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緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

∞美容室です・・・完全予約制でマンツーマンでの完全技術∞ しっかりお話を聞き、丁寧な美容技術を提供させていただきます∞ 10:00~15:00(当日予約・時間外OK)不定休・・・ ★カット★カラー★パーマ★セット★着付けets.   ★スピリチュアルな会話もセッションもオーケーです ★

心と思考と言葉の一致 (^.^)

2024-10-29 | スピ的視点
  たまに心が置き去りになる事があるという話をしていました。
誰しもあるという (*^^*)

思考と心が同時に動いてくれたらいいけどね (^^;)
それに……言いたい事がっても心が追っついていない時は胸が詰まって脳が整理で来てなくて、言葉が出てこない時もある。

反対に、何も準備も出来ていない時に、話し出すと自分の本音や心の奥からの思いが乗っかっていると、何となくスラスラと話せることもある。

常々自分の心を分かってやっていると良いんだけど、
それまでに体験した事がないと、やっぱり動揺しちゃいますね (^^;)
それに自分の思考にない事が起こると驚きの方が大きくてとなる。

そこで、私の大好きなドラマなんですが……、
ドラマで感動する時、涙する時、イライラする時、嬉しい時、
私の心は凄く激しく動いている (^.^)
それを観てて、その時の役者さんの言葉が自分の思考と一致すると凄く嬉しいんですよ!!

メチャクチャ集中してドラマ観ているので結構アップアップする時もあります。
心が溺れそうな (^^;)
そんな時の言葉と表現力というかパフォーマンスの一致

自分の心と言葉が一致したように!!
あぁ~こんな言葉で表現するんだ~と、
余計に感動する。
凄く嬉しくなる。

ドラマってだから好きなんだ (*^^*)



ダンシャリアンな私がムズムズ!

2024-10-23 | スピ的視点
  毎週「やましたひでこ」の断捨離の番組を視聴しています。
そんな時の心の変化を見るのが好きです (*^^*)

それにしてもこんなに家の中が凄い物でいっぱいって言うのがホントに信じられない、どんどん凄い家が出てきます。
番組での紹介なんで当たり前でしょうが、
変化も観れるので、最初に余計にインパクトがある方が良いでしょう。

これを観てても分かりますが、
自分の人生は自分のもので自分の心を知りながら整理しながら気づいて理解して納得していくのが人生だと思っている私ですが。

家の中もその人の人生そのものだなといつも感じながら見ています。
家族であったらその家族の様子が分かったりします ( 一一)
でも何かのきっかけがあり、ぐちゃぐちゃに物に溢れ、
そしてまた何かのきっかけで変わろうとする。
変わろうと覚悟し努力する。
何かのきっかけで、自分の内側の何かが目覚めるんでしょうね (*^^*)
必ずそんな時はやって来る!!
自分の中も心の整理が必要なように、
家も心と繋がっているし、家族の繋がりも関係している。

私は幼い時から片付けが好きな人間だったようで、
それを観察すると、真面目できっちり潔癖で、物の秩序整列整頓にもこだわり、不潔も汚れも汚いも苦手だった。
それは最初に心をそう育てられたからかも知れない。
心が先か性格が先か育った環境が先かっていう、
いつも話しますが卵が先か鶏が先かと同じです。
全部が関係していて共有していて繋がっているんだと思う。
きっかけは気づきで、人生と連動して起こっている事なんだなと !(^^)!

