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光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

引越しと、この後

2025年08月15日 | Weblog

いよいよブログの引越し。

はてなブログへ初記事を投稿しました。

 

2008年6月2日に、初投稿して以来、約17年、1940記事。

はてな用に、自ブログの概要紹介をしてみました。

過去記事をみると、懐かしいですね。いろんな思い出が詰まっていて。

 

さて、日々の、アクセス状況をみると、過去記事に、結構、アクセスが

あります。

しばらくは、gooブログも、このままにしておこうと思います。

 

写真は、2008年6月2日の初投稿から。

神田川の左衛門橋あたりの屋形船と舟宿

 

 

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手塚治虫展を観て その2 東京富士美術館

2025年08月10日 | アート ドローイング

展覧会を観て、手塚治虫の”人生”に興味がわきました。

手塚治虫の生い立ち(手塚治虫の公式サイトから抄録。写真なども)

 

誕生 
 1928年(昭3)11月3日、手塚粲(てづかゆたか)・文子夫妻の長男として生まれた。
 父は住友金属に勤めるサラリーマン、母・文子は軍人の娘。
 粲の趣味はカメラや映画。文子は宝塚歌劇の大ファンでお話が上手。 

 手塚が5歳のとき引越。 宝塚市御殿山の山林のふもとで、祖父の別荘だった家。
 当時は雑木林に狐や狸がすみ、昆虫の宝庫だったようだ。
 
 手塚は幼いときから絵が好きな子どもだった。
 ( 実は、私も小さい頃は絵をかくのが好きで、
雑紙に戦艦とか戦闘機などを描いて
 いた。
 30年ほど前、九州の実家に帰省したとき、古いキャビネットに私の描い
 た雑紙が、巻かれて保存
してあった。 母が大事にとっていたのだ。
 手塚に共感するのは、こんなことも関係あるのかもしれない)


宝塚スターと(1930年代/宝塚・実家の前にて)
家の隣に住んでいた宝塚歌劇のスター天津乙女さん(左端)、雲野かよ子さん。  中央が治虫。

 

小学校時代

 1935年(昭10)大阪府立池田師範付属小学校に入学。
 入学すると手塚は紙芝居やマンガを描いてクラスメートに読ませるようになる。
 小学校2、3年に描いた紙芝居には早くも「ヒョウタンツギ」が登場している。

 私も小さい頃、訳の分からなさに感動し、真似して描いたことがあります。
 手塚の妹さんの、イタヅラ描きから誕生したとのこと。 
 私も、今回、久しぶりに描いてみました (下の絵)



 

 手塚の通っていた池田師範付属小学校はユニークな教育だった。
 男女共学が珍しい時代だったが、ここは共学で、6年間クラス替えなし!
 生徒の自主性が尊重され、ひとりひとりの個性を伸ばす教育が行われた。
 中でも重視されたのが作文教育だった。これが、後の作家としての資質を
 開花させたのだろう

 また、絵の才能も先生たちを驚かせた。

 5年生のころには、図画などに甲虫の名からとった治虫(オサムシ)の
 ペンネームも使い始めた。

 

高校時代

 1941年(昭16)、手塚は大阪府立北野中学校(現在の北野高校)に入学。
 同年12月8日には太平洋戦争が勃発。
 中学生になった治は美術班で絵を学んだり、クラスの仲間と昆虫採集
 や科学雑誌の編集を
したりしながら多感な時代を過ごした。
 マンガも、墨とペンを使った本格的なものを描くようになった。
 戦争によって時代はマンガどころではなくなっていくが、理解ある先生
 の励ましもあって、
手塚はマンガ家としての才能を開花させていった。

 

手塚とマンガの出会い

 父・粲は結婚前は自分でもマンガを描くほどのマニアだった。
 結婚後は写真※に興味を変えたが、部屋の書棚には、当時のおとなマンガ家の
 全集がずらりと並んでいた。
 幼い手塚は父の部屋でそれらのマンガに触れ、小学校時代の手塚は文字どおり
 マンガに囲まれるようにして育ったのだ。

 中学生になってからは、父親が戦争前に買った「アサヒグラフ」に載っていた
   アメリカのマンガ作品も練習していた。

 ※父・粲は関西で活動していた”丹平写真倶楽部”の一員であり、開戦前夜の
  1940年、日本の神戸に逃れてきていたユダヤ人を撮ったりしていた。  
  その写真(安井仲治の流氓ユダ) 
  父も表現の領域で、センスがあったのだ。

