田川市石炭・歴史博物館のブログ

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朝の連続ドラマ

2015年11月17日 | 日記

こんにちは!

今日の田川市は生憎の雨模様なのですが、朝から沢山のご来館をいただいております♪
特に秋の行楽シーズンでもあり、団体バスツアーのお客様がとっても多いです。

もちろんツアーの第一の目的は山本作兵衛翁の炭坑記録画原画展なのですが、昨年から今年は、NHKの朝の連続ドラマで筑豊エリア、特に現在の飯塚市が舞台になっており、昨年の「花子とアン」での伊藤伝右衛門、今年の「あさが来た」での広岡浅子を観て興味を持たれた方も多いようです。


ということで、昨日の休館日に、博物館スタッフ2名にて、自転車で飯塚市内を散策してまいりました♪

まずは、あさが来たのモデルになった広岡浅子がピストルを持って乗り込んで経営を立て直したという潤野炭鉱ゆかりの地。
潤野炭鉱は、現在の嘉穂高校の辺りにあったと言われています。
広岡浅子から経営が官営八幡製鉄所に移り、その後日鐵の設立と共に移管され、後に日鐵二瀬炭鉱になります。

飯塚のイオン穂波店さんのヨコには、当時の日鐵二瀬炭鉱の正門が残っています。



また嘉穂高校近くには、二瀬炭鉱で明治時代に発生した事故の慰霊碑がひっそりと残っています。



地元の方が今でも清掃されており、綺麗に保存されておりました。

続いては、伊藤伝右衛門が経営していた牟田炭鉱。
実は潤野炭鉱のすぐそばにあったそうです。





現在遺されているのは、坑口と思われるレンガ造りの遺構と、巻上げ機の台座と思われる物だけが苔生しておりました。

その後、昭和6年に開館した嘉穂劇場を横目に、山本作兵衛翁の記録画にも登場する笠松峠を自転車でヒーコラ越えまして、旧庄内町へ。



山本作兵衛翁が家族と一緒に炭坑生活に入った上三緒炭鉱で、ガス爆発事故を未然に防ぐために、ガス予知のために持ち込まれ命を落とした小鳥たちを供養する小鳥塚をお参り。



筑豊富士とも呼ばれる、住友忠隈炭鉱の三連ボタ山を横目に、三菱飯塚炭鉱の巻上げ機台座を回ってきました。





日本では近代の遺構はまだまだ整備されていないため、観光資源として地域振興に繋がっていないのが残念ですが、明治日本の産業革命を支えた筑豊地区には、沢山の素晴らしいモノが眠っています。

当館にも、当時の息吹きを感じられるものが沢山展示してありますので、朝ドラで興味を持たれた皆さん、ぜひ遊びにきてくださいね!

田川市石炭・歴史博物館ホームページ

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