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ジャズはライブこそ本質だ?(笑)

2006-02-12 01:01:13 | ジャズの話題
この前さ、しばらく前から付き合いのあるジャズ好きの人たちと飲みながら話したんだけど、そこでちょっと引っかかる発言を聞いたのね。
「ジャズはアドリブの音楽だから、ライブにこそジャズの本質がある」なんて言っている人がいたのさ。
まあそのときは別にムキになって否定することもないので、「フーン、そうなんですかぁ」って聞き流しておいたんだけど・・・・・。
これって、「ジャズを聴いている」と自認する人たちの口から結構頻繁に出てくる主張だよね。
皆さんはどう思いますか?。
僕がそういう主張をする人たちに感じることを一言でいってしまうと「青い」かな(笑)。
そんなもっともらしいこと言ってるのに限って、きちんと音を聴いていないヤツが多い。
ああ、また偉そうな暴言が始まったぞ・・・・・まあ酔っ払いの戯言と思って聴いてください(笑)。

ええとね、確かに「ライブを聴く」のと「録音されたものを聴く」のでは、出される音そのものに差が出てくることは避けられない。生演奏の臨場感を完全に再現できるオーディオシステムなんてありえないからね。
ただ、ライブの優位性というのはその「臨場感」という一点にあるのであって、それはジャズ以外のどんな音楽でも同じ。即興だのアドリブだのインプロヴィゼーションだのは、これはもうまったく関係がないことなんだよ。

音楽というものの本質を考えてみれば容易に理解できることだと思うんだけど、音楽には「音が出される前」と「音が出された後」しか存在しないんだっていうこと。
そして「音として出されて初めて音楽は音楽になる」んだ。
繰り返すよ。
音楽には「音が出される前」と「音が出された後」しか存在しない。
そして「音になって」初めて「音楽は成立する」ものだっていうこと。

わかるかな・・・・・長時間かけて熟考の上に作曲するのであれ、その場の即興で作曲するのであれ、それは「音になる前」の行為であって、その推敲におけるタイムスパンが長いか短いかの違いでしかない。
即興演奏というのは作曲のひとつの方法論でしかないんだよ。
演奏された時点で、つまり「音として出されて」その時点で、初めて和声やリズム、旋律は「ひとつの音楽として」固定される。
「音として出されて」、初めて曲は曲になり、音楽は音楽になるんだ。
綿密に長時間をかけて作曲されて、極めて精密に書き込まれた楽譜があったとしても、それが永遠に演奏されずに、永遠に「音」にならなければ、それは音楽ではないんだよ。
同じように、即興演奏者がどんなに素晴らしいテクニックとアドリブにおけるアイディアや閃きを持っていたとしても、演奏がなされなければ、「音として」出されなければ、それは音楽にはならないんだよ。

例えば、ジャズのある演奏者がその日演奏する予定のアドリブソロを、あらかじめ書き譜として準備し、暗譜して演奏した場合。
対して、まったく準備せずに、演奏を行うその場での即興で演奏した場合。
このふたつに現象的な違いはない。
どちらも「作曲された音が出された」に過ぎない。
そして、あらかじめ作曲されたものを演奏するのであれ、即興で作曲しながら演奏するのであれ、それは「出された音としての出来不出来」を決定するファクターにはならないでしょう。
ジャズでは「名演」という言葉があるけれども、それは常に「出された音」、「決定された音」を取り沙汰して、名演と呼んでいるに過ぎないんだ。
確かにアドリブって楽しいさ。ワクワクするよね。だけど名演が名演たる可能性を持つのは、「音として出されたその瞬間」、少なくともそれ以降なんだよ。
「アドリブだから名演が生まれる」んでは決してない。

それはライブで聴こうと録音されたものを聴こうと、基本的にまったく同じ。
例えば、聴いたことのない演奏を「ライブで聴く」のと、「録音されたメディアで聴く」のと、臨場感以外のどこに違いがあるというのか。
前者はステージが始まって、演奏者によって出された音を「初めて耳にする」。後者はメディアがオーディオシステムによって再生されて出された音を「初めて耳にする」。
「音として出されたものを耳にする」という本質はまったく変わらないんだ。
書き譜であれアドリブであれ、音が出される「その瞬間」まで、音がきちんと「音楽として成就」されるかわからないわけだし、演奏者の体調や気分、その時点でのフィーリングによって、出される音色や演奏の出来自体も変わってくるよね。
また演奏を聴く側にしてみれば、そのときの体調や気持ち、それまでの人生経験や含蓄といったものの量によって、常に受け取り方は変わって来るよね。
よしんば録音されたものを繰り返し聴くのでも、聴くたんびにそこから受ける情動がまったく同じということはあり得ない。「飽きる」かも知れないし「新たな感動」があるかもしれない。「もう聴きたくない」と思うかも知れないし「もっと聴きたい」と思うかもしれない。

ちょっと理屈っぽくなっちゃったね。
くだらない禅問答をするつもりはないので、「音が出される」と「出された音を聴き手が受け取る」のを同義としてしまいましょう。
「音楽」、「音が出される瞬間」(これはイコールだよ)ってのは、演り手にとっても聴き手にとっても常にアクシデンタルなものなんだっていうことを覚えておいて欲しい。
すなわち、音楽は現象的には「音が出された瞬間」がすべて。その瞬間にすべてが決定されるんであって、それ以前にも以降にも何も存在しない。
「その瞬間がすべて」、それが時間芸術というものなんだ。
以上。

あーあ、酔っ払うと毒っぽく語るのは僕の悪い癖だなこりゃ(笑)。
今日はいつもに輪を掛けて暴走気味だ。
もうやめます。
ではおやすみなさい。


2 コメント

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Unknown (kenyama)
2006-02-12 21:05:05
こんばんは、私も酔っています。

さて、ジャズというと反射的に「アドリブ」ばかりを称揚するのは如何と常々思っていました。音が出た後、つまり「音楽」にとっては事前の作曲もその場の作曲(アドリブ)も大して違いはない、と。

そのことと、(聞き直せないという意味で)本当に一回限りで、かつ音を身体で感じつつお酒も飲める「ライブ」の魅力は別物ですね。

「ジャズの歴史」の続編も楽しみにしております。

kenyama
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>kenyamaさん (TARO)
2006-02-12 21:16:37
こんにちは。

コメントありがとうございます。



仰るとおりですね。

どんな音楽でも、ライブで聴くに越したことはないんですよね。生音で聴くに越したことはない。

ただ、ライブの利点は「生音」という点だけだと思うんですよ。

また、録音されたものを聴くのであっても、「聴く」という行為はそのつど1回1回のものであって、「同じ情動で聴き返す」ということはあり得ない。

ライブでも録音でも、作曲でも即興でも、音楽は常に「その1回限り」、「その瞬間だけ」だと、僕は思うんですね。

「その瞬間、その場限り」・・・・・そうであるから音楽は魅力的なんだと。

ちょっとカッコ良すぎでしょうか?(笑)。



ではでは。
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