を読むと,②と③が改善されている。これはサプライズである。②の指定日以外でウイークデーなら予約無しでいいと書いてある。③の写真は必要ありませんとボールドで書いてある。これまで写真をもって行っても,講習所で個人撮影する。どうして必要なのだろうと疑問視していた。公安委員会の中で改善案を具申できる立場に昇進されたのであろう。昇進おめでとうございます。といいたい。ところが郵政公社はお年玉年賀はがきの景品に50円の切手を未だにつけている。50円切手ばかりあまる。30円切手を買って80円として封書に使っている。一般の人が50円切手をどこへ使うのだろう。
 はがきには講習区分等に優良運転者講習(講習時間30分)と書いてあった。講習手数料と時間に差のある一般講習と違反講習の3つに分かれている。優良というのは過去5年以内に無事故無違反というが,つかまっていないだけの人もこの中に入る。講師の講習内容を聞きながら,これだけで運転者の心構えが向上するのだろうか。事故を起こさないポイントを目で見て,耳で聞く(写真)のであるが,心に訴えるものがない。「私はあのとき,横断歩道で歩行者の前を突き切ってしまった。どうして止まれなかったのだろう。歩行者をヒヤーとさせることが何回もあった。」こういう反省が沸いてこなくては講習会の意味はない。いわゆる腰掛の状態で聞き,講師は忙しそうに話される。もう少しで終わるよ。終了3分前になりました。こんな調子である。

 きょうは講習会に行くことをサラリーマンなら上司から認められて大ぴらに参加できる日なのだ。腰を据えて聞こうと心構えもできているはずである。3時間分のカリキュラムを組む必要がある。運転で出くわすあらゆる場面を提示して,このときの処置の仕方を考えさせる。このことは配布した冊子に書いてある。これをいかに消化させるかがこの講習会であり,警察の力量が発揮される場である。家に帰ってから読んでおきなさいというだけでは,ほとんど読まない。この時間を最大限に生かす姿勢が欠けている。規制緩和とか易きに流れる方だけは進捗するが,3時間の講習時間を生かすための計画に頭を使う人が警察にはいないのかといいたい。それに比べて放送局の番組編成の努力は頭が下がる。24時間の番組を作って放送されている。警察は各種あわせて5.5時間の番組しか作っていない。しかも毎日同じ番組であるから比較にならない。もっと国民の教育(指導ではない)に力を入れるべきではないか。
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いじめる教授

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10月07日(土)
町内ご近所でおこる話し (42)
不適格な質問の面接試験
 
 大学入試に面接を入れた推薦入試がある。それを受けるために事前に練習をしてもらってから受けに行く。一般には「学校を選んだ理由,入学後学びたいこと,卒業後の進路,在校中に経験したボランティア活動,最近のニュースで印象に残っているもの,それに特技や趣味」こういうことが相場でその原稿を作り,そらで言えるように練習をしていく。

 面接する側の立場では上記のようなことを準備して受験に来ているからそれを質問したのではすらすら答えられて評価に差がつかないと見ているのだろうか。準備したもののひとつか2つぐらいしか聞かれなかったらしい。一人の老教授が「メールはよくするのかね」と,「人並みにやります」と答える。もう一人の若い面接官が補佐役をしている。「女子高生ならメールするのは当然でしょう」と横槍が入る。「最近貴校からの入学者がいないがどうしてかね。」これはいじめである。同じような質問が来て,15分くらいで面接が終わったらしい。
 これを聞いただけでこんな感想を持つ。何を面接で見ようとしているのか,面接の目的が受験生に伝わっていない。事前に原稿をつくることは国語の勉強にはなるがそれを大学側はみようとしない。大学が示す受験科目の中で面接と基礎学力とするならば,「面接では,自己の意見を恥ずかしがらないで話すことができる。社会で起こることを速やかにキャッチし,自分の物差しで判断して批評できるなど」こういう内容を明示しておけば,そのように1年次から高校生活を送ることを心がける。

