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緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

∞美容室です・・・完全予約制でマンツーマンでの完全技術∞ しっかりお話を聞き、丁寧な美容技術を提供させていただきます∞ 10:00~15:00(当日予約・時間外OK)不定休・・・ ★カット★カラー★パーマ★セット★着付けets.   ★スピリチュアルな会話もセッションもオーケーです ★

言葉と思考はどんなものでも出さないと始まらない浄化。

2023-02-02 | 真理
  普段使う言葉って大事ですよね…という話から
口は一つ、耳は二つで、自分の発した言葉も二つの耳から2倍になって自分に返ってくるという話しをしていました。
それを毎日繰り返していたら
その言葉で病気になったりする事も。
それは良い言葉でも悪い言葉でもだと思います。
人の言葉でもマインドコントールされるけど、
自分の言葉でも自分で自分をマインドコントールしているんですね。
極力波動の高い言葉を発したいと思いますね

もし嫌な言葉を他人へ発してても自分に返ってくるんですよ。
それも2倍になって!!(口一つで耳二つ)
他人は案外耳を塞いでるかも知れませんけど聞かないふりかも知れません (^^;)
その事実やシチュエーションがその他人の脳裏にどう残るかでもあります。

自業自得、因果応報、身から出た錆、自縄自縛、振り子の法則
などと言う言葉があります。
これは昔から悪い事とか災い事とかに使われますが、
どんな事にも通じると思います。

自分に返ってきた言葉の概念を理解し解釈していないでいると、
良い言葉であっても呪縛となる場合も。
呪縛となって自縛となる。

日本人は特に『美学』のように求める事もあるからです。
自分でも言うし、人からも言われます。
真面目に優しく正しく美しく…
こんな言葉でも行き過ぎると自身の呪縛となる。
誰しも良くなりたいし、正しい人間でもありたいし…。
成長や進化も求め方を間違い行き過ぎると歪む。

全て運否天賦(うんぷてんぷ)
故事成語の四字熟語ですが、全ての人の吉凶禍福は、
天がそうさせるのだとする事。運を全く天に任せる事。
とあります。
それがこの世で命ある期限に続くのです。
成長しながら進化しながらです。


良い言葉、良い思考…と言っても
その「良い」と言う概念も案外自分勝手なので
それを精査するのは大切ですが。
自分にとって「良い」を発していると良いんですよ本来ね (^.^)
ただ、それで心が喜ぶなら…。
心から感謝が湧いてくるならですよね (^.^)


ですがですが…。
そんな事でもないんですよ。

言葉もですが思考もそうで、
自分の脳の中に思い違いしたままだと
歪んだままマインドコントロールしてしまうし、
出さなければ湧いてくるはずもない。

だから…良い言葉であろうが、悪い言葉であろうが、
良い思考であろうが、悪い思考であろうが、
出すことが大事なんです。

それも運否天賦だからです。
どうにでも返ってくる。
そして学べばいいし、気づけばいい。

横の繋がりは切ることはできますが、
天との繋がりは切れる事はありません。

だから内から出てくるのだと思います。
横の繋がりは自分の内のそれに気づかせてくれるだけの事。
気づかせてくれて学べば切れたって良い。

何度も学ばせてくれているのに気づかなければ、
内に溜まった良い言葉も思考も、悪い言葉も思考も淀んで爆発します。

長年かけて出す人もおれば、短期で一気に出す人もいる。
中には中々出せなくて、痛みや苦しみの中で最後に感謝やら優しさやらいっぱいの中でしか相殺できない人もいます。
病気の最後や老後の最後がそんな時にあたりますよね。

悪い言葉や思考も相手がいないと出せません。
お互い様です。運否天賦だからかな (^.^)

ついてる、出来る、出来た、嬉しい、楽しい、幸せ、ありがとう、愛してます、感謝します、許します。
こんな言葉でも当たり前を越えて概念を超えて、
内側から湧いてくれば真理到達(覚醒、悟り)です。

