光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

トーハクの根付#2 郷コレクション 150周年記念展示

2024年02月13日 | 博物館レビュー

トーハク150周年記念展示・根付の続きは、郷コレクションです。

 

根付の概要説明です。 参考になりました。

 

 

最初の作品「緊褌木彫根付」

”ふんどしを締める” 言葉は知っていても、フンドシしたことないから、実感が・・・

で、動画などで、ふんどしを締める動作を調べました。

六尺褌では、布をねじって巻き込んで、引っ張ることでシッカリとするようです。

江戸時代は、フンドシ姿の行商人や駕籠かき、飛脚などが当たり前でしたから、普通

にフンドシ姿は見られたでしょう。

でも、お尻丸出しのフンドシ姿をみた外国人は、!!だった。

亡くなった私の父は、シベリア抑留帰りで、私の小さい頃、越中ふんどし姿は、よく見ました。

 

 

 

 

黒奴、差別的な意味ではなく、奴=太鼓持ちの意味ですね。

 

 

 

使い古して、すり減った感じの作品。

外国人コレクターには、それが”いい”そうです。(作品が愛されたシルシ・・)

 

 

 

 

いろんな素材を使っている。

 

 

 

 

毬が、離れていますが、緒締として使ったのかな。

 

 

 

 

うーん、いいですね。

 

 

 

 

子犬の可愛さは、時代が変わっても。

 

 

 

 

ピンボケですみません。 

素材で鼈甲が使われていますが、馬の眼に使っているようです。

 

 

 

鬼の顔までは、ピントが合わず、すみません。

知らなかったのですが、「提灯釣鐘」は古い諺で「釣り合いがとれぬこと」。

しかも、提灯の方が重いように描かれている。 ”重さ”=”本当の価値”が分からぬ様を

諷刺したようです。 

大津絵にも、猿が、釣鐘と提灯を、天秤棒で担ぐ絵があり、江戸時代は、この種の話が

面白がられたようだ。

 

 

 

下手投げで、羅漢の勝ち!

 

 

 

 

素材に海松(ミル:海藻の一種)が使われている。現在の日本では食べる習慣はあまりないが、

古代には一般的な食用海藻で、租税としても納められた。 和歌にも「見る」の掛詞として多数

詠まれる。 根付の素材としては、黒い珊瑚のようなもので、動物根付の黒目の素材として多く

使われてきた。

これも、そうかなー

    

 

 

黒目の部分に使われているのか・・・よくわかりません。

濡れた髪を持つ、手のあたりの表現も繊細。

 

 

 

 

 

 

 

 

常盤については、以前のブログに概要を記しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

素晴らしい。

 

 

 

 

陳列台には、紹介しきれないほど根付の数々。

 

 

 

おかめは、古くから存在する日本の面(仮面)の一つ。

お多福、阿多福(おたふく)、文楽人形ではお福(おふく)とも書く

陶製ですが、頬やおでこの部分が、黒ずんでいる。

持ち主に愛でられたのかな?

 

 

 

雷神の根付です。 太鼓はわかっても、雷神の姿が???

 

 

 

 

 

 

 

 

郷コレクションの保存箱です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会場風景です。 普段は漆工芸品を展示している部屋でした。

いかがでしたでしょうか? 

東京国立博物館で、現代の作品を見れるのは、根付だけ・・・おっと、横尾忠則の

寒山百得展を、この間やってましたね。 いろいろチャレンジするトーハクでした。

 

 

最後に根付とは違うのですが、150周年記念展の帰りに、上野公園を歩いていたら

こんな、人間彫刻が  2022年11月6日 14時50分頃

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トーハクの根付#1 高円宮コレクション 150周年記念展示を中心に

2024年01月31日 | 博物館レビュー

年が明けて、もう1月も末。

ブログのアップが遅いのは、手の遅さ(あれこれ、調べまくるのが好きで・・・)と

もう一つ理由がありました。

実は、昨年の3月頃、マイクロソフトOneDriveの容量アップの催促がうるさくて、エイヤーと

OneDriveを削除をしたのですが、作品画像などを保存していた、未投稿ファイルも消えてしまい

真っ青! (2014年あたりからの、未投稿の記事や素材が貯まっていた)

OneDriveを削除するには、それなりの手順を踏まないと、ダメなのですが、後の祭り。

File Historyなどを探しまくったのですが、大事なファイルは大半が消え失せました。

 

気を取り直し、一から画像を選び直して、という作業を続け、トーハク150周年記念展示を

今回、やっとアップ。 (>_<。) 

 

2022年度のトーハクは、150周年記念で、国宝展をはじめ、興味深い展示が山盛りでした。

その一部は、アラカルト篇として、2023年1月2日のブログにアップし、詳しくは後日紹介と

していたのでした。

 

最初は、トーハクの根付です。

トーハクには、根付の二大コレクションがありますが、現代根付が主体の、高円宮コレクション

から紹介します。

高円宮殿下が、2002年に心室細動で亡くなって、20年以上経つのですね。 

殿下の死がきっかけとなって、AEDが普及したのも、懐かしい話です。

 

会場風景です。 平成館1Fの企画展示室。 撮影日は2022年12月13日です。

一部、2022年11月6日、2023年8月18日に、高円宮コレクション室にて撮影。

 

 

ぎょ!

 

 

奥田 浩堂(本名:奥田 耕道)という作家名がありながら、馬糞山 馬六とは。

遊び心あふれる作品ですが、根付はもともと、そんな、気風が持ち味なのかも。

 

 

子クジラを乗せた夫婦の鯨 ᴖ.ᴖ   素材も鯨骨化石だー

 

 

 

 

 

 

 

ふくら雀:ふくら雀は、冬になると外でまんまるに膨らむ雀のこと。

     豊かさを表す、縁起ものとされ「福良雀」「福来雀」と書くことも。

ゆるキャラですね。

 

 

 

毛の質感!

 

 

 

アイデアや磁器の色味など、いい感じ。 実用で使うのは割れそうでコワイ。

 

 

 

このサイズで、磁器として焼成するのも大変でしょう。 日本人にはない、アイデア。

 

 

 

日本の案山子と、少しイメージが違うのですが、そんな野暮は、言いっこなし、の現代根付。

 

 

 

マイケル・バーチの作品は、流れるような曲線美のものが多い。 妖しさもまとう。

 

 

 

狸の頭部を包むのは、僧衣? ???の作品。 

英語の作品名がTanuki Priestとなっているので、調べると、狸は、元々極東にのみ生息する世界的に見れば珍しい動物なんだ。

今でこそ、東欧にも分布が拡大しているが。 英語では、 raccoon dog(アライグマ(raccoon)のようなイヌの意味)だって。

で、この作品の動物は、顔の特徴から、ヨーロッパアナグマと思われます。 ・・・早速、化けたな

 

 

 

 

流れ星に、願いごとをする河童の!少女

 

 

 

駒田 柳枝は、人物根付が得意

 

 

 

くねらせた姿が粋で、悩ましい。 

着物の文様も、浮き彫りにして、触った感じも面白そう。

 

 

 

ピンボケ写真で、済みません。 綺麗に撮らないで!とお願いされて・・・

 

 

 

360度、物語を詰め込んで。

 

 

 

NHKの美の壺”根付”でも語っていましたが、丸みが大切だと。 

根付が、衣服を傷つけないことと、触感も。

触って楽しむアート。

 

 

 

素材にタグアナッツ(象牙椰子の種)と黄楊が使われています。

 

 

この狸も、日本の狸ではないような・・・

 

 

 

琥珀と金の素材!