子供の頃から片付け好きな私でも人生の途中ではいろいろあるんです。
思い起こせばその時それぞれに課題があったりしました。

共通して片づけが好きは変わっていないだけ (^^;)
箱モノと言われるような中に入れるものの棚などで整理区画を作るのが好きな時期や、雑貨や飾り物を飾る時期、
どこの引き出しの何段目のどの辺に何があるかも把握していたり、

それが全部性格にも現れていた (^^;)
性格も潔癖・秩序・整列・整頓に執着して多分めんどくさい性格
そのお陰で物に溢れるとか家が汚いとか片付いていないという事は無かったので良かったかも
そんな性格もこれはこれできっかけが起こり、変えていくしかない時期もやって来た。
それは家族が出来て、一人ではなくなって共有する部分が出来た時でもあって。
人には妥協や諦めという事も知る時が来るんでしょうね
それでバランスが取れて行ったと思う (*^^*)

この番組を観ていても、内容を聞いているとそんな変わるきっかけの真っただ中で自分ではどうしようもない時に誰かにSOSを出すんですね。
それでも助けを借りるだけで、最終は自分でどうにかしないといけない。
テレビに出てくる家の使っていない見た目ゴミ屋敷、そこら中に物が積み重なって、何がどこにあるかもわからい状態で、ホントどこから手を付けたら良いか分からなくなるんでしょうね!!
片っ端から捨てていくしかない。
それでも中には家族との離別の後遺症とかもあって、心をむやみやたらに手離せない場合だってあるので繊細な心もゆっくり向きあいます。

心の整理、心の解放、心の汚れと離別。

そんな私の家、もう捨てるもんないでしょといつも思うんだけど、
まだ残っているのもきっとある。
毎週この番組を見たら何か捨てたくなるのです (^^;)
残っているものの中にはまだきっと使うやろうというもの
家族がいる時に買って残っているもの。
スプーンとか? (^^;)

いつも捨てたい衝動にかられた時は場所のターゲットを決め、
そこを見つめる要らんものを探す。
キッチンを見たり、洗濯場を見たり、二階の一部屋を見渡したり、
キッチンでも一つの引き出しから何か見つけようとする。
まあそれほど穴が開くほど見てても物がないんですけどね (^^;)

今、亡くなった母親のマンションにも行って片付けをしているんですが、
長女があんまり片付けを急ぐのを嫌がるので、消耗品とかだけでもと (^^;)

母親もそんなに物を溜め込む方じゃなく整頓は出来てる方だった
それに、私が20歳の時に引っ越ししたマンションなので、それまでのものも一掃している。
それでも高齢になるほど物を捨てることをしなかったので、家族がいた時のものがまだ残っていたりしてた。
もちろん私や兄のものは全然残っていないけど、孫が遊びに来たりしてたので、それに必要だったものだけ。

それでも引き出しやタンスを開けると捨てたくなるものやゴミが入ってた!!
何でこんなところにこんな紙くずが?と思う程、明らかに要らないものもたくさん残ってた!!

捨てたい衝動にかられながらも長女に気を遣ってなかなか捨てれない。
取り合えず四十九日をちゃんと終わらせようと (^^;)

兄嫁は業者に頼むつもりで何でもそのままにしててというけど、
そんな中味を私は見せたくない、見られたくない。
自分でゴミ処理もしたいぐらいです。
母親は自分が死んだら業者に頼んでとその分のお金は残しておくからと言ってましたが、それがもったいないわけじゃない。
ちゃんと自分たちで出来る事は自分でしたいなと思うのです。
大きな家具は頼まないといけないけど、
そんな風に自分の中がざわざわと沸々とムズムズとムクムクと (^^;)
湧いてくる私です (*^^*)



総合病院的カンファレンスを普段に。

2024-10-19 | スピ的視点
  昨日の私ですが、酔っ払ったり、騒いだり、真面目くさったり、哲学ったり、忙しいキャラクターな私 (^^♪
それでもいつも自分の中心にいる私は同じ、どんな場面でもどんな人の中でも変わらぬ自分がいるのはしっかり分かってる (^^;)
どっしりそこに自分がいる !(^^)!
どんな自分も大好き (*^^*)
人生の中でどんな自分を演じてても楽しいし、大好き (*^^*)

