緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

∞美容室です・・・完全予約制でマンツーマンでの完全技術∞ しっかりお話を聞き、丁寧な美容技術を提供させていただきます∞ 10:00~15:00(当日予約・時間外OK)不定休・・・ ★カット★カラー★パーマ★セット★着付けets.   ★スピリチュアルな会話もセッションもオーケーです ★

意識の変化はいろんなところに影響してる、性格もその一つ。

2024-08-23 | スピ的視点
  ”処暑”を迎え暑さが収まるころと二十四節季では言われているそうですが、
昔のその季節の表現も進化して既に違うのでしょうか!
宇宙の中の地球の動きだって変わってるし、
スピードだって変化してるんだから当然だと思ってるけどね、

お盆前ごろに少し涼しくなったなと思ったのに、昨日今日とめちゃ暑い!!
仕事しててもクーラーも効かないような!
この夏も寝るときクーラーしてないのですが、昨日は今までで一番暑かったような (>_<)
一旦夜も涼しくなったから余計に応えるのかな (>_<)
それも意識ですよね
気候の変化に意識が右往左往しているのかな!
気圧の変化で精神不安定になる人も自律神経のバランス崩す人もいるぐらいですからね (^.^)
天気予報のニュースなどに惑わされないように自然に過ぎゆく季節に合わせて行こうと思います !(^^)!
宇宙の変化を感じたいと思います!

昨日のブログタイトルは「性格治せ!」などと暴言のようでしたね (^^;)
そんな事他人には言いませんし、言う義理も、責任も、義務も無い (^^;)
他人にとっても言われる筋合いも無いですね!!

こんな事親子でもいう権利も無い
言ったところで気づいてても直さない人の方が多いという
まあ性格なんかも人の心も所詮他人事という感じですもんね
本人次第!!
全ては本人の人生ですから (^.^)

なので、昨日の話でも話していますが、
心や性格が体と繋がっていて、その歪みや偏りが病気や痛みという表現になったとしても本人の人生。
医者や薬が完全に治してくれるという事でもない
病院の医者は一生薬飲みましょうなどと言いますが、
血圧を下げるとしても、弱い薬だし、飲んでても支障ない薬だしと言われると、
病院側が固定客をつかんでいたいだけちゃうの?
そんな薬飲んでてどうするんだろう、
それで良いんでしょうか?
疑う人はいないんでしょうか?
なんて私は思ってしまいます。
先ず日常生活と向き合うし、病気の原因と向き合いたい私です。
正反対や対象的な意見や考えがあるなら一旦向き合いたいと思う。

最初に病名や痛みが現れた時には右往左往したり一時は驚いたりショックだったりするだろうけど、
その「向き合わない」「向き合っているところがズレてる」ってところがまず病気の原因なのかも知れないと。
既に医学でも手術で取り除くとか投薬治療がどんどん変わっているというかそれに追いついて行かないというのも理解できるし、
難病や原因不明や感染病やウイルスという微生物レベルの病気が世に出てきている原因も理解できるように思う

病気の本質や痛みの本質は必ず存在する。
生活習慣病なら先ず生活改善でしょうと考えていいだろうに!
日々検査で数値が変化するのも当然だと思う人もいるけど、変化するのだとしたら変化させることだってできるだろうに、
変化の原因や要因がきっとあるやろうに。

気候の変化で意識が変わるように、
ニュースの言葉で意識が変化するように、
人の言葉でも変わる自分かも知れないし、
変わるのは脳の錯覚かもしれないし、
その脳の錯覚は心の錯覚かもしれないし、
性格が止めてる歪めてるかもしれない。

変えようはいくらでもあるようにも思うのは間違ってるのかな!?
私は小さい時から病院嫌いだったので怖いから病院に行きたくないという意識が強く、何とか自分でどうにかしたいと思う性格だった、
だからどうにか救われたところもあるかも知れない。

勿論二回も切腹しているので病院にはお世話になりましたが、その後の生活習慣やその要因、それまでの意識をすべて俯瞰して変えていきました。

二度と同じようにはならないように、お腹に刻印押した気分です。

性格がそんな感じな私は、人から指摘されたことも何でそう言われたか思われたかそう見えたか徹底的に自分と向き合います。
二度と同じ指摘されたくないという気持ちがあるからでしょうが、
それが長所にも転じて良い方へ成長できるのも程良いバランスかなと (^.^)

そう思うと昔から自己肯定感低く自尊心も低かったと言えど、それが案外ハングリー精神を突き上げていたのかと思えるようになったという
今ではそんな人生だったのかなと感謝しています。

それもこれもやっぱり両親が居てから思える事で、気づけることだったなと。
昨日の「性格治せ!」とつくづく思ったのは母親の事!!

弱々しくなってきた親の姿というのは十分受け止めますし、自分の行く末の姿だと思えることでもあります。
一つ一つ母との出来事を言葉にすると愚痴や文句のようになって現実の出来事も歪んでしまうのでここでは文章にしませんが。

絶対にそうなりたくないし、まず自分の性格と向き合うという事です。
そう出来なかった時代背景や環境というのも理解も出来ますが、
それにも柔軟に素直になれば十分に心は変えることはできます。
母を見ながら私も実践済み。
自分に向き合ってるか、向き合わないかで大いに変わります。
今の母親の人生の表現も理解できます。
今までずっと母親の事も俯瞰してきましたから (^.^)

親子という線引きを外し、親の人生も私にとってどうか、
何を見せられどう捉えさせられるか。
我が子の事でも一人の人生として私がどう捉えどう考えるかと向き合ってきました。
心配事でも不安な事でも怒りたいと思う事であっても私は自分自身と向き合ってきました。
その上で子供に対し意見を話してきた。

両親の人生、我が子の人生、伴侶だった人の人生の全てが私のための人生だったなと思います。
もちろん周りの出逢ってきた人たちの事もそう思ってる!

母にしても伴侶だった人にしてもよく似ていて世界観にしろ価値観にしろ概念にしろ小さくて狭い。

私の中にしても小さくて狭い。
概念も自分の線引きと枠の中でしか会話しない。
価値観も世界もそうでした。
だから私の中には違和感と疑問しか生まれなかったので、
その証明するためにその外側を確認し出し、いくらでも広くなっていく事で戸惑いながらも理解が広がったことで感謝となった。
その線引きの中でその中にいるから辛そう苦しそうに見えるのもあって、
表面の肉体の人生は変えれないけど魂の人生は分かってあげれると思っても来た。
それをぶち破る事ばかりを考えたから自分のためになったかも知れない。

幼い頃は親の人生の中にいた私だったかも知れないけど、
それをぶち破るのが子供だったのかな、
そのぶち破る子供を見て親もぶち破って行けばよかったのになと。

そう思うけど線引きは破れない母でした。
いつまでも母にとっての私は自分の娘で私の性格も自分の箱に閉じ込めたままでした。
そんな母をずっと見て向き合って来た私は母親の人生も理解できます。
こんな時はどういう思いや考えだったかまでも手に取るように分かります。
その奥の心理も理解してきたし
その本質や魂も理解してきました。
もう十分かなと (^^;)
それでも意識してると依存になっちゃうし、私の枠の中に入れちゃうと思う。
そうならないという覚悟も必要で解放も必要なんだなとつくづく思う (^.^)

そんな事を私自身が意識し出すとまたそれを進める出来事が起こるもんですね!
不思議です。
元伴侶との離別の強制終了の時と同じかも (-_-)
不思議ですが神のみぞ知る、神にお任せって感じです (^.^)



コメント
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