 

 

 

明治期以降、不遇な時代を迎えた根付も、戦後になると米国人らの旺盛な需要で、再び好況に。

当時の題材は外国人の嗜好に合わせて、歌舞伎や能、十二支、七福神などの、日本趣味の立像が

多く、細密な装飾と着彩に特徴があった。 この作品もその流れでしょう。 迫力が凄い。

 

 

 

 

 

 

 

 

知らなかった。 日本サッカー協会のエンブレムに、八咫烏が使われていたなんて。

 

 

 

 

河童の頭のお皿が、バードバス!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと、タイトルは倒木更新!

親木を踏み台にして、次世代の若木が生長する過程は

生物の世界で共通しているのかも

 

 

 

粋なデザインですが、タイトルが長いし、よく分からない。

黒岩明は、もともとジュエリーデザインをやっていた方。
 
冒頭の〈ストップエイズ!!〉も、この作家の作品

 

 

 

 

 

高円宮コレクション室の光景です。

 

 

コンパス 片手に一人旅か。 撫でたくなりますね。

 

 

 

 

 

 

子供の可愛さは、金銀の財宝と比べられない。

 

 

 

 

〈ペンギン>  寄金 佐和子   象牙  1995年

 

 

 

最後に紹介する<春乙女>

カエルなのですが、春乙女???  春→スプリング→ぴょんぴょん→カエル飛び?

でも乙女は??

  

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散歩道の風景  玉川上水緑道、近所の荒れ地(2023年10月~12月)

2023年12月31日 | 散歩

 

★玉川上水緑道(小川橋~上水小橋)

散歩コースのなかで、最も利用するのが、玉川上水緑道の、小川橋から上水小橋の区間。

土の道なのだが、緑の木陰が多く、横に広がる畑も目を癒してくれる。

① 10月18日(水)am7:25

     小川橋から200mほど、西へ進んだところ。 

 立川清掃工場の煙突が見えますが、2022年末に移転し、いずれ撤去される運命。

 

② 10月19日(木)am7:10

上水小橋に近い地点。 紅葉の始まりの頃。

 

 

 

③ 10月30日(月)am7:10

 上水沿いの林の木陰が切れると、朝日がまぶしい。

 

 

 

④ 11月28日(火)am7:05

 朝陽が紅く照らし、不思議な色合い。

 なお、手前の土手は、廃棄野菜(なすびが多い)。 もったいないねー

 

 

 

★近所の荒れ地

① 10月30日(月)pm15 :37

   午後の時間になっていますが、我が家の駄犬”ニキ”の抱っこ散歩のとき、撮ったもの。

 散歩がスキくない、ニキ、抱っこ散歩は喜ぶ ヽ(`Д´)ノ

 で、撮った動機は、草ぼうぼうだった荒れ地が、刈られている!

 

 

① 12月31日(日)am7 :28

 今朝は雨降りだったのですが、少しだけ歩いたときに撮ったもの。

 かなり整理されているので、ひょっとしたら宅地開発?

 画面中央、奥の樹、杏で、春になると奇麗なのです。 次の写真は咲いたときのもの。

 

2022年3月31日の写真

 

 

ついでなので、荒れ地の昔の写真 2010年12月11日撮影

草が刈られ、全部、宅地になるのかと思った。

 

 

 2011年7月18日撮影

半年後、奥の方が建設中(ブルーシートのところ)で、手前はまた、草ぼうぼうに。

 

 

 

 2012年9月30日撮影

その半年後には、住宅が建っていました。

雑草よりも、宅地の繁殖力の方が強いのかな。

それでは、皆さま、良いお年を!

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散歩道の風景  富士山と紅葉(2023年10月~12月)

2023年12月30日 | 散歩

朝の散歩で撮った写真から、テーマ別にまとめてみました。

 

★富士山の冠雪

 秋、冬はよく見える富士、でも、今年の富士山は、冠雪の変化が激しかった。

若葉台小学校横の、定番ポイント(国分寺崖線上)から。

① 10月16日(月)AM6:58

 10月6日に初冠雪があって以来、順調に冠雪が増えていました。

 

 

 

 

②  10月30日(月)AM6:42

 今年は、冠雪が早いなーと思っていました。

 

 

 

 

③ 11月8日(水)AM6:32

  ところが、急に温かくなって、冠雪が消滅!

 

 

④ 11月19日(日)AM6:41

 と思うと、急に厳しい寒波が来て、一気に冠雪。

 

 

 

⑤ 12月8日(水)AM6:43

 でも、また暖かくなって、徐々に冠雪も減少。

 

 

⑥ 12月13日(水)AM7:26

 寒波が来て、十分に冠雪。 このままいくかな、と思っていた・・・

 

 

⑦ 12月27日(水)AM6:51

  また、冠雪が減っていく。  このままでは、正月はアブナイかも。

 

 

★紅葉

 散歩コースには、目立った紅葉スポットは無く、銀杏の黄葉ぐらい。

 でも、今年は、めったに行かないコースで、紅葉スポットを発見。

① 10月16日(月) Am7:22

  富士を撮る定番ポイントの歩道は、ハナミズキの並木道。

 定番ポイント近くで、実をつけて、ほんのり紅葉した、ハナミズキを発見。

 実がたくさんなっていたのは、この樹だけだった。

 

 

② 12月7日(木) Am7:08

 たまにしか行かないコースにある、川越緑地・古民家園。

 国分寺崖線が続いていて、約3mの崖上からの古民家眺望。 晩秋の風情で、落ち着きます。

 

 

 

③ 12月10日(日) Am7:13

 こちらも、たまにしか行かないコース。 立川市立第九中学校の、道向かいの樹林。

広い農地で、植木栽培しているようです。 でも、そこの紅葉が綺麗だった。

 

上の写真から、横へ10mほどのところ。 朝陽が横から照らして、映えます。

もう一回、別テーマで続きます。  

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大阪歴史博物館見学

2023年12月24日 | 博物館レビュー

大阪城~藤田美術館~京橋と歩き廻った10月21日(土)

天満橋の宿へ戻り、休憩して、大阪歴史博物館へ(歩いて5分)

 

写真は、大阪歴史博物館が竣工した2001年当時のもの。 ラグビーボールのような断面。

右端に旧NHK大阪放送会館、隣の農林会館のビルなどが写っていますが、今は公園に。

デカい新NHKビルや、大阪歴史博物館の建っている場所は、以前、大阪中央体育館があり

大相撲の大阪場所などが開催されていた。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

 

大阪歴史博物館の見学は、10階から。  

下の写真は公式サイトより

 

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

実写です。

 

 

 

 

 

 

下の写真は、威儀命婦(いぎのみょうぶ)という、天皇に仕える上級の女官。〈背景は加工)

女官の顔が厳しくて、リアルっぽく見えます。 

なお、当時の化粧の参考として、正倉院所蔵の「鳥毛立女屏風」を、ネットから引用。

 

正倉院所蔵の「鳥毛立女屏風」

 

 

 

 

子供たちは、無邪気にが遊ぶ。 

 

 

窓から見える風景

左端の、建設中のビルは、ラグジュアリーホテルになるらしい。

ここには、以前、NTT西日本本社ビル(私も一時、勤務していた)があった。

 

公園中央部分に見える、基礎台が大極殿跡

高速道路も、この部分は地上を走り、高架基礎による遺跡損壊を防いでいる。

 

 

古代の難波

縄文時代までは、河内は湾だった。

 

難波の語源

 『日本書紀』には、上町台地の北側、大阪湾と河内湖を結ぶ海峡出口で、潮の流れが、とても速かったのを

浪速(なみはや)と呼び、訛って難波(なにわ)となったとある。

現代では、浪花とか浪華も使う。漢字に関しては、ややこしい。

 

