言語聴覚士の独り言

言語聴覚士の日記

北海道トリップ2024

2024-07-31 21:18:00 | 旅行
キャンプ


サイクリング



カヌー


釣り





湿原散策





今年も道東に行ってきました。

自然の中に身を置くと人も自分も自然の一部である事に実感が湧きます。

魚を釣って食べました。

熊さんに食べられないように熊スプレーを腰に付けながら。

農業を営む人。昆布を干す人。

私たちが当たり前にいただいている食物は命をいただき、人の多大な労力がかかっています。

生かされていることに感謝です。

今年も心の洗濯ができました😊








能動的に受容的な情報を取りにいく

2024-07-22 21:52:00 | 日記
最近、インターネットネイチャーの若者が詐欺の被害にあっているとニュースでやっていました。

インターネットは能動的に情報を取りに行きます。

例えば、ダイエットをしたい人なら、どうすれば効率的に痩せられるか検索します。

すると飲むだけで痩せる事ができる高額な薬に出会い詐欺にあいます。

今詐欺が流行っている情報が入ってきていないのでまさか自分が詐欺にあうとは思ってもいません。

能動的な情報収集は深堀はできますが、知識の広がりを生むことはありません。

広がりや成長が起きる時は受動的に情報を得た時です。

例えば友人が注文した料理を騙されたと思って食べてみてと言われた時。

普段オーダーしない料理を受動的に食べることにより料理の世界が広がります。

受動的に情報収集する方法は2つあります。

1つ目は人と会うこと。

他者から自ら望んでいない情報を得た時に知識や興味の広がりが生まれます。

2つ目はテレビを見ること。

テレビは見ている側のことを考えずに情報が流れてきます。

たとえ見たい番組でも大枠は能動的ですが、流れてくる情報は受動的といえます。

ニュースでもインターネットでは自分好みにカスタマイズされます。

テレビはそうではありません。

人と会ったり、テレビで見た知識や興味をインターネットで深掘りする。

これが受動と能動のバランスの取れた状態ではないでしょうか。

自分で考えて能動的に動くことが良いように思われる風潮がありますが

たかだか自分はしれており、受動的に情報を浴びて新たな自分に出会うことも大切だと思います。

能動的に受容的な情報を取りにいく。

こんな感じでしょうか。

ビニールプール×〇〇

2024-07-08 22:56:00 | 日記
暑い。
と言っても仕方がない。
反対に考えてみる。
暑い時にやりたい事は?

かき氷
プール

暑い時にやりたくない事は?

かき氷とプール以外…。

やりたくないけれど、やらなくてはならない事は。

草抜き。洗車。

ん〜!

閃きました。

結論、酷暑に草抜きや洗車を楽しくやる方法がわかりました。

方法

①ビニールプールに水を入れる
②プールで子どもたちと遊ぶ
③草抜きをする
 プールで子どもたちと遊ぶ
⑤洗車をする
 プールで子どもたちと遊ぶ

この方法を使えば汗だくになろうが、濡れようがおかまいなしです。

もちろん、かき氷、ビールを間に挟みます。

今回はプールをやっている時に思いついた偶然の産物のアイディアです。

この方法を子どもがいなくてもやろうと本気で思います。

焦げるような暑さの日に自宅でビニールのプールに入りながらボーっとする。

これは海に行くこととは異なる至福があります。

例えるなら海が高級なTシャツなら
ビニールプールは10年以上着古したガーゼみたいになったTシャツ。

例えるならハワイにまで行って、ホテルでトランプをやっている感覚。

子どもたちも手のひらがクラゲになるまで遊びます。

多量の水は野菜の水やりに再利用します。

それも合わせて片付けが少し大変なことが玉に瑕です。

草抜きや洗車など屋外の作業が手につかない人はぜひこの方法がオススメです😄

冒頭の写真はプールをやりながら藍染もやってみました。

これもプールと相性がいいですよ〜



ランドルト環

2024-06-29 08:42:00 | 日記
子どもは初対面で仲良くなります。

大人は家族であれ仲良くできない時がある。

先日、妻の祖母が急に亡くなりました。

私は妻側の家族関係はよくわかりませんが、親子でもう何十年も会っていない人が、この機に会うかもしれないとのこと。

私の子どもたちと妻の従兄弟の子どもたちが同世代です。

子どもたちはものの数分で仲良くなり、通夜式の翌日の葬式の段階ではもう友達です。

なぜこれまで大人と子どもに差があるのでしょうか?

子どもの頃はあの子歳背格好が似ている、同じおもちゃを持っているなど共通点を見つけ仲良くなります。

大人はあの時の行動や言葉が許せない、私とは合わないと欠点やマイナス点を見てしまいます。

例えるならランドルト環(視力検査の→C)で、大人は視力検査同様に欠けている部分に目が向きます。

子どもは残っている部分を見ます。
そして、向きや大小に差異はあるが同じ形であることに気が付きます。

欠けている部分を見ることと、欠けていない部分を見ることはどちらが難しいでしょうか。

子どもの頃はできていたのに何故できなくなってしまったのでしょうか。

競争を促す教育、殺伐とした社会など理由は様々ありますが答えを考えても意味はなさそうです。

では子どもはなぜできるのかを考えてみます。

子どもは人の嫌な側面をみた経験が少なく純粋であるから。

これも答えの一つかもしれませんが、答えがこれだけなら大人は二度とできないことになってしまいます。

私はもう一つ答えがあると思います。

それは現在を楽しむためです。

お葬式といった楽しいとは言えない雰囲気でも、大人がかまってくれなくても、目の前の仲間と遊べば楽しくなります。

今が楽しくない原因は自分にあり、ランドルト環の欠けている部分に目が向いているのかもしれません。

子どもを見習い世の中の欠けていない部分に注目して今を少しでも明るくみたいです😊



時間の可逆的錯覚

2024-06-23 18:38:00 | 日記
車1台ではしっていると、景色が流れ進んでいるのがよく分かります。

2台で並走すると、進んでいるはずが、まるで停まっているかのように錯覚します。

卒業して20年。

同級生に再会しました。

圧縮していた4年間が溶け出し、まるで宝石のような時間でした。

別々に歩み出したはずが、知らない間に並走していたようです。

20年前のままとまって感じました。

こんなに楽しいのなら次は2年後に集まろう!

仲間が並走してくれているとわかったので、また2年間、前に進めそうです。