 大人にとって面接の目的はわかっている。しかし老人になって若い子と話ができる能力に欠けてくると,どんな質問をしたらいいかおそらくわからなくなる。評価できる的確な話題提供と言った方がいいだろう。普段学生に一方的に講義をしていてもそれは専門分野の用語の羅列にすぎず,学生を理解しているとはいえない。だから,面接試験などといっても「木に縁りて魚を求む」類の行為に過ぎない。大学の先生は研究室に引きこもらないで,学食へ行き,毎日会食する意欲を持ち続けなくては学生を理解できるようにはならない。
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すみません

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10月04日(水)
町内ご近所でおこる話し (41)
このあいさつ返すべきか返さなくていいか
 
 人間の脳細胞の1個が1バイトの記憶をするメモリーなのかわからないが,計算処理はCPUに比べて遙かに遅いし,間違えることはざらである。しかし神経伝達はケーブルを使う情報通信と同じだと思う。だから間違いを行動に移すことも極めて速い。間違えて言う「すみません」を1時間の道中で3回聞いた。人間は計算間違いをする動物である。間違えたことが人間同士のこころをつなぐインターフェースである。

 クリーニング店で 50代の店の主人,個人経営で受付から現場作業まで一人でこなすつわものと見ていい。店と仕事場を改築中。仮店舗で営業している。そこへズボンを持っていった。360円を1000円で支払っておつりを受け取った。360円ですという声と一緒が印象に残り,手の中のつり銭を見ながら外へ出た。610円をつかんでいた。そのとき6と1では10にならないととっさに計算をした。主人と目を合わせながら店内に戻って,360円を唱えて,30円を追加ゲットした。「すみません」を聞きながら店を後にした。
 T字路で 電動3輪車を運転してきた80近いおばあさんと出くわした。こちらは自転車だ。自転車同士どちらによけるか相手の心が読めなくてぶつかってしまう経験がある。とっさの計算をした。自転車は電動車に負けるし,相手はお年寄りである。ここで一歩譲って自転車を止めた。「すみません」を聞きながら無事すれ違うことができた。

 コンビニで 品物を持ってレジのカウンターにもって行こうとした。近い方に休止の札が立てられていて,その向こうに店員さんがいた。揚げ物のケースをはさんで他方のカウンターは空いていて誰もいない。始めは空いているほうに足が向いた。店員さんが来ないので休止の札の方へ変更した。そのときは店員さんは空いているほうへ行きかけでまたもどってきた。相互にものすごい速さで計算をし合ったのだ。答が一致したとき「すみません」という笑顔が返ってきた。
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墓地で待ってた猫

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10月03日(火)
町内ご近所でおこる話し (40)
墓はいずれ無縁仏に
 
 お彼岸に参れなかったので本日墓参を企てた。歩いても30分から40分で行ける近さで散歩にも使っているコースである。地図のSを出て赤線に沿って,WとAを経由して墓地Gにつくコースである。T地点からトンネルに入れば四角形の1辺なのですぐにつけるが排気ガスを吸わずには通れない。今日は雨模様なので自転車を使った。 

 町中に伸びた山の端(山の稜線の終点)を見ながら歩くコースである。第一コーナーのW地点は昔スキー場と同じリフトがあって,その上の遊園地に通じていた。今は岩壁に水が流れる滝にしてある。
 第二コーナーのA地点の山肌が褶曲を示している。その上に秋葉神社が町民を守っている。ここまで来ると,この山の端がうらめしい。これがもっと引っ込んでいたら墓地が近いのにといつも思う。しかしこの山は南北2km,東西5kmある地球上の突起である。山肌が見えるところはそんなにない。ありがたく拝むくらいの気持ちがあってもいいと言い聞かせる。

 終点の墓地は100m四方余の広さで住宅地と隣接している。囲いはなく,四方八方が入り口である。斎場の建物と墓地の間に来ると,子猫のお出迎えがあった。「待っていたよ」とばかりに足元に絡み付いてくる。顔は大猫にやられたのか傷だらけであった。拾ってくるわけには行かないので,そのまま別れて,我が家の墓地に着いた。いずれこの墓も訪れる人がなくなるだろうと,周りの墓と比較しながら帰ってきたのである。
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すずめ蜂の巣の中を見た

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10月01日(日)
町内ご近所でおこる話し (39)
巣の外部と内部の観察記録
   
 すずめ蜂が巣を作って困っていたがようやく子供も成長(成虫)して,巣は空き家になっていた。水分が蒸発して今にも壊れそうな状況ではあるが,軒下から巣を切り離して下へおろした。以前に紹介した蜂の巣である。巣の中がどうなっているのか気になってしょうがなかった。以下その顛末である。