それのための体験を有難うって言えるまでには数当たらないといけませんね (^^;)
そしてどんな言葉でも思考でも出さないと始まりません。
それは人生にとって『浄化』となります。
人生は体験によって浄化している。
肉体を離れた次元ではもう既にその方法は使えない。(先祖、幽霊界)
自分の浄化、他人の浄化。
したりされたり。してあげたりしてもらったり。
誰しもがどちらにも携わって生きています。
それが人間関係です。
お互い様です。
感謝です (^.^)



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人生の方程式を解いていく

2023-01-13 | 真理
  数学も嫌いだったけど、小学校の算数ですら苦手 (^^;)
単純な計算はできても応用になると出来ない。
今ならそれが読解力や理解力が影響するというも分かるけど。
計算式に当てはめていくことが苦手だったんだと思います。
当てはめながらだんだん分からなくなってくる。
それって全然文章を理解してなかったって事やんね (^^;)


人生に例えてみると、方程式がこの世の仕組みみたいなもの。
そこに体験の素材を埋めて答えを導き出す。

先に答えが出てしまっている場合もあるので、
その要因と素材と原因を導き出す。

たまたまそこに見えない世界のXやYやZがあり、
足す、引く、かける、割るがあるだけ。

人生の中でいろんな素材を持っている方がいいと思います。
それが体験でもあり、情報でもある。
どう組み合わせるかです。
それは数学の方程式の様に、私が学生の時にできなかったように、
組み合わせ方のコツを知る事なのかなと。
また、仕組みを知るという事なのかなと !(^^)!

そういえば…、
福山雅治がガリレオで凄い難しそうな方程式を作って解いてますよね。
素材集めて、すべてが繋がれば、どんどん当てはめていくだけ…みたいな (^.^)
数学か、科学か…
何でもだけど、素材と要因は必要みたいです。
人生なら、産まれてきて現在までの人生に集めているはず。
それでも解くのに足りないとなれば、
魂の経験がすべて知っている。
その魂の経験は自分だけが知っているのです。
それも先ずは自覚からですね (^.^)



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本物を見極めて進化していく

2022-12-11 | 真理
  本物を見極め続けて行くという話をしていました。
続けていく…とは、それが人生だからです。
見極めるという事が自分自身を知るという事だからです。
見極めていくという事が概念を広げるという事だらです。

じゃあ本物って何なんだ、本物って誰が決めるんだという事へ繋がる。
答えなどない、答えがなくていい。
探し続ける、やり続ける、生き続ける。
それが命だからです。

本物を探し続ける事を続ける事が本質に繋がる。
考えることではなく生き続ける。
進化し続ける。
自身が進化し続ける事と進化に役立つこと。
それが真理。

本物に近づくほど真理に近づく。
真理に近づくことが人生です。
真理に出会うまで続ける。
真理をやり続ける。
続けることに意味がある。
変化し続けることに意味がある。
続けて続けて変化し続ける事そのものが真理である。
生き続ける事が魂の真理である。
生き続けることが魂の進化。




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本物を見極め続けていく

2022-12-09 | 真理
  ここんところのお出かけ、勝尾寺や伏見稲荷大社であったんですが、
求めているところの意識とかけ離れていてるのも分かってての訪問でしたが、
一緒に行く人の魂がカタチあるものから意識へ繋がればいいなという思いでお供しました。
仏さまや神様も姿が見えるものではありません。
そこへ行くと仏様や神様がいるわけではない。

先入観で、ここには素晴らしい神や仏が宿ると信じて行っていると思うのですが、
そこへ行った時に自分がどう感じるかを知る必要もあります。
カタチあるものはいずれ朽ちていきます。
そこに集まる意識によっては汚れていきます。

