皆さん、こんにちは。
前回のブログでお知らせしました通り、今回から『ユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)』に登録された、山本作兵衛翁の絵の具体的な内容についてふれていきたいと思います。
ユネスコ世界の記憶に登録された589点の炭坑記録画のうち、306点の墨画【ぼくが・すみが】と279点の水彩画【すいさいが】の合計585点を当館で所蔵しています。
66歳頃から本格的に創作をスタートさせた作兵衛翁。その初期となる1958年から1963年ごろに製作された炭坑記録画は全て『墨画』です。墨画は約21x30cmの子ども用のスケッチブックに墨を使って描かれています。
その後、田川市立図書館長であった故・永末十四雄氏から依頼を受け、画材を提供された作兵衛翁は、1964年から1967年ごろに水彩画の炭坑記録画を制作しました。水彩画は、38x54cm(一部は約25x35cm)の画用紙に、絵具を使って描かれています。
1984年、92歳で亡くなるまでに、作兵衛翁は1000枚を超える水彩画の炭坑記録画を制作したといわれています。その多くは個人や様々な団体に贈呈され、大切にされています。
現存する炭坑記録画のうち、当館所蔵以外のものは、ほとんどが昭和40年代後半以降に描かれた水彩画です。
炭坑記録画のモチーフ(画題)も、一部を場合を除き、墨画を原型として水彩画で再構成したものがほとんどです。
当館所蔵の「ユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)』に登録された炭坑記録画の特徴としては、
1)水彩画の原型となった『墨画』を一括して所蔵している点。
2)1000枚以上が製作された『水彩画』の中では初期の作品群であり、かつ、そのモチーフのほぼ全てを収集しているという点。
などが挙げられます。
これらの炭坑記録画は、『筑豊炭田の記録』と『美術的な観点』のふたつの視点から研究されています。
◆585枚の炭坑記録画のモチーフを分類すると、次の表のようになります。
※表の中の炭坑用語について説明します。(金子雨石著:「筑豊炭坑ことば」を参考にしています。)
【炭坑内外の労働】
シバハグリ:開坑工事。
狸掘り:もともとタヌキの巣穴のように、なんとか出入りできる位の粗末な穴を掘って石炭を運び出したもの。後に設備の整わない小炭坑を指すようにもなりました。
仕繰り(しくり):坑内の坑道や採炭現場などの設備を修繕すること。
棹取(さおどり):炭車を運搬する係。
ケントリ:間取り。請負による坑内工事箇所の事後検査。
捲場(まきば):巻上機の設置場所。
ナンバ:漢字で「南蛮」。人力や馬で動かす簡易な巻上装置。
カマ:蒸気ボイラーのこと。
函待ち:掘った石炭を運び出すために空の炭車を待つこと。炭車不足や事故などで半日以上待つこともあった。
重圧:坑道にかかる岩盤の圧力。落盤の危険がある状態。
坑内火番:消えたカンテラや安全灯の再点火、手入れを行う坑内の詰所。
坑内の鉄管:坑内には蒸気の吸排気管や排水管が張り巡らされていました。
勘引(かんびき):掘った石炭には岩屑が混じっているので、一定の割合ではかり目が差し引かれました。
【ヤマの暮らし】
大納屋:炭坑主から仕事を請け負った頭領が、雇った独身男性坑夫をまとめて住まわせる住宅。
炭住:炭坑住宅の略称。長屋形式が多い。
取締:坑外で、坑夫とその家族の生活全般の管理を担い、入坑や他の炭坑への無断移動などを監視する労務係がいました。労務係は取締り、人事係とも呼ばれました。
売勘場(うりかんば):坑内売店のこと。炭坑の初期、賃金は現金でなく会社の私製切符で支払われ、月に一回決まった日に現金に交換できました。この切符は原則的にこの売勘場でしか通用しません。
ハガマ坑夫:底が丸いので、不安定で落ち着かない飯炊き用の刃釜のように、一カ所の炭坑に落ち着かない坑夫。
ウサギ坑夫:坂を登るのは得意だが下るのは苦手なウサギのように、入坑が遅く作業をロクにしないで早めに昇坑する怠けものの坑夫のこと。
面白い表現もありますね。
次回のブログでは、上記のふたつの視点から、絵のモチーフについて迫ってみたいと思います。
【重要なお知らせ】
田川市石炭・歴史博物館本館の再オープンについて