 踏み台に乗れば取れる高さであるが,万一使用中では危ないと思い,棒でつつきながらいないのを確かめ,慎重に作業をはじめた。蜂の巣は直径10cmの球体である。巣の屋根は角材に巻きつけてあった針金にしっかり固定工事がなされていて,足長蜂の巣のように簡単にちぎり取ることはできなかった。壊しては元も子もないので,固定先の針金を切断する方針で,右手にペンチを左手に帽子をもって踏み台にあがった。届きそうで届かない高さのため難航したが,針金を切断して帽子の中に落ちた巣をゲットした。
 外部を観察すると,丸い穴が開いている。この写真(右側が上部)のような穴を切り取った蓋が裏返され穴の上側にくっついている。赤線の矢印の先同士が切り取られる前の接点である。丁度マンホールの蓋を開けてひっくり返した様である。

 今度は屋根側のてっぺんを見てみると,針金を抱き込むように,壁の中に棒を塗りこむように巣の外皮が作られていた。頑丈なつくりでドームが外れて落ちるようなことは決してない。ドーム自身は軽いもので,ふわふわばさばさの枯れ落ち葉のようなものである。さていよいよドームの中を覗かせてもらった。そこに見たものは何と幾何学模様の敷き詰められた正六角形の集合体であった。足長蜂が作る巣と同じものを作ってその周りをドームで囲ったのである。そのドームのところどころが2重になっていて,下側が開いている。風通しのいいものにしているようだ。昨日の家作りの駄文の続きが「すずめ蜂は平屋を建て,子育てが終わったらどこかへ転居してしまう生き物なのだ。」
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秋は夕暮れ家は平屋

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09月30日(土)
町内ご近所でおこる話し (38)
高齢者の造りへの不満
   
 町内の秋葉神社の祭りごとが室内で行われることになっている。室内とは達磨大師の館を借用していることだ。年4回の参拝行事できょう集まったとき,隣り合わせになったはす向かいの医院のおばあちゃんの話で,「階段の上り下りは大変」という。

 70歳代の足腰と心臓に階段はきつい。エレベータが欲しい。建築当時は5階以上でないとつけられなかったそうである。宅急便さんには印鑑を自分で押してと3階から叫ぶそうである。平屋に住みたいといわれる。町の中では広い敷地をもつ家はほとんどない。どうしても上に積むしかない。車が一番いいスペースを独占する。
 この図のような建物は敷地一杯に建っている。休日は家庭で過ごすという意味を考えてみると,まず,家庭とは家と庭があって,家の中から庭が見えるという情景からつけられた名前である。過ごすとは夜寝ることだけではない。庭を見ながら時の経過の中に自己を見つめ,明日の生き方を創造するプランを考え出すことである。

 家と言うテーマは奥が深い。生命活動の原点である。住居と言い換えてもいい。居場所と言うハードウエアと時間の経過と共に自分の動作を決めるソフトウエアがコラボレーションしてこそ人が生きている証拠になる。例えば,明日一番にこのブログをアップロードすることを楽しみに今夜はここで休もうとけりをつける人は目的もなく寝ることはできない人である。きょう満足なことを何もせずには寝られないのである。つい夜更かしをしてしまうのはこのタイプである。朝目を覚ましたとき,目的が無いとこれまた起きられない。現役を引退するとこういうことが多くなる。起きれば庭を眺められる家にいれば,少なくとも1割位は覚醒後の離床に役立っている。現代の町の住宅事情は部屋だけの真っ暗な家または窓に映る景色はとなりの屋根やマンション,同じ階の窓ということになる。一握りの孤高の高層マンション住民となれば天井人の感を抱けるが,ソフトウエアがそろっているかで満足人の数は絞られてくる。いま私は何も言うことはない。ハードもソフトも揃っている。
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それは少しおかしい

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09月21日(木)
町内ご近所でおこる話し (37)
飲酒運転撲滅は自治会の力に負う
 飲酒運転の処置について,ラジオニュースが流れてくる。「これまでは飲酒して人身事故を起こし,相手を死亡させた場合は懲戒免職としていたが,今後は死亡に至らなくても,事故を起こせば,懲戒免職を適用することにしたと知事(市長)が述べている。」報道時間が短いためこれで切れてしまう。これを聞いたドライバーは事故を起こさなければ乗ってもいいのかと受け止める。
 

