光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

東京国立近代美術館(2015.3.7) その3 山本豊市、上村松園、小倉遊亀、草間彌生など 

2015年03月30日 | アート 各分野

第6室、7室は省略(6. 北脇昇 混乱と秩序のはざまで、7. 蝶は飛びさる、猫はじゃれあう)

第8室は「8. 芸術は、爆発だ!」で、公式Webサイトから以下に引用。

”岡本太郎のこの言葉をご存知の方も多いでしょう。このフレーズ自体は、1981年に放映されたテレビCMにおけるものです。けれどもその精神は、彼の初期の活動から通底しています。彼は「爆発」という言葉に破壊的な意味よりも、因習的なものを否定し、精神を解放させるといった意図を託していました。言い換えれば、当たり前なものと思われているルールを疑問視し、見る人の価値観を揺るがすことを目指していたのです。このこと自体は、彼の作品だけの専売特許ではありません。たとえばピカソやルソーの絵画を吸収し、日本画に援用しようとした加山又造、制作の身振りと絵具の物質性の一致によって、絵画空間の刷新を目指すアンフォルメル運動に身を投じた堂本尚郎や今井俊満などによる、1950年代から60年代にかけて作られた作品を、この部屋ではご紹介します。更に彫刻家・山本豊市の素描も展示します。1Fの企画展ギャラリーで取り上げられている片岡球子は、ものの量塊を捉える訓練として、1950年代に山本にデッサンを学びました。自らの限界を超えるため、別ジャンルの達成点を取り入れようとしたのでした。”

山本豊市のドローイングです。  量感が素晴らしい。

 

 

 

 

その山本に学んだ片岡球子の作品「ポーズ3」 この作品は第10室の女性・日本画家のコーナで展示されていますが、ここで紹介。

 

 

 

 

 

 

吉岡堅二の作品も展示されていました。  従来の日本画の殻を打ち破ろうとした息吹きがあります。

 

 

会場光景

 

 

第9室は「9. 植物・植生への眼差し」  ここでは写真が主役でした。 

 

 

 

 

第10室は「 女性・日本画家」

公式Webサイトからの引用

”一階の「片岡球子展」(4月7日-5月17日)にちなみ、一部を除いて、女性の日本画家による作品を紹介します。作品選択の条件はこうです。①画家が故人であること、②晩年まで制作を続けたこと、③近い時期に展示や他館への貸出がないこと、④作品の状態に問題がないこと。つまりかなり機械的に作品を抽出したのですが、ご覧のとおり、婦人、子供、母子、花といった主題の作品ばかりが並ぶことになりました。こうした画題の偏りはジェンダーの視点からすれば由々しき事態でしょう。「女らしさ」を求める社会の圧力が、女性画家を特定の画題に向かわせたとも考えられるからです。当館のコレクションが国家の評価、すなわち文部省買い上げ作品を基盤とすることも、問題をさらに深刻にするかもしれません。
 「芸術の目標とするところは所詮個性的であると云ふ事だ。女でなくては感じ得られないこまやかさしとやかさやはやはしさ、扨は繊細な尖鋭や周到な注意、其他[略]先づ自らを知り自らに忠実な事が、総ての道同様第一でなければならぬ」(神埼憲一「閨秀作家の道」、『塔影』12巻3号、1936年3月)。”

 

 

 

以前にも紹介した上村松園の「母子」 やはり素晴らしい。

 

 

 

望遠レンズで部分拡大

 

 

眼の描き方が、昔の美人画と違いますね。。

 

 

 

会場光景

 

 

男性の画家だと、こういう題材には興味がない…かな。

 

 

 

キャプションでうまく説明しています。

 

 

 

 

 

タイトル、蝋燭や背景のイコン風の絵など、?となるのですが、教会に礼拝に来たのでしょうか。 実に健康的、ただ植物の葉に刺すような棘を感じます。

 

 

 

梶原緋佐子は初めて名前を聞く方です。 この絵は、完成度も高い美人画ですが、転向前の作品をWebで見ると

社会派の視線で女性を描いていて、作品のアートとしての興味は、転向前に軍配。

 

 

 

この展示室は実に快適です。

 

 

題11,12室です。  以下、公式Webサイトの引用です。

”11. 「絵は下手でなくてはならない」

一階で企画展が開催中(4月7日-5月17日)の片岡球子(1905-2008)は、大学で教えていたとき、「絵は下手でなくてはならない」と語っていたと言います。想像するにその意図は、上手であることを見せようとしているうちはダメ、そうした地点を乗り越えて、他人からはともすれば下手に見えてしまうかもしれないような独自の線、形、色彩、構図、内容を獲得しなければならない、ということだったのではないでしょうか。ここではそうした観点から「下手な」作品を選んでみました。自宅から見える風景を描き続けた小松均、幻覚や抑圧に基づき揺れ動くような水玉や網目を取り入れた草間彌生、子供や精神障害者の作品に興味を持ち続けたジャン・デュビュッフェ、異色の画僧として知られた岩崎巴人、彼らの作品を前にすると、「下手」の境地にこそむしろ広がりがあることがわかるでしょう。また、本画とは異なる遊びを感じさせる山辰雄の素描も見所です。

12. すべての事物が腐蝕し、崩壊していくこの巨大なガラクタ置場のなかで”

荒川修作の作品は写真ではわかりにくいと思います。

 

部分拡大

 

 

草間彌生の作品はやはり凄い。  ガラスの反射で見ずらいのですが、色と形が生み出すエネルギーとリズムに酔います。

 

 

 

最後に、癒しを感じる彫像で閉めに。

 

 

以上、MOMAT本館の展示の企画や解説は、保坂健二郎さんではないでしょうか。

「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である」展でも、コレクターの視点や

絵画の経済的価値など、実に面白い企画と語り口でした。

丁度、MOMATコレクションが始まった3月7日に行ったのですが、会期は5月17日

までです。  おすすめです。

 


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