いろんな考え方があって良いと思うようになった私ですが
私の考え方の一つで「消去法」で対処していくというのが色んな場面であります
職業選んだ時もそんな感じでした
小さい時から赤ちゃんが好きで、絶対に保母さんになると思っていた
でも高校の夏休みぐらいに近所の先輩が卒業してすぐに職につけなくて夏休み明けぐらいになったと聞いたんです
そうなると、直ぐに働けないなら短大までいって保母さんになるのもなと、直ぐに止めて、何になろうかなと、OLは嫌だし…と、嫌なものの消去法で美容師にでもなろうかなと言ったとたん母親が自分の行っていた美容室に無償で良いので手伝わせてやってくれと頼んだので、まあ良いかと、二軒ケーキ屋さんにバイトしてたのを止めて手伝いに行った
今の私の職業は消去法で嫌でなかったから決まった、偶然のような必然
食べ物を食べる時もワーストワンから食べて行って、最後に好きなものを残すという
何か用事を熟す時にも、段取りを決める時にも、自分の苦手な先に面倒くさい事をすると言う
片づけや掃除でもそうかも知れない (^_^;)
冷蔵庫内も物は買ってもずーっとあると気が済まないで早く使い切ったり、捨てたくなる
だから断捨離という考えもすんなり受け入れ、先に要らなくなったものを手放す事から出来ているのかと (^.^)
邪魔くさい事も面倒な事も段取りよくするにはどんどん省けることは省こうと (^_^;)
だから何気に何でもちゃっちゃと熟せたのか
スピリチュアルの世界に入って行った時からも「浄化」という中の要らない物を消去する方を何より先にと…
「いのち」にしても簡単にそう考えているのか?なんて思ったり
死ぬと精算できるとでも (^_^;)
それを続けてきてるけど
ずーっとそうやり続けているような気がしてきた
それはたまたま自分の考えの概念の癖で、根本は手放せていないかもしれないと気づき始めた
消去ばかり、綺麗にする事ばかり…
勿論それもいい事で楽しいけど
未来を創るという概念に自分の想像を働かす事を忘れてしまっているかもって (^_^;)
幼い時にはもっと自分のしたい事や好きな事、想像の世界が膨らんでいたような
それから年を重ねながら、世の中の概念の「ねば」「べき」という事に無意識に思い込まされて、抜けようと気づいていても抜けきれず、想像の世界に進めないでいるのかも知れないなぁ~と (^.^)
究極に至らなくてもやる事はやったしなぁ~全部思い通りになったしなぁ~欲しいものも手に入れてきたし、そんなに欲しいものもないしとそれ以上を求めなくなったのか
もっと大きな想像の世界を創造していく事も自分に許可してやらんと
ずっと消去し続けるかもしれないですね
こんな事も呪縛の一つ
人間の求める想像のものって何でしょうね (^.^)