光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

太宰治展示室 さよならだけが人生だ  三鷹市美術ギャラリー

2023年09月20日 | アート 各分野

三鷹市美術ギャリー8月30日(水)の2件目。

太宰治展示室は初めて見ました。 

 

 

玄関前から見たところ。 右端の太宰治の写真が撮影禁止だったので、ネットから。

 

 

6畳,3畳、4畳半の室内で、6畳の間が撮影OKでした。

井伏鱒二の掛軸があります。  

 

 

障子の奥が縁側で、当時は畑の風景が見えたとか。

 

 

ちょうど企画展示で 

さよならだけが人生だーー太宰治、林芙美子へ、井伏鱒二の言葉

が開催されていました。 チラシ表。

チラシ裏

 

 

面白かったのは、林芙美子と太宰治が描いた絵。(撮影禁止だったので、ネットから)

林 芙美子の自画像です。  いいですね。

太宰の小説「ヴィヨンの妻」の装幀と扉絵も描いている。

林 芙美子 《自画像》  昭和7,8年頃  油彩カンヴァス 325×234 新宿歴史博物館

 

 

こちらは太宰の絵。  こちらもよかった。

太宰 治《水仙》昭和14、5年頃  油彩スケッチボード142×212 津島家寄託

 

この絵を、檀一雄が「小説太宰治」の装幀に使っていました。(展示はありません)

 

以上で展示の説明は終わりなのですが、この当時の文士の肖像を、酒田市の土門拳記念館

訪問時のブログに上げていました。

参考になればと、抜粋して載せてみました。

なお、次回は気になっていた、太宰治の心中事件を取り上げる予定です。

 

 

軽井沢そして東北,アート巡り #12 土門拳記念館「特別展 昭和の目撃者 林忠彦vs土門拳 ー林忠彦生誕100年ー」

 

太宰治の有名な写真、林が撮っていたんだ。  カメラは意識しているのでしょうが、自然な姿の太宰、楽しそうな声が

聞こえてきそうです。  キャプションのコメントが面白いので紹介。

”織田作之助を撮影していると、「俺も撮れよ」と酔っ払い客に頼まれて撮影した。それが、兵隊靴で椅子にあぐらをかく太宰治だった。

戦後の「デカダン」の雰囲気を捉えた、林の代表作。”  (銀座5丁目のバー「ルパン」 昭和21年(1946))

 

その、織田作之助(左の写真)。 上の太宰の写真は、付録で、こちらがメインだった。 織田作之助は肺結核で、撮影後、間もなくして亡くなった。

右の檀一雄、林に”写真なんてどうでもいいじゃないの、それより、飲もう飲もう”と誘いすぐ、酒になったようだ。 いかにも無頼派作家らしい生活状況が

うかがえる写真。 私は、女優・檀ふみの父で、家庭を棄てて別の女性と同棲したことぐらいしか知らなかったが、調べてみると、太宰とも深い交友があった

のですね。 林忠彦もバーでの飲み仲間であり、打ち解けた雰囲気で撮影しています。

 

 

左の田中英光?恥ずかしながら初耳の作家です。 太宰治に師事、心酔していたようで、この写真も、田中から、太宰と同じよ

うにバーで撮影してほしいと頼まれて撮ったもの。 なんと、撮影後まもなく、太宰の墓前で自殺した!

右の坂口安吾の仕事部屋での写真も有名。 で、坂口安吾を調べていると、彼の書いた「安吾巷談 麻薬・自殺・宗教」の中で

自身が覚せい剤ヒロポン(当時は合法だった)や、催眠剤中毒を何度も経験していて、孤独感から自殺を考えたこともあったよ

うだ。その中で、田中英光にもふれ、とんでもない大酒飲みで、同様に催眠剤中毒になっていると書かれている。 催眠剤は

眠るためではなく、早く酔うためだった。  田中の写真を見ると、一見、好青年が楽しそうに軽く飲んでいるように見えるが

実生活は女性とのトラブルもあり、苦悩のさなかだったのだろう。

 

 

 

 

林芙美子

有名な作家ですが、やはり、私は作品を読んだことがなく、「放浪記」などの自伝的小説で流行作家になった・・・というイメージだけでした。

左の土門の作品 東京・下落合 昭和24年 キャプションに”林芙美子の印象を土門は「その目は詩人そのものだった。あどけなく、寛容な光をたたえていた」”

といっていますが、この肖像写真からは、私は逆にふてぶてしさを感じます。

右の林忠彦の作品 東京・新宿 昭和26年頃 キャプション ”「書斎での林さんこそ、作家の厳しさを表現できる」と思い、日暮れまで待ち、室内光と

外光のバランスがとれる瞬間に撮影。「この書斎に通してもらうまでに10年近くもかかりました」”  うーん、苦労の甲斐があって、いい写真です。

 

井伏鱒二、共に書斎での写真。 右の土門作品は昭和26年の撮影、左の林作品は昭和43年の撮影。

井伏作品の「山椒魚」は、教科書?で読んでその情景が浮かんだ記憶がある。

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「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」展を見て #3

2023年08月14日 | アート 各分野

Section 7 抽象表現主義のインスタレーション作品を紹介。

 

可愛くて、親近感を感じた。

 

 

 イサム・ノグチ(1904–1988)《独り言》 1962年 (1988年鋳造)ブロンズ  227.3×20.3×14.0 石橋財団アーティゾン美術館

 

ここから、Section 8  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

Section 9 具体美術協会 Gutai

 

白髪一雄は、ロープにぶら下がって、足で絵具を踏み描く作品が有名ですが、これは違うかな。

でも塗りの迫力は、さすが

 

白髪一雄 1924–2008 《白い扇》 1965年 油彩・カンヴァス 181.4×272.4  石橋財団アーティゾン美術館
 

 

白髪一雄の奥さんも、作家だったんだ。 

写真では、和紙の質感が伝わりにくいですね。

 

 

キョーレツ!

 

 

 

Section 10 瀧口修造と実験工房

このコーナは暗さが半端なく、ほとんどブレてしまいました。この作品だけ少しマシでした。

実は、カメラの設定を失敗していて、それが、最近、分かったのです。トホホです。

山口勝弘1928–2018   《無題》   1950年油彩・カンヴァス 41.0×27.5   

石橋財団アーティゾン美術館(寄託作品)

 

 

Section 11 巨匠のその後―アンス・アルトゥング、ピエール・スーラージュ、ザオ・ウーキー

 

墨絵の雰囲気。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Section 12 現代の作家たち ―リタ・アッカーマン、鍵岡リグレ アンヌ、婁正綱、津上みゆき、柴田敏雄、髙畠依子、横溝美由紀

 

 

 

 

婁 正綱 LOU Zhenggang 1966–  《 Untitled》 2022年 アクリル・カンヴァス 194.0×810.0  個人蔵 

 

 

 

 

津上みゆきの作品、爽やかな感じを受けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

展示風景です。

 

 

 

 

 

 

鑑賞を終えて展示ロビーにて

 

 

美術館出入口にて。

次に、東京国立博物館の”古代メキシコ展”に向かうのですが、カメラの設定ミスに気が付かないまま

泣くことになってしまった。

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東京国立近代美術館(2021.12.24)所蔵作品展から 11,12室

2022年04月20日 | アート 各分野

東京国立近代美術館(2021.12.24)の鑑賞もラストになります。 今回は2階の第11,12室です。

概要は公式サイトからお借りしました。

2F

11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで

 11室 協働する

田中功起《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作る(沈黙による試み)》「手話とバリアフリー字幕版」(2013/2021年)より

 近年、美術館での映像展示の機会は増えていますが、バリアフリー字幕や手話映像が付いているものは少なく、ろう者、中途
失聴者、難聴者にとっては、美術館での映像作品鑑賞に高いハードルがあります。2020年度、東京国立近代美術館は、幅広い鑑
賞の機会をつくるため、アーティストの田中功起氏の全面的な協力のもと、所蔵作品である《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作
る(沈黙による試み)》(2013年)の「手話とバリアフリー字幕版」を制作しました。この作品は、出自や境遇、性別、考え方
の異なる人々の「協働」をテーマとしています。今回制作した「手話とバリアフリー字幕版」も、アーティスト、ろう者、美術
館スタッフ等、様々な立場の人々が一つの作品を制作する「協働」でした。複数人で目的を共有することは時に困難を伴います
が、そのプロセスは立場の異なる他者を理解することへの始まりでもあります。

 この部屋では、この新たな鑑賞機会の試みとともに、「協働」にまつわる作品を合わせてご紹介します。

12室
近代の領分テリトリー
 この部屋では、(1点の例外をのぞいて)1960–80年代末の作品を紹介します。
 東京国立近代美術館(1952年開館)の「近代」とは、「modern[モダン]」など西欧言語の訳語で、近代の、現代の、近頃の
、いま風の、と時に応じてさまざまな訳が当てられてきました。70–80年代、日本では美術館の建設ラッシュが起き、「近代」を
冠した美術館が各地に開館します。そしてこの建設ラッシュと近代という名づけ(のブーム?)は、80年代末頃に終息していきま
す。これにはバブル崩壊や、80年代に盛んに語られたポストモダン(モダン以後)という動向も関係しているでしょう。

 「近代はすでに終わってる?」、「近代と現代の区分は?」、「いや、名前の問題じゃないのでは?」…、 同時代の美術を90年
以降も扱い続ける「近代美術館」には、なかなか大問題です。以上のような関心から、今回の展示の結びを「近代」にとってひと
つの転換点である80年代末の美術としました(みなさまとこの問題を少し共有してみたいという希望を込めつつ)。

 

では11室の作品から

 

北脇昇、小牧源太郎、吉加江京司(清)、原田潤、小石原勉   《鴨川風土記序説》

面白い作品だなと思って、しばし見ていました。 制作年代は戦時下。

シュルレアリスムの手法を用いて、油絵で描いています。 題材は日本の伝統的な

文化にちなんだものですが、いい感じです。・・・戦時下でも、新たな表現を模索

してたんだ。

 

 

12室です。

草間彌生 《冥界への道標》  

この作品を初めて見たのは10年前になります。その2か月前にテレビのNHKスペシャル「”水玉の

女王”草間彌生の全力疾走」でも紹介されていて、えー?と思った作品です。 ですが、実物を

ると、その迫力にブルッでした。

 

斜め横から見ると、わかりやすい。

 

 

川俣正  《TETRAHOUSE PROJECT PLAN 6》

キャプションを読むまでは、立体の作品だと思ったのですが、習作と分かり

作品が、より身近になるという不思議。 

 

 

 

有元利夫  《室内楽》

独特の絵肌です。この作家の作品を、実物で見たのは数えるほどしかありません。

ウィキによると”イタリア・ルネッサンス期のフレスコ画と日本の仏画を敬愛し古典

や様式の持つ力強さに影響を受けた”・・・とある、なるほど。

有元は東京芸大美術学部デザイン科卒業と同時に電通に入社して3年ほどデザイン

仕事に携わり、その後、画業に専念。 だからだろうか、作品からはデザインの感覚

がプンプン感じられる。それでいいと思う、アートとして楽しめれば。

 