 しかし,為政者はもっと詳しく取り決めているかもしれない。飲酒を摘発された場合もやはり無条件に免職になるのか,条件付で免職になるのか。報道では述べていない。ここが大事な所なのだ。ここを明らかにしないなら,その前の報道文は意味がない。当たり前の話であるからだ。報道が事実のつまみ食いであることは他に例がたくさんあるが,少なくとも,国民の倫理に関する報道はそれを聞く国民に影響を与える結果になるからいたずらに報道をしない方がよい。為政者が発表したことを検討して言葉足らず舌足らずにならぬよう複数の頭脳で協議が必要である。
 飲酒運転など必ず間違いを起こすものである。事故を起こさなかったといってもそこで降りたから起こさなかったかもしれない。もう1時間長く乗っていたら起こしたかもしれない。血液中にアルコールがはいっているわけであるから,尋常ではないのである。まっすぐ走れる保障は全くない。振れ幅内に人がたまたまいなっかたのである。赤信号を隣の青信号に見立てて止まらずつききったかもしれない。たまたま左右の交通がその時刻になかっただけかもしれない。こういう議論は運転者仲間では行われない。触れたくないことだからである。

 県や市町村での議論の結果はそこで発表されるが,議論の内容までは時間不足の理由で発表されない。すべて決まりごとはそんなものである。これまでの発表内容を読んでいると,甘いのである。飲んだら乗らないようにすることなのに,飲んで見つかったらこういう処分ですよという範疇を出ない。処分で死んだ人が生き返るならいいが生き返らない。国として今,すべての免許所持者を対象に町内会での議論をさせ,報告させることを義務付けることをしないと解決にはならない。今時の住民は町内で顔を見せることがあるのだろうか。見せたことがない人間と事故とがつながっていると思われる。
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お隣りとの付き合い方

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09月20日(水)
町内ご近所でおこる話し (36)
むくげがクッション
 星田様 9/18朝
お宅の「ムクゲ」の花殻が私宅の樋に詰まっています。お忙しいところ恐れいりますが取り除いて下さい。枝も少し切って下さい。美口
 

 この紙切れをポストから取り出したのが夕方である。日も暮れて作業はできないので明朝にでもと思い,忘れないようにその晩は寝た。こういうことは今回が初めてではない。電話で話す。直接言う。いろいろ伝達手段はあるはずであるが,今回は紙片で伝わってきた。(前回は電話であった。)韓国の国花である「ムクゲ」の木が裏の庭に成長して,ものすごい勢いで枝が伸び,花が毎日100以上も1本から咲く。今回台風の影響でその花殻が樋の中に入ったのである。よくあることである。これをどう受け止めるか。その対応によってお隣との付き合いに影響してくる。
 早朝隣の駐車場(二階が住まいになっている)にはしごもって行き上って見ると,確かに「ムクゲ」の花殻が樋の中に3個「落ちていた」が「詰まっていた」わけではない。
写真でもとっておこうかと思ったが,もたもたしていると,そのことで余計にこじれてもいけないので,領空を侵している小枝も鋏で切り落としたのち,早々に引き上げてきた。

 お隣さんは樋の中の花殻が住まいのベランダから見えるわけである。そのままでは気になって仕方がないのである。庇の最もかみの位置にある3個の花殻が水の流れを止めているわけではない。1%の確率で花殻がしもに流れ,縦樋に到着したとき,コーナーにひっかかるかも知れない。1階の駐車場にはごみひとつ落ちていない。ベランダから駐車場を見おろすと目の前の樋の花殻はごみである。取り除きたいが梯子がないとそれができない。こんな心境を汲み取ってあげることがお隣との付き合い方である。もしもこれを逆に「そんな一寸したことで,いちいち文句を言ってくるとは何様だ」とやったんではこちらも穏やかでなくなる。そうしないで,ムクゲがとりもつ縁をコミュニケーションと解釈し,お隣の敷地まではいれてかかわりをもつことができたことを喜ぶくらいに受け止めることが自分にも得になることだと思って処理をしておいた。
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高校生の結婚する条件