 

 

 

 

この時代の事件を見て、3年前に連載された夕刊小説、「恋ふらむ鳥は」(著者  澤田 瞳子)を思い出した。

万葉の歌人・額田王(ぬかたのおおきみ)の半生を描いたもので、子まで成した大海人王子(おおあまのみこ)

別れ、その兄、葛城王子(かつらぎのみこ)の仕切る宮城で宮人として勤めに邁進する。

その後、白村江の大敗、葛城の死、大海人の挙兵で、叔父と甥が争う壬申の乱・・・動乱の飛鳥の世を生きた、

額田王激動の半生が・・・・。

で、Webサイトから、毎日新聞 夕刊 2020/5/25に載った、挿絵(村田涼平・画)を下に貼りました。

宝女王(斉明天皇)から朝鮮出兵の意を受け、宮殿の庭に出て、葛城(中央の人物)や大海人(左側の人物)

と言葉を交わす額田王が描かれている。

今、私が立っている、この地で、約1400年前に、こんなドラマがあったのだ。

 

 

 

歴博ビルの両端は、展望がいい。

 

 

 

 

 

 

次は、中世・近代です。

 

 

 

三十石船について

徳川の初期、淀川の伏見・大阪間の交通機関として旅客専用の船“三十石船”が登場。

米を三十石積めることから三十石船と呼ばれた。

全長約17m、幅約2.5m 乗客定員28人~30人

船頭は当初4人と決められていたが、幕末には“早舟三十石船”が現れ船頭も4~6人になった。

<上り船>
 大阪には4つの船着き場(八軒家・淀屋橋・東横堀・道頓堀)があり、朝早く出て、
夕方

には伏見に着くのが通例。上り船は棹をさして上る所もあったが、十一里余(約45㌔)

殆ど綱を引いて上った。

<下り船>
 伏見の船着き場からは、夜に出て、早朝大阪着というのが一般的だった。

 

天満眺望

 

絵師の田能村小斎は、田能村竹田の孫弟子にあたり、細かく描いているので、拡大してみました。

右端が、網島になります。

さて、八軒屋と天満が出たところで、近松門左衛門の「心中天の網島」道行名残の橋づくしの関連個所を紹介

北へ歩めば。我が宿を一目に見るも見返らず、子供の行方女房の、哀れも胸に押包み、南へ渡る橋柱。
数も限らぬ家々を、いかに名付けて八軒屋。誰と伏見の下り舟、着かぬ内にと道急ぐ、此の世を捨てて
行く身には、聞くも恐し、天満橋

 

浪華曾根崎図屏風

曽根崎川(蜆川とも)の両側は石崖造りの上に、川に半分乗り出すように、茶屋の奥座敷がずっと並び

川を行き交う、小舟も賑やか。

解説には、堂島新地の風景とあるが、曽根崎新地の間違いでは?

 

 

 

文楽人形、いいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

近代現代  7F

 

 

実写。

 

 

 

謡いの練習でしょうか

 

 

 

 

郊外住宅の暮らし

 

 

 

 

 

 

最後の写真は、昭和初期の大阪で、流行の最先端にたモダンガール、(左側の女性)

当時は、モガとかモボ(モダンボーイ)と呼んだらしいけど、もう死語ですね。

以上、15時40分~16時50分の急ぎ足の見学でした。

なお、このビルの地下には、難波長柄豊碕宮の遺跡があり、掘り出したままの状態で

一部を見られるようですが、今回は時間がありませんでした。

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大阪ぶらり・・・京橋居酒屋とよ

2023年12月05日 | ぶらり探訪

大阪シリーズの続きです。 2023年10月21日(土)

藤田美術館を終えて、京橋駅に向かって歩きました。(紫の線が足跡)

途中、京阪本線のガード下の韓国料理店で昼食を摂り、少し北の、NTT西日本本社ビルへ。

 

 

 

若い時、NTTに勤めていて、当時は大阪城の南、法円坂にビルがありました。

写真を撮ろうと思ったら、スマホのバッテリーが切れかかっている!

藤田美術館で、撮りまくったからだ。 

モバイルバッテリーも準備がなく、一眼カメラもバッグから出すのは面倒と

撮るのをやめました。  で、ネットから借用。

NTT西日本本社ビルのイメージ写真です。 2021年10月に完成。

電電公社時代から、研修施設の場所だったところ。

 

 

そして、京橋駅へ、京阪とJRが交差した隣同士の駅。

ホテルのある天満橋まで、一駅だし、京阪本線沿いに、歩いて帰ろうと思って歩き出しました。

なんと、逆方向の東へ向かったのです! 方向音痴だとは認識していたのですが、古巣の大阪だし

行けるだろうと・・・ いつもなら、スマホ地図で確認するのに、電池切れ・・・

 

間違っているのが、分からないまま、しばらく進むと、長い行列と、やけに混んだ、立ち飲み居酒屋が

出現。 おまけに、お客は外国人が多い、・・・?????

この写真は、居酒屋を通り過ぎた後に、やおら、一眼カメラを取り出して撮ったもの。

 

 

気になったので、もう一度戻って撮るために、居酒屋の20mほど先で、コの字型にUターン。

コの字の縦棒あたるところで、墓地の景色が。  居酒屋は、この墓の左側になります。

しかも、2m程の段差がある。

これも後で調べて分かったのですが、この段差は、昔の堤防の跡だったのです。

居酒屋前の道は、大和街道(野崎街道とも)といい、堤防の上を走っていました。

下図。

鯰江(なまずえ)川は、16世紀頃に掘られた運河ですが、1972年までに埋め立て

られ現在は道路に。

 

コの字型の折り返し部分。

居酒屋が立ち並ぶ京橋らしい風景。 正面に京阪京橋駅のビルが見えます。

 

 

 

さて、居酒屋前の道に戻ってきました。

この行列! 1時間以上、待つ必要がありそうです。

 

 

”居酒屋とよ”が見えてきました。

 

ネットからの情報

「とよ」は、お店の大将である筑元豊次さん、豊次さんの名前からとったもの。
豊次さんは、鹿児島県の奄美群島に属する喜界島の出身。
15歳の時に集団就職で大阪に渡り、その後、1992年の11月にこの場所にお店を開いた。

 

この場所、もともと豊次さんの車の駐車場だったスペースで、店舗を借りる資金が
なかったために、大家さんに必死に頼み込んで、お店を出させてもらったのだとか。

 

 

「とよ」に喜界島の焼酎が置かれているのは豊次さんが喜界島の出身だからで、お店
の方が着ている「喜界島シーマスターズ」と書かれたTシャツは、豊次さんが所属して
いる喜界島の海潜りチームのユニフォームなのだとか。

 

 

カウンターの中に大将、右手の方は店長か。

予約なし、現金のみ。

 

 

外国の方が多いので、チラシには英語表記も。

ドリンク類はセルフサービス。 ビールは写真中央のステンレスボックスに氷漬け・・・関西ではどぶ漬けという

 

 

以前、アメリカのNetflixの、ドキュメンタリー番組で大きく取りあげられ

世界中から大勢の人々が、やって来るようになった。

 

 

 

なにやら、カウンターの前に人だかりが。 たぶん、名物「マグロのほほ肉の炙り」が始まったのでしょう。

 

いやー、写真撮っているときには、光景に夢中で、美味しそうだから食べたいなんて、思わなかったが

調べてみると、今度行ったときには、是非・・・ですね。  でも、並ぶの嫌いだしなー。

 

