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ジャズの歴史⑩”70年代、フュージョンの席捲”

2006-02-04 23:09:48 | ジャズの歴史
はいジャズの歴史の続きです。

前回前々回と60年代のフリーとモードの流れを書いたんだよね。それからだいぶ間が空いたのは、70年代から先は正直何を書いたらいいかわかんなくて、めんどくさいから後回しにしてたんだ。
っていうのはね、モード、フリーを最後に、ジャズ独自での発展とか発達といったものは行き着くところに行き着いてしまって、あとは他の音楽のエモーションの導入や題材の拡大といったところに要旨がいってしまったんだよね。あとジャズの演奏者がアメリカ人だけでなく、他の多くの国々に拡散していったというのも大きい。
結果ジャズ本来のアフリカを源流とする黒人の持っていたリズム感と西洋音楽の融合による、ジャズの本質である「スイング」感は薄れていって、各ミュージシャンの興味によって限りなく拡散を続けていくことになった。
技法の導入はあったよ。以前にも他の音楽から「技法を導入」することはジャズでは当たり前のようにあった。だけど、「違うエモーションで演奏する」っていうのは、60年代末までは比較的少なかったように思うんだよね。あったとしても、それがシーンの中核を占めることはなかった。
「ジャズってなに?」っていう問い。この問いに、どんどんどんどん答えが見つからなくなっていくのが70年代から先のジャズシーンなんだ。
何を書いたらいいのか判らないし、どこからどこまでをジャズとして採りあげたらいいのかも分からない。
とりあえず起こったことを取り留めなく箇条書きで書いていくことにする。

70年代にジャズシーンの主流になるのは「フュージョン」ね。
60年代から始まった新主流派の流れから最初に脱する試みをしたのはやはりこの人、Miles Davis(マイルス・デイヴィス、tp)、って、またかよ(笑)。
何をやったかというと色々あるんだけど、まずリズム。ポリリズムを大幅に採用したことね。
複数のリズムが同時に鳴っていることをポリリズムというんだけど、ロックビートやファンク、さらにはブードゥーやなんかの宗教音楽のリズムまで取り入れて、それらを複合的に鳴らした上に自身のトランペットを乗せていく。
そしてエレキサウンドの採用。オルガン、エレキギターなどから始まって、さらにシンセ、エレクトリックピアノ、またトランペットにもペダルによるワウを用いるようになっていく。
これには、スタンドプレイ的な領域を脱してグループとして一体となった表現をさらに推し進めていくということがコンセプトとしてあったようね。
これによって以降のMilesの音楽はメロディにかかる比重が少なくなっていき、リズムと音色を前面に出してプレイするようになっていく。
他の音楽のリズムやエモーションを取り入れて演奏するというこの音楽は、「様々な音楽の融合」という意味をこめて「フュージョン」と呼ばれ、68年録音の「Miles In The Sky」から始まって、翌年の「Bitches Brew」で結実したといわれてる。
この時点でジャズは完全にスイングを脱し、以降様々なミュージシャンが「融合」の名のもとに、「ジャズじゃない音楽」へと傾倒していき、シーンはこの「フュージョン」に圧倒的に席巻されていくことになる。
70年に「Weather Report」、71年に「Mahavishuny Orchestra」、73年に「Return To Forever」、73年に「Head Hunters」と、フュージョンシーンを牽引していく重要なグループが次々に結成されていくんだけど、凄いのは上記に挙げたグループの中心になったのは全員が全員Milesのグループの卒業生だったということ。
だからこれらすべてのグループの音楽をMilesが生み出したなんて、そんなくだらないことは言うつもりはないけれど、やっぱり絶大な影響力を持っていたんだね。というより、Milesが次代の中心になっていくような感性の持ち主を見抜いて、積極的にバンドに起用したということか・・・・・。
これらのグループは、音楽的な完成度や多様な表現という意味においてそれぞれ充実していた。けれども、ジャズとしてのフォーマットを踏襲していたかというとやっぱり素直に頷けないものがあるので、「ジャズの歴史」を銘打ったこの場では、それぞれの音楽的な特徴を述べるのは控えることにする。
この時代は本来の「ジャズらしいジャズ」はほとんどなりを潜め、多数の新人はフュージョンでデビュー、キャリアを積んでいくようになる。それは70年代末まで続くんだけど、音楽的な普遍性を獲得して次代まで連綿と続いていく音楽を生み出したアーティストは、その絶対数から見るとやはり少なかったように思う。
って、これはアコースティック路線を好む僕の贔屓目かな(笑)。