その奥の本質には神様も仏様も存在しますが
表面的なところは何も存在しないか低次の意識がまとっている場合もあるという事です。

最近話題の宗教団体問題もそうです。
心に悩みを抱えて神や仏を求めていると、表面に惑わされます。
同じ意識も集まりますから余計に惑わされて我を見失います。

親が信じているからとか、親が入信しているからと言っても
自分と親では意識も生き方も違います。
本来の人生の目的も違います。

昔なら親に産んでもらったから…義務や責任があると教えられ続けてきましたが、本来は個々の人生です。

宇宙や地球のエネルギーが変わり始めた2000年、
その前あたりから個性の時代、個の時代に変わっています。
自由の時代、自分の人生に責任をとるという時代です。
個人の自律の時代です。精神的自律です。
エネルギーがそうやって変わってきました。
親がどうであろうと、先人がどうであろうと
隣の人がどうであろうと、グループの意識がどうであろうと
もっと大きなエネルギーが個人の意識に影響を与えだした時代。
だから先人のやり方も変わらざるを得なくなりました
だからグループも仲間も崩壊していきました。
それは個人の意識を持つというエネルギーの影響です。

そんな頃から人間の自律神経にもエネルギーが影響され続けてきました。
自分の神の道を見つけれるようにです。

親への責任と義務で親の介護するのか、
子供育てていく義務と責任って何なのか、
昔では考えられないほどに親が子を殺め、子が親を殺めるという現象、
そんな現象を目の当たりにしながら自分の心を考えていく時代です。
現象に正しいとか間違い、正誤、善悪…という概念が当てはまらなくなりました。
今まで常識だと思っていた概念もどんどん崩壊していきました。
決められた常識、規則、制限…を外していかないとついていけなくなりました。
それも宇宙エネルギーの影響です。

極端に親の介護をすることが間違いだとか言ってるわけではなく、
子育てでも過保護や過干渉、虐待

何にでも依存する心、共依存の心から解放されていく方へ意識をシフトする時代

その宗教問題でもその一つです。
神社仏閣のエネルギーが変わり果ててしまっているというのもその一つ。

自分がどう感じるかを知り、
本物を見極める自分をしっかり自立させていく。
その自分を信じぬく力、信じていく人生。

カタチあるものに翻弄されずに自分の心の赴くままに生きていく人生。
興味のない他人の人生のことなどどうでもいい。
興味がある人の人生なら自分にとってどうなのかを知ればいい。
自分の考えを知るチャンスですから。

今の世の中いらない情報だらけです。
それを精査する自分を作っていく。

勝尾寺に行った時には箕面の滝へ行きました。
自然は本物です。
自然は常に流れていくし、変化している。
それに自分の意識を合わせて自分も流れに任せる。
変わっていく自分をどうやれば信じていけるかを見つめる。

自然は自分を見つめることができます。
本物だからです。

伏見稲荷大社の山巡りしました。
山は本物だけど、そこに建つ塚は偽物でいつしか壊れるもので朽ちるもの。
その山の表面のエネルギーは低次元の意識がまとっている
いつしかこの山も地核のエネルギーが振動と共に噴出してくるんだろうなと感じました。
その本質を見極める自分が必要です。

みんなが良いというから良い、
みんなが素晴らしいというから素晴らしい、
みんなが怖いというから怖い、
みんなが危険だというから危険、
みんなが不安だというから不安、
みんなが心配だというから心配、

そんな時代は終わりました。
仕事に関しても、お金に関しても、人間関係に関してもです。

情報に惑わされない。
情報で人を惑わさない。
自分の考えを持ち、考えを意思表現する。

体験してみて、繋がってみて、関わってみて、
自分にとっての本物を見極める感覚。

そんな感覚を養う。
養うにはすべての体験を良しとする (*^^*)



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経典も自分らしく構築していく

2022-10-28 | 真理
  以前にも経典やお経などについて記事にしていますが。
学問として宗教や生き方全般を学んで哲学とするのは大きな枠で、概念で。
昔からそういった教えや説法は時代を越えながら受け継がれて行っています。


お釈迦様や空海(弘法大師)やイエスキリストと言えば誰しもが知り、そのあたりが始まりの様に感じたりして。
しかし、それ以前にも導きはあったんですよね。

今、大河ドラマの鎌倉殿などを観ていると、
占いや宿曜教、霊媒師、イタコなどもそうです。
経典や教本の文章には成っていなくても導きです。
その上で体験し、失敗し、歩んで行くという。
そして、その経験が自分の哲学となり、
教えとなって後世に引き継がれていく。


