光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

国立科学博物館 日本館#5 日本人と自然

2012年03月31日 | 自然科学

人と社会を取り巻く生き物のコーナです。
まず、ニワトリ。  したの図で赤丸のものが展示されていました。

左上の大きなニワトリは東天紅で、日本三大長鳴き鶏となっています。  隣の白いウコッケイは、初めて姿を知ったのですが、白い羽毛が可愛らしい。 しかし、皮も内臓も骨も黒いのだとか・・・それで烏骨鶏と名づけられた。

小さい頃、両親は小さな畑をしたり、数羽のニワトリや、軍鶏も飼っていました。  あるときの夕食で鶏肉を食べたのですが、その鶏が家で飼っていたニワトリだと聞いたとき、泣き叫んで抗議し、亡き母が困惑していたのを覚えています。

 

次は犬です。  まず甲斐犬。  秋田犬についで天然記念物に指定された。
見た感じのとおり、狩猟用としての適性があり、気性は少し荒いようですが、知性は高く、一人の飼い主に一生忠誠を尽くす犬としても知られている。   私の元、同僚だった方が飼っており、食パンを食べるそうですが、ヤマザキのソフトしか食べないと嘆いてました。

 

右隣は樺太犬のジロ。  発祥は樺太とされているが、根室市などで育種されてきたもので、第一次南極観測隊に同行した22頭の樺太犬のうちの一頭。  1958年(昭和33年)に悪天候のため、昭和基地に首輪で繋がれたまま置き去りにされた15頭のうち、生き残ったのが2頭の兄弟、タロ、ジロだ。  この2頭は首輪抜けがうまく、ペンギンなどをたべて生存していたらしい。
今は、南極大陸の生態系を保護するため外来の生物を持ち込むことはできない

 

有名な忠犬ハチ公です。  ここに剥製があったんだ。 
秋田県の在来犬種で、古くからマタギ犬として利用されてきた。  狩猟犬は飼い主への忠誠心が高いようだ。

 

稲作に伴う環境の変遷。
私たちの主食の米、この栽培のため、古くから祖先たちが努力を重ねてきた結果が、今の里山の風景。  あらためて大事にしたいと思います。

縄文時代は、低湿地などで栽培されていて、水田のようなものではなかった。

 

弥生時代に入ると、水田での栽培となり、水路の設備などの土木技術も発達した。   肥料も少ないため、休耕田で地力の回復を図った。  稲刈りは穂首刈りだった。  これは、稲の品種がバラバラで、熟れた順に刈るため、穂首刈りとなった。(道具は石包丁)

 

江戸時代。  長年にわたって森林を切り開き、農地や居住地として利用してきた結果、周りの森林(山)は人の手が加わった半自然の二次林となり、里山と称される独自の植生が定着した。
稲作では、休耕田はなく、早生などの品種ごとの栽培や、稲刈りも株刈りに変わった。

 

 

麹の説明です。

日頃お世話になっている麹。  今日も麹の恩恵にあずかろう。

 

日本の国花である桜と菊。そのうちの菊の分化の説明です。  江戸時代に品種改良のピークを迎えた。

 

 

 

 

清楚な野菊が大輪の菊に・・・人間の執着力の強さ。

2階のフロアの中央ホールから。  これから3階へ。

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