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緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

∞美容室です・・・完全予約制でマンツーマンでの完全技術∞ しっかりお話を聞き、丁寧な美容技術を提供させていただきます∞ 10:00~15:00(当日予約・時間外OK)不定休・・・ ★カット★カラー★パーマ★セット★着付けets.   ★スピリチュアルな会話もセッションもオーケーです ★

続19・意識の持ち方、考え方、まとめ

2020-09-19 | 『わたし』
 ずっと私の意識の導きの足跡のような事を18編も綴ってきました

自分の人生の流れを思い出したり、納得したり、腑に落ちたり、そんな事を思いました

出会った人、出会った出来事が全て必要で、そうじゃないと今の自分は出来上がっていなかったと思う程だという事でした

一つずつの出来事が意味をもち、それに気づく事です

昨日にも書きましたが「全てはオーケーだ」と、そこに向かうのも簡単なようで結構大変ですよ

普通は全てはオーケーだというところで満足するんです

なんかそこでスピリチュアルの気づきが終わった感があるんですよ

でも、全てをオーケーにするにはどれだけの壁があったか!

その壁をクリアするには思い込みの概念を手放しオーケーにするために新たな概念を上書きしないといけないんですよ!

素直な人には簡単ですが、強情な、頑固な人は受け入れるのにも大変です

自分自身を無視したまま、人の言葉に憤慨したり、人の態度にむかついたり、人に反応するんですよ

自分に反応すると受け入れられない場合もあります

色んな感情が邪魔してきます

一旦受け入れると意外と簡単なのに…

霊性の世界は、私が経験してきたと同じように時代も並行しています

霊能者が世に流行った時もありました、冝保愛子とか、細木数子とか

それより進化すると神の世界で美輪明宏とか江原啓之とかが導入編をやってのけてくれました

その時代背景には日本でも色んな宗教団体が同じような能力ではびこりました

新興宗教です

それは教祖が創る世界です、トップでないと駄目だという世界

マインドコントロール、依存させる、服従させる

権力とか牛耳るとか懐柔といった世界です

そうしないと落ちるといった強迫観念につけ込む世界

観えているのは目の前の人の世界、虚像の世界です

きらびやかだとか、幸せそうだとか、輝いていると思わせる世界

そうなりたいとか、そうでないとだと駄目だとか

自分以外しか目に入らない世界

内から込み上げる世界ではない

今でもまだまだそう思っている人は多いと思います

人間が教祖だったり、組織の教典だったり、

それらを今信じている人は、それの本質をどれぐらい知っているんでしょう

間違っているわけではないと思いますが

どんな事を言っているのか説明も出来るんでしょうか

それをどれぐらい普段の生活に取り込めているんでしょう

ただの教科書で全部読んで終わり、意味を知って終わりではないんです

テスト対策しているわけではないんですよね

どう解釈したか、どう咀嚼したか、どう活かせているかです

団体にや組織に入っていると、個人のパーソナルの表現がどこまで出来るているか認識しているんでしょうか

宗教の数は凄い事になっています

それなのに心の底から幸せだと思っている人は同じぐらいいるんでしょうか

そういう事だと思います

個人の魂の中に答は全て在るんです

教祖が教えてくれるわけではない

答えは自分で出すもの

それを促してくれているか客観的に自分の目の前の教えを見直す時期でもあります

そして自分で答えを出していく事が真の悟りの道だと知る時です

ある意味宗教の枠の小さな世界よりも楽に生きる道を選択できるかもしれません

ただ名前だけ入信している人も多いですが

まあその小さな世界でも教典と向き合っている人は別ですよ

しっかり教典が導いてくれていますから (^.^)