 

ネットから、メニューの一部。

 

 

うーん、生唾。

 

名物「マグロのほほ肉の炙り」

 

で、方向音痴の件、この後も30分ほど東方向に進み、ビル街が見えない???と思い

引き返した。 1時間以上のロス!  でも、いいもの見つけた。

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大阪城から藤田美術館へ、心中天の網島など

2023年11月27日 | ぶらり探訪

大阪城から、網島の藤田美術館に向かいます。  2023年10月21日(土)

藤田美術館は初めてで、大阪に勤めていた時も、この方面には行ったことがありません。

グレーのマーカーが歩いた経路です。

 

 

第二寝屋川の新鴫野橋から、上流側を撮ったもの。

 

上の写真の中央部を拡大。川を周遊する、水上バス”アクアライナー”が見えます。

調べると大阪城港がすぐ近くにある。

 

 

 

さて、寝屋川をわたり、網島へ。 ここの歴史を調べてみました。

網島は、江戸時代の地図でみると、中州(島)だった。

図で、古大和川と書かれているように、昔の大和川は、1704年に付け替え工事で、堺市の

北に流路を変えるまで、河内平野を流れ、網島で大川(淀川)と合流していました。 

両河川が膨大な土砂を運んで、中州ができたのでしょう。

当時、備前島と呼ばれていました。 備前島の名前の由来は、秀吉の時代に、備前の国、宇喜多秀家

屋敷があったことにちなんでいる。

 

江戸時代は、風光明媚な場所でもあった。

「摂津名所図会」は寛政8年から10年(1796~98)に刊行された摂津国の観光案内書

網島(あみじま)  京橋の北にあり。
この所は澱川の堤にして、漁家列なり鮮魚を多く市に出だす。また貸食家ありて、風流の第を設け、
前には難波律の通船・釣船・網船の逍遥に夏の暑きを忘る。

夕暮の河風に螢飄瑤として吹けども消えず、星の流るるに似たり。また中秋の月は、銀色三千界の
けしきありて、流光に棹の音蕭条としてさらなり。

東は志貴・生駒・掠が嶺峠・かづらき・二子山の雪げしきも一興にして、難波最上の名境なるペし。

 

そしてここは、近松の傑作「心中天の網島」の舞台でもある。

1720年(享保5年)10月14日夜に、網島の大長寺で、大阪天満の紙屋治兵衛と、

曾根崎新地の遊女小春とが、情死を遂げた場所なのです。

今の、藤田美術館のあたりが、ちょうど、大長寺のあったところ。

曽根崎から、大長寺まで、6kmほどあるのですが、深夜に幾つもの橋を渡る道行でした。

太宰治の情死にも関りがあるのですが、それはまた、別記事で述べることにします。

 

そんな網島に大災害が起こります。

明治18年の淀川洪水・・・ウィキペディアより要約。

 6月の洪水 
1885年(明治18年)6月は、上旬から雨が降り続き、17日夜に、枚方市の伊加賀で淀川本流の堤防が
決壊、淀川南側にあふれ出した。

淀川左岸の堤防は各所で決壊し、加えて淀川支流の河川や用水路の水もあふれ出し、大阪市北部や河内
平野の北側一帯が浸水。 水は寝屋川の堤防までで
、寝屋川以南に被害はなかった。

洪水の勢いが止まった後、大阪府知事は大川の堤防をわざと決壊させ、膨大な水を流してしまおうと
「わざと切れ」を実施。(江戸時代から行われてきた方法)
洪水地域の南西
の角にあたり、網島町にあった大長寺裏の大川左岸堤防を20日から23日にかけて切り
排水を行った。

25日からは枚方市伊加賀で堤防の修復が開始された。

7月の洪水
浸水地域の排水が終わっていない27日の夜から雷雨が始まり、28日は台風の影響で大雨、29日は風が
まり、7月1日は暴風雨となって、2日には修復中だった伊加賀の堤防が再び決壊。
さらに、多くの堤防も決壊し、「わざと切れ」を行った大長寺裏の堤防からも大川の水が入ってきた。
洪水は寝屋川以南にまで拡大し、7月上旬には江戸時代の干拓で消滅したはずの深野池と新開池以上の
大きな湖、かつての河内湖が地上に現れ出す始末であった。

さらに高潮まで加わって大阪湾の水が安治川を遡って現在の北区、西区一帯も浸水してしまった。

最大で約4mも浸水、死者・行方不明者81名被災者30万4,199人という甚大な被害が発生した。

浪華三大橋と呼ばれた天満橋・天神橋、八百八橋とうたわれた大阪の橋は主な橋だけで30余りが次々に
流失し、市内の交通のほぼ全てが寸断された。
暴風雨がやむと、ようやく洪水も動きを止め、各所の堤防の修理の甲斐もあり、長い時間はかかったが
大長寺裏の堤防から排水されていった。

この洪水後、1896年(明治29年)に淀川改修を加えた公共河川法案が成立し、淀川の改修工事が始めら
れることとなった。

なお、御堂を流され、境内も荒れ果ててしまった大長寺は、1887年(明治20年)頃に藤田伝三郎にその
土地を売却し、寺は
再興を果たした。
大長寺があったその地に伝三郎は網島御殿
と呼ばれる邸宅を建てた。

 

藤田邸

下図は、大正13年1月(1924年)に発行された「大阪市パノラマ地図」の部分図。
藤田邸が描かれています。

建設経緯・・・ウィキペディアより要約
後に藤田財閥となる藤田組の総帥、藤田伝三郎が大川の左岸、網島の地にあった日本郵船大阪支店長屋敷を
1886年(明治19年)に買い取って移り住み、前年の淀川洪水で荒廃していた大長寺の敷地を明治20年頃に
取得。1893年(明治26年)から1896年(明治29年)にかけて旧本邸を完成させる。

1910年(明治43年)から1916年(大正5年)にかけて、約53,000平方メートルの敷地内に新本館、西邸、東邸
を完成させ、「網島御殿」や「あかがね御殿」などと称される。
この時、珍しかった鉄筋コンクリート造りの蔵の他、本邸、西邸、東邸にそれぞれ十数もの茶室を設けた。
1916年(大正5年)には,
和歌山県高野山から,檜皮葺の多宝塔を移築し、それを銅板葺に改めた他、豪華な日本
庭園を完成させた。

その間の1912年(明治45年)男爵となった伝三郎が死去し、家長・男爵・財閥総帥の座と敷地の大半、本邸は
長男の平太郎が相続し、東邸は次男の徳次郎、西邸は三男の彦三郎がそれぞれ貰い受けた。

大正13年の発行であれば、東邸もあるはずですが、描かれてないようです。(図の左上部分)

1943年(昭和18年)には西邸は大阪市の所有に。 
1945年(昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲により、残ったものは表門・東邸
・鉄筋コンクリート造りの蔵・
多宝塔などで、他はほとんどが焼失。
戦後、その敷地は分割。
本邸跡を中心とする中央部は1954年(昭和29年)に鉄筋コンクリート造りの蔵を本館とし、藤田美術館として
藤田家の至宝を一般公開。 令和22年、本館であった蔵が取り壊され、新たな美術館が建設された。

東邸を中心とする東部は1959年(昭和34年)に、藤田観光が東邸を「淀川邸」と称し、多数の建物をも新たに
建築し結婚式等を行うことができる太閤園として開業、しかし、コロナ下の2021年6月、営業を終了し、太閤園
の土地や建物は宗教法人の創価学会へ売却。