昔はそんな中でも切ない悲しい感情の自分に酔ってた頃が長かったりした
悲劇のヒロインぶってたかも笑
好きな楽曲も切ないバラードとかに酔ってたりして

人生って、どんな場面でどんな自分の顔と表現が出てくるか分からんもんですね (^^;)
その時の感情によっては忙しい感情です (*^^*)
全ての感情が自分の中にあって良いのだと分かるまでは、
一点集中でハマって酔ってたんだなと今更ながら感じる (^^;)
裏表の顔も全て自分なのです……ねっ  (*^^*)


今の時代は感情も多様性……って感じで !(^^)!
怒りだって理解すれば乗り越えるし、怒ってる自分ですら愛おしく笑い飛ばせばそんな感情も自分の一部

感情も総合的に捉えれば楽しい自分の宝庫の器となるしね!

最近病院も何かに特化した専門病院より、
いろんな科が個人のスキルを超えてカンファレンスできる総合病院が求められています。
求められているし、その方が凄い威力を持っています。
個人スキルの一部を自分だけひけらかす事なく
集結できるという。

カンファレンスというのは「会議」「協議会」の意味を示し、大規模な会議を指す。
そんな時にしっかりと意見交流出来るとこが質が上がり、総合的答えも構築できると (^.^)

たとえ否定的意見であっても、その否定だけで終わらせずに詰めていく事が出来るのが一番だと。

何か否定されるとすぐに防御線張ったり、反発したりすると質も落ちるし、新たな答えに到達することも無い。

その会議のファシリテーターというか、進行役やまとめ役が良い役割で進められるかがミソなんでしょうね!

この前、善い人ぶるという話をしてましたが、
どんな会議でも意見や本音を言わず、喧嘩や争いを嫌い避ける人、何か討論が起こると直ぐに言い合いは止めましょうよと言ったり、収めたりする人がいますが、

こんな人の集まりの時にも総合的に考えられるように、多様性や総合を認められるように話が出来たら理想だなと常々思っています。

それにはまず自分の中の多様性に気づき、そこに参加できる自分で、感情のスキルアップで来ている方が良いなと思うのです。
技術や知識だけでなく、心のスキルもアップしていないと
本当の意味で総合的カンファレンスが出来ないなと (*^^*)

もしまだ自分の総合感情に気づいていなかったりしても、そんなところに参加していく事で自身の変化にも気づいたりするんだろうなと思ったりします。

それが心の総合病院だったりして (^^;)
病気だって治ったりするんだろうなと確信しています!!

実際に、ある総合病院がそういうカンファレンスに特化していて、
必ず30日間の入院をすることが条件で、総合的なカンファレンスを院長先生が行うのです。
最初腰の痛みで来院した患者さん。
歩けなくなるまでになり、その30日間の入院が始まりました。
毎日院長先生の診察もあり、全ての専門科に診察もしてもらい、
常々院長先生は総合的に観ていてカンファレンスを行っていくという。
最終的には心の診察までに至り、奥様との生活にまで踏み込むことになるのですが、
最初不愛想で痛みも耐えれなかった患者さん、どういう訳かどんどんエアロバイクも漕げるようになり、最後にはルンルンで歩けるようになって退院となるのです、その後のリターンは絶対にないぐらい最後には心も変わっているという。
心のリハビリも必要なので30日は必要なんだっとか!
治療という治療、手術などは無く、毎日の院長先生の診察とリハビリだけだったとか。

こんな情報が凄く納得いったんです。
何が原因で病気になるかという事も突き止めるのも必要、
それを否定するのではなくて、それを受け止められるように心も置き去りにしないように診察するんだろう。
そして何よりも総合的に観ていく。
それを医師という立場でもあるので信頼もあったんでしょうが、
治療もしていないとなると、そこにはどんな信頼関係が作られて行ったんでしょう。
多分しっかり話を聴く。そして、話をする。
そんな事だったと思う。



善い人ぶる人、いるよね~ (^^;)

2024-10-17 | スピ的視点
  善い人ぶる……、そんな話をしていました。
自分の意見を持っていても言えない人もいると。
関わるのが面倒くさいのかな (^^;)