 

 

横尾忠則  《葬列 Ⅱ》

アクリル板の多重構成で、面白い効果を出しています。 でも、私は今一つ、迫力を

感じない・・・ ポップアートは好きじゃないし。

 

 

大竹伸朗 《トルソとギター》 

大竹伸朗の作品は、面白くて好きなんです。

そういえば、個展「ビル景1978-2019」(水戸芸術館 2019年7月13日~10月6日)もまだアップしてない

 

 

舟越桂  《森へ行く日》 

今までにみた、舟越桂の作品のなかでは一番、迫力がありました。

作品の解説は、公式サイトにわかりやすいものがありましたので、キャプションの下に

引用させていただきました。

なお、この作品写真の背景に、草間彌生の《冥界への道標》と李禹煥の 《線より》、

に菅木志雄 の《Protrusion #076》があり、意識して撮影しました。

 

例えばここに、中原佑介編著『80年代美術100のかたち INAXギャラリー+中原佑介』(INAX、1991年)という書籍があります。
評論家の眼を通して同時代の様々なアーティストを継続的に紹介した1980年代の記録ですが、見返すと直截な人体彫刻は一切現れ
ません(ついでに言えば人物を描いた絵画も、そして女性作家も稀です)。それどころか50年代頃まで遡っても、いわゆる現代美
術の中で人体彫刻が脚光を浴びることはほとんどなかったと言っていいでしょう。一種のトレンドとして歴史を語ることには注意
を要しますが、80年代中頃の舟越桂の登場というトピックは大きなインパクトを持っていました。

 彩色の木彫、粗めに残された彫り跡、等身大より一回り小さい着衣の人物、大理石による玉眼、へその下までの半身像、木材と
は異なる素材との組み合わせ、細い鉄製の台座、そして文学的なタイトル。本作は90年代半ばまでの作者の典型的な特徴を備え、
ヴェネチア・ビエンナーレ(88年)、「アゲインスト・ネイチャー」展(89–91年)や主要な個展に出品されてきた代表作です。

 舟越の作品は伝統的な木彫の刷新として迎え入れられるとともに、何よりも、言葉を強く喚起しました。彼の彫像に対する過去
の言説を遡ると、いわば象徴主義と呼び得るほどに比喩を駆使した詩的な言葉で埋め尽くされ、またその作品は数々の小説の装丁
に採用されてもきました。何がこんなに言葉を、あるいは詩情を誘うのでしょうか。

 タイトルの文学性(本作のタイトルは舟越の最初の作品集の題名でもありました)以外に造形として気付かされるのは、玉眼の
配置です。ふたつの黒目はわずかに水平をずらして外向きに開き、視線の焦点は追い切れません。前に立ってもこちらと目が合わ
ないこの特徴に加えて、手首や腰以下の関節が見えないことが抑制された暗示的な動きを生み、何かをほのめかしながら沈思黙考
しているような印象を与えます。そこから見る者もまた沈思黙考に導かれ、内面的な物語を紡いでいくのでしょう。あえて比喩を
使えば、鏡のような作品であるわけです。

 この像に特定のモデルはなく、肩から胸にかけて張り付いた特徴的なゴムチューブは、もともとデッサンのこの部分に描いていた
「つやと粘り気のある黒い帯状のもの」を実際に表したものであったといいます[1]。実在的なリアリティよりもデッサンの発想
を優先するそのような制作理念もまた、こちらの空想を触発する詩的な印象と造形に結び付いているに違いありません。

(美術課主任研究員 成相肇 /『現代の眼』636号)

[註]1 「舟越桂 私の中にある泉」カタログ、渋谷区立松濤美術館、2020年、p.117

 

 

李禹煥  《線より》

好きな作品です。

 

 

 

12室の光景

 

 

 

最後は、美術館と門前のポスターです。 フーッ やっと終わった! 

コメント (2)
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東京国立近代美術館 所蔵作品展から 10室(2021.12.24鑑賞)

2022年04月09日 | アート 各分野
東京国立近代美術館の鑑賞、今回は3階の第10室です。

 

10室の概要・・・公式サイトからお借りしました。

10室 機械メカの美(後期:12月7日―2022年2月13日)

太田聴雨《星をみる女性》1936年
(展示期間:12月7日―2022年2月13日)

 

 近代化が進展した1920–30年代は、都市文化の繁栄とともに、機械ならではの美しさに対する意識が
新たに芽ばえた時代といえます。あたかも機械の部品のように、人体を各パーツへと解体し、幾何学的
な形態と組み合わせて再構成した萬鉄五郎の《もたれて立つ人》。
パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックがフランスで創始したキュビスムの影響を受けていることは明
らかですが、人間と機械を等価なものとするまなざしを見てとることもできます。

 一方、同時代の日本画はどうでしょう。望遠鏡やカメラは新しい時代の到来を象徴するモチーフとし
て描かれ、金属の硬さや重量感が、女性の若々しい透き通るような肌やしなやかさと引き立てあう効果
を生んでいます。戦後になると、パンリアル美術協会の三上誠や星野眞吾らは「写実的」という意味の
リアルではなく、「現実社会」という意味のリアルと向き合うための日本画を追求しました。

 彼らの作品には、生命感の希薄な動植物あるいは意思を持った機械のようなモチーフなど、生命と機
械が融合した心象世界が広がっています。

 

 

10室の奥、ご覧のように、落ち着いて鑑賞できる部屋です。

 

 

では個々の作品を

中村岳陵  《気球揚る》

中村岳陵が生まれた1890年(明治23年)、英国人によって日本で初めて気球が上がった。

洋装の貴婦人と和服で扇子を振る女性。洋と和、新と古の対比。 この作品が制作された

1950年(昭和25年)、岳陵は36年間も所属した再興日本美術院を去り、日展(日本美術

展覧会)に参加。気持ちも新たに制作したのでしょう。

 

胸から上の部分拡大。 精細な筆致がわかります。

 

 

北野恒富の美人画ファンなんです私は。 (#^_^#)

 

 

 

芸妓のアップです。

鹿の子絞りの着物、宮中絵巻風の帯柄、簪の翡翠など、緑を基調とした統一感が爽やか。

そして何より、真剣な表情の女性の情感が素晴らしい。 

 

 

古賀春江 《母子》 

昔、女性の画家と勘違いしていました。 本名は亀雄(よしお)、「春江」は通称。

写実、キュビスム、シュルレアリスム、クレー風絵画、と画風が変遷しています。

この作品は、金属感ゴリゴリのキュビズムだ・・・私は、へー!でした。

古賀春江はこの作品を描く前年、奥さんが死産、影響してますね・・

 

 

10室の入口側の作品、メカっぽさがより強い。

 

 

 

 

 

 

 

山口 長男《二人像》

1927年から1930年までパリにいて、帰国した年、二科展に出品し入賞した作品。

 

 

 

谷中安規  《版画集 5 冥想氏》

谷中安規も好きな作家。

 

 

谷中安規  《「方寸版画」創刊号・幻想集6.空》

 

 

 

小泉癸巳男  《「昭和大東京百図絵」より 54.城東区砂町風景》

小泉癸巳男 の版画は初めてでした。 大東京百図絵の他の景もWebで見ましたが

抒情的な作品のほうが多い。

彫刻線とか、人物の描き方は、人間的でヘタウマ的な面白さあり。

 

 

 

小泉癸巳男  《「昭和大東京百図絵」より 87.羽田国際飛行場》

 

 

 

谷中安規  《レコードと蓄音機》

 

 

 

古賀春江  《古賀春江作《梅》による版画》

古賀は生来病弱で、神経衰弱や各種の病気を患っていた。 また女性問題も多かった。

この作品が制作されたときは、古賀は梅毒で脳神経まで侵されていた。(この年に亡くなっている)

この作品に、機械の美というより、ぎこちなさを感じるのは、その影響だろうか。

 

 

なお、古賀春江作《梅》は、1920年頃制作された水彩画の作品だと思われます。 Webからお借りしました。


 古賀春江 《梅 Plum blossoms》1920年頃  鉛筆、水彩・紙  28.5×39cm

   

 

 

杉浦非水の雑誌表紙絵

 

 

仲田定之助  《女の首》 1924  白銅

 

 

 

 

 

 

 

佐々木象堂 《蠟型鋳銅置物 三禽》  1960  青銅、蠟型鋳造 

リズミカルで面白い。

 

 

 

  

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東京国立近代美術館 所蔵作品展から 6~9室(2021.12.24鑑賞)

2022年03月08日 | アート 各分野

東京国立近代美術館の鑑賞、今回は3階の6室から9室です。

3Fの会場マップです。公式サイトからお借りしました。

3F

6-8室 1940年代-1960年代 昭和のはじめから中ごろまで
9室 写真・映像
10室 日本画

 

6室の概要・・・公式サイトからお借りしました。

6室 激動の時代を生きる

 この部屋には、日中戦争の始まった1937(昭和12)年から、戦後の1949年までの
まざまな人間像を集めました。靉光の《眼のある風景》は人間像とはいえないかも
れませんが、しかしここに描かれている眼は印象的です。これはいったい誰の眼で
何を見つめているのか、しばし考えながらこの部屋をめぐっていると、麻生三郎の
《自画像》の、切迫したまなざしにも似ていることに気づかされます。
だとすると
やはり、《眼のある風景》に描かれている眼は、靉光自身の眼なのでしょ
うか。
しかしながら彼が戦争へ行く直前に描いた《自画像》では、その眼は全く異な
る印象
を私たちに与えます。
 画家たちはまた、この激動の時代に、身近な人の存在のかけがえなさをキャンバス
に刻み付けたようにも思われます。前述の麻生は、妻や幼い娘を繰り返し描きました。
脇田和の《画室の子供》に描かれているのは、彼の二人の息子です。 彼はこの直後
に陸軍の委嘱でフィリピンに渡る予定でした。彼は何を思いながらこ
の絵を描いたの
でしょうか。

 

靉光 《眼のある風景》  

靉光、本名は石村 日郎(いしむら にちろう)1924年、大阪に出て画家を志した時、靉川光郎(あいかわ みつろう)

と名乗る。靉光の名は、これを略したもの。靉光は生前、独特な画風から画壇の主流から外れ“異端の画家”とも呼ば

れたが靉光の死後、作品が日本人の油彩表現として一つの到達点を示したとして評価を高めた。(Wikipediaから)


見た瞬間、ウッ 


今回は撮影しなかったので、2011年6月12日に撮影したものを使用。

 

靉光 《自画像》

この自画像の完成直後に応召し大陸へ渡り、1946年1月、中国の上海郊外でマラリアとアメーバ赤痢

により病死した。享年39。

靉光はシュールレアリズム風や宋元画風など特異な画風で知られるが、生前に多くの作品を破棄した

上、残された作品も、実家が原爆で失われたことからその数は非常に少ない。

戦時下の状況から、靉光は戦争画を描くよう当局より迫られたが「わしにゃあ、戦争画は(よう)描

けん。どがあしたら、ええんかい」と泣くようにいったという。(ウィキから引用)