教典の奥まで探究してくれればいいなと思います

私がまだ命を生かされているという事は、魂の世界を伝える事なのかなと思っています

ある時にはKさんに言われた私の前世、宗教のトップの前世があったなと言われた事がありますが

そのバランスを取るために生まれてきたとしたら、前世間違った教祖をしながら生きていたのかも知れません

依存させ、お金儲けで考え、自分の我欲の城の世界を築いていたのをもう一度やり直しに来たのかもしれない

前世のカルマに気づいて今世やり直すための人生だったかも

もう一度やり直すチャンスをもらっただけでもラッキーな事なんですよね

人生ってそういうもんです

一つずつ熟して気づきに気付いて行けば自分の生きている本意に気づけるはずだと真理を探究しながら理解してきました

人は「天地人」と繋がり、自分の内側に気づいていく

そこに真理があります

熟していく事に意味があり、熟していく事が悟りに至る事と繋がります

神社仏閣にお参りしている人も宗教団体に信心している人も、その象徴に留まらないで、そこから繋がる内と外の宇宙と繋がって行く事を願います

 (^.^)


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続18・意識の持ち方、考え方

2020-09-18 | 『わたし』
 昨日まで綴った私の意識の変化と出会いの変化

全部必要だったし、そうじゃないと今の自分は無いと思う

人生の体験が全てスピリチュアルの世界(霊性の世界・魂の世界)だったと思うし、少しづつでも成長していたんだなと振り返る

自分の体験を言葉でまとめるにはそんな才能も今は出てこないけど

宇宙の真理はMさんから卒業してからの数年間で言語化出来てきたし

能力覚醒からの真理へと導きも在り得る世界なんだと

体験が全てで、必要で、必ずその本質に悟りが在る

それでもこの3次元にいる間はまだ生かされているんで、まだまだ向き合う事もやって来るんでしょう

高次の意識をもって向かうとその体験も高次の体験に変わる

役割も高次に変わる

同じ体験でも意識が変わるだけで体験の内容も変わって来る

そして自分の中に全ての答えが在る

どんな体験でも駄目な体験は無い、必要な体験

駄目だと思ってしまうなら、駄目だと思う自分の概念を変える必要があるだけの体験

嫌いな事を好きになる必要がないけど、嫌いだと知る必要があるから起こっている体験

もともと魂は一つだから、いつでもその反対も在りきで…

私は、今回綴っていた中にも話しましたが、教科書があった訳でも無いので、何が正解かは知らないんですが

陰陽思想とか、相対性理論とか、心理学とか、どれだけの真理へ導く理論がこの世界にあるけど全部正解だと思っていて

自分が興味をもった事が正解で

自分が魅かれて(引かれて)行くものに)進んでいく事が正解だと思います

その理解や解釈の仕方に次元があるだけです

体験を楽しむ事が全て…その後に湧き出てくる感謝

自分の魂の奥にその全てがちゃんと在る

その全てというのは無限です

それを知るために色んな毎日の体験が起こっているだけ

それも書き漏らしたけど、思い出すと

Mさんに出会ったある時にインドの聖者アンマのイベントのボランティアに参加して主催側のメンバーに入ってある部門のリーダーを任された時

関東の人と関西の人の間を取り持たないといけなかったんですが

その取り持つのも意識の違いが大きく大変でした

納得するために東京まで足を運んだりしました

結局は私の無駄足になるぐらいの問題で、人は勝手に解決していくんだと学び、人の間を取り持つにも自分の意識を挟む必要がない事も学んで

無駄足でも無駄足にならない私の体験で必要だったのも学び

そのイベント終わりには大きな気づきを得たのを覚えています

その気付きが「全てがオーケーなんだ!」という事でした、だから毎日やって来ることを熟して行くだけで良いんだという事でした

その日から私は「全てオーケーなんだ!」という事に意識をもって変えて行く事が私の課題となった事です

全てが!となると難しい事もあるけど、その度に私の思い込みや勘違いの概念が変わって行き、前へ進んでいく事が出来るようになったと思います

それを証明してくれたかのように覚醒が起こり、ある時にアメリカの有名なサイキッカーのウイリアムレーネンさんの霊視で、「あなたはある時から見る角度、観る世界が変わりました」と言われた時には本当に喜び感謝しました

