昼食後、バスで5分弱のエフェソス遺跡へ。 地図の右下、南側ゲートは小高い山の上で、坂道を下る形で遺跡を通ります。
エフェソスは紀元前16世紀から11世紀に、小アジアの最大の都市国家として繁栄した港町。
ギリシャ人が築いており、ヘレニズム様式の遺跡が残っている。
街は何回も破壊と建設を繰り返しており、港も土砂に何回も埋まって、現在では、当時の港跡は草地になっている。
ヴァリウスの浴場 2世紀頃につくられた浴場で、床下暖房、冷水浴、温水浴、マッサージ室などを備え、貧富の差を問わず、市民の社交場となっていたようです。
少し進むと円形劇場が見えてきました。 地図のプリタネイオンの手前になります。
遺跡は音楽堂(1400人収容)で300人程度の市議会が行われたり、演奏会に利用された。
背後はピオンの丘。
とおりの向かいの国営アゴラ跡。 アゴラは市場としての機能と、公共広場としての機能があり、古代都市国家では重要だった。 アーチはポリオの泉、背後はコレッソスの丘。
メミウスの記念碑
紀元前1世紀に建てられた。 エフェソスの功労者、ローマの独裁官スラ、その子のガウス、孫のメミウスを顕彰する碑。
ヘラクレスの門。 この通り(クレティア通り)の守護神としてヘラクレスの浮き彫りとニケの女神の浮き彫りがかかっていた。
ニケの女神です。 アメリカのシューズ会社の名前にもなっています。
付近の柱。 残骸の遺物をコンクリートの支柱などでつなぎ合わせて復元しているのがわかります。
クレティア通りの坂道の上から。
昔の港のあったところ(中央、上)は草地になっています。
左のプレハブのような建物は、高級住宅街だった場所の発掘作業中の現場です。
トラヤヌス帝の泉。 皇帝トラヤノスに捧げられたもので、2世紀の初め頃に建てられた
通りの脇にあるモザイク模様の通り。 商店街のアーケードのようなもので左手に商店。 その上に高級住宅街があった。
モザイク上の猫。
ハドリアヌス神殿。 皇帝ハドリアヌスに捧げられたもの。 西暦138年頃建立。
公衆トイレ。 男女兼用!で下に水が流れていた。 壁の右向こうは娼館跡。
トイレ前には池もあり、社交場でもあったらしい。
セルスス図書館(復元したもの)。 西暦117年に完成。 蔵書1万冊で当時、アレキサンドリア、ベルガモと並ぶ 世界三大図書館の一つとか。 知恵、運命、学問、美徳を表す4体の彫像がある。
説明板に発掘時の写真と復元想定図が載っています。
彫像の一つ。
天井の彫も荘厳という感じ。
裏から見たもの。
商業アゴラの門から。
マゼウスとミトリダテスの門。 商業アゴラの南門。
マゼウスとミトリダテスは皇帝アウグストスの奴隷であったが解放後、経済的に成功して、皇帝一族に寄進したもの。
娼館への道しるべ。 通説がいろいろあるようです。
大劇場。 24000人収容
劇場体育館から
出口の南側ゲート手前で。
遺跡はまだ1/3程度しか発掘されていないとのこと。
少しバスで移動して、エフェソスの象徴ともいえるアルテミス神殿の跡です。
最初の神殿は紀元前5世紀に建てられ、その後、焼失などを繰り返し、紀元前3世紀に建てられた神殿は、アテネのパルテノン神殿の倍近い規模だった。 ・・・それが世界7不思議の一つになった。
今は、復元された柱が1本あるのみ。 往時は、商人や王、旅行者が礼拝し、奉納したようだ。
エフェソスの遺跡は、大英博物館の考古学チームが1863年から7年間かけて発掘したもので、シュリーマンのトロイの遺跡の発掘などより早く、東方の古代遺跡発掘のさきがけとなった。
これだけの遺跡ならば、世界遺産となっていても不思議ではないのですが、基準に合わない点があるらしい。 観光客を惹きつけることと、遺跡の保存は難しい問題をはらんでいます。
想像してた以上に大きいですね。^±^ノ
行ってみたいです。^±^
しかし、遺跡のあたりは上級市民の街で、庶民は丘を越えた平野部に住んでいたとか。
(アルテミス神殿はそっちのほうにあります。)
山の手と下町の関係でしょうか。
壮大な建物は遺跡として残っても、庶民の建物は残らない。 残念というか仕方ないのですが。