
人とこんなスピリチュアルな話をしている時に
貴方はよくそんな事を知っているねと言われる事がありました
本当に思って言われたり、皮肉って言われたり、ウザいと思われたり、色々です
もちろん頑張って勉強したんだよという事も言ったり、言えなかったりした
でもそんな事言うと、勉強した事を偉そうに言っていると思われるのが嫌だったり
みんな同じだよと言いたかったり
そう思うなら自分も勉強すればいいやんと言いたかったり、
いろいろ考え、またそれも自問自答しながら自分の成長課題とした
勉強したといっても高いお金を払って講義を受けたり、ワークショップに言ったりしたわけではない
ただ一つの研究会に2年程参加したぐらいです
その研究会は、前にもブログに書いているけど、自分達は神様とお友達だよと教えてくれて、自分の浄化を徹底的にするんだという事を教えてもらっただけです
でも神様とお友達になるという事からその世界に意識が繋がるという事を教えてもらい、気づかせてもらったという事です
これが私の実際の事実だけで
後は自己流であらゆる体験から気づいた気づきの語彙や意味を考え検証し、確認し
段々、点と点が繋がり、線となり、そこに世界が見えてきたし、繋がって行った
後は、魂と繋がった事で、色んな言葉が出てくるようになったんです
(脳の機能が関連するんで未熟ですが)
口から勝手に出てくる
それを聞いている私の肉体が「へ~そうなんだ!」と学び
またそれを確認して構築していっているだけです
だから、そこらの心理学者やスピリチュアルの先生のように起承転結で文章でまとめる事をしたり、話す事をしたりが出来なかっただけ
しようと思ったら出来るとは思うけど、興味が無かった(さらし者の記憶があるのかも (^^;))
それにレジュメに沿う事をしない自由過ぎるという事からでしょう
でも何か質問されると、それについてどんどん言葉が出てくるんです
それは魂と一体化になって魂の記憶を駆使して話しているんでしょう
魂は根本に繋がっているんで、どこからも答えを引き出してくれますから
そのために私は肉体を使ってもらっているだけです
昔にアメリカのサイキッカーのウイリアムレーネンさんのセッションを受けた時に言われた事で
「あなたはこのスピリチュアルに生きます、多くの人にエネルギーを与えます、でもどこかの学校とかで勉強する必要はないです」と。
その時には意味が分からず、そうなんだと思っていましたが
その後にもつまづいた時に何か習いに行こうか、ワークショップに行こうかと思いながら気が進まない私がいました、何かが違うと。
(組織が嫌いやったり、型にはめられるのも嫌だったりするから)
そんな時にこのレーネンさんの言葉を思い出し、信じ、そのまま自分のやり方で進んで行こうと思っていました
そうする事で余計に魂の記憶に忠実に向き合う事が出来てきたと思います
嬉しい事もあったし、楽しい事もあったし、辛い事もあったけど
それぞれの体験が心の記憶を消化するためだったとその時々に気づきを得ていました
嬉しい事、楽しい事は感謝を生みました
怒りや恨みや悲しみもそれぞれが理解や勇気やという事も思い出させてくれました
中には病院にお世話になった事もありましたが、その時にもしっかり気づきを得ましたし、自分の記憶に自分で相殺して肉体に傷つけた事もありました
そうやって心や感情を手放して消化して
本当にひとつひとつ丁寧に生きて来たと思います
そして自分と共にいてくれている魂が愛おしくなりました
これは私の事だけだという訳ではなく人類の全てがそうだと考えています

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