緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

角度・見解

2019-10-24 | 日々気づき
 凛とした富士山

3年続きで行って来て、行き方も様々で、色んな意識、色んな角度やいろんな背景、色んなシチュエーションで見てきて捉えて、気づきや学びを得て来た

陰陽の星である地球は、そんな学びも出来る星

結果だけが見えている次元

結果で起きる事、見える事、出てくる言葉

全てにおいて結果が出た瞬間に陰陽の両側や
一点から広がる球体の四方八方の角度の意識が存在します

その結果の全てに捉え方、見方、理解の仕方、解釈の仕方が存在し

その人数分だったり、その人数分でもその中の何通りも存在します

自分の中、家族の中、社会の集団の中

その中で結果として現れている事にそれらは存在します

結果はどうでもいいとは言いませんが

この3次元は結果の世界です

結果が出てもすぐ次の結果を生み出そう、現れだそうとします

自分の目の前に出てきた結果は自分を俯瞰し、
自分の中のいろんな角度も見ます

家族に出てきた結果は家族が向き合い次の結果を出そうとします

社会や集団はその中で向き合い、次の結果を出そうとします

その結果が出た時に「向き合う」事が大切で、プロセスが必要だと思います

今回の即位の礼の機会には

天叢雲剣でTwitterにいろんな見解が出たように

昨日に挙げた「平和の詩」でもこんなお祝いの場には
ふさわしくないんじゃないかと言う意見もあったりしました

国の出来事には国民がある意味向き合います
(中には興味が無い人もいますが)

そんな時に色んな角度から見解を述べる人がいますが
それで良いと思います

専門的に研究している人もいれば、趣味程度の人もいれば、
評論家の見解をみていても様々で

(今から本格的に天皇の後継問題も論議が本格的になってくるでしょうが)

見る人の見解が現在のその人の見解なんです、ただそれだけ!

その後継者問題も有識者が混じりながらでも、
国の一部の宮内庁、一部の政治が判断して
結果を出したとしても、きっとまた違う見解が出るに違いない

たまに思うに、法律で人を裁く側の人間ですら見解と判断は様々で
考えさせられる時があります

マイナスなのか、プラスなのか、ネガティブなのか、ポジティブなのか

ひねくれているのか、歪んでいるのか、傾いているのか
心が真っ直ぐ過ぎて視野が狭いか、心が小さすぎて視野が狭いのか

天皇が象徴であっても、神棚の神様、神社の神様であっても

それと向き合う本質を観ようとしないと歪むかもしれない

観ている自分が歪んでいると、見解も歪むでしょう

何でもかんでも歪んだ見解を持っていると自分の中心も歪んで行きます

見ている世界を掘り下げてみると我失う時もあります

なので、そんなに結果を重視しないで、
その見ているプロセスの自分を俯瞰する事が大切です

結果ですら歪んでいたら、判断するのも間違うでしょうし

同じ繰り返しかも知れないけど

一点からの球体、それが広がり無限です

判断も断定的に出せるほど簡単なものではないと思います

その一点の結果にも一点の奥に無限が在ります

何かを判断する時には我の内観も必要です

結果を目の前にしたなら自分の見解を内観して気づき、
学び成長するきっかけでしかないと思います

今回みたいに、自分の生まれ育っている国の事、象徴の事に意識が向いた機会に色んな事を考えるきっかけにしたら良いのではないかなと

そうなると、きっと、自分のルーツだったり、
先祖だったり、人類のルーツだったり
命だったり、意識だったり

俯瞰する事は無限に存在していると思います

自分の意識が高次へと成長すれば見解も高次元へと変化しています

高次元には断定的な意識は無いと思います

見解に正解はないですよね

高次の光色は白、全ての光色が混じれば白になると言われるように

自分以外のたくさんの事に意識がいく人、
興味や探究心がある人は意識も大きい、
その分それを白に変えていくのもやりがいがあるかもしれませんね

色んな角度から高次の見解が出来るようになれればいい



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