そんな人でも必ず関わる時がやって来る。
内なる自分も必ず知らず知らずのうちに表面に出ているから (^.^)
向きあう時がやって来る!
いつまでも向き合わないでいると内に籠り、心が引きこもるかストレス(負荷・歪み)が溜まり、病気にもなる。

自分の内側でバランス取っているのだから (^.^)
自分の中の善い人とたまに悪だ変だと思える自分だって理解して許してやらないと (^^;)
そんな話でもあります (^.^)

うちの息子もそんな感じだと (^.^)
それを観てて私は自分にも気づいた感じで (^^;)
我が子って、ホント良く似ているから色々見せて教えてくれるって感じです。

まあ基本物静かで優しい人間だと思う。
関わるのが面倒だからそう見せている部分も小賢しいと思う時もあったり、
争いが苦手、人が言い合いになるのも嫌い、

そうなると、ちょっとした話し合いでも嫌がったりします。
それは喧嘩だというし、「もうええやん!」とか言います。
そして話の内容も決め込んだりして進めようともしない。

ここらは私とは違って、それを観ててモヤモヤする私 (^^;)
私は話をして、時にはとことん話したいタイプ。
喧嘩や言い争いがしたい訳ではないけど、
白黒はっきりさせたいタイプ。
まあ今はグレーやオフホワイトがある事も知ったけど。

話して、コミュニケーションとって、間違いだったら一旦訂正したい。
自分も訂正したいし、相手も一旦訂正してもらいたい。
こういう善い人ぶる人って、絶対に自分の間違いを訂正しない事が多い。

訂正しないのに、そのまま何もなかったように進める。
それが苦手。

だから善い人っていうのもいい加減。
どうでもいいと思っている善い人。
こんな善い人ぶる人とは本音で話せないし、話さない。

なので、息子とも話してもまだ無駄だなと思っていた時期が長かった。
私にはそうしてればいいやと思ってたし、
母親に甘えているんだろうと。

それでも他人と関わる事は重要だなと思うからなんとか善い人ぶるから卒業して欲しいなと常々思っていた。

でもそれは私から本音を出さないといけないなと思うように。
やっぱりそこだなと (^^;)

それからか徐々に息子に変化も (^.^)
それは何となく一人暮らしし出してからかなと思ってたけど、
甘える人間が傍にいないと段々自立心が出てくるのも、いろいろな面であるんだなと!

本音言ってくれるのはやっぱり親子で家族だったりするんですね。
一番の味方だったりする。

善い人ぶってる他人には言えない本音もあるし、
それこそ心のトラブルをわざわざ起こしたくないもんね (^^;)
面倒くさい!
魂を感じる私でも他人のようで魂は他人じゃないと思ってても言えない事は言えない。
それでも自分に自信もって信念持っているとすんなり言えてるかもしれないと随分思うようになってきた (*^^)v




へその緒は意識のバトンでもある。

2024-10-04 | スピ的視点



へその緒の話をしていました。
母体からの栄養をもらうためだけのものではない、
お腹から出てきてへその緒を切って終わりではない。
そのへその緒にはきっかけやいとぐちや始まりといった意味があるように、
魂との繋がり、見えない導き、縁との絆、などもある。

縁との繋がりは自分の中で肉体を借りて生きる魂との縁。
その魂から派生する血縁、先祖の縁もある。

魂のバトンでもあり、先祖のバトンでもある。
その意識のバトンを繋げていくことと、理解して納得して浄化していくバトンでもあるのです。

どれだけ先祖との縁を繋げ、引き継いでいったとしても解消していかなければ終わらないのです!(^^)!