西邸を中心とする南部は、1959年(昭和34年)に大阪市が迎賓館を建築し、大阪市長公館をへて大阪市公館と
なった。2014年(平成26年)からはレストラン・ブライダル施設「ザ・ガーデンオリエンタル大阪」として営業中。

表門を含めて長らく放置されていた日本庭園を中心とする北西部だが、やがて大阪市が入手。この真下の地下を
走ることとなるJR東西線とその駅となる大阪城北詰駅の新設工事の際に資材置き場等に使用され、その後きれいに
整備。JR東西線開通後となる2003年(平成15年)12月19日に「旧藤田邸庭園」として、名勝の指定を受けた。

 

そんな、歴史のある藤田美術館一帯の、現地を撮った写真を。

表門です。

 

 

美術館近くの庭園。

 

 

藤田美術館の外観。  ネットから

 

 

 

建替え前の美術館  ネットから

蔵が横に並び、周囲は高い塀に囲まれています。

 

当時の展示室  ネットから

 

当時の藏   ネットから

 

 

藤田美術館の中、展示室の入口です。 当時の藏の出入り口を使っています。

壁は大津塗、床は三和土(たたき・・・「敲き土(たたきつち)」の略で、赤土・砂利などに消石灰とにがりを
混ぜて練り、塗って敲き固めた素材、昔の土間のつくり)

美術館に入館時は、壁や床のことは知らなかった。 ただ、何か・・・柔らかい雰囲気の空間を感じました。

なお、撮影は、スマホのみOKという、へんな規制。

 

入口からすぐのところで、マーク・ロスコの絵画のようなものが

 

 

やがて、文字が浮かび上がり・・・デジタルディスプレーでした。

 

 

薬師三尊天人像
南北朝~室町時代 14~16世紀

 

 

四天王像

左に、現代アートのような人物が写っていますが、窓越しの鑑賞者です。

 

多聞天
鎌倉時代 13世紀

 

 

 

 

茶道具は、さすが。

 

 

 

 

手桶形水指
本阿弥光甫 江戸時代 17世紀

 

 

 

紅葉呉器茶碗 銘 唐錦
朝鮮時代 16世紀

 

 

 

 

 

 

臨済徳山図
室町時代 13~15世紀

 

右の掛軸の顔部分。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

重文 雪舟自画像(模本)
室町時代 16世紀

 

 

歌仙切
後醍醐天皇宸翰 室町時代 15~16世紀

 

 

 

 

古代裂帖  天人幡残闕
飛鳥時代 7世紀

 

 

展示室をでたところの窓、昔の藏の窓を使って、いい雰囲気。

コンクリート打ちっ放しですが、スギの型枠模様が渋い。

 

 

 

 

 

縁側の先には、多宝塔や茶室が建っています。

 

 

展示室を出たところにあった、藤田伝三郎の説明パネル。

長州閥の政商ではあるのですが、商才もあった。

 

 

航空写真で見た藤田美術館。

右上部分が、旧太閤園、今は多くの建物が、解体されてありません。

 

 

旧太閤園は、現在、工事用の壁で囲まれていました。

 

ネットから、旧太閤園の俯瞰図と、

 

関西池田記念大講堂 完成イメージ図
料亭の建物や日本庭園は取り壊すことなく、保存されるようだ。

大阪勤務時代、結婚式場・太閤園の名前をCMで散々、聴いたものでした。

時代はどんどん変わっていく。

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懐かしい大阪城へ

2023年11月06日 | 小旅行

※2023.11.13 糒櫓の部分で、記事を一部追加しました。

10月20日(金)~23日(a月)、関西へ行ってました。

20日は、父の命日で、米原へ墓参。 

22日は大阪・茨木の次姉宅へ、23日は兵庫・西宮の長姉の入所施設で面会。

 

で、21日(土)がフリーで、久し振りに大阪市内などを巡りました。

若い時、10年ほど(通算)、大阪で勤めていたのです。

天満橋近くの宿から

大阪城➡藤田美術館➡京橋駅➡天満橋➡大阪歴史博物館

ほぼ歩きでした。

 

さっそく、大阪城へ。 西外堀から、乾櫓、京橋口を撮影。  朝 9時4分

 

 

 

 

 

大手門の手前で。 堀に千貫櫓が映る。

 

 

桜門手前から、東方向の、内堀(空堀)や生駒山系を撮影。   

観光客も多く、8,9割は外国人で、特に韓国人が目立った。  朝 9時22分

 

 

 

中学校の修学旅行で初めて来て、大阪勤めのときは、毎日、眺めていました。

(南側の外堀沿いに、勤めていたビルがあった)

 

 

 

天守閣の手前の、三ライザ大阪城(旧陸軍第4師団司令部庁舎)の玄関ホールで撮影。

私が大阪にいた頃は、大阪市立博物館だった。  今は、お洒落なショップやレストラン

に変わっている。

 

 

 

玄関ホールから外を撮影。

 

 

1階の片隅に、展示室「特別史跡 大坂城跡」があったので、いくつかの、展示パネルを撮ってみました。

 

 

ウィキペディアより引用

城内最大の巨石は備前国岡山藩主池田忠雄が運んできた本丸桜門枡形にある蛸石で、重量は最大130トンと推定され、エジプト・ギザの大ピラミッドの積石が1個約2.5トンであるのと比べ、その巨大さが分かる。ただし厚さは40cmたらずしかない。

 

 

石山本願寺の復元模型

信長が石山本願寺との合戦で、10年も要したのは、こんな堅固な城だったから。 疑問だった点が、一つ解消。

 

 

 

豊臣時代の大坂城天守閣は、黒色だった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北側から撮った、大坂城の写真パネル。  坂の字がかかったビルが若い時、勤務していたビル。

 

 

 

天守閣の横を通って、北側に回ります。  天守閣には、まだ一度も上ったことが無い。

 

 

 

 

天守台石垣のずれた痕跡。

 

 

 

その天守台の沿って、北端に進むと、OBP(大阪ビジネスパーク)のビル群が美しく立ち並ぶ。

観光客は、こっちには一人も来ません。  10時5分

 

 

糒櫓跡の説明板がありました。

 

 

祭祀の場所になっている。

 

 

高い石垣から、下を見る。 青屋門と大坂城ホール

 

 

2023.11.13 追加

逆に青屋門付近から糒櫓跡(ココと表示)を眺めた写真

ここの石垣が、日本一の高さで、糒櫓の奥に、豊臣期の天守閣があった。

 

 

 

山里丸にて、秀頼、淀君の自刃の地。 

淀君の3回もの落城、家族の最期と別れ・・・なんという宿命

 

 

 

 

山里丸から、極楽橋を見る

 

 

 

 

 

 

 

クリスタルタワーに、映る雲が美しい。    10時44分

 

 

 

こちらは、大阪歴史博物館から撮った大坂城。    16時6分

 

 

同じく、少し下の階から、ちょっと異様な感じに。      16時35分

約30年ぶりに、訪れた大坂城、城は変わっていなかったが、周りの、いろんなものが変わっていた。

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散歩道の風景 百日紅、廃棄野菜、ナラ枯れ病

2023年10月09日 | 花・植物

【百日紅】

夏の間、ずーっと眼を楽しませてくれた百日紅。

この写真は、玉川上水に向かう住宅街の途中。

大きな住宅の、2階のテラスに咲いている、百日紅が頭上に。   8月5日 AM 6:52

 

 

玉川上水沿いの緑道で          8月5日 AM 7:07

 

 

 

けやき台団地近くの住宅で          8月19日 AM 7:09

 

 

玉川上水沿いの緑道で   9月2日 AM 7:14

 

 

国分寺崖線沿いの樹園で   9月4日 AM 6:29

 