 また、手塚は少年時代から本も大好きだった。
 小説でも科学の本でも、歴史の本でも、与えられる本は片っ端から読んでいた。
 読むスピードも驚異的で、ちゃんと、理解しながら読んでまわりを驚かせた。
 速読でつぎつぎと読んでいった本や雑誌で得た雑多の知識が、彼のアイデアの
 もとになった。

 

医師

 手塚が入学した阪大医学専門部は、戦時の臨時の医師養成機関として設置された
 ものだった。

 手塚が医師への道を選ぶきっかけとなったのは、中学生時代に、両腕切断寸前ま
 でいったことがあげられる。 優秀な医者のおかげで助かった彼は、こんどは自分
 が医者になって人々を助けたいと考えたのだ。
 52年には医師の資格を、61年には医学博士の学位を取得しているが、マンガか
 医師かの選択で、マンガの道を選んだ。 母が
背中を押してくれたのだ。

 

宝塚歌劇

 戦後宝塚大劇場での公演が復活すると、手塚は大学の友人やマンガ家仲間まで誘い
 こむほどの熱心な
ファンになり、さらにマンガ家デビュー後は、歌劇団が発行する
 雑誌「歌劇」や「寶塚グラフ」にマンガを描いた。

色紙「春日野八千代」

 「リボンの騎士」は、彼の宝塚趣味があふれる作品で、女性が男性を演じる男役の
 イメージはその後の少女マンガの
ヒーローにまで受け継がれた。

宝塚といえば、手塚の初恋の相手は、宝塚の女子生徒だったとのこと。

そのことを示す半自伝マンガ「紙の砦」が本展で展示してあった。

マンガの冒頭、宝塚の女子生徒・岡本京子に出会ったシーン

二人は、勤労動員で、大阪の淀川沿いの工場へ。
1945年3月の大阪大空襲で、工場が被災。手塚は運よく無事だったが
京子ちゃんは顔に重傷を負う。

そして、終戦。

この最後のシーン、しばらく原画を見つめていました。

手塚治虫もロマンチストだったのだなー  と思いながら。

私も、小学校6年のときの、初恋の彼女の面影が浮かびました。

なお、岡本京子が実在したか否かは不明ですが、手塚のこのマンガのシーンは

心に響きました


と、こんな記事を書いているときに、マンガ「紙の砦」がユーチューブにアップされました。

戦後80年に読む半自伝手塚マンガ「紙の砦」【おさむーびー】

 

長くなりましたので、この辺で筆をおきます。

手塚の人生の一部だけの紹介でしたが、手塚治虫のマンガの素晴らしさ

の理由が少し分かった気がします。

前回の記事の冒頭で書いた

「頼むから、仕事をさせてくれ」

という手塚治虫の最後の言葉、誠実な手塚らしさに溢れている。

もうすぐ終戦記念日だ。

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手塚治虫展を観て 東京富士美術館

2025年07月27日 | アート ドローイング

「頼むから、仕事をさせてくれ」

手塚治虫の最後の言葉です。  胃がんで、1989年2月9日、60年の

生涯を閉じました.

 

7月17日(木)、東京富士美術館で手塚治虫展を観ました。

展示品は、撮影禁止がほとんど、それが理由ではないのですが

今回のブログでは、人間・手塚治虫に焦点をあててみた。

 

私が幼い頃は、鉄腕アトムで、大人になってからも「火の鳥」や「ブラックジャック」は

愛読しました。  

それで終わっていたのですが、近年、手塚治虫の話題が、目に飛び込むようになりました。

特に、2022年にあった東京国立博物館の150年記念展の一つ、「150年後の国宝展」※
※一般公募で345点の応募があり、5人の選考委員が20点を選定

”ゴジラ”など、いろんな候補が並べられていましたが、手塚治虫作品が候補に挙げられて

いたのは深く納得でした。 下の写真

コメント欄の松嶋雅人さん(東京国立博物館 学術研究部調査研究課長 当時)は

”マンガは日本文化の象徴と”!

 

更に調べると、東京国立博物館で、手塚治虫作品の特別展があった!!

2011年に「手塚治虫のブッダ展」が開催されていたのです。

2011年5月3日の私のブログに、特別展「写楽」と「手塚治虫のブッダ展」を楽しんだと書いている。

でも、記憶がない!!