自分にも感謝し、愛おしく感じるようになりました

それがその後の自分の悟りに向かう励みにもなって行きました

また次のステージでの出遭いを楽しみに進んで行けそうです

(*^^*)

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続17・意識の持ち方、考え方

2020-09-17 | 『わたし』
 私の探究を通しての考え方とか意識の変化を綴っています

霊体幽体の次元から宇宙意識というものを知っていく事になりましたという事です

霊能力や超能力という人間にも本来の潜在能力というものがあるという事にも出遭いました

そして人との出会いがあれば人からの卒業もあるという事も知りました

それは、自分自身の人生のその時に必要な人や出来事がやって来て、必要なくなったら別れもやってくると言う事でした

人間の魂は本来一つのもので、そこからの分離でこの世にやって来ていて、また一つのところに戻るために、学び気づき成長して魂の部分に戻って行くという感じです

この世で関わる人は一方的ではなく相互にその手助けをしながら関わりあいながら戻ろうとしています

この世で出会っている時には、その表面上、観えている人間しか見えていないし、出来事も起きている事実しか見えていないだけです

こんな風に思えるようになったのもKさん、Yさん、Mさんを師と仰ぎ、普段の生活にも悩んだりしながら自分の課題を見つけ、

それを丁寧に対応して、たくさんの体験を積み重ね、悟り、腹に落とし込み、

その一つ一つを点として記憶してきた事によるもんだと思っています

自分の人生哲学として構築してきたんだなぁ~って思っています

昔、美輪明宏さんが言っていた…「人生は哲学する」と。

そんな事をやっているんだって本当に思いました

そんな哲学と言っても私には論文を読むとか、今までに教えてもらった人にも教科書というものが無く、

よくスピリチュアルと言えば、先達さんがいて、その人も中には神様や宇宙意識が降りて来たと言いますが、それを著書にまとめたり、実技を教えたりしてくれています

外国の有名な人に会いに行ったり、勉強しに行ったり、

もうそこには組織や団体というものがあったりして、何かが違うとか、違和感があるなと思う私がいたりして

教科書のまんまが良いのかという思いもありました

なので、自分でも分からない事を不思議な事をやっている自分を解析して説いていく事にしました

言語化していくといった事です

と言っても、頭が良い訳でもないし、話が上手だという事でもない

美容師をしていても技術屋ですし、見て覚えてやって来た人間ですから、ただの話好きの世間話しかできません

でも有難い事に勉強会やヒーリング会から一緒に卒業した人がいます

それに、私達より前にMさんに違和感を覚えていた人がいて、離れた人がいたのでその人とそんな話を共有した後に一緒に勉強し合いましょうという事になりました

そこでは同じように習って、同じように体験してきた人達だけど、私の方が一先ず先に不思議に気づいたり、不思議に体験したし、それまでの私の変化もその不思議も観ていてくれた人達なので、すんなり宇宙と繋がり、メッセージを降ろすような事をするようになりました