今回、撮影してなかったので2010年3月21日に撮影したものを使用。

 
 

 

麻生三郎 《自画像》  

怖っ

 

 

脇田和《画室の子供》  

ポーズは可愛いいのですが、眼が・・・

 

 

松本竣介《黒い花》  

カリカリ感、青の透明感がいい。

 

 

田村孝之介 《佐野部隊長還らざる大野挺身隊と訣別す》

戦争画です。 以前は、戦争画はコーナでまとめて展示されていましたが、今回は

6室のなかで、一般の作品に混じって展示されていました。  時代の一つの文化的

事実ですから、特別視せず淡々と観ています。

ガダルカナル島では、昭和17年8月、連合軍の上陸から大激戦が続き、昭和17年2月の

日本軍撤退まで、死闘が繰り広げられた。 日本兵の多くは戦死、病死、餓死した悲惨

なもので、撤退した年の八月には、「ガダルカナル島死闘記ー還らざる挺身隊」(陸軍

報道班員 森川賢司著)が発刊された。

挺身隊は、米軍基地に潜入し破壊工作を行うもので、任務を果たし帰還した中澤挺身隊

寺澤挺身隊の成功をもとに、12月21日大野挺身隊が計画され、25日師団司令部を出発し

たが、その後消息不明で全員未帰還となった。 大本営でガダルカナル島撤退が決定し

たのが12月31日だった。

この絵を描いた田村孝之介も、現地に行ったわけではなく、本などの情報に基づいて描い

たものであろう。なお、佐野部隊長とは第三十八師団 師団長佐野忠義中将。

この絵は当時、絵はがきにもなっており、当局としては、戦意高揚(身命を捧げて敢闘す

る)に都合が良かったのでしょう。

 

 

 

7室に移ります。概要は公式サイトからです。

7室 純粋美術と宣伝美術 その1

山城隆一《日本宣伝美術会展》1952年

 日本初のグラフィックデザイナーの職能団体である日本宣伝美術会(日宣美)が設立したのは1951(昭和26)
年でした。設立当時に会のメンバーが記した文章を読むと、デザインという言葉は見当たらず、宣伝美術という
言葉が用いられています。また、宣伝美術が一つの分野として独立性を持たないことに対して不満を抱えている
一方で、芸術性や作家性を重んじたいという思いがあったことを感じ取ることができます。

 日宣美のなかには、美術同人として活動している者もいました。例えば、瑛九が中心となって活動したデモク
ラート美術家協会には、早川良雄や山城隆一が参加していました。造形の類似性も指摘できます。シュルレアリ
スムの絵画でよく用いられる白昼夢の風景や擬人化といった手法は、宣伝ポスターでも見ることができます。
ヤマハのピアノや三協のカメラのデザインをした山口正城は、抽象画家としても作品を発表しています。美術と
デザインの間に今ほどはっきりと境界線が存在していなかったことが分かります。

 

伊藤憲治 《リファインテックス》

ルネ・マグリットのシュールな絵画が思い浮かぶ、洒落た作品。

伊藤憲治は、canonのロゴなどもデザインした、斯界の草分け的存在。

(リファインテックスは、高級な洋服生地の商品名)

 

 

伊藤憲治 《石炭》

立体的で、これも洒落ています。

 

 

瑛九 《シグナル》

瑛九は1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。15歳で美術雑誌に評論を執筆とい

う早熟ぶり。36年フォト・デッサン作品集『眠りの理由』を刊行。

既成の画壇や公募団体を批判し、51年デモクラート美術家協会を創立。

参加者は画家をはじめ、デザイナー、写真家、評論家、バレリーナに至るまで

幅広い領域にまたがり、靉嘔、池田満寿夫、河原温、細江英公など、後に世界

的に活躍する多くのアーティストを輩出した。 日本の現代アートに与えた影

響はとても大きい

ところで、このエッチング作品は、心の深層領域から発現したような形象が目

につきます。瑛九が、自身の本源的なものを追求していたからだと思いますが 

私にとっては、得体のしれないものにしか見えず、ブルっとはきません。 

 

 

河原 温 《孕んだ女》

有名なニューヨークのグッゲンハイム美術館で2015年、個展開催が実現した河原温だが、その前年に亡くなった。

河原温は20歳の頃、瑛九の浦和のアトリエに通っていて、瑛九に論破されては泣いていたらしい。 苦しんだ河原

温の渾身の作が「浴室シリーズ」で、当時、センセーションを巻き起こした。

文化遺産オンラインに、この作品の解説があるので、一部を抜粋して掲載します。

戦後の混乱から安定へと時代状況が進む中で、戦争の悲惨とその後の戦争責任の風化、新たな動乱の予兆といった

時代閉塞に対峙していた焼け跡世代は人間の条件を現実の状況の中に見つめていた。河原はそうした実存的な意識

で人間の置かれた状況をゆがんだ密室の中の惨劇や、物と断片化された身体の奇妙な増殖として、《浴室》と《物

置小屋の出来事》の素描連作に集約した。この油彩作品においては、それを一点モニュメンタルなものとして描い

ている。上下左右の方向性を失ったタイル貼りの浴室の中に切断された身体が日常的な物とともに配置されるが、

それらは奇妙な空間感覚の中で、むしろ整然とバランス良く配置されていて不安定さの中で妙に静的な印象を与え

る。それらの顔の表情は空虚を見つめる無気味ささえ持っている。中央の妊婦だけが五体満足で、絵を見る私達を

見返している。計算された問いがここに仕掛けられている。「人間」とは何なのかと。

 

 

山口正城   《雷心》

山口正城は初めて聞く名前。本邦初公開の作品とのこと

 

8室純粋美術と宣伝美術 その2


山口勝弘・大辻清司《『APN』ポートフォリオより(2)》1953-54年

 あるものの要素や性質を抽出してそれに形を与える、いわゆる抽象化という過程が美術や
デザインには存在します。美術家やデザイナーは、表現における抽象度の度合いを巧みに操
ることで作品を介して鑑賞者とのコミュニケーションを図ります。例えば、宣伝ポスターで
は適度に抽象化された表現を用いた方が情報の伝達が早い場合があります。絵画や彫刻にお
いて、感覚的な「イメージ」を伝えるには、写実的な表現を避けた方がいい場合があります。

 1950年代、60年代の抽象表現でよく用いられていたのは、おおらかな曲線のフォルムです。
有機的で、なんとなく生き物を思わせる形象はビオモルフィックといわれ、家具の造形におい
てもその影響が見られました。

 菅井汲や小磯良平、北代省三が制作した絵画や彫刻作品と、彼らがデザインしたポスター
との比較もお楽しみください。小磯は新制作協会、北代は実験工房というグループに属してい
たので、その仲間の作品も一緒に展示しています。

 

難波田龍起 《 天体の運行》

難波田龍起は好きな作家の一人です。タイトルから惑星や、その軌道などが感じ取れますが

それより、淡い色合いや、古色を感じるかすれなどが醸し出す、全体のハーモニーが美しい。

 

 

北代省三 《ギーゼキング演奏会》  

洒落たポスターですね。 昭和28年には、ピアノの巨匠などが来日してたんだ。

 

 

小磯良平 《オルレアン毛織》 

一流の画家が描いたポスター、手作り感が半端ない。

 

 

小磯良平  《神戸博(1950)》

 

 

 

菅井汲  《びわ湖の旅》

菅井汲って、女性画家と勘違いしていました。 以下、ウィキから抜粋引用。

本名は貞三。大阪美術工芸学校に学んだ後(病気の為に中退)、1937年から阪急電鉄宣伝課で商業デザインの仕事に就く。

中村貞以、吉原治良に師事。

1952年渡仏。日本画を学んだこともある菅井の作品は、東洋的なエキゾティシズムをたたえたものとして、パリの美術界で

高い評価を与えられた。

菅井は無類のスピード狂で、愛車のポルシェで高速走行している時に浮かぶビジョンが制作のモチーフになっているという。

1967年にはパリ郊外で交通事故を起こし、頸部骨折の重傷を負うが、一命はとりとめた。

 

 

 

菅井汲  《鬼》 

 

 

 

9室石元泰博:落ち葉・ あき缶・雲・雪のあしあと

9室については、撮影しませんでした。 申し訳ありません、公式サイトからの概要のみとの紹介です。


石元泰博《落ち葉》1986-93年  ©高知県, 石元泰博フォトセンター

 生誕100年を記念して、石元泰博が1980年代後半から90年代半ばにかけてとりくんだ、「うつろいゆくもの」
をめぐる四つのシリーズを特集します。

 雨に打たれて朽ちていく路上の落ち葉をとらえた〈落ち葉〉に始まる四つのシリーズのうち、〈雲〉と〈雪の
あしあと〉が発表された個展のリーフレットには、『方丈記』の一節が引かれていました。

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久
しくとどまりたるためしなし。世中にある人と栖と、またかくのごとし」

 一連の作品は、時の流れという主題をめぐるものであり、のちに他のいくつかのシリーズを加えて
『刻−moment』(2004年刊)という写真集にまとめられます。

 アメリカ、シカゴのインスティテュート・オブ・デザイン(通称ニューバウハウス)に学んだ生粋のモダニスト
として知られた石元ですが、この一連の仕事を通じて見出したのは、螺旋形を描いて流れる日本的な時間感覚であ
り、また自らの中にも、そうした日本的な感性が強く息づいていることだったといいます。

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東京国立近代美術館 所蔵作品展から 2~5室 (2021.12.24鑑賞)

2022年01月17日 | アート 各分野

東京国立近代美術館(MOMAT)4階2室の説明です。(公式サイトからお借りしました) 

2室 和洋がなじむまで

和田三造《南風》1907年、重要文化財

 ひとつ前の部屋で原田直次郎《騎龍観音》をご覧になったでしょうか。仏教という東洋的な主題を西洋の技術
(油絵)で描く和風洋画と呼ばれるスタイルはいま見れば奇妙に感じますが、その奇妙さこそが貴重な始まりの
気運を伝えます。
幕末以来急速に押し寄せる西洋化の波の中で、外来の技術を取り込みながらいかに日本の絵画
を作り上げるか。それがすなわち日本美術の近代化の出発点でした。

 欧化と国粋化の間で揺れ動いた時代を経て、1907(明治40)年、フランスのサロンに倣った文部省美術展覧会
(文展)が開設されます。日本画、洋画、彫刻のジャンルを規格化した文展が、日本の美術の形式や様式に落ち
着きをもたらしました。この部屋で紹介している作品は、久米桂一郎の作品以外すべて文展出品作です。   和田
三造の描く理想的な(西洋的な)身体、陰の中の色彩を細密に描く久米の(西洋的な)写実、油気を抑えた(東
洋的な)小杉未醒(放菴)の描き方、落差のある近景と遠景がつながる和田英作の(東洋的な)構図。和洋が揺
すられ、攪拌され、溶け合い、なじんでいく過程をご覧ください。

