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緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

世界観は無限。

2025-04-28 | 真理
  人それぞれの世界観があって良いと思う。
その世界観も一人に一つではないのです。
人生観といってひとくくりにするものでもない。
物事、言葉の数の限りの世界観というものがある。
それが人それぞれという事でもあり、
という事は、その世界観はある意味無限でもある。
広がりも無限なら、奥への深くも無限。

それが人とのわだかまりも作り、
自分を縛りつけてしまう場合もある。
人との世界観の違いで壁も出来る。

大概世界観が広い方や世界観を深く読み解く人は穏やかでもある。
相手の世界観が自分の中に既にあるのが分かるからです。

世界観が狭い人や理解が浅い人ほどその無数の世界観に感情が乗っかり、直ぐに感情的になってしまう。
それは明らかです。
世界観が大きく広い人ほど自分の事も俯瞰できる余裕があると。
それも自分自身を理解するのに答えが多いからだと。

全く世界観が違う人や今までにない知らない世界観と出逢ったとして、最初は唖然としたとしても自分の広い中から答えを探そうとするし、知らない世界観も認知する事ができる余裕もある。

それはなにもそんな人が凄いと言っている訳ではない。
本来は全ての人がそうなんだと。
自分の世界観は宇宙にも広がっているし、自分の奥の宇宙にも繋がっているからです。

それが自分の世界観に籠っていたり、
人と自分を比べていたり、
上とか下とか、近年ではマウント取り合いのような感じで、

自分の外側にも内側にも制限や壁がある人が
その上とか下とかマウントとかで制限しているんですよね 
自分の世界観を制限している。
それが無意識に出ている。
人との境界線も作られてしまう。

近年では精神疾患や精神障害も増えています。
それらを心理的や医学的に研究している人もいるためにそれぞれにカテゴリーや名前も付けられて、
その研究は人類にとっての概念にとってはある意味必要なものかも知れないけど、
名前を付けられるとそのカテゴリーの中にあてはめられてまた制限されてしまう。
その制限によって守られる場合もあるけど、解放されて自由になる事が出来ないほどに閉じ込められる。

ただただ概念の違い、世界観の違いだけだというのに。
病気だと勘違いし、病気の一部のカテゴリーの中に自分を閉じ込めてしまう。

これだって自分の世界観を広げ、自分の中の世界観の深くを知る事でカテゴリー分けをしないですむ事をただ知れば良いだけなのに。
それぞれの世界観の境界線をなくせば良いだけなのに。

最初に言ったように、物事、言葉の無限の数かける人の数分の世界観があって、
物事なんて言う世界観の組み合わせでも世界観が膨らみまた答が広がるのに、
知ろうとしないし、広げようとしないし、自分の奥の答えを探そうとしないで、直ぐにカテゴリーの中に閉じ込めて良いもんなのか?

病気だって、病気だと言われれば直ぐに病気だと信じてしまうけど、
医学的、物理的、心理的、色んな世界観が絡み合ってるのに、
自分で自分に向き合おうとしないから直ぐに病気かも知れないと病院へ行く。

そして病院の先生が正しいと信じる?……???
これはハテナでしょう。
だから医者は医学的見解だと述べるわけです。
もっと他の見解や世界観だってある事を知ろうとしない。
自分の心や自分の奥の世界観は無視してしまって、どこかに閉じこもろうとする。
それは閉じ込めた方が安心する自分がいて、現実逃避でもあるかも知れないのに。

それぐらい世界観って影響力あるのです。
あるってだけでも知ったとして、世界観を広げてみようとか奥を知ろうとすれば、どれだけの世界観と出逢うか。





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