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09月16日(土)
町内ご近所でおこる話し (35)
高校生の希望年収
 
 ハンカチの王子が球界への就職を希望せず,進学を希望した。「自分は野球が少しくらいできるからといって,球界は甘いものではない。」こんな答を語っていたが今の高校生を代表する思考傾向・思考レベルだと思う。

 この秋は3年生が自己の進路を決めるときである。毎日が寝てもさめても半年先の自分の居場所を描いている。介護にしようか看護にしようか。親は看護というが,自分は注射だの点滴だの薬に関する学習に自信がない。責任がかかってくることへの畏れを抱いていることをこちらに感じさせる。冗談交じりの話ばかりしている子でも将来設計には油断はない。
 大学案内の中に知ってる院生が出ていた。大学の先生の手伝いをしながら生活をしている。結婚相手にどうだという話をしていると,性格とか彼の属性を聞かないで,そろばん勘定が先行する。年収400万以上なら結婚OKだよね。○○ちゃんが言ってましたと返事しておいてと。ここが微妙な自己のこころの表現方法であるが,自分の気持ちと受け取っていいだろう。しかし,400万円というのはかなり高いラインである。しかも年収というからには,アルバイト収入の生活ではない。正規社員としての身分が条件でもある。

 今,結婚できる青年は何パーセントいるのだろう。契約社員が多い。アルバイトも多い。20代は終わり,30代の1年が同じ環境で繰り返し過ぎて行く。結婚など遠い話。少子化の原因もここにある。女性も相手を当てにできず,自分で生活設計をたて,チャンスがあればのながら生活が続く。大人の人口の半分は単身者という構造が続けばますます逆三角形の人口ピラミッドになる。IT革命をやってる場合ではない。精神革命を必要としている。
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飲酒運転で追突事故

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09月10日(日)
町内ご近所でおこる話し (34)
慎重に運転すれば大丈夫と思ってしまう
 
 飲酒運転をしたことがないと云う男性は非常に少ないのではないか。法事などに車で出かけてのおときにビールが出る。主人から一杯ぐらいと勧められてついお言葉に甘えることは以前は常識?であった。最近では,世間の飲酒運転に対する法律遵守がかなり行き届き,自制する人が多くなってきた。

 飲酒運転をしたことがあると言う男性も非常に少ないのではないか。まして,飲酒運転したことをブログに書く人は皆無であろう。しかし,毎日飲酒運転による死亡事故が報道され,それが止まないのを見ていると,あえて自己の経験を語らなくてはと思ったからである。ただし,30数年前の追突事故の話である。今は車を捨てて20年になる。
 友人宅で飲んで,酔いが醒めたつもりの頃になって帰宅するため車を運転したときである。車の量は多く夜間であるから自然に慎重にならざるを得ない。信号が赤で数台とまっていたところへ自分がとまろうとした。ブレーキをゆっくり踏んで前の車の後ろに静かにつけようとした。そして,止まった。ここまでは問題がない。ところが次の瞬間,止まっているはずの前の車がバックしてくるではないか。どうして,後へ下がるのだと,思う間もなく,車と車がぶつかった。前の運転手が降りてきた。「酒を飲んでるんだろう。」とどなってきた。そのとき気がついた。

 酒を飲むと二人の自分が生まれる。理性の一人はブレーキを踏んだと思っている。酔っているもう一人は,ブレーキを80%しか踏んでいない。結果として,自分の車が止まらずに相手の車に追突したことになる。こういうずれが起きるのだということを知って欲しい。事故の経験のない人は自分は運転に自信があるから大丈夫だと思う。しかし,これだけ飲酒による事故が多いのは,「飲むと視力が落ち歩行者が見えなくなる。」「信号があっても見えなくなる。」「ブレーキを踏む指示が遅れる。」「ブレーキを踏む力が出てこない。」こういう原理がわかっていないからである。飲酒運転はいけないということを免許更新講習会で言っても無駄である。本当に法を守らせる気があるなら(犠牲者のご遺族はこの気持ちで一杯であろう。),飲んでいないときに飲むとこうなる例をたくさん提示するなり,ぶつかっても壊れない車を作って,飲んで運転する体験でもしてもらうことである。
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