 

 

では、作品を

平田松堂《木々の秋》

この作家は初めてで、華やかだけど普通の花鳥画だなと思い、最初は通り過ぎようとしたのです。

が、よく見ると部分、部分は美しい、でも全体だと少し凡庸に見える・・・私の偏屈な眼には、

ときどきあるのです。

なお、作者は河合玉堂に師事したこともあり、後年には東京美術学校(東京芸大の前身)の教授

にもなった方。華族出身と関係あるのかな、絵は上品です。

 

部分を拡大してみました。 左上には小鳥もいます。

 

 

中沢弘光《おもいで》

ホントは、好みの絵ではないのですが、2室の作品は見慣れた作品が多く

たまには、という感じで、この作品を撮影しました。

参考に、アーチゾン美術館コレクションにある本作品の下絵を載せました。画像は、同美術館のサイトからお借りしました。

 

 

 

 

 

3室 ほとばしるフライハイト ―『白樺』と青年たち

岸田劉生《B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)》1913年

 1階で開催される「民藝の100年」(10月26日より)とゆかりの深い白樺派に関連した作品を中心に紹介します。
柳宗悦らが1910年に創刊した雑誌『白樺』は、個性を鼓舞する斬新な論説で若い世代の芸術家たちを刺激しました。
『白樺』創刊と同年に高村光太郎が発表した評論「緑色の太陽」は、この時代のムードを色濃く伝えます。「僕は
芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めている」。太陽は緑で描かれて構わない。それは個性の尊重であると
同時に、(目を閉じたときに太陽が緑に映じるように)内面性の肯定、生命賛美の宣言でもありました。

 作者の恋情を託してうねる荻原守衛の彫刻、前世代を挑発する萬鉄五郎の強烈な色彩は、この時代の象徴といっ
ていいでしょう。『白樺』は西洋近代美術を積極的に紹介し、同時代の作風の形成に直接の影響も与えました。前
の部屋の穏健さから、がらりと様子が変わっていることがわかると思います。風景を刻み込むセザンヌの視点が、
燃え立つようなゴッホのタッチが、筋肉の緊張を伝えるロダンの手法が、各作品に流れ込んでいるのが見て取れます。

 

上の、公式サイトの写真と、私が撮影したもの比べると、結構違いますね。

 

 

柳敬助《白シャツの男》

モデルの富本憲吉の心まで描き出すような画力はさすが。 

残った作品が少ないのが残念です。

 

 

関根正二《三星》

惹きつけられる作品です。 このブログでも何回もとり上げました。

関根正二は20歳で夭逝したため、5年ほどしか制作していない。

今回、改めて作者や作品をWebで調べて分かったのですが、この《三星》のX線画像

では、中央の自画像の下には女性の顔が描かれてあった!

私の想像では、関根正二が失恋(2回)をした相手の顔ではないかと。

三星は関根にとって、大事な三人の女性、一人は肉親である姉、中央と右側は恋人(かっての)

だったのでは。消された中央は、東郷青児に奪われた田口真咲かもしれない・・・てなことを

考えるのは邪道と分かっていても、楽しい。

 

4室「 生」を刻む― 近代日本の木版画から

山本鼎《ブルトンヌ》1920年

 明治末から大正期にかけて、西洋の新しい美術思潮の移入に刺激され、近代的な自我意識や芸術の独創性
への意識が高まりをみせるなかで、単なる複製技術ではない、芸術としての「版画」を立ち上げようとする
機運が高まりを見せました。印刷技術の発達や浮世絵版画の分業体制への反発も背景にもちながら、絵を描
くところから刷るところまで、一貫して画家が制作に携わる創作版画が提唱され、1918(大正7)年には日
本創作版画協会が結成されましたが、木の板に直に彫る木版画はその中心的な役割を担います。  そこには
「民藝」が重きをおいた手仕事に通じる精神も見ることができるでしょう。民藝運動に関わりの深い棟方志
功も木版画家でした。画家の内面や感情と直接的に結びついた表現から、次第に単純な形態、黒白の対比、
力強い線といった木版表現の特質の追究も加わり、個性豊かな多様な作品が制作されました。

 

恩地孝四郎《『氷島』の著者(萩原朔太郎像) 》

 恩地幸四郎、すごいですね。

 

 

 

平塚運一《臼杵の石仏》 

4年前、須坂の版画美術館で平塚運一の作品を見たときは、大した感慨も

無かったのですが、うん、良さがわかってきました。

 

 

棟方志功《雷妃》

棟方志功の女性表現は、独特のふくよかさ、キレの良さがいい。

この黒い女体表現も、えんでね。

 

 

 

斎藤 清 《門》

グラフィックデザインの要素を強く感じるなー。 

モダンで伝統的な日本のイメージを体現するにはピッタリで、ビジネスセンスもいいのかな。

 

 

山本鼎 《ブルターニュの入江(水辺の子供)》

4室解説にある《ブルトンヌ》もいいし、この版画もいいなー。

創作版画の先駆者でもあり、自由画教育運動や農民美術運動などの先導者としても

活躍したので、そのぶん、制作活動ができなかったのが惜しいところです。

 

 

5室 パリの空の下

アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》1905-06年

 ユベール・ジロー作曲の有名なシャンソンでは「パリの空の下、歌が流れ、恋人たちが歩く」といいますが
、アンリ・ルソーによればパリの空には芸術家たちを導く自由の女神がいるようです。女神のラッパに従って
、芸術家たちは作品を片手に展覧会場に集まっていきます。審査を受けずに発表できる展覧会、それはすなわ
ち、芸術家ひとりひとりの個性の尊重を意味します。そうした思想は明治時代末以降の日本の芸術家たちにも
大きな影響を与えました。芸術の都にあこがれ、パリをめざした日本人芸術家は、とりわけ二つの世界大戦の
間におびただしい数にのぼります。彼らはさまざまな視点からパリを描きましたが、当館のコレクションをあ
らためて眺め渡してみると、いわゆる観光名所のような華やかな景色よりも、裏道や、場末のカフェや、労働
者といった、どちらかというと目立たない存在に光を当てるものが多いようです。それらは異邦人としてパリ
に身を置いた者にとって共感できるモチーフだったのかもしれません。

 

5室の作品には、藤田嗣治 《パリ風景》、 清水登之《街の掃除夫 》 、 東郷青児 《サルタンバンク》などが

あったのですが、私は、1枚も撮っていないのでした。 

それで、昔に撮った(2010年7月17日撮影) 佐伯祐三 《ガス灯と広告 》を再現像して載せました。

佐伯祐三 も昔、Webで調べたとき、夫人による謀殺説やら、夫人が祐三の作品に手を入れていたなど

論説に興味津々で夜更かしして調べたことを思い出します。(真相は不明のままです)

佐伯祐三 《ガス灯と広告 》 1927・昭和2  油彩・キャンバス 

 

続く

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東京国立近代美術館 所蔵作品展から 1室ハイライト改めインデックス (2021.12.24鑑賞)

2022年01月11日 | アート 各分野

昨年のクリスマスイブに行った東京国立近代美術館(MOMAT)のレビューです。

企画展「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」が主目的でしたが、ほとんど撮影不可で

レビューが難しいので、充実していた所蔵作品展をご紹介します。

 

今回は紹介の仕方を変え、MOMAT公式サイトの説明などをお借りしながら、観たとおり

の経路に沿って、皆さんと一緒に鑑賞して歩くような感じにしてみました。

 

まず、美術館の最上階4階へ

公式サイトから

展覧会構成 4F

1室 ハイライト
2-5室 1900s-1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで

「眺めのよい部屋」

美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。
明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューを
お楽しみいただけます。

1室ハイライト改めインデックス

ポール・セザンヌ《大きな花束》1892-95年頃

 いつもは館を代表するような作品を展示している第1室ですが、今期は趣向を変えてみました。目指したのは序論のような部屋。
次のふたつのことを意識して作品を選んでいます。
 ひとつは、今期のMOMATコレクション展全体のインデックスとなること。第2室から第12室には、それぞれの部屋のテーマに
沿った作品が展示されています。それをいくつか先取りして、この部屋にも関連作品を交ぜました。解説文の最後に関連する部屋
の案内を添えたので、興味をそそられたらそこだけ見に行くのもアリです。
 もうひとつはコレクション全体の幅を示すこと。当館のコレクションで最も制作年が古いのは1840年代の写真作品、最も新しい
のは2020年作の洋画(寄託作品)と版画です。ここでは1880年代から2019年まで、130年余りの間に生み出された作品が、ガラス
ケース内の日本画は約25年刻み、紺色の壁にかかった額装作品は約15年刻みで並んでいます。最近は現代美術のコレクションも徐
々に厚みを増してきました。

 

 

それでは最初の作品

照屋勇賢《告知―森》 新収蔵作品です。 (作品は同様のものが三種あり、そのうちの一つの写真です)

以前にも、どこかの美術館で観たことがあるのですが、ともかく、この制作方法に驚きです。

作者は、紙袋はそもそも木から作られた工業製品であり、紙に留められた木の記憶を呼び起こし、この

作品は木を再生させる試みである・・・と語っています。

 

 

 

狩野芳崖の 《獅子図》  

 

 

 

落合朗風《浴室》  日本画ベースで洋風の面白い構図。

イラスト風な絵画だけど、当時は新機軸の日本画だった。 入浴女性の描き方に、憧れを

純化したような個性を感じます。 

 

 

丸木俊の《自画像》  

2020年9月のMOMATハイライト展の記事で、丸木俊の別の作品(解放され行く人間性)が印象に残っていて

この作品を見たときに、やはり、絵に迫力があると感じました。 新収蔵作品。

 

 

冨井大裕 《roll (27 paper foldings)#10 2009》 

冨井大裕さんの個人サイト”Motohiroo Tomii”の statemennt ”作ることの理由”のなかから抜粋

作品とはわからないものである。そして、どの様にわからないかという「わからなさの質」を求

めるものである。

分からなくていいんだ・・・と思えば気も楽です。

指示書にもとづく作品というのが増えてきました。 また、デジタルで制作する作品なども出て

きました。 オリジナル、再演などの境界が曖昧に、かつ膨張していく現代アート。

 

 

 

 

河原温 

 河原温、コンセプチュアルアーティストとして、世界に高名ですが、バイオグラフィは本人が秘して不明。

 作品だけが彼の息遣いを伝える。  

    

 

 

 

ゲルハルト・リヒターもお馴染みになりました。

今年は6月から10月にゲルハルト・リヒター展が、ここMOMATで開催予定です。

コロナで邪魔されないように。

 

 

長谷川潔 《花(レースをバックにした花瓶の三つのアネモネ)》 

一見すると何でもない版画ですが、近づいて観ると、凄い密度の線描。

 

中央下部の拡大です。 アーティストの根気は底知れない。

 

 