ええと、その他70年代のジャズシーンにあったムーブメントを駆け足で。

まずソロギター、ソロピアノブームのような現象が一部で起こった。
これは圧倒的だったフュージョンによる電化サウンドに対するファンやミュージシャンの反発というか、アコースティック回帰への渇望だったのかもしれないね。
ソロギターに関しては、ベテランギタリストのリバイバル的な形で起こってきて、後に起こる4ビートジャズ復興の爆発的なムーブメントの先鞭をつけたともいえる。現在これを受け継いで活動しているアーティストはほとんどいないけれどもね。
ソロピアノに関しては現在でもその流れは受け継がれていて、この当時からずっとその中心で牽引しているのもMilesバンド卒業生ですな(笑)。

60年代のボサノバブームあたりから、ストリングスやオーケストラをバックにした耳ざわりの良い、イージーリスニング路線のジャズが、CTIレーベルを中心として起こってくる。
これらの作品は「ジャズを大衆音楽に堕した」なんていう批判も聞かれたりするけど、アコースティック編成がほとんどだったことや、既成の4ビートを題材としたものも頻繁に吹き込まれていて、ジャズとしての純度をギリギリ保っていたといえると思う。フュージョン全盛の中で純ジャズの火を消さなかったという点では、ある意味重要な流れだったんじゃないかな。
なお、この路線の影響が、現在のニューエイジ、ヒーリングミュージックの一翼を担う派閥に繋がっていることを補足しておく。

極めて狭い範囲での動向だけれども、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ界隈を中心として、「商業的な制約を受けずにト自分たちのやりたい音楽をやる」という趣旨の演奏活動が盛んになる。
これは屋根裏部屋や倉庫などから始まり、ミュージシャンの自主運営によるスタジオやクラブなどで、70年代に頻繁に行われたので、「ロフトジャズ」と呼ばれたりする。
ニュージャズ派が中心となってはいたんだけれども、演奏法や雰囲気などバラバラで、ジャズの歴史の中での独立した一分野とまでいえるかどうかは疑問。
商業性を度外視したために、活動が経済的に破綻。70年代の終わりと共にロフトは次々に消えていった。

さて、ここまで来て、70年代の4ビートジャズシーンがどうなっていたのかを書こうと思ったんだけど、長いので次回に譲ります。
これはちょっと難しい・・・・・あまり突出した動きがなかったのと、80年代に入ってから起こる4ビート復興の動きに密接にリンクしてるので、80年代の項に書くべきかも知れない。
それやっちゃうとなぁ・・・・・次回かその次で「ジャズの歴史」は最後になるかも知れんなぁ。

今回は書き残したことがたくさんあるように感じる。
まぁいいか。
必要ならまた新たな記事として書きます。

ではでは。


2 コメント

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Unknown (Marty)
2006-03-05 13:51:39
はじめまして、トラコメさせてもらいました(TB間違ってしまったので、余分な最初の2つは消してください)。

「ジャズの歴史」最初から読ませてもらいました。流れがよくわかり、とーってもためになりました♪

私は上原ひろみでジャズに目覚めた新米ジャズリスナーなので、いろいろ吸収したいと思います。

また、来ます。
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>Martyさん (TARO)
2006-03-05 13:56:11
はじめまして。

TBありがとうございます。



上原ひろみですか。

僕もファーストとセカンドは手元にあります。

こういう若手の活動から、ジャズにのめり込んでくれるリスナーが増えるというのは嬉しいですね。



これからもちょくちょく覗いていただければ嬉しいです。

よろしくお願いします。
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