緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

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価値観の違いの浄化。

2024-09-30 | スピ的視点
  冠婚葬祭には価値観の違いや人間関係が絡み交差するという話でもありました。
本来なら単純に、結婚時なら幸せを分け合い交じるんだろうし、葬祭の時には慈しみ悲しむといった感情が交差したりする。
なのになぜか感情が絡んだりするのが邪魔くさいなと。
それは各々のそれぞれに対する価値観が違うからなんだろう。
誰もが論争したい訳でもなく、喧嘩したい訳でもなく。
結婚なら門出を祝えばいいし、葬儀なら故人を偲び慈しみ尊重すればいいのに。
すんなりそうならない事が悲しい。
人間は美しく生きると望むのに、醜さが現れる。

葬儀の時なら故人を偲ぶために、そしてその人の人生をそのまま尊重してあげるためにいろいろ話してあげることが良いと思ってたりするんだけど。

あんな事もあったね、こんな事もあったね、悪かったことも良かったこともその話をしてあげる事で浄化してあげると思ったりしてるんだけど。

そんな事すらもしないで、死んだ途端に急に片付けだの家の処分だの。
兄夫婦とそんなスピードについて行けないという話を昨日にしていました。

今までの付き合いや、母親に対しての思いも違うから当たり前だろうけど。

「思い」はきっと同じなんだろう、母への甘えや愛や思いやりや依存やその思いもカタチが変わります。
なので、「思い方」、「感じ方」や表現が変わると全く違うものになるんですね。
そして、その「思い」でも最終的に愛だとしてもです。
だからお互いがその違いを知って理解しあって交われば良いんだろうけど。
これも人間性の次元が違うと全く交わりません。

それが悲しいなと思ってしまうし、気を削がれるから疲れてしまうのですね。

母が生きている時にはこんな事も肉体の心ですから知る由もなく、気づきもしないでしょうが、まさに私の母も気づきませんでした。

でも肉体を離れると、魂ですから気づくのです。
それを浮遊して観ているし、案じているでしょう。
なんていう念と宿題を残してしまったと後悔するかもしれません。
後悔したとしてももう届きません。
その魂の後悔を理解し自身が浄化して消すしかなく、自ら(魂)が光るしかない。
肉体の経験なしに理解するしかないんでしょう魂も。
それは子孫の理解成長進化が届くか届かないかです。


私は母親が救急車に運ばれるときに、お腹がキュルキュル来て起きてトイレに行ってから知らせが来るまでの間たまたまウトウトしていたんですが、
次の日というかもうその日、長女もおばあちゃんのところに行く日だったので、私も母親の髪の毛を切りに行こうと思っていて。
そしてその時に今まで思っていた事、我がまま過ぎる母に対して思う事や考えをぶちまけようと思っていました。
母親と私が歯車が狂ったように母はみんなに言いまくっていたので、なんでそうなったか、母の我がままの全てを今まで言えなかったことを言うつもりでいました。
私は母親の言うとおりに生きてきました、母親は自分が言った事を忘れたり自分だけで反省したりします、私には絶対謝らないし訂正しない。
言うとおりに生きて来たとしてても、私と母親の人生は違います。
出逢ってきた人の数も違うし、その分価値観の上書きの数も違います。

母は子離れが出来ていなかったんでしょう。
自分の思い通りに娘が生きて来たと思っていたのに自分の考えや世界観からどんどん離れて行くのが嫌で腹立っていたんだと思います。
だから私に腹立っていた、でも多分自分に腹立っていたんだと分かっていたと思います。
私と同じで自尊心も自己肯定感も低いですから、だから自分の母親、私の祖母の事も嫌いだと言ってました。
そこをクリアできないと、自分が生まれて来た事すらも受け入れられないと思います。
だから自分を好きになれない、自分を認められなかったんだと。
それをすべて私にある意味押し付けて来た。
だから段々私が自分の意志や考えをもつ事がどうしようもなく寂しくてそして腹立ったんだと思います。
私は母親を見てそれを気づき学びました。
そんな気づきが有ったので、ある私の誕生日に感謝の手紙を書きましたが、その数年後の父親の三回忌の時に私のその手紙を恨みの手紙をよこしたと言いました!
その事は私は凄くショックできつかったです。
何で感謝の手紙が恨みの手紙になったんだと。
言い訳する気にもならないぐらい深く傷付きました。
多分そんな頃からだと思います歯車が狂ったのも、
これも価値観の違いです。
それでも母親自身が自分で気づかない限りそんな事は解消なんてできないし、私自身ショックすぎて言葉を失っていました。
それでも言うとおりにしていました。
あんたとは世間話なんて出来ん喋らん、あんたの意見は要らん、私の話を聴くだけで良いねん、頼んだ事だけしに来てくれたらいいねん、来てほしい時、やって欲しい事がある時は言うからと、そんな事を言い放っていました。

そんな事を今更ぶちまけたところで理解できるとは思いませんが、
言いたい事だけは言ってやろうと思ってました。
私の長女がそれを嫌がるので今までは止めていましたが、
その長女の事だって、東京の方から2週に一度来ている事も知らず、わがまま放題だったので、もう結構私の中で限界が来ていました。

その事をセコムから知らせが来るウトウトしている間に眠れなくて考えていました。
きつくない程度にどんな言葉で表現したら良いんだろうとか。

その時にふと思いが募って心の奥で叫んだ言葉があるんです!!
それは……、「私は世界一優しい!!」って!
何でそんな言葉が出て来たかは不思議だったんですが、
その直後にセコムからの救急車呼びますの電話だった。

後に兄との価値観の違いが露になってしまいましたが、
母は最後に凄い働きをしてくれたと。

苦しみの中で、深夜12時半ごろ長女に電話したけど繋がらず、セコムのボタンを押した。そして兄の所へ電話が行ったけど出なかった。
そして私の所へ電話でした。
私は直ぐに出で、セコムとの連絡、救急隊と連絡、病院へ直行とすることが出来たんです。
私から兄、嫁さん家電としましたが中々繋がらず。
入院してから呼吸が止まった連絡も私の所でした。
その後長女に連絡、兄の所でしたがホント繋がらず。

一番に行動させてくれた事が後になって救われたと思ました。

私が電話に出なかったり、起きなかったとしたら、兄夫婦に何を言われたか分かりません。
遺品整理にしても家の売買にしても権利はあったとしても凄くきつい言葉が飛んできてたと思います。
長女が電話に出なかったのも東京だと知らなかったので出ない方が良かったんです。出たらすぐにでも来てくれると母は思うでしょうから。

必然という事はこういう事なんだと思いました。
全てのタイミングは全てに対して起こると思っていました。

最後の私の叫び、「自分は世界一優しい!!」という言葉も、
私が母に言った言葉でもなく、自分自身に伝えたんだと思います。

うだうだ悩んだとしても自分の思いや考えは自分が認めて自分に自信を持てば良いんだと (-_-)
自信が無ければ自信持つ生き方に変わって行けば良いんだと。

でもきっとあの時は私の魂はそう叫んだと!!
そんな自分に感謝したいなと思う事で、母の今までをスッキリ浄化できるのかなと思っています。
きっと今頃魂がそう観ていると。
合掌。


コメント
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