1室を出て、眺めの良い部屋からの眺望です。

右端に座っている方がいましたので、少し狭い範囲ですが、正面に見える宮内庁の建物や

お濠と緑が気持ちよい。

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「美男におわす」展を観て 埼玉県立近代美術館(2021.10.5)

2021年12月14日 | アート 各分野

「美男におわす」展(埼玉県立近代美術館)を2021年10月5日に鑑賞、もう終了したのですが

レヴューをアップします。(手が遅くてスミマセン)

なお、巡回展が、島根県立石見美術館(会期:2021年11月27日(土)~2022年1月24日(月))

で開催中です。島根県益田市の島根県芸術文化センター グラントワという洒落た建築の中に

美術館があります。(知らなかったのですが、萩・石見空港から近いので、東京から1時間半で

行けるようです)

 

チラシの表紙絵Ⅰ

 

 

表紙絵Ⅱ

 

チラシ裏

5章だて構成の概略です。

第一章 伝説の美少年
 幼き日の聖徳太子、源平の貴公子たち、曾我兄弟に天草四郎など、歴史的に美少年と謳われた人々の肖像。

第二章 愛しい男
 公家や中世寺院の僧侶に仕えた稚児、武将付きの小姓など、若衆を愛でる衆道の文化。若衆の姿は近世の
 絵画でさかんに描かれる。

 近代になり、青少年の健康的な肉体表現、一方、大正デカダンスの世界では、陰のある退廃的な男性像。
 第二次大戦後は、幻想や異形の美、ナルシシズムを備え、時に残酷で官能的な青少年のイメージは、現代
 の耽美的な男性像へ。

三章 魅せる男
 若衆の舞踊図、役者絵など、その才能や心意気で「魅せる」、スター性を帯びた男性像。
 
第四章 戦う男
 『戦う男』は、「強さ」が、分かりやすく表現できるテーマ。 「戦う男」たちが総じて「美男」に描か
 れるのは、江戸の昔から。

 

第五章 わたしの「美男」、あなたの「美男」
 現代のアーティストが表現する多様な男性美。
 女性作家には長らく「美男」を描く機会がなかった。戦後、少女漫画の世界から魅力的な男性像が登場し
 1970年代には少年との愛の物語の漫画作品が誕生。漫画、アニメ、ゲームなどを文化的な土壌として育っ
 た作家たちは、90年代後半から「アート」の領域にサブカルチャーを持ち込む。 2000年代になると美少
 年、美青年のイメージを主題にした作品も登場。その一方で、男性作家による、自らの内面や周囲の日常
 あるいは男性の身体そのものを見つめた作品も生まれている。

 

撮影可能だったのは、現代作家の作品(一部不可あり)で、一章~四章ではほとんど撮影不可のため、気に

入った作品はWebから拝借して紹介します。

 

第一章 伝説の美少年

菊池契月《敦盛》は後期展示で実物は見てはいないのですが、この章を代表するのに

ふさわしい作品と思いWebから拝借。 高貴な女性のような風貌


菊池契月《敦盛》1927(昭和2)年 絹本着色 京都市美術館蔵

 

第一章では数少ない現代作家の、入江明日香の作品

 

 

 

会場で実際に見たときは、撮影してすぐ移動し、作品の細部までは見なかったのです。

実は、ベルばら的な美青年にはウンザリなのです。(ひがんでいるわけではないけんど

いま、写真で見ると、動物や武者など細かく描いていて、朽ちている表現など、い

いろ描きこまれているのには驚きました。

 

 

第二章 愛しい男では、村山槐多のこの作品   Webから拝借。

村山槐多は、1912年(明治45年・大正元年)、1級下のY少年にプラトニックな恋をしており

この作品にも、槐多の熱い心が感じられるのですが、そんなことより、強い絵の印象に、唸っ

しまいます

村山槐多 《二人の少年》 1914(大正3) 水彩、紙 個人蔵(世田谷文学館寄託)

 

三章 魅せる男ではこの作品、山村耕花 《梨園の華 初世中村鴈治郎の茜半七》 Webから拝借

茜半七は、人形浄瑠璃の主人公で、元禄 8 年の心中事件がモデル。

うーん、この絵、女性が魅せられるのは、わかりますね。

山村耕花 《梨園の華 初世中村鴈治郎の茜半七》 1920  島根県立美術館 後期展示)

 

 

第五章では、撮影OKの作品が多い。

最初に唐仁原希さん。 この方の作品は、FACE展(2016年)で見て面白いと思い

「絵画の行方 2019FACE受賞作家展」内覧会では、作品の横で、作家さんと少し

お話も出来ました。

作品の少年には、私は無機的で孤独な小悪魔を感じ、ヒリヒリしたのですが、女性

目線でみると、母性本能をくすぐるものがあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

吉田芙希子《風が聞こえる》

解説に ”…男性の身体性を抑制しながら、フェティッシュな要望には応じてくれる
吉田の作品は、まさにファンタジーとしての「美男」を形にしたものといえるでしょう”

女性の学芸員の方の解説だと思うのですが、ため息が聞こえてきそうな解説です。

 

 

 

市川 真也 《Lucky star》

健康的ですね。 男性作家が描くとベルばらが消えるので、私はすーっと見ることができます。

 

 

木村 了子 《夢のハワイ Aloha ’Oe Ukulele》

伝統の美人画の主役を、男性に置き換えた作品といえば、それまでですが、

日本画に、新しい展開を・・・という気持ちは伝わってきます。

 

 

 

                            部分拡大

 

《月下美人図》木村了子 2020 絹本墨彩、黒銀箔/軸 作家蔵

 

 

 

 

もう一つ、木村了子作品については、国上寺の「イケメン官能絵巻」について触れておきたい。

越後の名刹、新潟県燕市の国上寺が2019年春、本堂に「イケメン官能絵巻」を設置、公開した。

ゆかりのある上杉謙信、源義経、弁慶、良寛、酒呑童子が露天風呂につかった姿などが描かれて

いる(下の写真)。”官能”が問題となり、SNSが炎上、文化財保護で行政指導を受けたり、とかく

問題があったようですが、写真を見ると、古刹としっくり調和して見えます。

「美男におわす展」にも出品してほしかったところ。

 

 

金巻芳俊の《空刻メメント・モリ》

眼がわかりませんが、美男。 私は、西洋のメメント・モリの作品にはイマイチ

なじめないので、この作品も骸骨は無い方がいいと思う、ついでに下着も脱いだ

方が・・・思ったりしますが、これはまた別の問題を引き起こすので。

 

 

メインヴィジュアルとなった作品。(作品上部の反射が避けられず、見ずらいのはご容赦を)

長くなりましたので、以下は、作品とキャプションのみで、観ていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いかがでしたでしょうか? 本展を企画された方は、多分、女性の学芸員の方だと思います。

今年の春にあった「あやしい絵展」(東京国立近代美術館)も女性学芸員がキュレータでした。

男と女の艶めかしい世界を、アートから紡ぎだすのは女性学芸員が得意なのかなと思いました。

今後も期待したいですね。 ちなみに、入場者も女性が7、8割を占めていました。

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東京国立博物館 茶の美術(1/2)

2021年05月23日 | アート 各分野

久し振りだった東京国立博物館(2021.3.12)の鑑賞、今回は茶の美術を採り上げます。

考慮したのは、

★東京国立博物館には庭園に5棟の茶室がある

★過去に「茶の湯展」(2017年)という名品ひしめく特別展が開催された。

表千家、裏千家の、茶会がビデオ放映されていた。
 ( 3月12日、本館2階の茶の美術コーナ入口のディスプレイで )

これらを含めて紹介したいと思います。

 

最初に、庭園にある茶室の一つ、転合庵です。(2019年10月27日撮影。本館1階バルコニーから)

園内の各茶室は、茶会や句会などに一般利用されており、いまでも現役です。

そして、春と秋には庭園内が一般開放されています。 

なお、このバルコニーからの眺めは、外国人にも人気。


転合庵 てんごうあん

小堀遠州(こぼりえんしゅう 1579~1647)が桂宮から茶入「於大名(おだいみょう)」を賜った折、その披露のために京都伏見の六地蔵に建てた茶室。
1878年、京都・大原の寂光院に伝わっていた転合庵を、渡辺清(福岡県令、福島県知事、男爵)が譲り受け、東京麻布区霞町に移築。その後、三原繁吉(日本
郵船の重役。浮世絵コレクター)へと所蔵者が変わった。三原は茶入「於大名」も入手し、茶室転合庵とゆかりの茶入「於大名」がここで再び巡り合うことと
なった。その後、塩原又策(三共株式会社 今の第一三共の創業者)を経て、妻の塩原千代から昭和38年(1963)に茶入とともに東京国立博物館に寄贈された。

 

ところで、茶の湯を全く知らない方(私も含めて)のための手頃なガイドがありました。

「茶の湯展」(2017年)の時に作成配布された「茶の湯ジュニアガイド」です。

とてもわかりやすいので以下に引用します。

 

 

「茶の湯展」(2017年4月19日に鑑賞)は、さすがだったのですが撮影禁止でした。 

一つだけ撮影OKだったのが、茶室燕庵の複製でした。

燕庵は古田織部が、義弟に与えた茶室で、重要文化財になっているもの。

キャプションを読むと、竹花入と須田悦弘の木彫りの花がしつらえてあったようですが、撮りそびれてしまいました。

 

 

実物は茅葺き入母屋造で、南東隅の土間庇(どまびさし)に面して躙口(にじりぐち)をあけている。(模型なので、茅葺きは板張りに)

 

 

次は裏千家、表千家、両茶道家元の茶会映像の抜粋画面です。

なお、ディスプレイに茶の美術展示室が反射して映っていて、見にくいところはご容赦を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いかがでしたでしょうか?

私はこの映像を見て、画面の色調がブルーのためか、全体にツーンとした緊張感を感じました。

そして思い出すのが、トム・サックスのティーセレモニー展(2019年)での茶会の実演です。

トム・サックスに茶道を指導したジョニー・フォグ氏が主人となり、展示会場で抽選して当たった

3人の若い女性が客となったティーセレモニー、うーんと唸りました。 

米国人らしい茶道具(電動茶筅など)で、スタイルは日本の茶会を踏襲していますが、アットホーム

な雰囲気で客をもてなしていました。

伝統を守る日本の茶道もよし、トム・サックスのような大枠のスタイルは変わらないけど、細部は

全く異なるティーセレモニーもよし・・・茶の美術は広くて深い!

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「あやしい絵」展を観て(2/2) 東京国立近代美術館(2021.3.23)

2021年04月30日 | アート 各分野

「あやしい絵」展 第2章―4 表面的な「美」への抵抗 は、大作が並んでいました。 

作品と鑑賞者が織りなす景色も面白い。

 

 

 

 

トップバッターは北野恒富の《淀君》

2017年11月に「没後70年 北野恒富展」(千葉市美術館)で見て、驚いた記憶があります。

まったりとした美人画イメージの北野恒富が、こんな絵を描くとは!

