言語聴覚士の独り言

言語聴覚士の日記

吃音の世界

2024-02-28 23:14:00 | 
私は言語聴覚士としてリハビリを提供しています。

吃音の知見を広げるために購読しました。

この本は吃音の当事者で医師の菊池良和さんが書かれています。

[吃音者数、年齢分布]
・人口の約1%、現在では約120万人


※成人でも一定数おり、受験や就職で困り顕在化する人も少なくない


[吃音の症状]
・連発:ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは
・伸発:ぼーーーくは
・難発:…………ぼくは
※すべの言葉で症状が出るわけではない。環境、話す場面、話す言葉、話す相手など様々な条件によってありようは異なる
※身体運動や言い換えにより吃音症状を隠している当事者が多い(本当に言いたいことを、言いたいタイミングで言えていない)

[吃音の原因(誤り)]
・吃音者の真似をすることにより発症説
・左利き矯正説
・診断起因説(吃音と気付いたら本当に吃音になる)
・母親起因説(厳しいしつけ、愛情不足)
※これら全ては科学的根拠にもとずき否定されています

[吃音の原因]
・生まれ持った体質(DNA)
・急激な言語発達の副産物

[吃音の治療]



※幼少期から“吃音”という言葉を使うことは大切
→親の誤った原因論を修正、子どもも原因が分かり安心。また孤独を防ぎ一緒に対応策を考えることができる

※カミングアウトを行い周りの人からの揶揄いを予防、自己の話したらダメと思う気持ちを破る。周囲に吃音を理解している聞き手に
なってもらう

[適切なコミュニケーション]
・話している最中は邪魔することなく聞く
・話し終えたときに内容にきちんと反応する
※言葉の先取りや「ゆっくりでいい、深呼吸して」などの助言は良かれと思っていても不要


最近でも吃音者の自殺(吃音により社交不安障害)があるなど、まだまだ正しい吃音の情報は知れ渡っておらず苦しんでいる方は大勢おられます。

私は言語聴覚士として少しでも力になりたいと思い、もっと勉強すると同時に当事者と関わっていきます。


異常なし=健康ではない

2024-02-24 15:46:00 | 日記
私は訪問してリハビリを提供する仕事をしています。

先日、咽頭癌や心不全など沢山の既往歴がある89歳男性、独居のAさんの所へ伺いました。

その方は原因が分からない頭痛や吐き気、めまいに悩まされていました。

先日は大学病院の定期受診の後だったので、医師に診てもらいどのような診察だったか聞いてみました。

利用者「医者は異常なしやと言いました」

私 「異常がなくて良かった」

利用者 「でもな、異常なしと健康は違うやろ」

私はハッとしました。

大きな病気が見つからなかった点においては良かったかもしれません。

しかし、体調が優れない原因は分からず、苦しさや不安は解決していません。

検査結果には現れない症状は継続しています。

検査で異常がなく、慢性的に続く頭痛や吐き気、眩暈などの症状は自律神経や心理面が影響しているかもしれません。

その方は最近よく鍋を焦がしたり、自宅での転倒、デイサービスでのトラブルなどがあります。

一人暮らしの中、身体機能、認知機能の低下が進行していく。

測り知れない不安があるでしょう。

健康とは検査で異常がない状態ではなく、

“心理的安心”が担保されている状態であると再認識できました。

反対に言えば少々身体に問題があっても、心理的に安定していれば穏やかに過ごせるケースも少なくありません。

今回はもちろん医師は悪くなく、家族やケアマネジャー、ヘルパー、デイサービススタッフなどAさんに関わる全ての人でAさんの不安をいかに軽減できるかを話し合う必要性を感じました。

現代は数字など根拠を大切にする風潮があり、検査異常なし=問題なし(健康)と考えてしまう傾向があります。

しかし、この0か100かの思考は非常に怖いと思います。

何事も一つの視点だけで判断するのではなく、多面的にみる事が大切だと改めて学ぶことができました。

雛人形と多様性

2024-02-20 23:40:00 | 日記
昨日、6歳の息子の参観に保育園へ行ってきました。

内容は工作でした。

雛人形を風船の張子で作成していました。

風船に白色の和紙を貼り、その上に折り紙を貼って、女雛と男雛を作っていきます。

その時に先生が言いました。

「肌色の折り紙を‥。すみません。今は肌色と言ったらダメでした。今はペールオレンジですね」

いわゆる肌色は日本人の肌の色なので、グローバルスタンダードではないという意味のようです。

次に男雛と女雛の着物の折り紙を選ぶ声かけの際は

「男の人っぽい黒や青色と女の人っぽいピンクや赤色を1枚ずつ選びましょう‥。すみません。これもいけませんね。何色でもいいので違う色を1枚ずつ選んでください」

これはジェンダーの固定概念を決めつけているとして現代は誤りとされています。

このやりとりを見て、私は最近の子どもは多様性を受け入れる教育を受けているのだと感心しました。

しかし、それと同時に2つの違和感を感じました。

1つ目はみんな同じ制服を着て、同じ物を製作している事と、人種や性差など多様性を学ぶことの矛盾です。

2つ目は雛人形自体が結婚式の意味合いもあり、結婚=女性の幸せ を助長してしまわないだろうか。という考えです。

言葉や上辺の多様性教育だけではなく(保育園の教育を否定しているわけではありません)、例えば制服をなくし、能力に合わせて飛び級を認めるなど、現代に合わせ構造自体を変えて多様性を認める社会に変える時期がきていると思います。