本来は終わらせる事、浄化させる事が目的。
意識の呪縛から解き放たれ自由になるという目的でもあるのです。

ただ親のやっていた事や先祖がやっていた事を継ぐ事や、親や先祖の物を引き継ぐ事だけではない。
意識を浄化する事、心を進化させることが本質なのです。

現代では老々介護とか、親の認知症などで高齢者問題がいろいろ起きていますが、

自分たちが一番それから逃れられて自由になる事や、
親を解放してあげて自由にしてあげる事の簡単な方法は、

親の意識の本質を認め、理解し尊重してあげて解消してやる。
それは親からの、また、先祖からの意識のバトンをしっかり受け継ぎ終わらせることです。

子供は本当の意味での親離れ、親は本当の意味での子離れです。
自律です、独立です。
義理や義務からの解放でもあり自由でもある。

意識のあるうちに出来れば最高だけど、
高齢者の親を抱えていて、中々終焉を迎えられないでいるとしたら、
自分が親離れをする事です。

魂の期限が寿命です。
寿命が来るまで気づきも無ければ学びも無いと、病気や痛みで相殺したり、その寿命が来るまでどうやって待つかです。
それは個々様々ですから。
その寿命をどう全うするかで生き方死に方が決まります。
決まるというか自分で決められるのだと。
認知症というのはしっかり肉体を持ちながら魂を生きていないので魂が肉体に見切りをつけ、肉体から離れています。
寿命が来るまで肉体を放ってるのです。

そんな肉体には別の浮遊している魂が入ってきたりします。
そうならないために自分の魂を生きるのです。
自分は自分の人生を生きる、自分の魂を生きる。

親が認知症ならそれを介護するという経験を与えられているのです。
自分が認知症にならないために必死に教えてもらっているのです。
最後に親が肉体を持って伝えているだけです。
本質が何を伝えているかしっかり受け取り理解し自分の人生を生きると覚悟するのです。
何かまだ心が求めている生き方が出来ていないのです。
親や先祖からの意識のバトンがまだ何か受け取れていない。
先祖はもう既に肉体が無いのでパフォーマンスでは伝えらません、親は最後にどんなパフォーマンスで本質を伝えているかです。
親を自由にしてあげるのも、先祖を自由にしてあげるのも、自分を自由にしてあげるのも今を生きる自分です。

私も子育てをしている時に、子供を自由にしてやるのは自分が先に自律する事だって学びました。
そういう事だと思います。
そうやって、周りがどう言おうがどう思おうが自分なりに親や先祖と向き合ってきました。
それは、別れましたが元旦那の親や先祖ともそうしてきました。
縁が有ったから嫁に行ったと思っているので。
元旦那の親の性格や先祖の意識の事をたくさん理解して浄化してきました。
なので、スムーズに自由になれたのかなって有難く思っています。
親も先祖も早く解放されたくて一生懸命なんです。
勝手な話だけど、自分の事は棚に上げてでも子孫に頑張ってと願っているのです。
なので、親を自由にするために、先祖を自由にするために、
認知症の親でも目の前にして、生んでくれて有難うって言えるでしょうか?
生まれて縁あったのは親のお陰、先祖のお陰です。

認知症の親であってもそのままの人生を尊重できるでしょうか?
どんな人生であったとしてもそれが精いっぱいだったんでしょう。

自分の人生を親にしっかり自信をもって報告できるでしょうか?
今の自分を自分の人生を生きていると言えるかです。

自分の人生で何に気付き何を学んだか、心がどんな風に成長できたかしっかり自信をもって言えるでしょうか?
親の分まで、先祖の分まで気づきを得て学んで成長できたと言えるでしょうか?
意識のや心のバトンをしっかり受け取れてゴールできたか。

その気づきや学びを自分から子孫へ引き継ぎ、自信をもって言えるでしょうか?
親の自由を子供に伝えることが出来るかです。
子孫のために意識のバトンを軽くして挙げれたでしょうか?
親は子供に自由に生きて欲しい、子供は親に自由に生きて欲しいのです。

ささやかでも良い、自信をもって言えることを叫ぶと良いのではないかなと。
心が伝わります。
その観えないへその緒は繋がっていますから。
しっかり自信をもって覚悟をもって伝えれば伝わります。

そうなると親も先祖も歓び安心し肉体から自由になれるのです。