私の友達も毎朝お仏壇の前でお経をあげて、
その後には神様や宇宙にもお祈りしていると言っています。
素晴らしい習慣ですよね。
しかし、そのお経もどんな事を書いているか分からないと言っています。
ただ読んでいるだけですと。

まあそれでもきっと音楽のように心に染み、
波動が繋がり伝わって行くでしょう。

しかし、その意識で生活するにはどうしたら良いか分からないです。
その意識を活用するという事が分からない。

だからお祈りしたら病気が治ったとか、
お祈りしたら痛みが消えたとかといいます。

ではお祈りしなかったから痛みがまた出て来た
お祈りを忘れたから災いが続いた。
お仏壇にお経をあげなかったからご先祖様の祟りが…。
そうなってしまうのです。


そのお経の本質、真理を活用しないと
人生をどう生きたら良いか迷ってしまう。
今時ならネット検索で般若心経でも簡単に訳されているでしょうが、
どこか仏や神様と、世俗の世界がかけ離れ過ぎてまるで別世界の様になっている。

たまたま近年ではお寺でも、かの高貴な高野山の寺院でもヨガやダンスをとっかかりに少しの説法に繋げて行こうとしていますが、
あまりにも敷居が高くて普段の生活と結び付けるまでには中々至りません。

真剣に人生の導きの為、活用のために取り入れるのって難しいです。
極端なだけで、もっと身近に感じて活用できればいいんでしょうが。

私が霊界の世界から神様の世界を教えてもらいに行った時には
「神様と友達になりましょう」「神様にこちらに来てもらいましょう」
という視点から教えてもらいました。


そんな事が出来るのかと…、驚きでしたが、
ホントだ!!…というのが感想でした。


お経や経典が悪いのではなく、
素晴らしい教えであるのは間違いない。

ただそれを自分なりに経験を交えながら解いて説いて自分教にして行かないといけないのです。

お釈迦様の教えでも空海の教えでも
それを後世の僧侶が解いて人に説いて行っているだけなんです
そのままを左脳で読んで覚えるだけでは意味が無い。
というより本当の意味、悟りに到達しない。
近年ではネットでも素晴らしい言葉とか哲学を難しい言葉や読めない様な文章で教えて伝えて下さっているけど、本当に分かって理解できますか?


それを読解して自分の人生に活用していますか?
活用して自分に合っているか、合っていないか、
自分にとって間違っているか正しいか体験で確認していますか?
ここが大事だと思います。
この道が人生の悟りの道。


いくら神社仏閣へ参っても、霊場を参っても
そのご祭神や建立した偉人たちの経験を同じように地を踏みながら実感しながら自分教に分かりやすく変えて構築していく事だと思います。

聖書でもお経でも何度も書き換えられています。
お釈迦様の最初のお弟子さんでも自分なりに読解して分裂して伝えて行っています。

読解して、体験して自分なりの哲学にして行かないといつまでも活用できないのです。
伝えてまた自分が学ぶ。
その繰り返しです。
伝えて行かないと高次へ進めないのです。

本屋さんへ行ってもいろいろ簡単解説本が出ています
それをまた自分で深めていく事が人生の悟りだと思います。

そんな事を忘れないで、見失わないでいると
惑わされてもまた自分の中心に戻れる

自分の最期の時にも心穏やかに安らかに肉体から離れられると思っています。
肉体に依存する事が無くなるからです。


先日のヒーリングセッションで、感じた事からの思いです。
その方がまだ一年も経たないうちに妹さんを亡くされて、その後、弟さんが交通事故で瀕死の状態になられたという話をされていて、いろんな話をシェアしながら勉強していたので (^.^)

何の話が繋がっているかは理解不能でしょうが (^^;)
身近な人の死はあの世とこの世の事を色々考えます。
そして自分なりの理解が無いと、昔の概念のままで、
受け入れ方も受け止め方も狭くなりがちなんです。
ある出来事を通して色々考えていると
どんどん考えや思いや意識は派生して行くもんで (^.^)
理解はいつでも体験で深まって行き、自分の哲学が構築されて行きます。

そしてまた壁にぶち当たった時、
自分の中心へ立ち戻り、ぶち破り奥へ広げて行けば良い (^.^)



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