ひな祭りが始まった時代の価値観と今の価値観は当然変わっています。

従って、今の価値観に合わせて伝統文化をみてしまうと合わない点が出てくるのは当然です。

だからといって伝統文化を辞めたり排除するのはおかしいと思います。

また、外国人の人形や同性の人形など多様性を受け入れた雛人形に変えるのも違和感が拭えません。

これは差別をしているわけではなく、今の雛人形が本当に美しいからなくなったり、変化して欲しくない気持ちが強いです。

多様性を認め合う社会となっても雛人形はこのままの形で

「女の子の幸せを望む」という素晴らしい行事で、昔は結婚することが幸せと思っていた時代もあった。だからこのような人形なのだと受け継いでいくのが私は望ましいです。

昔が間違いで今が正解でもなく、時代により価値観が変わることも含めて学びだと思います。

我が家は娘もいるので雛人形をリビングに飾りひな祭りを楽しんでいます♪


キャパを広げる方法

2024-02-17 15:08:00 | 自転車
先日、6歳の息子とサイクリングに行ってきました。

走行距離は21km

公道を走る経験はまだ数えるほどしかありません。

また、歩道橋や地下通路では自転車を押して進む必要があります。(自転車を押すことは子どもにとって乗ることよりしんどいです)

海辺を目指して、クレープを目標に。

少しベソをかきそうになりましたが、海辺に到着して少し走っていると

「自転車はやっぱり楽しい!」と笑顔で言っていました。

そしてクレープを食べ、無事に家に帰りました。お風呂に入り寝る時に息子を触ると顔が熱いではありませんか。

熱を計ると38度の発熱です。

風邪症状はなく次の日には下がっていたので、発熱の原因は疲労だと考えられます。

熱が出るほど頑張ったという事です。

幸い体調を崩すことなく経過したのでよかったです。

頑張ったおかげでクレープ、素晴らしい景色と公道を走る経験と自信を得る事ができました。

結果として息子のキャパは広がったと思います。

それに触発されて、この前の土曜日に単独でサイクリングに行きました。

今までに2番目に長い(1番じゃないんかいっ!)125kmを走りました。

50km地点から右膝に痛みが出て、最後の方は激痛でした。

海沿いのコースで激向風の中、途中止まってストレッチを繰り返しながら、帰るしかないので車を停めている所まで必死に漕ぎました。

頑張ったおかげで得たものは絶景と少しの自信とフォームの課題の発見(膝の痛みの原因はフォームの悪さだと思われる)です。

息子ほどではありませんがキャパが広がったと思います。

2人の共通点からキャパを広げる方法を分析すると

・無理に近いほど頑張ってやり切る。

・頑張るには原動力がいる。

この2点に集約されます。

息子の原動力は自転車が楽しい気持ちとクレープでした。

私は自転車の楽しみと絶景です。




無理は禁物ですが、頑張る原動力が明確にある時は根性を入れて頑張ればキャパは広がります。

反対に頑張らずしてキャパは広がらないとも言えます。

キャパを広げる必要はないですが、広げたいときは頑張りの大きさとスピードは比例すると感じました。

ブラック企業のような外発的な頑張りではなく、成長を希望する時は内発的な原動力から頑張るしかないと改めて感じました。



アイネクライネナハトムジーク

2024-02-15 19:51:00 | 映画
伊坂幸太郎の小説を原作とした映画です。

映画紹介ではラブストーリーと書いてありますが、単純な恋愛ドラマではなく、出会いや時の積み重ねなど意味深い要素が点在しています。

1つの出会いからドラマが始まり、時間の流れにより混ざり合い結果は受け止め方次第である。

決して大きくない些細な出来事が積み重ねられ人生に影響を及ぼす。

そして、大切な人の事はどんなに近くにいても理解することは難しい。
だからこそ人生は素敵なのだ。

抽象的過ぎて申し訳ありませんが、このような事を学べる映画でした。


「どのような出会いかより、後に出会った人がこの人で良かったと思えることが大切」

映画の中に出てきた印象的な言葉です。


ちなみにアイネ・クライネ・ナハトムジーク」はドイツ語で「ひとつの・小さな・夜の音楽」という意味です。

この映画は斉藤和義さんが音楽を担当されており、出会いは駅前の弾き語りに何気なく耳を傾ける場面から始まります。

興味を持たれた方は観てみてください。