 

同じ樹園で。 ついに散ってしまった。                9月30日 AM 7:17

 

【廃棄野菜】

玉川上水沿いの畑で。

昨年に比べると、廃棄野菜は減ったよう見えます。

暑すぎて、不作だったのかなー。    8月16日 AM 5:58

 

 

廃棄野菜の後ろの風景。

 

 

 

【ナラ枯れ病】

玉川上水と立川通りが交錯する小川橋。 そのすぐ近くで倒木。

 

幸い、死傷者は出ていないようですが、車も人も多い場所なので、ビックリでした。

倒木の、根元に巻かれているビニールは、ナラ枯れ対策のシートです。

 

 

ここ2,3年、このビニールシートが、巻かれた樹木を、多く見かけるようになりました。

ここで、ナラ枯れのメカニズムについて

奈良県のホームページより、一部抜粋編集。

 カシノナガキクイムシ(略称:カシナガ)は、体長4.55mm程度の小さな虫で、メスの背中には
菌囊とよばれる、餌となる菌を貯蔵・運搬する器官をもっており、この菌囊に餌となる菌の胞子のほか
ナラ枯れを引き起こすナラ菌の胞子が含まれ、木の中に運び込まれます。

 カシナガは、6月上旬頃~ナラ類の幹に穿入し、樹幹内で産卵を行いますが、この時にナラ菌の胞子
も木の中に持ち込まれます。ナラ菌は、カシナガが掘った坑道を伝って蔓延し、その結果、ナラ類が
ナラ菌の蔓延を防ごうとして通水機能を止めてしまうことにより、7月~8月頃葉がしおれて茶色に変色し
枯死に至ります。
 木の中で成長・羽化した新成虫は、翌年の6月上旬頃~ナラ菌を持って脱出し、健全なナラ類に飛来・
穿入を行うことで、被害が拡大してしまいます。

 

 下図は林野庁のホームページから引用

   羽化脱出

(翌年の夏)

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孔内で成長・羽化したカシナガの新成虫は、主に翌年の6月から8月に脱出。この際、ナラ菌が持ち出される。   ナラ菌が感染した部分の細胞が死ぬと、道管が目詰まりを起こすため、通水障害を起こす。この結果、多くのナラは7月下旬頃から8月中旬にかけて葉が変色し、枯死に至る。    持ち込まれたナラ菌は、孔道を伝ってまん延し、樹木の細胞に害を与える。また、卵からかえったカシナガの幼虫は、孔道内で生育する。   羽化脱出したカシナガは、健全なナラに飛来。集合フェロモンによって集中的にせん入し、産卵。このとき、病原菌であるナラ菌を持ち込む。

 

また、黒田慶子  神戸大学 森林資源学研究室のホームページから、一部抜粋

❖カシナ ガは、直径10cm以上の樹木で繁殖効率が良いため、大径木ほど
 たくさん
羽化し、翌年の被害拡大につながります。そのため、高齢のナラ林で
 被害が激しくなります。

❖昔 の薪炭林は20年前後の若齢林のため,カシナガの繁殖は,ほとんど 見ら
 れませんでした。 
 薪炭林:薪 (たきぎ) や炭の原料となる木材を採取するための森林。 クヌギ、コナラ、
 ヤマザクラ、エノキなどの樹種で構成された、いわゆる里山の雑木林を指す。

❖大径木が増えたこと と,感染して枯死した木を処理せずに放置したのが被害拡大の原因。

❖大 径のナラやカシ・シイ類を残して細い木や下層木のみを伐採する「公園型整備」では,
 カシ ナガの飛来や繁殖が活発になり,被害を広げます。この手法での里山整備は絶対に
 行わな いで下さい。

 

なるほど、里山の放置や公園型整備が、ナラ枯れ病蔓延の大きな原因だったとは、因果なもの。

里山林を若返らせ、健全に管理していくのは、今後の課題のようです。

 

倒木を発見してから1か月たった9月30日、伐採されていました。 AM 7:00

根元の伐採断面を見ると、辺材部に茶褐色に変色した輪が見える。 

樹の血管が、ナラ菌で細胞死した、証だと思う。

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散歩道の風景 花、富士

2023年10月06日 | 散歩

前回の記事で、太宰治の心中事件を、採り上げる予定としていましたが、

調べる時間が、もう少し欲しいので、とりあえず、散歩記事で穴埋めです。(·_·;)

 

今年の夏から今日までの、朝散歩で撮った写真を、カテゴリー別で紹介。

【富士山】  

昨日、富士山の初冠雪がありました。

この写真ではわかりずらいですよね。  本日(10月6日)AM7:09 

国分寺崖線(大昔の多摩川が削った河岸段丘)の定番ポイントから。

 

 

別の場所から AM 7:28  頂上部にうっすらと雪が

 

 

実は、昨日の朝も、写真を撮っていて、あれっ、頂上が白っぽい、でも

雲が多かったので、雲がかかっているのだろうと、思っていました。 10月5日 AM 7:27

 

 

こちらは8月12日 AM 5:34  

夏場は、富士山が見えない日が多いのでですが、この日はバッチリでした。


 

 

 

 

 

【花、植物編】

玉川上水沿いには、保存樹林が結構あって、その中に咲いていたボタンクサギ。  7月4日 AM 6:23

 

7月9日 AM 6:52

 

 

 

同じく、保存樹林に咲くヤマユリ    7月9日 AM 6:46

 

 

旧若葉台小学校近くの歩道、ノウゼンカズラのアーチ  7月4日 AM 6:43

 

      

 

上の写真の場所から100mほど進むと、草木に覆われた廃屋。    7月4日 AM 6:47

 

 

 

何十年も放置されていましたが、最近、管理地の看板が立てられました。

 

 

 

国分寺崖線沿いの、江戸時代から続く、農家の庭に咲くテッポウユリ    8月15日 AM 7:04

 

 

 

若葉台小学校のフェンスから、お辞儀するひまわり。9月17日 AM 7:17

 

 

 

国分寺崖線沿いで。 半分枯れた樹に絡む朝顔  10月6日 AM 7:22

 

散歩道の風景は、もう1回、続けます。

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太宰治展示室 さよならだけが人生だ  三鷹市美術ギャラリー

2023年09月20日 | アート 各分野

三鷹市美術ギャリー8月30日(水)の2件目。

太宰治展示室は初めて見ました。 

 

 

玄関前から見たところ。 右端の太宰治の写真が撮影禁止だったので、ネットから。

 

 

6畳,3畳、4畳半の室内で、6畳の間が撮影OKでした。

井伏鱒二の掛軸があります。  

 

 

障子の奥が縁側で、当時は畑の風景が見えたとか。

 

 

ちょうど企画展示で 

さよならだけが人生だーー太宰治、林芙美子へ、井伏鱒二の言葉

が開催されていました。 チラシ表。

チラシ裏

 

 

面白かったのは、林芙美子と太宰治が描いた絵。(撮影禁止だったので、ネットから)

林 芙美子の自画像です。  いいですね。

太宰の小説「ヴィヨンの妻」の装幀と扉絵も描いている。

林 芙美子 《自画像》  昭和7,8年頃  油彩カンヴァス 325×234 新宿歴史博物館

 

 

こちらは太宰の絵。  こちらもよかった。

太宰 治《水仙》昭和14、5年頃  油彩スケッチボード142×212 津島家寄託

 

この絵を、檀一雄が「小説太宰治」の装幀に使っていました。(展示はありません)

 

