田川市石炭・歴史博物館のブログ

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「炭坑記録画」ってどんな絵? その1

2017年01月30日 | 日記

皆さん、こんにちは。

前回のブログでお知らせしました通り、今回から『ユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)』に登録された、山本作兵衛翁の絵の具体的な内容についてふれていきたいと思います。

ユネスコ世界の記憶に登録された589点の炭坑記録画のうち、306点の墨画【ぼくが・すみが】と279点の水彩画【すいさいが】の合計585点を当館で所蔵しています。

66歳頃から本格的に創作をスタートさせた作兵衛翁。その初期となる1958年から1963年ごろに製作された炭坑記録画は全て『墨画』です。墨画は約21x30cmの子ども用のスケッチブックに墨を使って描かれています。

その後、田川市立図書館長であった故・永末十四雄氏から依頼を受け、画材を提供された作兵衛翁は、1964年から1967年ごろに水彩画の炭坑記録画を制作しました。水彩画は、38x54cm(一部は約25x35cm)の画用紙に、絵具を使って描かれています。

1984年、92歳で亡くなるまでに、作兵衛翁は1000枚を超える水彩画の炭坑記録画を制作したといわれています。その多くは個人や様々な団体に贈呈され、大切にされています。

現存する炭坑記録画のうち、当館所蔵以外のものは、ほとんどが昭和40年代後半以降に描かれた水彩画です。
炭坑記録画のモチーフ(画題)も、一部を場合を除き、墨画を原型として水彩画で再構成したものがほとんどです。

当館所蔵の「ユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)』に登録された炭坑記録画の特徴としては、

1)水彩画の原型となった『墨画』を一括して所蔵している点。
2)1000枚以上が製作された『水彩画』の中では初期の作品群であり、かつ、そのモチーフのほぼ全てを収集しているという点。

などが挙げられます。

これらの炭坑記録画は、『筑豊炭田の記録』と『美術的な観点』のふたつの視点から研究されています。

◆585枚の炭坑記録画のモチーフを分類すると、次の表のようになります。

※表の中の炭坑用語について説明します。(金子雨石著:「筑豊炭坑ことば」を参考にしています。)

【炭坑内外の労働】
シバハグリ:開坑工事。
狸掘り:もともとタヌキの巣穴のように、なんとか出入りできる位の粗末な穴を掘って石炭を運び出したもの。後に設備の整わない小炭坑を指すようにもなりました。
仕繰り(しくり):坑内の坑道や採炭現場などの設備を修繕すること。
棹取(さおどり):炭車を運搬する係。
ケントリ:間取り。請負による坑内工事箇所の事後検査。
捲場(まきば):巻上機の設置場所。
ナンバ:漢字で「南蛮」。人力や馬で動かす簡易な巻上装置。 
カマ:蒸気ボイラーのこと。
函待ち:掘った石炭を運び出すために空の炭車を待つこと。炭車不足や事故などで半日以上待つこともあった。
重圧:坑道にかかる岩盤の圧力。落盤の危険がある状態。
坑内火番:消えたカンテラや安全灯の再点火、手入れを行う坑内の詰所。
坑内の鉄管:坑内には蒸気の吸排気管や排水管が張り巡らされていました。
勘引(かんびき):掘った石炭には岩屑が混じっているので、一定の割合ではかり目が差し引かれました。

【ヤマの暮らし】
大納屋:炭坑主から仕事を請け負った頭領が、雇った独身男性坑夫をまとめて住まわせる住宅。
炭住:炭坑住宅の略称。長屋形式が多い。
取締:坑外で、坑夫とその家族の生活全般の管理を担い、入坑や他の炭坑への無断移動などを監視する労務係がいました。労務係は取締り、人事係とも呼ばれました。
売勘場(うりかんば):坑内売店のこと。炭坑の初期、賃金は現金でなく会社の私製切符で支払われ、月に一回決まった日に現金に交換できました。この切符は原則的にこの売勘場でしか通用しません。
ハガマ坑夫:底が丸いので、不安定で落ち着かない飯炊き用の刃釜のように、一カ所の炭坑に落ち着かない坑夫。
ウサギ坑夫:坂を登るのは得意だが下るのは苦手なウサギのように、入坑が遅く作業をロクにしないで早めに昇坑する怠けものの坑夫のこと。

面白い表現もありますね。

次回のブログでは、上記のふたつの視点から、絵のモチーフについて迫ってみたいと思います。

【重要なお知らせ】
田川市石炭・歴史博物館本館の再オープンについて


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Detailed Contents of Sakubei Paintings (1)

2017年01月30日 | ENGLISH

We are going to introduce the detailed contents of Sakubei paintings in the Sakubei Yamamoto Collection, UNESCO Memory of the World, from this time as we told you before.

Among the Sakubei Yamamoto’s 589 pictorial records of coal mines, which were registered as Memory of the World in 2011, our museum holds 306 black and white ink and 279 water color paintings.