 

くやしいので、「手塚治虫のブッダ展」を「1089ブログ」(東博の公式ブログ)から、一部、引用させて

いただきました。

初物尽くし!「手塚治虫のブッダ展」 (2011年4月26日~ 6月26日 )

 トーハクの長い歴史の中でも、漫画を展示するのは今回がはじめてのことです。
しかも、漫画と仏像とを並べて展示するのは、他の博物館でもあまり例のないことですから

今回の展覧会は、まさに初物尽くしともいえますね。

会場では、まず手塚治虫の原画に注目。漫画は、印刷されてしまうと平板な感じに見えがち

ですが、それが原画となると、細部の描写や微妙な陰影まで、くっきりと目にすることがで

きます。原画を間近でみつめていると、まるで手塚治虫の息遣いが聞こえてくるようです。

 仏像も、粒よりの傑作がそろっています。東京調布市にある深大寺の釈迦仏倚像、奈良

国立博物館の出山釈迦像など。

  会場全体は、森林をイメージした、さわやかな緑色で統一して、周囲の壁面には、葉や

木が揺らいでいる様子も表現しています。

 

長くなりそうなので、前半はここでまでにして、一応、撮影OKだった

ものを紹介します。

会場入り口付近の様子

 

 

入口すぐの、手塚漫画のキャラクタたち、本人の人形。

知っているキャラクタは、多くないのですが、『火の鳥』は深く、心に残っています。

 

 

会場内は撮影禁止で、上の入り口と、下の出口のコーナのみが撮影可でした。

 

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東京都農林総合研究センター見学

2025年07月10日 | Weblog

立川市のシニア向け講座”シルバー大学に、3年前から通っています。

7月9日(水)は、園芸講座で、東京都農林総合研究センターを見学してきました。

昔は、都農業試験場と称していました。 簡単に沿革を  

  1. 明治33(1900)年4月 東京府立農事試験場として中野区中央に設立。
               当初は稲作技術の改善が主要課 題。
  2. 大正13(1924)年2月 現在の立川市に移転
  3. 昭和24(1949)年9月 東京都農業試験場と改称
  4. 平成17(2005)年4月 東京都農林水産振興財団の試験研究部門である
                 東京都農林総合研究センターとなる。

暑さで、受講生の欠席も目立つ。

13時半に講堂でレクチャー、その後に、場内見学となりました。

まず、ハウス内ブドウ栽培。  普通、頭上での作業となるところを、枝の根本に

実がなるようにしている。 確かに、作業は楽だ!

左側の土に覆いがかかっているのは、水分の蒸発を抑えるため。

右側の樹の畝に相当する部分の、仕切り板は、根が広がらないようにするため。

植物へのイジメのようだが、こうすることで、早く実がなるなど、メリットが多い

とか。 人間も厳しい環境のほうが、たくましく育つ・・・うーん

 

 

こちらの果樹は名前を聞き漏らした。

右側の樹は、接ぎ木で繋いでいて、そこから枝が出て実がなる。

これも、斜めの枝なので作業が楽。 横の接ぎ木で重さへの強度を持たせている。

 

 

左側は通常の方法。

 

 

こちらは、果樹の根元の雑草に注目。

根の周りの雑草を残して、樹につく害虫の天敵の棲み処にしている。

 

 

 

立川は、植木業者も多いので、植木の研究ゾーンも。

矢印は、イチョウなのですが、横に枝が伸びない品種で、街路樹にしたとき

日陰は少ないのですが、管理が楽なのがいいそうだ。

なお奥に見える木々の緑は、立川崖線で、大昔の多摩川がつくった段丘

 

 

 

その段丘の上に、庁舎があります。   

クラシックな外観です。

手前の農業機械、なんだろうと思って調べると、

”ステレオスプレーヤ”といって、農薬の噴霧器

後ろのファンの周りから農薬がスプレーされるので

果樹の下を運転すると、作業が楽!

レンタルかな? 横のトラックは松本ナンバーだった。

 

 

 

庁舎の玄関ホールの水槽に、ヤマメとイワナ。

この日は、期日前投票をして、この講座へ。  自転車で25分の道のり、汗びっしょりに。

着替えを持っていってよかった。

 

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散歩道の風景 2024年12月~2025年7月  #2 玉川上水 緑道

2025年07月03日 | 散歩

散歩道の風景、今回は、玉川上水の緑道です。

2024/12/22 (日) am7:12  緑道が美しい枯葉の道に変身。

 

 

2025/6/30(月)6:29   同じ場所で

 

 

玉川上水の両脇に緑道があります。 南側の立川市エリアでは、エゴの花が満開でした。

5/11 (日) 8:30← あれっ、遅い時間だな? と思って手帳を見ると

女房達が、ソウル旅行に行っている時で、鬼の居ぬ間の、のんびりタイムでした。

 

 

こちらは北側の小平市エリアの緑道。道幅は狭い。

6/26 (木) 6:15

 

 

こちらの緑道には、無料の足湯あり。 (隣の清掃工場の余熱を利用)

でも、9時半開場なので、一度も利用していない!