以上で展示の説明は終わりなのですが、この当時の文士の肖像を、酒田市の土門拳記念館

訪問時のブログに上げていました。

参考になればと、抜粋して載せてみました。

なお、次回は気になっていた、太宰治の心中事件を取り上げる予定です。

 

 

軽井沢そして東北,アート巡り #12 土門拳記念館「特別展 昭和の目撃者 林忠彦vs土門拳 ー林忠彦生誕100年ー」

 

太宰治の有名な写真、林が撮っていたんだ。  カメラは意識しているのでしょうが、自然な姿の太宰、楽しそうな声が

聞こえてきそうです。  キャプションのコメントが面白いので紹介。

”織田作之助を撮影していると、「俺も撮れよ」と酔っ払い客に頼まれて撮影した。それが、兵隊靴で椅子にあぐらをかく太宰治だった。

戦後の「デカダン」の雰囲気を捉えた、林の代表作。”  (銀座5丁目のバー「ルパン」 昭和21年(1946))

 

その、織田作之助(左の写真)。 上の太宰の写真は、付録で、こちらがメインだった。 織田作之助は肺結核で、撮影後、間もなくして亡くなった。

右の檀一雄、林に”写真なんてどうでもいいじゃないの、それより、飲もう飲もう”と誘いすぐ、酒になったようだ。 いかにも無頼派作家らしい生活状況が

うかがえる写真。 私は、女優・檀ふみの父で、家庭を棄てて別の女性と同棲したことぐらいしか知らなかったが、調べてみると、太宰とも深い交友があった

のですね。 林忠彦もバーでの飲み仲間であり、打ち解けた雰囲気で撮影しています。

 

 

左の田中英光?恥ずかしながら初耳の作家です。 太宰治に師事、心酔していたようで、この写真も、田中から、太宰と同じよ

うにバーで撮影してほしいと頼まれて撮ったもの。 なんと、撮影後まもなく、太宰の墓前で自殺した!

右の坂口安吾の仕事部屋での写真も有名。 で、坂口安吾を調べていると、彼の書いた「安吾巷談 麻薬・自殺・宗教」の中で

自身が覚せい剤ヒロポン(当時は合法だった)や、催眠剤中毒を何度も経験していて、孤独感から自殺を考えたこともあったよ

うだ。その中で、田中英光にもふれ、とんでもない大酒飲みで、同様に催眠剤中毒になっていると書かれている。 催眠剤は

眠るためではなく、早く酔うためだった。  田中の写真を見ると、一見、好青年が楽しそうに軽く飲んでいるように見えるが

実生活は女性とのトラブルもあり、苦悩のさなかだったのだろう。

 

 

 

 

林芙美子

有名な作家ですが、やはり、私は作品を読んだことがなく、「放浪記」などの自伝的小説で流行作家になった・・・というイメージだけでした。

左の土門の作品 東京・下落合 昭和24年 キャプションに”林芙美子の印象を土門は「その目は詩人そのものだった。あどけなく、寛容な光をたたえていた」”

といっていますが、この肖像写真からは、私は逆にふてぶてしさを感じます。

右の林忠彦の作品 東京・新宿 昭和26年頃 キャプション ”「書斎での林さんこそ、作家の厳しさを表現できる」と思い、日暮れまで待ち、室内光と

外光のバランスがとれる瞬間に撮影。「この書斎に通してもらうまでに10年近くもかかりました」”  うーん、苦労の甲斐があって、いい写真です。

 

井伏鱒二、共に書斎での写真。 右の土門作品は昭和26年の撮影、左の林作品は昭和43年の撮影。

井伏作品の「山椒魚」は、教科書?で読んでその情景が浮かんだ記憶がある。

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第31回 林忠彦賞 受賞記念写真展 新田樹「Sakhalin(サハリン)」を観て

2023年09月06日 | アート 写真

第31回 林忠彦賞 受賞記念写真展

新田 樹「Sakhalin(サハリン)」のレビューです。 (8月30日(水)三鷹市美術ギャリー)

 

 

 

 

会場光景

 

まず、金公珠さんから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カメラを構えた作家が写っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

会場光景

次は、李 富子さん

 

 


李 富子さん   ブイコフ(旧内渕)  2014

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木村初子さん

 


 

 

 

いかがでしたでしょうか? 

私は会場で、時間をかけて鑑賞し、かなりの作品を撮影しました。

途中、一人の鑑賞者と、その方に説明している、中年の男性がいて、私は

男性の学芸員の方かと思っていました。 ずいぶん腰の低い学芸員だなーと。

後で、展示冊子の写真を見ると、その方が、作者の新田 樹さんでした。

なるほど、まじめそうで、シャイな感じのする作者ですが、こうした写真の仕事

を成し遂げるのは、こんな人間性を持った方だからかなー・・・と妙に納得した

次第です。

なお、新田 樹さんは、今年度の木村伊兵衛賞も受賞しています。

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映画「658km、陽子の旅」を観て

2023年09月01日 | 音楽・映画

8月30日(水)午前、久し振りに映画鑑賞 「658km、陽子の旅」  テアトル新宿で

午後は写真展 新田 樹「Sakhalin(サハリン)」、太宰治展示室「三鷹の此の小さい家」 いずれも三鷹市美術ギャラリー

午後の鑑賞も良かったので、別途、記事予定です。

 

さて、夕刊の映画評(7月28日)がトリガーとなり、3年振りに映画鑑賞。

ストーリーを映画公式サイトから
ストーリー
東京から青森へ 明日正午が出棺。
父親の葬儀にも、人生にも何もかも間に合っていない―
42歳 独身 青森県弘前市出身。人生を諦めなんとなく過ごしてきた就職氷河期世代のフリーター陽子(菊地凛子)は、
かつて夢への挑戦を反対され20年以上断絶していた父が突然亡くなった知らせを受ける。従兄の茂(竹原ピストル)と
その家族に連れられ、渋々ながら車で弘前へ向かうが、途中のサービスエリアでトラブルを起こした子どもに気を取ら
れた茂一家に置き去りにされてしまう。陽子は弘前に向かうことを逡巡しながらも、所持金がない故にヒッチハイクを
することに。しかし、出棺は明日正午。北上する一夜の旅で出会う人々―毒舌のシングルマザー(黒沢あすか)、人懐
こい女の子(見上愛)、怪しいライター(浜野謙太)、心暖かい夫婦(吉澤健、風吹ジュン)、そして立ちはだかるよ
うに現れる若き日の父の幻(オダギリジョー)により、陽子の止まっていた心は大きく揺れ動いてゆく。冷たい初冬の
東北の風が吹きすさぶ中、はたして陽子は出棺までに実家にたどり着くのか…。

 

菊地凛子の演技に感動!! 演技と分かっていても、その迫真力が凄すぎて、生命ほとばしる

アートを感じました。

恥ずかしいのですが、菊地凛子は初めて知った女優でした。

 

いくつかのシーンから

陽子が、PCの動画を見ながら寝落ちした朝、従兄の茂が、ドアをノックし、陽子がヨロヨロと玄関ドアを開けたシーン。

スマホを前日に落として故障中だったので、突然の来訪となったのだ。

引きこもり生活で、コミュにケーション障害の感がある陽子、ほとんど会話がなく、茫とした後ろ姿の演技。

 

 

 