Sakubei started his full-dress creative activity when he was around 66. His early pictorial records of coal mines produced around 1958 to 1963 are solely drawn in ink in sketch books approximately 21 by 30 cm. 

He produced pictorial records of coal mines in water colors later around 1964 to 1967 by request of late Toshio Nagasue who was a former director at the Tagawa City and supplied Sakubei with drawing materials. These water colr paintings are drawn on drawing paper approximately 38 by 54 cm (partly approximately 25 by 35 cm).

Sakubei reportedly produced more than 1,000 pictorial records in water colors until he died in 1984 at age 92. They were given to many bodies and individuals including us and are treasured.

Most of his pictorial records other than those held by our museum are water colors produced after 1970.

His pictorial records of coal mines in water colors are almost reproductions of those in ink and their subjects are nearly the same as those of the ink paintings except for a small part.

The characteristics of the pictorial records as Memory of the World are: (1) the black and white ink paintings as prototypes of the water color paintings are held in block; (2) the water color paintings are early works among those known to the society as well as include almost all subjects.

By classification, the subjects of registered 585 items of pictorial records are as shown in the list below.



Sakubei’s works are referred from the viewpoints of records of Chikuho Coalfield and art. We will introduce you them, hereafter, according to both of the above aspects. 

日本語訳はコチラから


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煤矿记录画,是什么内容? 其一

2017年01月30日 | 中文(简化字)

大家好!

如前一期博客所约定的,我们将从这一期博客开始,向您介绍被『联合国教科文组织世界的记忆(世界记忆遗产)』登录的山本作兵卫氏的煤矿记录画的具体内容。

被记载于联合国教科文组织世界的记忆登录的589幅煤矿记录画中,有水墨画306幅以及水彩画279幅,合计585幅,是由当馆收藏的。

以66岁的年龄正式开始绘画创作的作兵卫氏,于初期的1958年至1963年前后,制作的煤矿记录画,全部都是水墨画,画在儿童练习时使用的约21x30cm的素描本上。

之后,受到当时田川市立图书馆馆长、已故永末十四雄氏的委托并提供题材,作兵卫氏自1964年至1967年前后创作的煤矿记录画,皆为水彩画,使用正规绘画工具,画在38x54cm(一部分约为25x35cm)的绘画用纸上。

1984年,至92岁高龄辞世为止,作兵卫氏创作的水彩煤矿记录画,达1000幅以上。其中的大多数由个人及诸团体捐赠,被保存或者展示。

现存的记录画,除了当馆所收藏的以外,基本上是昭和40年代之后描绘的水彩画。

水彩画的画题,除一小部分之外,大部分都是将水墨画的画题以水彩画的形式再构成。

关于当博物馆所收藏的被「联合国教科文组织世界的记忆(世界记忆遗产)」登录的煤矿记录画之特征,可以举出:

1)水彩画与其原型的水墨画总括收藏。
2)属于1000幅以上水彩画之中的初期作品群,并且,几乎包括了记录画的所有画题。

等等。



这些记录画,被从『筑丰炭田(煤田)的记录』和『美术的观点』两方面的视点进行研究。

日本語訳はコチラから


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煤礦記錄畫,是甚麼內容? 其一

2017年01月30日 | 中文(繁體字)

大家好!

如前一期網誌所約定的,我們將從這一期的網誌開始,向您介紹被『聯合國教科文組織世界的記憶(世界記憶遺產)』登錄的山本作兵衛氏的煤礦記錄畫的具體內容。

被記載於聯合國教科文組織的記憶登錄簿的589幅煤礦記錄畫中,有水墨畫306幅以及水彩畫279幅,合計585幅,是由當博物館收藏的。

以66歲的年齡正式開始繪畫創作的作兵衛氏,於初期的1958年至1963年前後,製作的煤礦記錄畫,全部都是水墨畫,畫在兒童練習時使用的約21x30cm的素描本上。

之後,受到當時田川市圖書館館長,已故永末十四雄氏的委託並提供題材,自1964年至1967年前後創作的煤礦記錄畫,皆為水彩畫,使用正規繪畫工具,畫在38x54cm(一部分約為25x35cm)的繪畫用紙(肯特紙)上。

1984年,至92歲高齡辭世為止,作兵衛氏創作的水彩煤礦記錄畫,達1000幅以上。其中的大多數由個人及諸團體捐贈,被保存或者展示。

現存的記錄畫,除一小部分之外,大部分都是將水墨畫的畫題以水彩畫的形式再現。

關於當博物館所收藏的被「聯合國教科文組織世界的記憶(世界記憶遺產)」登錄的煤礦記錄畫之特徵,可以舉出:

1)水彩畫與其原型的水墨畫總括收藏。
2)屬於1000幅以上水彩畫之中的初期作品群,並且,幾乎包括了記錄畫的所有畫題。

等等。



這些記錄畫,被從『築豐炭田(煤田)的記錄』和『美術的觀點』兩方面的視點進行研究。

日本語訳はコチラから


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