でもそうしながらでも自分の魂がしていることを自分でも観ていましたし、聞いていましたので、解析していく事と言語化していく事に出会って行くようになりました

それも自分の体験と同時にお釈迦様の言葉にたどり着いたり

イエスキリストだったり、大日如来の意識だったり

それが本当にその人の言葉なのかそうでないのかはもうその時にはどっちでもよくて、その真理が私にとって大事だと分かっていたので。

人を崇拝するのではなくて、真理を学ぶと。

真理もですが、能力的にもです

手や体が自動に動くことがどうなのか、自動で話す事がどうなのか

これは言語化というよりは、科学や物理といった域になっていきました

肉体は細胞で出来ている細胞が動いている

何が動かしているのか、脳?神経?意識?が動かしている

どんどん探究心が深まっていきました

そうなると、神様も大切だけど、もっと大きな世界観じゃないと…

「神様」という言葉にしてしまうと、もう既に人類にとっては世界でもそうだけど概念が枠にはまってしまっているので受け取る認識が歪んでいきます

既に、世界では一神教だったりするのに日本は八百万の神ですもんね

それらの元があるはずです

魂は一つで人類も本来は一つ

それでも地球でも大陸が分かれているし、人種も違う

それなのに一つだと言われても分離の繰り返し、奪い合いの繰り返し、それに関わり闘いの繰り返し…という事をやっています

本当は一つなのにそれぞれの国や時代や土地や風習によっての学びが繰り広げられているだけです

それぞれに「神様」の概念が違い、人類を低次元に縛り付けてしまっています

もう神様という言葉もつかえないようになっていたりします

その枠から人類の意識が解放されないと解釈できない事が起こっているということに気づき出しました

いつになっても、自分の概念の枠を広げるんだという事ですよね

思い込みの中にいたり、頑固に自分の意識を持ち続けていては解釈できない事、説明できない事があるという事です

宇宙の銀河の星でも毎瞬爆発と分裂が起こっているけど、地球もそうです、その中にいる人間もたまたま肉体は持っていても意識の塊です

細胞の意識レベルで自分の人生と繋げて解釈しないと答えが出せない

本当は答なんか無い、ただただ体験の星だと思わないと悩みになるという事も気づいてきました

こんな事を宇宙の意識と繋がりながら勉強して、それを人に解かりやすく、普段の生活にリンクさせながら説明して…という事を数年してきました

人に説明する事で自分も二度三度理解が進み、落とし込めます

それが哲学的な言葉に整理されていったんです

そう体験も共に、説明も聞きと言っても人生は一人一人のものなんです

なので、その人自身の生まれ持った課題も違うし、自分で気づき自分で答えを出さにといけないんです

その方法しか伝えられないんです

それが、やっぱり難しい

私と共に勉強していた人達は、私より十年も多く人生を生きている人だったんで、育った時代も違うし、生き抜いていた時代も違う、その分経験も多いので教わる事も多いけど、邪魔意識の思い込みや思い違い、環境が育てる我欲の大きさも違うので

スピリチュアルを学んでいますよというだけで満足していては手放す物も多くて大きくて、難しいんですね

それに年を重ねている分小さな「我」は手放せても一番のこの世に生まれた目的の「我」を捨てるとなると、自分との闘いも出てきますから大変です

自分と自分の魂と喧嘩するといった事が起こります

その魂の役者が私なんで、喧嘩の的は私となりますが、それまで教えてくれてありがとうと言っていた人が急に暴言を浴びせられるという事になるんですよね、それでも私は客観的ですが、相手は我失っています

スピリチュアルはただの勉強ではないという事が気づいた私には収穫ですが、人にとったら苦しみです

それを一生懸命になって言葉化にすると言う事は、この3次元に私も意識を降ろさないといけないので、また3次元に留まる時間も増えて戻ってしまうんです

感覚で取り入れられるように感覚で伝えるんですが、意識がどうしても働くんですね

ここで右脳と左脳がという話になるんです

右脳で潜在意識の奥と繋がりますが左脳で処理します

それなのに左脳を使うのに偏ると自分も楽しくなくなるんです

人の理解を進めるのに苦労しだしたんです

そして私が楽しくないと、相手も楽しくなくなる、そうなると人は余計に3次元の意識が出てきてしまうので、また私はそれをどうしてあげれるかという事に意識がいってしまう

またそもそもがそれが間違いだと知っているのに

人の気付きは自由ですから…縛る事はしてはいけません

そう至った私はその勉強会からも離れました

勉強会解散しました

私も自分の真理は大方自分のものになりました

その感覚で生きていけると思っています

なんならこの世も卒業してもいいかと思っているぐらいですが、まだ生きているという事は生かされているんですよね

何か残っているんでしょう

今は地球自体がかなり最終変動起きている時なのでもう少し自分の内側の宇宙に意識しておきたいところで、

そんな宇宙からのエネルギーを感じていたのも自分もそうだけど、この世で関わりの深かった今の家族、

自分の周りの小惑星でもある家族の意識(私との関わり)を整理する時なのかもしれないなとも思っています

感謝と責任ありますもんね (^.^)


