「特別展 昭和の目撃者 林忠彦vs土門拳 ー林忠彦生誕100年ー」
の展示作品から。 ※写真撮影はノーフラッシュならOKでした。
第1章 昭和の記憶
改めて、両雄のポートレートを。
当時二人は、戦意高揚の国策としての、宣伝報道に携わっていた。
左端 土門拳《土浦海軍航空隊 中島95式水上偵察機》昭和19年 予科練を取材したもの、ここを巣立った少年兵は、戦争末期、特攻隊の中核になった者も多い。
中央 林忠彦《航空兵》 千葉県・松戸飛行場 昭和17年 「婦人公論」昭和17年6月号「国土の守りは固し」に掲載。
右端 同上 《出動》 同上 「婦人公論」昭和17年6月号「国土の守りは固し」に掲載、国防上、雑誌には、撮影地は伏せられた。
婦人たちもすべて、国策に協力させられた。
看護婦の養成所でなぎなたの訓練!
左 土門拳 《若い看護婦》 東京・麻布 昭和13年 内閣情報部編集の国策宣伝を目的とする『写真週報』昭和13年6月8日・第17号の表紙に使用された写真。 銃後の人々の
団結をうたう週刊誌で、土門、林、木村伊兵衛、入江泰吉、小石清らも写真を担当した。
右 林忠彦 《防空女子通信隊員》 昭和17年頃 この頃、防空監視に女性も重大な任務に就いたことを、婦人誌でたびたび特集している。
右の林忠彦《引き揚げ》上野駅 昭和21年 自らもカメラ、写真すべて中国に残して引き揚げてきた林は、東京で仕事を再開した。 「当時の上野は敗戦日本の象徴のような感じがあった」
ムシロの上の母子が傷ましいが、母性の強さも感じさせてくれる。
この写真は、横浜美術館の常設展でも見ましたが、強く伝わるものがあって、傑作だと思います。
銀座の露店を二人が撮ったもの。 左の土門が撮ったのは昭和24年、右の林が撮ったものは昭和21年
二人の写真表現では、土門はコントラストを強調し、林は柔らかな諧調表現に、特徴があると感じました。
昭和22年に開業したストリップ劇場、戦中の抑圧から解放された時代の気分にのって、ストリップ・ショーが大流行した。
風俗小説誌『モダン日本』の取材で撮影。 当時の写真としては、新鮮な感覚だったと思う。
傷痍軍人。 私も幼いとき、九州の小倉で見た記憶があります。
昭和28年頃の職業安定所。(左の2作品) 当時、失業問題が深刻化していた。 右は、授産場でサンタクロースの靴を作る内職の婦人たち。
昭和30年の銀座で。 高度成長期に至る前の昭和の街。
第2章 昭和の貌は次回に。
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