 

 

 

顔のアップです。 お市の方の娘なので、美人という先入観がある・・・そのため、見たときに

腰が引けました。高台院(ねね)の説得を断り、豊臣家滅亡の道を選んだ、淀君の意志の強さは

反面、はかなさ、狂気に近いあやしさを湛えているように見える・・・

妖艶と清楚、聖と俗を描く恒富。

 

 

速水御舟の《京の舞妓》は、後期展示のため見ていないのですが、すごい作品なので東京国立博物館で

以前撮影(2019.5.4)したものを掲載。


速水御舟の《京の舞妓》 大正9(1920)年  東京国立博物館

”欄干に腰掛ける舞妓。よく見ると、頭髪から睫毛、着物のしぼ、舞妓のそばの壺、畳の
目まで、画中のあらゆるものが細部まで克明に描き出されていることがわかる。
すべてのものを等しい解像度で知覚するということは、現実にはあり得ない。舞妓の体
の外側に施された隈状のものは、通例絵具のぼかしで表されるが、ここでは何本もの細
い線を交差させる手法が用いられている。この線の交差は、舞妓の姿を浮かび上がらせ
る一方で影のようにも見え、これにより何も描かれていない舞妓の背景が壁のようにも
感じられる。 これらの表現は画面全体を眺めたときに、何とも形容し難い違和感をも
たらすが、それは見方を変えれば、あらゆる部分を細密に描こうとする御舟の強い意志
が働いているということである。
御舟は化粧をして着飾った舞妓について、「人間のーそれは誰でもが持って居るー他人
に少しでも美しく見せ度いとして焦慮して居る人間の浅ましい美しさまことに浅ましい
美しさ
ではあるが、それでも人間として其處に捨て難い寧ろ悲痛な美しさがある。」
(『大阪毎日新聞』大正9年8月30日)と述べている。
細部を克明に描くことで対象の奥底に潜むものを探ろうとする行為は、同時期の洋画家
の岸田劉生らにも見られる。御舟も同様に、細密に描くことで、舞妓の美しい装いの下
にある人間としての側面をえぐり出そうとしたのであろう。”

 

 

 

梶原緋佐子、初期の作風はこうでした。

ところが昭和に入り、作風が変わった。 2019年に観た京都国立近代美術館のコレクション展

での作品は、師の菊池啓月風の美人画。  私は、どちらも好きです。

 

 

 

黒い服と黒いあざが、目に飛び込むこの作品、島成園の自画像といわれている。 

成園の写真を見ると確かに似ている。

ただし、黒いあざは、成園が付け足したもので、キャプションによると、成園は

運命と世を恨む気持ちを描いたそうだが、私は鈍くて、それは伝わってきません。

逆に、あざとい感じを受けました。 展示企画者の説明に、合点がいかない唯一の

作品です。

 

 

 

甲斐荘楠音の未完の大作《畜生塚》

 

甲斐荘楠音の他の作品に比べると、西洋画っぽい雰囲気。

東京国立近代美術館の広報によると、重厚な裸体像はダ・ヴィンチやミケランジェロの表現を

見て描いたらしい。 制作開始は楠音21歳の時。 晩年、死の前年に回顧展のために未完の
 
作2点(本作含む)の完成を目指したが、本作は未完のまま亡くなってしまった。
 
印象的な部分を、ピックアップしてみました。
 
 
 
 
 
こちらの女性の顔は、あやしく、怖い
 
 
 
 
 
次は、本展のメインヴィジュアルにもなっている
 
甲斐荘楠音《横櫛》
 
 
 
 
 
 
顔を拡大。 うーんと唸るしかない。
 
 
 
 
NHKの日曜美術館でも、こんなにアップで・・・あやしいモナ・リザ 

 

 

甲斐荘楠音《幻覚(踊る女)》 大正9(1920)年頃  京都国立近代美術館

梶原緋佐子のところで述べた、2019年に観た京都国立近代美術館のコレクション展でも、甲斐荘楠音

の作品を鑑賞。 そのブログで楠音とその恋人などを紹介しました。 以下に再掲します。

 

”Webサイトで甲斐庄楠音を調べてみると、幼少期から喘息など病弱だったこと、女装趣味やホモセクシュアルなどの噂

土田麦僊に「穢い絵」と言われて展覧会の展示を断られたこと、その後、映画監督の溝口健二に見いだされ、歴史考証家

として映画の世界で活躍したこと、青年時代に失恋をして生涯独身だった・・・等、複雑な人生を歩んだ方です。

そのなかに、彼と彼の愛人”トク”の写真があったのですが、彼の描いた作品の女性の多くが、トクによく似ている。”

写真で見る甲斐庄楠音は、ニヒル&インテリっぽい雰囲気ですね。 《幻覚(踊る女)》は、一見

燃えるような赤い色が、あやしい雰囲気なのですが、妖艶のなかにも純情を感じるのです。

 

 

岡本神草の《拳を打てる三人の舞妓の習作》 

 

 

 

岡本神草の作品が続きます。 ↑の作品もそうですが、人物周りの濃い隈取りが、あやしさの発生源か?

この絵の女性、こちらの心を覗き込むような、媚びた眼、手持ちの般若の面・・・アブナイ、アブナイ


岡本神草 《仮面を持てる女》  大正11(1922)年  京都国立近代美術館

 

 

2010年に初めて、デロリ系の作品を見たのが、これ。 稲垣仲静・稔次郎兄弟展

当時は、えーっ!! と思ったものでしたが、最近は、森口博子似でカワユイ・・・と加齢による変化かなー。

稲垣仲静 《太夫》 大正10(1921)年頃   京都国立近代美術館

 

 

秦テルヲ・・・確かにあやしいかもしれない。

東京と京都の両国立近代美術館で、秦テルヲの作品をたくさん鑑賞しました。 

妖艶とかには無縁で、まっすぐグイグイ表現する、聖と狂気の狭間のあやしさを感じる。

 

 

秦テルヲ 《母子》 大正8(1919)年頃 京都国立近代美術館

 

次の作品《女郎(花骨牌》は、後期展示のため、見ていないのですが、2017年に観た京都国立近代美術館のコレクション展

で、秦テルヲ特集をやっていて、その時撮影したものがありました。(ガラス反射と歪みで見づらくて、すみません) 

いつか、このブログでも、秦テルヲの特集をやりたいと思っています。

秦テルヲ 《女郎(花骨牌》 大正2(1913)年 京都国立近代美術館

 

 

 

 

北野恒富の《道行》

 

近松門左衛門が、1720年(享保5年)10月14日夜に、網島の大長寺 (大阪市)で、起きた心中事件を脚色した人形浄瑠璃が原作。

ちなみに大長寺の跡に、今の藤田美術館が建っている。 歌舞伎でも人気作で、この絵は、歌舞伎の道行シーンを描いたように

思えます。 でも、私には治兵衛の姿が、なぜかしっくりこないのです。

 

 

 

 

島成園の《おんな(旧題名・黒髪の誇り)》、目と口が怖い。

 
島成園 《おんな(旧題名・黒髪の誇り)》 大正6(1917)年 福富太郎コレクション資料室

 

 

 

そして藤島武二の《夫人と朝顔》と並ぶもう一つの目的、上村松園の《焔》

本作は撮影禁止のため、以前、東京国立博物館で撮影(2018.5.27)したものを掲示。

上村松園 《焔》 大正7(1918)年  東京国立博物館

”うつむき悲しげな表情で髪を噛む女性。足元は消え入り、生身の人間でないことを思わせる。
本作品は「源氏物語」に登場する六条御息所に取材したもの。光源氏を愛するものの、その
気位の高さから本心を素直に表せない彼女は、光源氏を取り巻く正妻はじめ女君たちに嫉妬
の念を抱き、生霊となってしまう。白い打掛の文様である蜘蛛の巣は、果たして光源氏を捕
えるためのものか、あるいは憎き女君たちを殺めるためのものか。
人物の目には、画絹の裏から金泥が施されており、嫉妬の念を抱く女性の能面の白目には金
泥が入っているという、松園の謡曲の師、金剛巌からの示唆によるもの。
金の効果で人物の目は光っているようにも、涙をたたえているようにも見える。
なお、松園ははじめ作品の題名を《生き霊》としたが、金剛巌からの助言で《焔》に決めた
という。”

 

打掛の黒い線の蜘蛛の巣と、白い線の蜘蛛の巣

 

 

 

そして表情。 東京国立博物館での展示は照明が暗く、顔の部分を拡大しても、金泥はハッキリしません。

 

 

こちらはNHK日曜美術館での1シーン。 目の金泥はうっすらとわかります。 驚いたのはお歯黒!

本展では、実物に近づいてじっくり見たのですが、こんなお歯黒とは気づきませんでした。

照明は大事ですね。

 

 

 

 

小村雪岱は、「生誕130年 小村雪岱-「雪岱調」のできるまで」(2018.3.3川越市立美術館)で、大ファンになりました。

本展では、イラスト作品が数多く出ていたので、紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下はサラサラっと。

 

 

 

 

 

 

以上、あやしさに付き合ってフーと溜

 

息をしながら1階ロビーに出ると

外は、まだ桜も見頃でした。 

残念ながら、4月25日からの非常事態宣言で本展も休止となっています。

会期は5月16日までですが、5月11日以降の宣言解除も微妙ですね。

7月3日~8月15日の大阪会場(大阪歴史博物館)は、なんとか平常開催をと、願っています。

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「あやしい絵」展を観て(1/2) 東京国立近代美術館(2021.3.23)

2021年04月21日 | アート 各分野

東京国立近代美術館「あやしい絵展」を、初日(3月23日)に観ました。 遅ればせながらの感想です。  

 

↓ 1階ロビー奥の看板です。 メインヴィジュアルは甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)の《横櫛》・・・雰囲気でてる。

 

 

図録に載っているキーフレーズ(執筆はキュレーターの中村麗子 東京国立近代美術館主任研究員)

 

”退廃的、妖艶、神秘的、
あるいは
グロテスク、エロティック”

”美しい
という言葉だけでは
決してあらわすことができない

人々の心の奥底に潜む
欲望を
映し出す・・・・・”

 

この展覧会にピッタリの言葉でした。

作品は、幕末から昭和初期にかけて制作された絵画や挿絵まど、約160点で構成されています。

 

 

会場に入ると、おお、生人形!