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続16・意識の持ち方、考え方

2020-09-16 | 『わたし』
 私の探究を通しての考え方とか意識の変化を綴っています

霊体幽体の次元から宇宙意識というものを知っていく事になりましたという事です

霊能力や超能力という人間にも本来の潜在能力というものがあるという事にも出遭いました

そして私にもそんな事があったんだと人生生きて来て40年も過ぎた頃に気づいたんです

それはそれは不思議ですがその前後のストーリーも積み重なっていたのでとにかく信じようと思いました

自分に客観的になるという事を忘れないで

冷静さと謙虚さも心して…

霊能者は霊力と並行して人格も育てないといけないと昨日も話しましたが、この謙虚さを見失い、我欲だけで突き進むと霊力だけが大きくなります、

その時に違う人格が入り込んで、自由に操られる事になってしまうんです、我失います、(人間みんな霊体なんで、誰にでも言える事です)

人間の潜在能力は無限であって、それは、この世の近辺の次元にはどんな意識が散在しているかも無限だからです

たまたま私はそれを先に観させられていたので、絶対にそうなりたくないと心に決めていました

まあそれがたまに臆病さともなり石橋叩いて渡るという用心さにもなり、前進するのに時間がかかったりしているんですが (^^;)

でもその一つ一つがしっかり構築されていっているので良いかと (^.^)

そして、我見失わないのには、常に冷静であっても高次の気持ちでいられるかです

楽しいか、歓びか、感謝か、愛です (^.^)

こんな言葉も言うには簡単ですが、魂レベルでは深いので、深いところから溢れ出すにはいろいろな体験も必要ですが…

私の場合もその人の魂とリンクしている事がまだまだただ楽しさと喜びだけの中にいたので、何が何だか分かっていませんでした

これが良かったのかもしれないけど、周囲のエネルギー体はどんどん深いところから感情があぶり出されていきます

東北の震災で凄い津波があったのを覚えているでしょうか

遠くの沖の深いところからの振動で押し寄せてくる高い波

海面の表面上では静かに見えているところでも中身の威力は凄いもの

全てを潰して壊して底からかきだし、すくい上げるかのような

この「底からかきだし、すくい上げる」が「心の底からかきだし、救い上げる」という事になるみたいで

心の感情をかき乱され表面に出てしまう事になる、それは悪いようで良い事

その私の能力(一風変わっていたので)だけを見るようになると、中には我失う様にもなりって話でしたが、

Mさんがそうでした

昨日の話のカバラ(宇宙の真理)でも言ったようにダウトの部分に興味が行き、人間の裏や奥ばかりを覗いてしまった

勉強会やヒーリング会ではオフ会でも絵の教室後でも仲良くしていたので

そんな仲間の一部でイベントをしようと、絵画のギャラリーで絵画を出展したり、趣味のアートを出展したり、ヒーリング会をしたり…

その期間中の始まりから終わるまでMさんが突然豹変していったんです

言動とか行動が明らかに変わって行ったし倒れこんだり(詳しくどう書いていいか分からないので控えますが)

最後の日には死臭もすると言っていた人もいました、

中日にはインドのサイババが亡くなりました

その日の朝に、私にも宇宙からメッセージが降りて来たんですが、サイババが亡くなると同時にこの地球上で良くない働きをしていた霊能力を全て責任もって宇宙に持ち帰りますと(こんな感じ)

