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言語聴覚士の独り言

目の見えない白鳥さんとアートを見に行く

息子と何となく立ち寄った喫茶店で何となく目に留まり、気になって買った本です
本が気になったというより、洒落た喫茶店で本を買う行為がしたかったのかもしれません。

読んでみると非常に面白く、人間の本質に迫り、アートの素晴らしさに寄り添っています。

盲目の白鳥さんとアートを見る方法は連合いが言葉で伝えます。

言葉で伝える事で普通に鑑賞している時は見えていなかったモノが見えるようになる。

そんな体験が入り口で、何故白鳥さんとアートを鑑賞するのか

それは単に白鳥さんと一緒に時間を過ごしたいだけであった。

“わたしはただの人間だ。わたしは自分の毎日を生きることに必死で、東京の小さなマンションに住む自分をデフォルトにして周囲を眺めることしかできない。
唯一できることは、自分がいま見ていないその場所に77億人の命があり、それぞれ与えられた時を生きていることを絶えず想像することだ。わたしはすぐにそれを忘れてしまうから、多少の努力を伴う。努力と言うと、汗臭いけど、本を読み、旅をし、美術作品を見て、隣にいる人と話すこともその一つだ。そこで得たわずかばかりの知識と想像力を駆使し、ステレオタイプなものの見方や「人間はそういう生き物だから、しょうがない」と言う無力感と決別していく。知らないものに慄いたり、壁を作るのではなく、あるがままの存在に手を伸ばす。
そうして今起こっている現実を知ったうえで、目の前に不愉快な差別や優性思想の芽、耐え難い非道が目の前に現れた時、千手観音が無数の道具や武器で世界を救うように、私も非力ながら声を上げそれらをぶっ叩いていく人でありたい。世界の複雑さや自分の無力さを盾にしながら、ただぼーっと中立でいる事はもはやできない。”

“幸せを感じたその時間を、その先も信じていけるのかー。
人生は、荒野だ。
輝く満月が闇を照らしてくれる日もあれば、放置自転車とか路上に溜まった泥水とかに足をすくわれ、びしょ濡れになって石ころを蹴飛ばしたくなる日もある。幸せの絶頂にいるときは、ライフ・イズ・ワンダフル!なんて思うわけだけど、ワンダフルって大体長く続かない。後に残った現実はうんざりすることの連続で、特にドアをバンと閉めきって、毛布をかぶって寝てしまいたくなる。それでもー。それでもわたしは、この先もドアを開け、路上に出るだろう。そして、足元に広がる泥水を見つめ、そこから幸せな記憶を拾い出し、いま手にしているものは、路上の石ころなんかじゃないと信じるだろう。人は「時」と言うものに抗うことはできないけれど「時」を宝物にすることができるから。”

本の中には素晴らしい美しい言葉が沢山でできます。

大切な友人にプレゼントしようと思います。

ぜひ読んでみてください。

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