6/26 (木) 6:15

 

6/12 (木) 6:44  立川市側の畑が広がるエリア。

 

 

 野菜の廃棄の季節が、また始まりました。   

 6/30 (月) 6:22                                                                                                                                           

                                   

 

 

パッと見には、野菜のどこが問題?

                                                                                                                                                                      

 

廃棄しているすぐ先にある、野菜のコイン販売機。

今日(7月3日)、散歩のときに、若い日焼けした兄さんが軽トラで来て

野菜の補充をしていました。

6/30 (月) 6:32

              

 

 

この場所から、100mほど、東に行ったところにある広場。

毎朝、ラジオ体操が行われています。

この写真を入れたので、タイトルを「散歩道の風景 2024年12月~2025年6月→7月」

に変更しました。

7/3 (木) 6:30

玉川上水緑道は、ご覧のように緑が多く、車が通らないので、散歩の6~7割は、このコースです。                                                            

 

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散歩道の風景 2024年12月~2025年6月  #1 花

2025年06月26日 | 花・植物

散歩道で出会った光景、半年分を、まとめてみました。

 

2024  12/8(日)朝7:28  ご近所の塀に咲いていたバラなんです。

ピンクの可憐さ!!

 

 

2025  2/7(金)朝7:18 ”若葉の杜コスモガーデンズ”という

マンションの、外壁沿いに植えられた、ろう梅。

全体の色合いに、惹かれました。

 

 

2025  3/9(日)朝6:30 国分寺崖線(大昔の多摩川が削った段丘)沿いの、斜面。

満開の梅と金柑かな?

 

 

2025  4/5(土)朝6:40  若葉公園で、朝日を浴びる桜。

夜桜もいいけど、朝桜も美しい。

 

 

2025  5/18(日)朝6:31  幸町団地近くの民家のバラ。 

ぼた餅だったら、いいのに・・・と妄想。

 

 

 

2025  6/1(日)朝6:40 国分寺崖線沿いの農家の屋敷林。

アジサイとサツキの季節に。

 

 

 

2025  6/26(木)朝6:32 霧雨のなかで撮ったアガパンサス。

砂川九番近くの民家で。

 

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東京国立博物館(2025.4.4) 能面(曲見、泥眼)

2025年06月21日 | 博物館レビュー
東京国立博物館(2025.4.4)レヴュー、まだ続きます。
能面の”曲見”と”泥眼”

能衣装を背景に”曲見”が、何とも言えない情感を
漂わせていた。



面をアップで



正面から
”うーん、能面に見つめられているようで、ドキドキ・・・何とも言えない、情感に参った”  
と書いていますが、今回もそうでした。
私は、中年女性の妖しさに弱いのかも。

文化遺産オンラインの解説
額と顎が突き出たしゃくれた形が曲見の名の由来。中年の女性の役に用いる。
目を伏せた憂いを含む表情で、生き別れた子を探して狂気を帯びたような役柄が多い 


次の泥眼
母性を感じます。けど、曲見ほど、ゾクッとはしないなー。


以上、能面には、日本人の深いところを刺激する何かがあると思い
取り上げました。
花見の季節、この能面を展示する学芸員のセンスに感心。

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東博の帰り道 うえの桜フェスタ そして 肉離れ

2025年06月12日 | ぶらり探訪

 東博(4月4日)を見終えて、東博エントランスから上野公園を遠望。

イベントで混雑してる。

 

近づくと、おいしそうな匂い!

 

 

 

 

 うえの桜フェスタ(3/18~4/6)の

”日本全国美味いものエリア” (後日の調べで判明)

 

 

 

 どれもおいしそうでしたが、時間がなくて、泣く泣くスルー。

 

 

 

 

 

 

 

 左の外人2名はビールや串焼き、おっ、和服の女性も串焼き!