衣装の色が派手に見えたので、写真では彩度を落としています。

 

 

 

購入当初の写真。 衣装など、かなり異なっていますね。


 

横顔をアップで。 

 

 

 

このコーナの隅に、稲垣仲静の《猫》が展示されていました。

2010年に観た、稲垣仲静・稔次郎兄弟展以来です。 私は、当時、この猫の顔が稲垣仲静に似ている

と書いていました。

なお、この猫が、会場内での補強解説の、マスコットとして使われていました。

稲垣仲静  《猫》  大正8(1919)年頃 絹本彩色 星野画廊

 

 

次の作品も懐かしい。 2011年に観た「江戸の人物画 姿の美、力、奇」展(府中市美術館)以来です。

 

 

当時の私は、この絵からは”あやしさ”は感じられず、むしろ清浄感さえ感じていますが、

今見ると、足元の赤襦袢がどろどろした血のようで、うーんとなります。

 

 

東京日々新聞は今の毎日新聞の前身、浮世絵師の落合芳幾は新聞の創設に関わった。

絵入り瓦版ですね。 内容は、今のスキャンダル週刊誌とそう変わらない。


落合芳幾  『東京日々新聞』892号  明治7(1874)年12月  毎日新聞社新屋文庫

 

 

 

鳳(与謝野)晶子『みだれ髪』の装幀を、洋画家の藤島武二がやっているんだ。

グラフィックデザインの走りとなる作品。 ミュシャの影響が感じられますね。

 

藤島武二   鳳(与謝野)晶子『みだれ髪』
(東京新詩社、明治34年)藤島武二 装幀  明治34(1901)年  明星大学 

 

さて、次の作品が私の最大の目的でした。

前々から、雑誌などの画像で見ていて、なぜか気になる作品でした。

キャプションに、”画中の女性は何を想っているのか、不思議に感じられる。” そう、実物を見て感じたのは

物憂げだけど、何を考えているのかよくわからない・・・だから、気になり、いつまでも心にひっつかかる。

なお、本作品は撮影禁止のため、画像はWebから引用しました。キャプションは図録から。


藤島武二  《婦人と朝顔》  明治37(1904)年  個人蔵

明治37(1904)年の第9回白馬会展に《朝》という題名で出品された。
女性と朝顔の組み合わせで「朝」という意味を表しているのだろう。
黒々とした瞳に厚い唇の女性は、イギリスのラファエル前派の画家、
ダンテ・ガブリエル・ロセッティが描く「宿命の女」を思わせる。
ただし、ロセッティの絵に描かれた女性たちの、清純、妖艶、邪悪
といった性格は、藤島の作品からは感じられない。そのためか、題
名等の手がかりがない状態で藤島の作品を見ると、画中の女性は何
を想っているのか、不思議に感じられる。

 

下の写真は、NHK日曜美術館で、あやしい絵展の紹介時(4月4日)、TV画面を撮影したものです。

やはり、この表情が得も言われぬ ”あやしさ” の源ですね。

 

 

藤島武二の作品キャプションに述べられているロセッティの作品です。

最初見たとき、肩から首筋にかけての輪郭線が不自然だな-と思ったのですが

ここは衣服を想定しての輪郭線、だとすれば納得。


 

 

 

 

 

女性の鬼の顔など、あえて気持ち悪さの一歩手前で、全体を曖昧にした表現・・・さすがです。

怖い顔は、鑑賞者の心の中で描かれる・・・えっ、山の神が浮かんだ?!


青木繁 《黄泉比良坂》  明治36(1903)年  東京藝術大学

 

青木繁の《大穴牟知命》は撮影禁止だったので、こちらもNHK日曜美術館の放送画面から引用。キャプションは図録から。

大胆な構図だなーと思ったのですが、キャプションを読むと、西洋絵画に前例があるんですね。


青木繁 《大穴牟知命》 明治38(1905)年  石橋財団アーティゾン美術館

 

 

 

安珍・清姫伝説のコーナ

 

 

月岡芳年の清姫。  うっ、やはり髪の毛を咥えている、蛇の群れのような髪、ヒトデの群れのような

川の波・・・怖いのですが、肝心の清姫の表情が、一本調子かな・・・


月岡芳年 《和漢百物語 清姫
  慶応元(1865)年  町田市立国際版画美術館

 

 

村上華岳のこの絵は、2012年に東京国立近代美術館の鑑賞ブログにも載せました。

当時は、清楚な顔立ちに違和感を感じ、後髪の蛇のような表現に怖さを感じていま

した。


村上華岳 《日高河清姫図》[重要文化財]  大正8(1919)年   東京国立近代美術館

 

今見ると、清楚で一途な表情が、一転、般若の面に変わると思えば、その落差に恐ろしさを感じる。

 

 

橘小夢の安珍と清姫

この作品は、後期展示なので実物は観ていないのですが、図録でみて面白いと思い採り上げました。

安珍は宝塚の男役スターの雰囲気だし、巻き付いて恍惚とした表情の清姫・・・エロティックであや

しい。 花びらが散る中で、下には炎、愛欲の昇華を表現したものだろうか。

橘小夢は、初めて聞く名前でしたが、今回の展示には、彼の作品が多くあり、認識を新たにした次第。


橘小夢 安珍と清姫  大正末(1926)頃  弥生美術館

 

ところどころに、都々逸調のフレーズが掲げられており、ニヤリとします。

 

 

次は「高野聖」のコーナ

 

これも橘小夢の作品。


『日本挿画選集』(ユウヒ社、昭和5年) 橘小夢「高野聖」  昭和5(1930)年   弥生美術館

 

 

 

 

谷崎潤一郎『人魚の嘆き』

 
谷崎潤一郎『人魚の嘆き・魔術師』(春陽堂、大正8年)「人魚の嘆き」水島爾保布 口絵、扉絵、挿絵   大正8(1919)年  弥生美術館

 

 

「人魚の嘆き」など水島爾保布が影響を受けたヴィンセント・ビアズリーの挿絵。


『ステューディオ』創刊号
オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー  挿絵「オスカー・ワイルド『サロメ』より『おまえの口に口づけしたよ、ヨカナーン』」「楽劇『ジークフリート』第2幕」
1893年4月  東京国立近代美術館  

 

鏑木清方の《妖魚》です。 実物を初めて見ましたが、顔、特に眼の表現にぐっときました。  撮影禁止のため、図録から引用 


鏑木清方  妖魚   大正9(1920)   福富太郎コレクション資料室

 

 

5月16日放送のNHK日曜美術館:福富太郎コレクションに本作品が出ていましたので、TV画面を撮影したものです。 ※この写真は6月9日に追加しました。

 

顔の部分 Webから引用。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橘小夢が続きます。

小夢(1892年ー1970年)は先天性心臓弁膜症のため病弱で、また、6歳の時に妹の出産時に母が亡くなり

ほどなく生まれたばかりの妹も死去している・・・・それが、この絵に反映されているのでは といわれ

ている。


橘小夢  水妖  作年不明  個人蔵

 

次は2章 表面的な「美」への抵抗  で、下の写真はその会場風景ですが、長くなりましたので

続きは次回に。

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前田昌良個展 「やまぼうしの花の咲くころ」

2020年10月13日 | アート 各分野

遅い紹介ですが、2019年12月15日に行った前田昌良個展 「やまぼうしの花の咲くころ」を。

前田昌良先生は、私が通う絵画教室の先生で、以前にも「一人だけの夜空」展、「ひそやかな一歩」

を紹介しました。 

今回は、日本橋高島屋のギャラリー。

また、先生の新しい個展が、今月の17日から開催されますので、その案内も後に載せています。

 

まず、会場光景から

 

 

 

 

 

 

”星を運ぶ舟”シリーズ

先生の作品集&エッセイで、なおかつ作家小川洋子さんの書き下ろし短編もついた「星を運ぶ舟」

幾重にも変奏しています

 

 

 

展示は、油彩絵画と彫刻作品を組み合わせていました。 床の間のしつらえのように、いい雰囲気を作っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”森に浮かぶ舟”シリーズ

 

 

 

 

 

<森に浮かぶ舟>

 

 

 

 

 

 

 

 

油彩絵画<ぶどうの丘からの眺め>  彫刻作品<少年の日々>

 

 

<やまぼうしの花の咲くころ>

 

 

<水のかたちーお堀>

 

 

 

<水のかたちー上水>

私も毎朝、散歩する武蔵野の玉川上水がモチーフかな?

 

 

油彩作品<街の屋根>   彫刻作品<ウサギと呼ばれた少年>

 

 

<薔薇の花>

 

 

<薔薇の花>

 

 

 

動く彫刻作品です。

会場に前田先生がおられたので、動かし方を教えていただきました。 最初は<ゆっくり舞い降りる>

回転木馬のように空中を回転しながら、ゆっくり降下していきます。

回り始めから、上の着地まで、1分45秒! 先生、数理的知識も深い!

 

次、タイトルが<頑張るのは切ない>・・・吹き出しそうになりました。

 

 

 

 

 

                               奥に立たれているのが前田先生

 

上の複雑な動きが、下の手回しを回すだけ!

 

 

 

<掌に棲む人>

 

 

 

<前向きな天使>

 

 

<大きな羽の天使>

 

 

<綱渡りの人生>

 

 

 

 

左から <昔の車> <終わりの無い旅> <大人の積み木> <遠くを見つめて> <道のりは遠い> ※この彫刻作品はすべて非売。

いかがでしたでしょうか。 ユニークで詩情漂う世界です。

 

さて前田昌良先生の直近の個展の案内です。

会場は、「一人だけの夜空」展と同じ、Gallery SU 昭和11年建築の洋館アパートです。

建物もレトロな詩情があふれ、室内の作品も・・・・お勧めです。

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ハイライト展示から 所蔵作品展「MOMATコレクション」

2020年09月30日 | アート 各分野

東京国立近代美術館(2020.9.17訪問)の所蔵作品展(MOMATコレクション)の紹介、2回目は

第1室ハイライトです。 コレクションの精華という触れ込みのとおり、重量級の作品が多い。

 

最初は丸木俊の作品から。 

昨年に、この作品を中心とした、女性アーティストの作品展が開かれていて、そのときが初見。

迫力があって、いい作品だな~と思いました。

丸木位里・俊夫妻は原爆の図で有名ですが、最近、毎日新聞夕刊の「アートの扉」で丸木俊が

ロシアで家庭教師をしているときに描いた小作品が掲載され、力のある画家だな~と思いました。

この作品は最近、購入された作品らしいのですが、MOMATもお気に入りの作品のようです。

 

 

細部を拡大してみましょう。

うーん、凄い!  講釈不要。

 

 

 

次は、丸木俊作品と正反対の雰囲気を持つ、船越保武の「原の城」

両作品が、たまたま近くにあったので、こんなふうに撮ってみました。

(作品キャプションが邪魔だったので、写真加工で塗りつぶしています)

 

 

 

次は、荻原守衛の「女」

この作品は、数多く取り上げています。 MOMATで初めて見たとき、相馬黒光との関係を調べて

みました。  黒光が急死した荻原守衛の日記を焼いてしまったので、真実は永遠にわかりませんが。

私は、この作品の、この面から見た姿、特に顔の表情に、黒光を見出します。 黒光さんは、写真でしか

知りませんが、なんとなくイメージが似ています。

 

 

 

顔をアップで撮ってみました。 荻原守衛は、この表現に、さぞや満足だったのではないでしょうか。 

私もこの顔の表現が大好きです。

 

 