このイベント中、私は絵も出展したんですが、ヒーラーとしても動きました

それを朝からずっと宇宙と繋がっていて、普段以上に長かったので、どんどん勝手に動き、しゃべり、いつになく不思議倍増でした

その最後の日にMさんの異常を見ながら終了の片付けに至ったんですが、その前日から家でも勝手に情報が流れてくるんです

過去から今までの私の情報も(成り行きのような)、そうやりながらの途中、テレビのクイズにも簡単に回答したり、勝手に料理したり、

何が起こっているのか…

そこで、Kさん情報、Mさん情報も流れてきてそれを独り言のように喋っているんです

私が私の肉体ラジオで話を聴いているみたいに

これが宇宙計画か…こうやって人間を使って宇宙の計画を遂行しているのかというような事を

それによって、サイババが亡くなる時に、その必要なくなった魂を全て持ち帰ったのか…という感じでした

もちろん、この世の肉体は残りますが、その中に入っていた宇宙意識が相殺されたという事みたいでした

そうなると、違う意識のMさんのところで、私がヒーリングの手伝いをしているのはどうなのかと思うようになって行ったんです

絵の教室の後にお茶もしていたんですが、その時の会話もMさんは既に妙な感じで、イライラしていたり反抗むき出しだったりで、少し切なくなりましたが、こんな時間ももう卒業かなと。

行くとなると、手伝ってしまうし、予約入れると受けたい人の席も埋めてしまうしと思い、そのヒーリング会も卒業する事に決めました

それと同時に研究会も既にやっている事の次元が変わって行ったので卒業です

親しくして絵も一緒にずっと習っていた友達にその最後の前日に私に起きている事と宇宙からのメッセージを話し、それもどんどん勝手にしゃべるという自動口伝のように、友達はMさんの変化にも気づいていたので不思議にもそれをすんなり信じてくれて(彼女にもスピ系だったので)、最後の日も片づけて彼女の家まで送るのに一時間程の車の中の会話も不思議で、運転も自動運転かと思うような感じでした

その卒業では友達数人が連れ立った

でも決して、Mさん自身が悪ではなく、宇宙意識が入り込んでいた事によるものだからという事で、「罪を憎んで人を憎まず」と同じように、人には悪はないです、「誰のせいでもなく自分の為」

この事をきっかけに自分自身の自律をしましょうという事を同じく卒業したみんなで約束しました

この勉強会にもMさんにも深く付き合っていたので、意識を切る事はみんなには難しい事でしたが、ある意味自律するまでは責任もってお手伝いしますと私も誓いました

同時の卒業だったので、ヒーリング会ではかなり酷く言われていたようです

私がみんなの脳を改造したとか、あそこにはカットしに行ったらみんなそうなるとか…こんな事言う時点でもう駄目ですよね

私はそんなこと言われようが、自分を信じるというミッションの一つだと思って何も感じませんでした

これからは総まとめみたいなものです

訳わからないまま進んできているし、同時卒業の人達にも伝える事は伝えないといけないし、悟りに導かないとという責務もあるし、

まず自分自身も自分を解明していかないとあかんと思い出しました

ここからが、自分がやっている不思議な事の解明と解析です


続く (^.^)


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続15・意識の持ち方、考え方

2020-09-15 | 『わたし』
 私の探究を通しての考え方とか意識の変化を綴っています

霊体幽体の次元から宇宙意識というものを知っていく事になりましたという事でした

霊能力や超能力という人間にも本来の潜在能力というものがあるという事にも出遭いました

この私でも潜在能力の覚醒を体験したという事でした

そんな時に気づいた事は、魂は繋がっていて一つの魂の自分は一部分なんで、その役割がどんな役割かはお任せだという事でした

この世の中でも、学者さんの中にも、お医者様の中にも、音楽を伝える人の中にも、国を創って行く人の中にも、全ての人の中にいますが(次元が違うだけで)誰かの為に、何かの為に自分の知恵と能力を使っている人です。