 

 

 

 桜通りを見ると、大混雑。 一昔前は、シートを敷いて、宴会のオンパレードでしたが、今は一部に限られているようです。

 

 交番の横に石碑がありました。 

 

 ラジオ体操広場の碑なんだ。

幼い頃、夏休みに毎朝ラジオ体操をして、出欠簿にハンコを押してもらってたのが、懐かしい。



さて時刻は、午後4時。 朝10時から東博を見て、ランチ以外は
ずっと歩きか立ち見。
帰りの電車も座れず、立っているのが異常に辛かったのです。
何とか帰宅して、靴を脱ぐ動作で、ウッと左足に痛み。
肉離れは、経験が無かったのと、軽度だと思い、数日すれば治る
だろうと思っていました。 5日後に、急いで靴を脱いだ時、激痛。
翌日、女房に左足を見てもらうと、うっ血が凄い!と
翌日、医者に診てもらって、太ももの肉離れと診断。
2カ月ぐらい経って、ほぼ治っています。
体の無理がきかない年齢になった。 あああ
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東京国立博物館(2025.4.4及び,5.9) 国宝「花下遊楽図屏風」

2025年06月01日 | 博物館レビュー

東京国立博物館(2025.4.4)シリーズの4回目は国宝「花下遊楽図屏風」です。

 

国宝鑑賞室の展示光景

 

この屏風の高精細複製品が、本館1階の”日本美術のとびら”コーナーに、 展示されていました。

4月4日の複製品撮影は、ピントが甘く、5月9日に訪れ、再撮影したのが次の2枚。

 

 

 

関東大震災で焼失※した、右隻中央部も再現されています。

※本作品は、もと、明治の実業家原六郎の所蔵で、修理の最中に

 関東大震災に見舞われ、右隻中央の2扇が焼失した。

 

 

 

この作品で、私の興味を惹いたのは、

① 風流踊りの描写

② 左隻の主人公 

です。 詳しく、観ていきましょう

下図は、トーハク公式サイトの名品ギャラリーから。

 

「文化遺産オンライン」に、この左隻の詳しい解説があります。 以下引用

左の屏風では、白い海棠(かいどう)の花の下、八角堂の縁側に座った人々が踊りを眺めている様子が描かれています。

お堂の縁の下には、居眠りしながら待つ駕籠(かご)かきの姿が見えています。宴の主人公はどうやらかなり身分の高い

人のようです。

縁側で、赤いきものを着て扇を手にしている子どもが、その主人公です。視線の先では、女たちが楽しそうに踊っています。


中央の一団は、最新のモードに身を包んだ美女たち。よく見ると、きりりとアイラインを引いた目は、濃い茶色の虹彩に

黒い瞳を描き、目頭、目じり部分に薄墨を入れ立体感を出しています。右の一団は、刀を腰にさして男装をした女たち。

こちらは流行の阿国(おくに)歌舞伎を写しているのでしょう。

足裏を見せて踊る人物の描写は、まさにストップモーション。縁側に座る人も思わずリズムをとっているのか足裏をみせて

います。

花見を楽しむ人々の、その一瞬を捕らえたこの作品は、季節を愛で、春を謳歌する日本人の心を見事にとらえ、現代に生き

る私たちも自然と踊り、歌いたくなるような、すばらしい作品です。

 

風流踊り部分を拡大。

 

 

更に拡大。(これは本物を、私が撮影したもの)

 

 

更に拡大。 妖艶ですね!  今でいうと、宝塚のトップスターか。

 

 

さて、風流踊りですが、私の脳裏に浮かんだのは、次の彦根図屏風。

国宝「紙本金地著色風俗図(彦根屏風)」滋賀県・彦根市所蔵、彦根城博物館保管

描かれた場面は近世初期、京都六条柳町(通称三筋町)の遊里。

当時、六条柳町の太夫は同時に四条河原町で演じられる遊女歌舞伎の演者でもあった。

制作年代は、寛永6年(1629年)前後から11年(1634年)の間だと推測されている。

 

本作、彦根城博物館で観ました。(複製品 2013年7月29日)

とりわけ、この若衆の、刀にもたれる姿は、花下遊楽図屏風の遊女の姿と重なります。

画中画などから、狩野派(木挽町狩野家)の絵師の作だと考えられている。

遊女歌舞伎は、寛永6年(1629年)頃から、幕府の取り締まりが厳しくなり、急速に

消えていった。しかし、形を変えながら、今の歌舞伎に繋がっていった・・・源流は

阿国歌舞伎というのが、腑に落ちました。

 

 