こちらは、2019年11月に撮ったもので、顔の右側です。

左側の顔とは、違いますね。 人間、顔は細かく見ると、左右非対称です。 違って当たり前ですが

荻原守衛は、敢えて、この違いを表現したかったのかな~と思います。

 

 

 

次はジョージア・オキーフ

日本の作家とは、湿度感が違う感じで、簡潔、サラッとした感触が、面白い。

 

 

 

 

ゲルハルト・リヒター

現代アートの巨匠ですね。 多様な作品を作っていますが、どれも、うーんと唸るものがあります。

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京都・富山アート巡り#6 富山県立美術館「日本の美」展・コレクション展、湖西線車窓風景など

2020年06月08日 | アート 各分野

2019年9月9日(月)京都駅8時41分発の、特急サンダーバード7号で富山に向けて出発。

4号車9番D席で、湖西線の車窓からは、琵琶湖が輝いていました。 

 

 

9時2分頃、志賀駅を過ぎたあたりです。 スマホで撮影。

琵琶湖の向こうの中央部の山の後ろには、安土城址があり、近江八幡市が広がっています。

 

 

 

9時18分頃。  近江今津駅を過ぎたあたり、ため池かなと思ったのですが、調べてみると貫川内湖北湖でした。

昭和前期には40数か所あった内湖も、現在は23内湖まで減ったそうです。  

左上の影は、指がスマホのレンズ部分に触れたためです。 よくやるんです。

 

 

 

9時20分 琵琶湖の北部、生来川です。 マキノ駅の手前になります。 ゴルフの練習をする人が見えます。

ここから先は、ほとんど琵琶湖が見えない山の中を走るので、撮影もここで終わっています。

 

 

 

終点金沢から、北陸新幹線に乗り換え、乗り換えに26分あったので駅弁とお茶を買って

列車内でいただき、富山駅に11時51分着。

富山県立美術館に着いたのは、12時半前でした。 この年の2月にも来ていたので2回目になります。

3階のロビーからの景色。 雲が邪魔して立山の頂上付近は見えませんが、それでも爽快な景色だ。

 

 

 

 

企画展のフライヤです。 表紙が2種類あります。

日本美術の装飾性とデザイン性をキーワードにした展示会で

章立ては

1章  琳派と近世江戸の美を中心に

2章  浮世絵版画のデザイン力

3章  絵師から図案家へ 神坂雪佳と浅井忠

4章  近現代日本美術の装飾美

5章  現代デザインに生きる和の美

となっていました。 この企画展も、京都で開催されたICOM世界大会を意識しているなと思いました。

作品リストを、最後に載せましたが、これだけ幅広く作品を集めるのは大変だったでしょう、4章までは

他の国公立、私立美術館等の所蔵品で、5章のみが富山県立ビ美術館の所蔵品でした。

 

撮影OKだった一部の作品を以下に紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コーラ缶の絵、上の素襖にもありますね。

 

 

次は3階のコレクション展から。

 

 

 

 

 

 

国芳の浮世絵にも人体を組み合わせた顔絵があり、ユーモラスですが、こちらのポスターは、ちょっと怖い。

 

 

頭蓋骨と血煙も気になりますが、道成寺の字体が面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次は 「瀧口修造 夢の漂流物」

美術館の紹介文です。

”瀧口修造の書斎には、交流のあったアーティストから送られた作品や贈り物、自身が見つけたお気に入りのものなど、入手経路も内容もさまざまな品々が集まりました。
今回は、「瀧口修造 夢の漂流物」と題し、これら“瀧口の書斎にたどり着いたモノたち”によるコレクションのダイジェスト版として、国内外の作家たちの作品や、無名の
オブジェの一部をご紹介します。”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポスター展の横で、コレクションの椅子も展示されていました。

 

 

 

 

 

このほか、コレクション展Ⅱとして、ピカソやマティスの絵画などの、王道の展示もありましたが、撮影禁止のため紹介できず。

以上、たっぷりとアートを鑑賞し、最後に立山の景色を拝観。

 

 

 

見終えて、1階のカフェでコーヒーでも飲もうと、メニューを見ると

 

 

 

企画展にちなんだ ”わびさびセット” 1120円(ドリンク付き)がある!

日頃はスウィーツには関心がないが、ここは思い切って。

じゃーん おー!流水紋に市松模様、モミジの葉(青いが)、抹茶ムースに淡雪がかかり、そこに

朱が散らされ、渋い水玉模様(キャラメル)と苔むしたさざれ石(クッキー)

手を付けるのが憚られる・・・と思いつつ、しっかり完食。

 

 

と、道路越しに変わった行列・・・

 

 

 

アップで見ると、花嫁のお色直しの行列?  

3階の景色から見えた、近くのガラス張りの建物がフランス料理のレストランで、そちらに向かっています。

今回調べると、ここから数分のところに、系列の結婚式場があったので、そこからレストランに移動している

ところでしょう。

 

 

さて、帰りは富山駅まで歩いて(約15分)、16時15分発の新幹線で、東京に戻りました。 約3時間で帰宅。 

写真は、新幹線の中から、早月川を撮ったもの。16時22分

 

 

そして黒部川。  16時26分  京都・富山アート巡りは収穫一杯の旅でした。

 

 

企画展の作品リストです。

 

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京都・富山アート巡り#3 「百花繚乱ニッポン×ビジュツ展」京都文化博物館

2020年05月01日 | アート 各分野

2019年9月8日(日)のアート巡りの行程です。

◆立川を早朝出発、10時半前、京都着
  荷物をホテルに預けて早速、アート巡りへ

◆京都国立近代美術館へ
 ・企画展 「ドレスコード?―着る人たちのゲーム」展
 ・常設展
 次の細見美術館へ(歩いて6,7分)

◆細見美術館
 ・レスコヴィッチコレクション 広重・北斎とめぐるNIPPON
  (こちらは、撮影禁止でした)
 サラッと見て、次の京都文化博物館へ(地下鉄で)

◆京都文化博物館
 ・企画展「百花繚乱ニッポン×ビジュツ展」
 ・総合展示
 次のアートフェア  「artKYOTO 」を見るため二条城 へ(歩いて15分)

二条城
 アートフェアartKYOTO 」
 見終えて、二条城の門を出たら、もう16時50分。西日の射す二条通リを歩き、地下鉄で京都駅のホテルへ。

 
それでは、「百花繚乱ニッポン×ビジュツ展」の紹介を

 

 

 

 

チラシにも書かれている通り、ICOM(世界博物館会議)京都大会を記念して、東京富士美術館所蔵の日本美術の名品を

展示したものです。

京都文化博物館は初めてで、私は知らずに別館側から入りました。 

すると、下の写真のような明治期の建物で、ポスターの仕切りの向こうから、音楽が聞こえていました。

後でわかるのですが、この建物は、旧日本銀行 京都支店で、現在は多目的に利用されているのでした。

 

 

 係の方に、本館の展示場を教えてもらい、本館4階の特別展会場へ

チラシにも書かれている通り、展示方法は工夫を凝らしていました。 

ニッポンのビジュツとあえてカタカナで表現した意図、見終えてよく分かりました。 外国人にも、わかりやすかったのではないでしょうか。

まず、キーワードでふるいにかけた日本美術、最初は”キモカワ”・・・うーん そう来るか。

 

 

 若冲は、鶏の絵など緊張感のある精緻な作品で有名ですが、大胆にデフォルメした

こんな作品もあり、シンプルで力強い線が素晴らしい。 少しカワイイかな。

 

 

文句なしのカワユイ系。

 

 

 

 キモイ! こんな絵のどこに可愛さを感じるのか!・・・と憤っていたのですが

 

 

 懐の蝦蟇のご主人を見つめる眼、かわゆい。

 

 

国芳は絵も達者だし、皮肉っぽいユーモアも達者。  

 

 

 

 ドキッとする構図ですが、骸骨の描き方がさすが。

 

 

 

 この絵については、いちど浮世絵の講演会で説明を聞いたことがあります。

キャプションに付け足すと、遊女が営業中の相手は、窓にかかった手ぬぐいの柄を見ればわかるそうです。

広重さん、隅に置けない人ですね。

 

 

 

 このキモカワ分かります。 

戦のなかで、こんな兜をつけた相手に遭遇したら、眼を鯱にやった途端、バサッとやられそう。

 

 

 

 サムライ×日本美術編

ここでお断りしておきたいのですが、使用したカメラが旅行用のサブカメラであること、会場が美術作品専門の展示場ではないようで

柱で遮られるところがあること、照明もガラスに反射する箇所が多く、また、会場全体が狭くて、照明が暗い、加えて、鑑賞者も多く

撮影は人通りの途切れを待って、さっと済ませる必要がある・・・等の理由で、画像が鮮明ではありません。ご容赦を 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 鎧兜は、東京国立博物館でもよく見るのですが、ここまで揃っていて重厚なものは

なかなか見れません。

 

 

胸から上の部分です。 おや!兜の前立てに犬、しかも笑って駆けている!

名君と言われた斉彬、調べてみると、大河ドラマ『西郷どん』第13話で、輿入れする篤姫に斉彬公が「薩摩の守り神じゃ」と

手渡したものは、斉彬公の居室を飾っていた島津義弘の兜の前立ての〝きつね”・・・でした。

島津義弘といえば、関ヶ原の戦いで、敵中突破して、無事、薩摩に退いた猛将、・・でもキツネか、先ほどの鯱よりはカワイイけど。

 

 

 刀剣

東京国立博物館の展示では、白い布をかけた刀掛けに抜き身で展示されている事が多い。  アクリル樹脂を使った展示は初めて見ました。

茎の部分を鏡に映したり、工夫しています。

太刀も備前、長船近景、均整が取れて美しい。

 

 この太刀の、刃文をわかりやすくした展示。 太刀の全身押形も初めて見ました。

 

 

 

 

 次は長曽祢虎徹、よく切れたことで有名。

四つ胴切断は死体を4体重ねてそれを一刀で切断したという意味です。

東京国立博物館でも、同じく虎徹の四つ胴切断の刀がありました。

 

 

 

 

 次は乗物、豪華な装飾、そして劣化が少なくて綺麗なのには驚きました。

仙台から宇和島まで使ったのに・・・、修理を含めて保存が良かったのでしょう。

 

 

 

 

 

 四季×日本美術です。

 

 

 武蔵野図屏風。 私は武蔵野に住んでいますが、こんな風景は望むべくもない。 今だと秋草のところは市街地、たなびく金雲のところは

電柱や電線。 400年の時の差。

右隻はピンボケのため小さいサイズで。

 

 

 

 外国人に最も有名な日本美術は、これ!

 

 何度も見ても飽きない。

 

作品については、以前、東京富士美術館の

江戸絵画の真髄 ─秘蔵の若冲、蕭白、応挙、呉春の名品、初公開 !!その1

江戸絵画の真髄 ─秘蔵の若冲、蕭白、応挙、呉春の名品、初公開 !!その2

で紹介したものがありますので、そちらもご参考に。

以上です。 次は京都文化博物館の総合展示を紹介します。

コメント (2)
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