他人の魂も一つの魂の一部分なんで、この世に生きて出ている限り、それぞれが不完全なんです

その不完全の中で絡み合いバランスを取って行っているという事です

他人の為に役割を果たす…

それは他人の為であって、自分の為だという事です

そう分かった私は、その覚醒してから人の魂と繋がる事がただただ嬉しい事でした

何をしているかその時はまだ深く分からなかったけど、人の病気を治す事が良い事なのか、どうなのかとか、人の感情とも向き合う事が私にとって、その人にとってどうなのかも分からなかったけど

宇宙のお仕事をしているんだと思う事が嬉しくて楽しかったです

それに対しての妬み等といった感情も不思議故に出てくるもんだろうと。

見えないから、知らないから、人ばかり見ているからと、後に考えるようにもなりましたが

そういう人からの感情を受けるというのにもまだ鈍感だったりして

その時はまだ自分の事だけに一生懸命でした

そうすると

その頃にキーワードとして参考になって来ていたのが、カバラの世界

その世界を知って、概要だけ読み込んで大体の事は解釈したという感じでしたが

簡単に言うと(めちゃ簡単に言っちゃいますが興味ある人はネットでカバラを検索してね)、ユダヤ教の伝統から引き継がれた神秘思想を現したようなものですが

「生命の樹」と言っていました

私は感覚的に捉えてめちゃ納得して「これだわ!」って思っていました

人間が底辺から次元を上げて行くために神様から伝授された知恵

普通ならどんな宗教も教典や聖典で残っているけど、口で伝えていった時代の律法

その中でその頃の人類は、次元を上げる事に使おうとせず、神秘体験を追及するための手段として用いられていたとようで、

仏教よりも密教だけをみたいな、自分のものにしたいという個人の我の歪みですが

そのカバラをいろんな人が図解しているんですが、ちょっと勝手にネットから拝借してきました

 10個の球体(セフィロ)と22本の小径から構成されている神様の属性があり、それらの次元の世界を知恵を使い次元を一つづつ学び成長していく、そうすると最後に奥の球体(点線で現わされた部分)ダウトという世界まで至るという

これがキリスト教で言うとイエスキリストが十字架に括られた図がその生命の樹と言われ、

仏教のお釈迦様で言うと、菩提樹の木の下で座禅している姿の図が生命の樹と言われているそうです

そんな事を知った時に私は、仏教もキリスト教も本当はその象徴の人物に向かうというよりはその真理を学びなさいよと言う事をこの時に理解しました

そのダウトですが、そこの世界が神様の智慧で、全知全能の超能力の世界とも言われていて

そこだけの神秘体験に至りたいという人間がいるという

現代でもそうみたいです、

少しでも霊的能力がある人はこんなスピリチュアルの世界を知ったら簡単にもっと力が欲しいと望む、それでだめになっていく人を私も見て来た

私が感じたところの「能力は人格の成長なくして与えられない」というものですよね

そして、人の成長は自分とは別物で、人の成長観て、人の能力観てばかりいると、その人の裏を見たくなるという訳です

そのMさんはある時から私の裏が気になりだしたようです

私が自分の魂と一体化になって繋がった時に、私の魂にどうやら色んな事をしゃべらそうとしてき出したんです

私にはそんな裏も表もありませんし、私の魂もその意図を読み取る必要も無いので、繋がっていても勿論答える事もありませんでした

それからがまたMさんとの出来事に不思議な事が起こって行きました

それと同時に勉強会でも研究生でいましたが、最初の30分ぐらいは研究生の研究発表的な事をしたり、段々やる事が持ち込みの人や家族や場所といった浄化ばかりになっていて、これならあのKさんの世界と何ら変わりないなと思う様になっていました

それはまた人の為にする事だけど、人の依存も育ててしまう事

人の為にはならない事だと思う様に…

まあでもヒーリング会のメンバーも来てるし、アフターも楽しいし良いかと思いながら行っていた

でもそのMさんとの出来事がでて来たことで、この勉強会ともヒーリング会からも卒業する事になるとは思いませんでした (^.^)


続きます (^.^)



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