もう一つのテーマは 左隻の主人公 

「文化遺産オンライン」では

左の屏風では、白い海棠(かいどう)の花の下、八角堂の縁側に座った人々が踊りを眺めている様子が描かれています。

お堂の縁の下には、居眠りしながら待つ駕籠(かご)かきの姿が見えています。宴の主人公はどうやらかなり身分の高い

人のようです。縁側で、赤いきものを着て扇を手にしている子どもが、その主人公です。

と。

左隻の八角堂部分を拡大して再掲。   

Aの貴公子が主人公。

実は、私は今回、「文化遺産オンライン」を読むまでは、Bの立ち姿の貴人?が主人公だと思っていました。

扇子で顔半分が隠していて、少し気味悪なのですが。

 

今回、複製品に近寄って撮影しました。

うーん、女性のようですね。 ずーと、勘違いしていたんだ。

 

 

最後に、妖艶な男装の遊女が、出てきたので、比較するのも、なんですが

右隻の女性、特に赤い服を着た高貴な女性・・・うーん凡庸な容貌。

なお、この複製部分は、モノクロのガラス乾板写真から、工夫を重ねて、一部に着色したもので

モノクロ部分が多く残っています。 でも、凄いものですね、この復元技術。

女性たちの着ている衣装にも、「辻が花染」の小袖があり服飾文化の研究資料にもなっている。

国宝「花下遊楽図屏風」、さすがです。

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東京国立博物館(2025.4.4)イマーシブシアター”新JAPONISM  縄文から浮世絵 そしてアニメへ”を観て

2025年04月24日 | 博物館レビュー

イマーシブシアターて何?

世の中の動きに鈍い私が、今回、トーハクのイマーシブシアター

新JAPONISM  縄文から浮世絵 そしてアニメへ”

を鑑賞。

メインヴィジュアルはこちら

 

東京国立博物館 本館特別5室の大きな部屋

前面及び両サイドに、巨大ディスプレイが設置され

鑑賞者が映像に囲まれるかたち。



重要文化財の遮光器土偶 がグイっと現れました。

土製 縄文時代(晩期)・前1000~前400年 青森県つがる市木造亀ヶ岡出土

構成は

「第1幕 : タイムトラベル 日本の美」

「第2幕 : 江戸中期 蔦屋重三郎がポップカルチャーの礎を築いた」

「第3幕 : 日本アニメの誕生と飛躍」

「第4幕 : 日本アニメと日本文化の共通コード」

「埴輪 挂甲の武人」、「松林図屏風」(長谷川等伯筆)、「洛中洛外図屏風(舟木本)」(岩佐又兵衛筆)などの国宝から

手塚治虫、高畑勲、細田守、ポケモンといった日本を代表するアニメーションまで、古今の日本文化が高解像度で紹介される。

 

 

「埴輪 挂甲の武人」 

 

 

この埴輪の出来上がった当時の姿を、デジタル画像で復元。

 

 

 

お洒落だ。

 

 

戦国時代の戦闘場面が出たり

 

 

 

戦国時代の城がでたり

 

 

室町時代の 鎧兜  

重要文化財 樫鳥糸肩赤威胴丸 室町時代・15世紀 秋田一季氏寄贈 東京国立博物館蔵よろい

 

 

能「船弁慶」演:観世喜正

 

 

 

「洛中洛外図屏風(舟木本)」(岩佐又兵衛筆)の部分

2012年4月~7月にトーハク ミュージアムシアター「洛中洛外図屏風 舟木本」を観ました。

屏風絵に散りばめられた風俗などを、次の3篇に分けて上映されたのです。

●京の風物詩/京の商い

京の名所今昔/京の芸能

京の信仰/京の政

実に面白かったのですが、今回のイマーシブシアターでは、部分図をチラ見せするだけで

初めて見る人には、面白さは伝わらなかったのでは。

 

 

「第2幕 : 江戸中期 蔦屋重三郎がポップカルチャーの礎を築いた」は、この辺から

「婦女人相十品・ポッピンを吹く娘」(喜多川歌麿筆)

 

 

ぐんぐん拡大

 

 

 

 

 

 

 

 

和紙の繊維が見える!!