以下も公式サイトから

夢やぶれて20数年。引きこもり孤立をしていた42歳の陽子は、長年断絶していた
父親の葬儀のために、郷里の青森県弘前市に渋々帰ろうとする。しかし、あろう
ことかヒッチハイクをする羽目に…。孤独に凝り固まる陽子を演じる菊地凛子は、
『バベル』(06)で米アカデミー賞®助演女優賞にノミネートされ、その後も
『パシフィック・リム』シリーズ等ハリウッドをはじめ海外作品に数多く出演す
る日本を代表する国際派女優。本作で初めて日本映画の単独主演を飾り、引きこ
もり生活から外に出て、久しぶりに他人と関わることで長年の自分への後悔を露
わにしてゆく繊細な難役を見事に表現。竹原ピストル、オダギリジョーをはじめ
とする豪華キャストに支えられ、切ないまでの生きる痛みと躊躇い、そして絞り
出す勇気を熊切監督と共に渾身の力で表現している。就職氷河期世代の中年期、
その定まらない人生というだけではない、他人との密な関係を作らず生きること
が当たり前の今、孤独と孤立に凍った心が溶けていく様に、誰もが自らや知人を
思い起こして心を揺さぶられるロードムービーが誕生した。

 

農家の心暖かい夫婦にお礼するシーン

農家の夫婦の奥さん役は、風吹ジュン(昔、黒髪をなびかせたマスコットガールだった

イメージがある・・・)農家のおばさんを好演。

 

 

唯一、合点がいかないのは、陽子の父親役として、幻影として登場するオダギリジョー

     ↓

 

調べていくと、映画Comのインタビュー記事のなかで、いきさつが語られていました。

"菊地凛子「私の原点。好きなのはこういう現場」 熊切和嘉監督&オダギリジョーとの“旅”を語る【「658km、陽子の旅」インタビュー】”から

「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM 2019」脚本部門で審査員特別賞を受賞した室井孝介の脚本を原案に、
熊切監督と妻・熊切智子の共同ペンネームである浪子想が改稿して作り上げたロードムービー。さらに
本作では、原案にはなかったという陽子の父親役として、奇想天外な形でオダギリジョーも登場する。

――オダギリさんのお父さん役はいかがでしたか?

熊切監督:素晴らしかったです。菊地さんもそうですが、本を直しているときから、僕と妻はオダギリ
さんをイメージしていたので。現実感のないというお話がありましたが、僕のなかで、オダギリさんっ
てちょっと儚い印象があったんです。しかも菊地さんのお父さんなので、美しい人であってほしいとい
う。僕のなかでは「弘前のジェームズ・ディーン」と呼ばれていたような人のイメージ。陽子にとって
は自慢のお父さん。非常にうまく体現してくださいました。

オダギリ:弘前のジェームズ・ディーンというのは初めて聞きました(笑)。光栄ですね。

菊地:オダギリさんが来た日に「そういうことか」とすべて理解できました。陽子はお父さんが好きだ
った。だからこそ、お父さんからしたら何気ない一言でも、陽子にとってはすごく悲しかったり、悔し
かったり……。すごく腑に落ちました。

うーん、監督の意図は分かりましたが、「弘前のジェームズ・ディーン」・・・・なすて、じぇーむす・でぃーん?

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東京国立博物館(2023.8.18訪問) 加彩宮女と饕餮文瓿(東洋館)

2023年08月26日 | 博物館レビュー

トーハクの展示品から、好みを紹介します。

アジアギャラリー(東洋館)3階の中国の陶磁のコーナの一部です。

紹介したいのは、左端に小さく写っている(人形)です。

 

 

こちらです。 「中国 墳墓の世界」のコーナから。

 

 

ファッション、斬新!  指たてが気になる。

 

 

 

顔をアップ。 眼の迫力!

この加彩宮女の横に、加彩女子 (中国 奥田誠一旧蔵 唐時代・7~8世紀 個人蔵)が2躯 あり、顔の表情などは

宮女よりも素晴らしかったのですが、個人蔵のためか、撮影禁止で残念でした。

 

 

次は同じく「中国の青銅器」のコーナ

 

 

 

饕餮文瓿は、公式サイトの名品ギャラリーの説明が分かりやすいので引用。↓

殷代には祖先や神々の祭祀のために様々な形と用途を持つ青銅礼器が作られた。
このホウもその一つで,器体は平たい球形で口がすぼまり,蓋が付く。酒などの液体を入れる器である。
細かい雷文の地の上に,獣の顔と前足を思わせる饕餮という文様を浮彫風に正面に大きくあらわし,その
両側にキという獣などを配している。これはホウとしてもかなり大型で,製作も精巧であり,商代後期の
青銅器の典型といってもよい。

 

 

蓋の上の造形は、角をもった蛇がとぐろを巻いた姿らしい。

 

 

胴体中央部のアップ。 カワイイ。

 

コメント (2)
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東京国立博物館(2023.8.18訪問)柵の外と庭園の蓮風景

2023年08月19日 | 風景

東京国立博物館に昨日(2023.8.18)訪問しました。

この日は、JR鶯谷駅から博物館正門へ。

途中、博物館の外壁柵に点々とホームレスの方の荷物が(朝9:47頃)

一番手前はキャリーバッグ数個に詰め込んで露出、奥はブルーシートを

かけて、キチンと結んでいる。 その数、10個ほど。

雨は、樹木でしのいでいるようだ。

誰一人、いないので、炊き出しの食事か、何らかの稼ぎに出かけているのだろう。

 

場所はこのあたり。

昔(ん十年前)、新宿駅近辺で段ボール住まいのホームレスの方を見ましたが、今は寝袋などを

使っているのだろうか。 

気になったので、ネットで調べてみると、

全国のホームレス数 (厚生省のプレスリリースから)
        男    女  不明  合計  差引増▲減
平成 30 年調査  4,607  177  193  4,977  ▲ 557(▲10.1%)
平成 31 年調査  4,253  171  131  4,555  ▲ 422(▲ 8.5%)
令和 2 年調査    3,688  168  136  3,992  ▲ 563(▲ 12.4%)
令和 3 年調査    3,510  197  117  3,824  ▲ 168(▲ 4.2%)
令和 4 年調査      3,187  162   99     3,448  ▲ 376(▲ 9.8%)

ホームレス数が最も多かったのは大阪府(966人)である。次いで多かったのは東
京都(770人)、神奈川県(536人)である。
なお、東京都23区及び指定都市で全国のホームレス数の8割弱を占めている。

数は年々減少しているようです。

ここ、上野公園でも。時々、炊き出しを見かけます。百~二百人ほどのホームレスの方が

並んでいます。 食べる方は何とかなっていても、このところの夜の暑さは大変でしょう。

 

 

さて、トーハク、所蔵品紹介は別途として、この日のイベント(青字は公式サイトから)

トーハク BEER NIGHT!

博物館で乾杯!

8月18日から20日は、真夏の夜のトーハクでプレミアムなビアガーデンをお楽しみいただけます。

バラエティーに富んだ飲食メニューを日替わりでお届けいたします。

古代メキシコ展をやっている平成館の前庭で11時からやっていました。

私は12時少し前に、キッチンカーに並んで、タンドリーチキン&キーマカレーを注文。

生ビール キリン一番搾りも注文しましたが、ビールサーバーが故障中で、高いクラフトビール

は遠慮して、グァバジュースを。

 

 

 

 

 

こちらは、本館の展望テラスから。  11:42

テラスの3人はみんな外国の方。 トーハク入場者の7割は、外国人かなと思いました。

池に蓮が咲いているのを見つけました。 トーハクで初めて見ました。

 

 

ランチ後に、庭園に行って蓮の撮影。 昼の12時15分頃でしたが、まだ一部の蓮は咲いていました。

 

 

蓮華の撮影は生まれて初めてでした。

睡蓮は、撮ったことはあるのですが、なぜか蓮華はなくて。

厳しい暑さでしたが、来てよかった。

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