
大気と融合しながら柔軟に同調して行く。
そう言っての自然との調和ですが、
飛び越えて宇宙意識と自分の意識を合わせるという話をしていました。
大気中には気候の上での大気もありますが、
人間の意識も遍満に充満しています。
その中には低次の意識も自由に彷徨っています。
それに同調しない様に意識は常に上に向いていようと (^.^)
この世に生きている人もいろんな体験している真っ只中です。
どんな意識の体験しているか、
真剣に向き合っているので魂の奥からは
低次の意識も露わに吐き出されています。
例えば「あの人なんであんなに嫌な事ばかり言うんやろう!憎たらしい、落ちたらいいのに!」とか (^^;)
でもそう言いながらでも自分がその人の理解が出来ない事に彷徨っていたりします。
そうやって上向きながらも低次の意識!
そんな意識もその辺そこら中に遍満に在ります。
それを磁石が引き寄せるように自分に寄せ付けます
そんな感じで同調。
しんどい疲れたという時なんかもふと思うとそんな場所から帰って来たって事ありますよね。
そんな意識には同調しない様に心して跳ね除けるように
楽しめていると良いのですが (^.^)
楽しみのように高次の意識でいると自分も心の奥から弾けます。
そんな時には楽しみを発散するし、跳ね除けれます。
が、人間には色んな感情があるという学びもしているので、
時には隣にいる人にもつい同調してしまいます。
楽しく笑っている人ばかりではありません。
笑っている人の隣にいると笑ってしまうように、
そんな場所ばかり選べればいいのですが、
なんせ魂の体験に導かれている時には
時に低次元を知る時もあるでしょう。
知らないといけない時だってある。
自分とのバランスですから必要な時もあります。
なので、時に…隣にイライラしている人がいる場合も
そんな時は知らない間に同調してこちらまでがイライラしてしまう時も。
悲しんでいる人、苦しんでいる人、
心寄せるのは大切やけど、同情は必要ないです。
同情には自分に意味があります。
ふと感じるのは、自分と周りのリズムです。
自然とバランスが取れて調和できる時は問題ないですが。
自分の価値観とか概念で発しているエネルギーのリズムと隣や周りとのリズムが違う時にバランスを崩します。
価値感や概念ばかりじゃなく、
資質や性格によってはそのリズムにも違いが現れます。
一緒に何かやっていると…、
おっとりしている、のんびり、とろい、せっかち、慌てる、気が散漫…など、
話し方、動き、言葉、これらもリズムを作って行きます。
音楽と同じで、リズムがメロディーを奏でます。
そのメロディーが自分に合わないことなどもあります。
みんながみんな同じではないので、
合わなくても当たり前。
だけど、知らず知らず同調しながら反響したり、
無理に合わせたりします。
そこには不協和が発生です。
自分が自分のリズムを知れば不協和にも対処できます。
私は音楽ならハードロックやヘビメタはあまり得意ではありません。
なので、出来るだけ避けます。
多分、怒鳴るとか騒ぐとかも苦手です。
雑音とかざわつく事もです。
どうしてもそんな時に直面した時には
無理やりにでも自分の気を落ち着けます。
焦っている人の横では無理やり遅くしてみたり、
早口の人の前ではおっとり喋ってみたり、
わざとする時もあります。
あぁ~きっとバランス取りたいんだという自分に気づきます。
人混みとかが嫌いなのもそんな事だと思います。
無意識に避けていたんでしょう。
若い頃に繁華街や人通りの多い駅で待ち合わせしていた時なんかは、
待っている間に頭痛が起きてしんどかったです。
待ち人を早く見つけたいと思って眼が疲れるという事もありますが、
そうしている間に通りすがって行く人の意識とも同調していたんでしょう。
こういう不協和や同調する事などを知ってからは
ほぼ頭痛はなくなりました。
気のリズム、表現のリズム、
人や場所に合わせすぎている人が多い現在、
精神的な病が増えていますが、
先ずは自分のリズムを知ると良いでしょうね。
同調するのも大切だけど、
また、自分の中のリズムが取れていないのも問題だけど、
調和する視点で考えた方が良いと思います。
自分自身も自分が常に心地よくいれるように。
そして心地良い居場所を見つけて行くのも大切でしょうね。
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