 

 

写楽も

 

 

江戸、吉原の廓の風景。 ケバケバしい色だったので、モノトーンにしました。

 

第3幕 : 日本アニメの誕生と飛躍」

『塙凹内名刀之巻』(はなわへこないめいとうのまき)は、1917年(大正6年)6月30日公開の日本の短篇アニメーション映画。

2007年(平成19年)に玩具版が発見され、現存する日本最古のアニメーション作品として知られる。『なまくら刀』とも。

うーん、洒脱なアニメーションが、大正6年には出来ていたんだ。

 

 

そして現代

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手塚 治のインタビュー。  しゃべった内容は、忘れました。

この方の漫画も、未来の国宝だと思います。

 

 

 

 

「第4幕 : 日本アニメと日本文化の共通コード」

 

 

 

 

 

 

 

 

信貴山縁起絵巻

 

 

 

 

 

 

 

「松林図屏風」(長谷川等伯筆)

 

 

 

 

 

 

 

 

サイドには、総集編のように映像が展開

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見終えて、出口に向かう通路で

 

今回、見終えて、

側面ディスプレイの必要性が???。

いろんな作品をアラカルトで見せられても、印象が薄い・・・

イマーシブ(没入)できなかったのですが、可能性は感じました。

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東京国立博物館(2025.4.4) で、お花見

2025年04月09日 | 花・植物

東京国立博物館の、『博物館でお花見を』は、好きなんです。

博物館の裏の日本庭園や、表慶館、法隆寺宝物館の周りに

点在する十数種類の桜。  散在して咲いているので、情緒が

あります。

さっそく、本館1階のテラスから庭園に。

 

 

 

テラスの左側はオオシマザクラ

 

 

 

望遠で撮影。

 

 

快晴に似合います。

 

 

 

本館と、平成館を結ぶ通路のガラスに、桜が写っています。

 

 

池の奥の茶室「転合庵」の前で、外国人の母娘と思われる方が撮影中。

オオシマザクラと枝垂れ桜(エドヒガン)が美しい。

 

 

母親が、娘を呼び戻して

 

 

二人の記念撮影

 

 

「転合庵」の裏手に咲いていた「オトメツバキ」

 

 

 

茶室「春草盧」の脇から見た池。

 

 

 

ガラッと変わって、法隆寺宝物館の2階から

 

 

 

黒門の近くにあった、イチヨウザクラ。

可憐な桜で締めましょう。  

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東京国立博物館(2025.4.4) 花鈿などのサプライズ

2025年04月06日 | スナップ

東京国立博物館(トーハクと略称)に4月4日(金)に行ってきました。

目的は

イマーシブシアター 新ジャポニズム ~縄文から浮世絵 そしてアニメへ~
   2025年3月25日(火)~2025年8月3日(日)

東博コレクション展・・・・総合文化展から名前が変わった。 

博物館でお花見を
 桜をモチーフにした日本美術の名品と、日本庭園での花見

 

最初に採り上げるのは、トーハクでのサプライズですが、まず、ランチで外に出たときの桜から。

黒門(重要文化財)の前で

 

 

 

ランチは、トーハクの隣の国際子ども図書館のレストランで(リーズナブルなんです)

中庭の桜が美しい。  

 

 

さて、トーハクに戻って、鑑賞の続きで、サプライズ。  13:15

 

 

珍しいファッション!

 

スマホを一生懸命に操作中です。 何かのイベントでも無さそうだし、気になりましたが鑑賞を続けることに。

5分後、”日本美術のとびら”に行くと、この方が横を通りました。

思い切って、声をかけてみました! 日本人だと思っていたのです。 が、返ってきた言葉が分かりません!!

そのうえ、なんと花鈿(かでん)!!! (額や頬などに紅化粧する古代のメイク)

中国・西域の女性かも・・・

でも、言葉が通じないので、 失礼でした、と頭を下げて離れました。

それから、約30分後、本館1階のテラスで庭園の撮影をしていると、

この方がいました!

 

望遠ズームで撮ると   13:56

 

 

 

顔を拡大。  (黄色いマスクは、修正したもの)

花鈿の化粧が、確認できます。 髪型もユニークですよね。

 

 

参考までに。以前のブログで紹介した、花鈿に関する記事を、抜粋して掲載。

東京国立博物館(2024.10.11)Asia in Style アジアのおしゃれ #3 憧れのファッションモデル など

 

 

西域の女性俑頭部です。 

この作品は図録には非掲載ですが、インパクトがあったので、採り上げました。

 

 

花鈿と呼ばれる化粧、唐を経て日本にも伝わった。

私も、難波宮の朝廷行事を復元した展示で見ました。(大阪歴史博物館)

この女官の化粧です。

 

うーん、謎のまま終わりましたが、トーハクでは、まれに、こんなことが起こります。 だから、面白いのですが。 

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6代目ワンコ、お披露目

2025年04月01日 | 

先代のワンコ ”ニキ”が旅立ったのが、昨年12月30日 (火葬は1月4日に)

翌日の31日、なんと女房は、次のワンコを探しに行こうと!

