緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

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思考脳を考える。

2024-04-11 | 意識・無意識
  いろんな行動の癖が自分の中で当たり前を作り、それが無意識化して行き。
その偏りや傾きや歪みに気づかずにいて、それが影響大になっていくという、そんな話をしていました。
それは思考癖から始まり、心の癖となっていく。
常にそんな事を考えながら生活している訳ではないけど、何かをきっかけに気づかされるという。
そんな時に必要なのが、受け止め方と捉え方と素直力。
素直に認めて受容して、そんな自分を直すというより受け止める。
色んな自分を知る事と認めることは魂の生き方です。
悪いわけではないので直すのではない、アップデートです。
自分の中で価値観が広がるのです。
後は、癖直しのリハビリです。

こんな事が無意識化になると良いですよねという話をしていました。

そうなると人間がホント楽しく生きて、歓びでいっぱいになって、産まれた事にも生きている事にも感謝できて、凄く納得して今生の終焉を迎えるんだろうなと、そう思っている私です。

その体験の中で思考というものがあるだけで、心を共にするというだけで。
お金だって出世だって、成功でもです、勉強も、そして恋愛も結婚も出産もそれぞれの体験の時にいかに自身がそんな直感で生きているかという事。

そう思っているんですが、何でも無意識なんで気づくまでに時間ってかかるなぁ~って思うのも理解できるなと。

昔、幼い頃なんて関西の大阪に生まれたって事だけでは無いでしょうが、
お笑いが好きで、いつも笑っていました。
漫才も吉本も喜劇もドリフも何も考えずにいつもお腹を抱えて転げまわって笑っていました!!

そんな頃は本当に思考も働いていなかったんだなと今思います (^^;)
現代の子供みたいに勉強もそんなに必死に考えてやっていたわけでもないし、
ましてや分からん問題を必死に頭働かせて解いていたわけでもない。

ただただ好きな教科の家庭科と音楽だけをやっていただけ。
小学校の頃から洋服を作ったり、子供が好きだったので、近所の子供とか従兄妹の面倒をみたりして、楽しんでいた。

そんな私も人生やっているうちに思考がいろいろ働くようになったんですね。
あんなにお笑い好きだったのに、そのお笑いでも好き嫌いが出て来たりして、全てを笑うわけではなくなった (^^;)

えっ?何でこれが面白いの?って思ったりね、
子供たちがお笑い観て笑ってるのに私は何で?どこが?って思うようになったり。
多分笑いのスイッチの入るスピードが遅くなっているんだと思うけど。
それも何かの思考が入るせいで直ぐにとはいかず鈍感になっているんですよね。
イコール、感情も外へ出すのも鈍感になってるし、うちの感情に気づくのも鈍感になっているという事だと。
ある意味思考癖がそうさせているんだと (^^;)

人の魂ヒーリングをしていた時、脳の思考整理と胸のチャクラのお掃除する事が多かった。
それは無意識の領域がそうさせるんだけど、
ふと我に返ると、それに、後に思うと、人間の脳の疲労がどんどん加速して行ってた時だったんだなと思う (-_-)

コロナ始まりの前後ぐらいから感情の吹き出しが激しくなって行ったけど、そうして我を取り戻す人もあったり、それ以上に自分の感情に翻弄される人が出て来たり。

まだまだ膿は出されているけど、
とにかく脳が、というより思考が……、という感じですね。
自分では何も考えてないよという人でもただ気づいていない思考癖はあります。

まだ自分を俯瞰できていて、どんな自分でも素直に認めている人の方が、ある意味正解かも知れませんね (^.^)



コメント
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