子供の日
2022-05-06 | 日記

昨日は子供日でした。
青天も昨日までだと言っていますね (^.^)
仕事してても汗かきました!!
思わずコンビニに向かって、
息子と、夕方のお客さんの男の子も幼い時から来てくれている常連さん
その彼にも柏餅を買ってあげようと言いながら
ビールに手が伸びました (^^;)
その子供の日に私の母親が子供にしてやれる最後だと、
還暦のお祝いを渡すので夫婦揃って家に来てと…。
4月と6月の真ん中を取って5月にと。
そして子供の日…、母親が考えそうな事です (^.^)
有難い事だけど少し気も重い。
夫婦で行けなかったので娘が行く日に合わせ行って来ました。
必ずプラスワンのお小言を聞かないといけないのと、
母親は顔面の三叉神経痛みを持っていてその痛みで
ご飯が食べれないとか喋れないという話を聴く事。
少しは痛み止めに頼ればと一言でも言おうものなら
返ってくる言葉が大変です (>_<)
実際にそう言うと、この痛みは痛み止めを飲んで治るもんじゃないと言いますから!薬飲み続けると効かなくなるしとも言います。
この痛みに関しては病院にも罹ってないし、
耐えるしかないと頑固になっています。
でももう35年この痛みと付き合ってます。
最初のうちは頻繁でなかったけど、段々と頻繁にもなり痛みの時間や期間も長くなってます。
これにも絡みの話がありますが省きます。
多分凄い辛く痛いと思います。
普通の人の凄い歯が痛いとかが続くぐらいです。
それに加え、
目薬の時間、サプリの時間、
それだけでも大変そうだけど、
母親のルーティンにどうのこうのいう必要も無しです。
人の言うこと聞きませんから!!
先日まで「老い」や「孤独」の話をしていましたが、
どんどん自分の世界が狭くなっているのが強まっています。
眼の白内障や緑内障もそうだけど、
耳が聞こえ辛くなるのも
もちろん顔面の神経が痛いのも
外の世界との遮断です。
自分の世界や常識のキャパシティが狭く
自分の中の振動が強まっている現れです。
それを私は分かっていますが、
母親は自分の狭い世界を信じてますので仕方ありません。
頑なに解放されずにいます。
何を話そうが娘への理解は無いので (^^;)
そのまま、そのままを尊重するしかないのです。
話をフンフンと聞くだけでイイんです。
話を遮る事も許されませんから (>_<)
「ちゃんと聞いて!」と怒られます (^^;)
「あんたの意見はいらんねん!私は話してるだけやから!聴くだけで良いねん」と言われます。
それでも母親から最後だと言われると、
子供も受け取るのも最後の親孝行です。
心の準備して…(なんで親に会うのに心の準備がいるんでしょうと思うけど)
お祝い頂いてきました (^.^)
顔が痛いので髪の毛も長い間カットできずにいたけど、
洗うのも髪留めで留めておくのも痛いだろうからカットしてあげようとハサミも持っていってました。
髪の毛触るの痛いけど、髪の毛をまとめるのは痛くないのかって疑問もわくけど、それを聴くと屁理屈を返してきます。
カットする事をどうやったら素直に聞いてくれるかというのも母次第 (^^;)
色々ごちゃごちゃ理由やそれに関わる話をしている間ずっと聞いてはいて、
理屈をこねるってやつです(^^;)
やる前にごちゃごちゃ考える性格は私も似ているので分かりますが、
私の何倍も考えるし、私以上に話が一から十まで長いので大変です。
それで私も自分の性格を変えようと思うようになったのもあります。
なんでも素直に簡単に簡潔にというのも母親に学んだように思います (^^;)
最終的に、じゃあ切ってくれるかとなりました。
30センチ程伸びた髪の毛を一瞬にして切って来たんですが、
こんなもんだなと!!
なんでも事が終われば一瞬の事。
それに付随していたモヤモヤの痛みも感情も
切り捨ててしまえば終わるんやろうにと思いながら。
ちょっと他に込み入った話もあったので、
この日も案の定気持ちよくとはいきませんでしたが、
その様子を見ていた娘が気にしてくれたか、
先に帰った私でしたが、後でうちに寄ってくれました。
洗車するから家のホース貸してって (^^;)
そう言いながら優しい娘です (^.^)
前々から母親と祖母の関係を案じてくれていましたが、
目の当たりにすると驚きもしたんでしょうね
孫には優しいおばあちゃんですから…。
ちょっと私も娘に愚痴をこぼしてしまいました。
母親に理解してもらえない子供って辛いやろ…って (^^;)
どこで何を掛け違えたのかって思いますが、
これも積み重ねだと思います。
そして母親が自分の思い込みの世界や狭い世界に閉じこもってしまった事によるのかなって思ったりします。
それはどうにか溶けないものかなって私も努力もしましたが、
素直じゃないとそれも無理だなと思ったし、
片方だけが理解しようと努力しても駄目なんです。
そのままを受け入れるしかない…となったんです。
親子であっても、どれだけ母親が痛みや辛さに耐えているとしてもです。
治し方は簡単で、知ってはいても
人生の課題には勝手に手を付けられないのが神様との約束なんで。
それを経験した私やから何がっても
我が子の事は理解してあげたいと学んだし、
感謝だなと思ってます。
祝ってもらうのはとても嬉しい事なのに
こんなにも気が重いとなるとね (^^;)
でも、事が終われば私自身は何でもスッキリするんだと気持ち切り替えようと。
親子であっても無理に干渉して関わらないでも良いと思っているので。
程々に見守る努力を (^^;)
ふと両親が還暦を迎えた時には兄と一緒にちょっとお高い羽毛布団をプレゼントしたのを思い出しました (^.^)
その親に還暦のお祝いをしてもらうとは夢にも思っていませんでした (^^;)
親が子に、子が親にって…
還暦の子供に85歳の親が還暦祝いをって…
そう思うと、親子でも何年生きているかと考えたりして、
こうやって還暦祝いを与え与えれと思うと…
「一人の人生」「個人の人生」「別の人生」と考えてもおかしくはない様な。
そんな感じがしました。
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