既に、ネットで調べていたらしく、駅前の高〇屋ショッピングセンタ内のペットショップへ

お目当てのワンコは、チェーン店の茨木県の店にいる・・・で、ネットを通してご対面。

家に帰って、また別の候補を女房が提案。 今度の子は、都内、板橋のチェーン店にいる。

で、翌日の元旦、夫婦で板橋店に行きました。

そこで、ほぼ決めました。

その子を国分寺店に回してもらい、再会そして契約(下の写真)1月5日。ニキの火葬の翌日でした。

 

 

そして受け取り。(1月14日)  店の方が記念写真を撮ってくれました。

 

ワンコの名前は、”キサ”としました。

そのキサに振り回されました。

子犬は大概、そうですが、1秒も、ジッとしてなくて・・・

 

健康トラブルも。下腹部の皮膚炎症は3月下旬には治ったのですが

てんかんに似た症状が、週一ぐらいで続いていて、かかりつけ医の紹介で、3月31日(月)

T大学 動物救急医療センタで検査。(ニキがガン宣告を受けた病院)

写真は、朝、病院へ向かう車内で。

内臓系の詳しい検査をして、特に問題は無いとのことで

次回、MRIなどで、脳神経系の検査をすることに。

担当医から、費用が〇〇万円かかるといわれ、分かりましたと返事はしたものの

後で女房は、ソウルに2回行ける金額・・・私も、いいパソコンが買える・・・

ぼやき夫婦の、しがない、お披露目でした。

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昭和記念公園(2025.3.14) 盆栽苑にて

2025年03月17日 | 花・植物

盆栽苑を、入り口側から撮影。

 

 

 

 

上の写真の中央部の土壁を背景に、可愛い白梅。

 

和室床の間の盆栽。

 

 

盆栽に水やり光景を初めて撮影。

銅製のじょうろで、盆栽専用でデカい。 (じょうろが隠れて見えませんが) 

蓮口から、細い水流で水やりされていますが、この直前まで、シャワ-でした。    

 

 

 

推定寿命90年の長寿梅。 枝先から。小さな新芽が。

 

 

ヒナソウが可憐。 風格ある盆器と、意外に合う。

 

 

推定樹齢50年と、盆栽では若造ですが、鉢などのデザインと相まって、凛とした風格。

 

 

 

 

 

 

クリスマスローズ(ニガー)

 

 

オモト(万年青)は、江戸時代から栽培の歴史がある(幾たびか、ブームもあった)

葉の状態や葉姿、柄などの特徴を”芸”というようだ。

この盆栽だと、葉の形が

熨斗葉(のしば):葉が熨斗を折ったような折れ方をするもの。

剣葉(けんば):角とも。棒状に先の尖ったもの

の二つの芸が見える。  キャプションがなかったので、私の推定です。

鉢と調和して、美しい。

 

 

 

いつ見ても、名品と思う、蝦夷松。

 

以上、早春の昭和記念公園から、植物の息吹きをお届けしました。

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昭和記念公園(2025.3.14) 花木園、日本庭園の花を

2025年03月15日 | 花・植物

昨日(3月14日金)は、昭和記念公園へ、花などを撮影に。

花木園は、梅、水仙が見頃。

スケッチする方もいて、のどかでした。

 

梅も種類が多く、これは”楊貴妃”だったと思います。

 

 

 

 

水仙

 

 

 

これは。花木園展示棟の、琉球アセビ。

明日から、ここでクリスマスローズ展が開かれるのですが

まだガランとしていました。

 

 

 

花木園から日本庭園へ。

日本庭園へ登る坂に咲いていた”こぶし”。 まだ3分咲きかな。

 

 

 

日本庭園入口を入ると、紅梅が出迎えてくれて、心ウキウキです。

次回は、日本庭園内の、盆栽苑を予定。

 

 

昭和記念公園は。我が家から、自転車で15分ほど。 

この日も、公園内のサイクリングコースを駆け巡りました。

みんなの原っぱ脇では、カラスが百羽ほど、他の小鳥もいて

しきりに、芝生を突っついていたので、木の実でも落ちてい

たのかな。 少し気味悪でした。

 

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