寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

岡山県津山市久米川南の忠魂碑(宇垣一成陸軍大将書)

2018年01月31日 | 
吉井川右岸から宮尾の集落を進んでいく。中国電力久米変電所周辺は一面の農地である。旧出雲街道を示す石柱が民家の隣に建っていた(宮尾192付近)

電力会社

石仏

石柱には宮尾の文字も刻まれており木の下に石仏が集められていた。久米建設近くに石鳥居が見えたので少しばかり休憩することにした。

石鳥居

忠魂碑

鳥居前には御旅所の石碑、郷社八幡神社参道入口の標石があった。そして石碑の対面に位置するのは立派な忠魂碑だった(※碑の北側を流れる水路が久米川南と宮尾の境界になっている)

忠魂碑2

忠魂碑3

宇垣一成陸軍大将書の刻銘があり裏を見て昭和3年(1918)11月10日に建立されたものだと分かった。田中義一内閣の時代にあたり11月からラジオ体操の放送が始まり10日には迪宮裕仁(つぐのみやひろひと)親王(28)の即位の礼が京都御所で行われた。

踏切付近

踏切付近2

参道を北上しJR姫新線八幡神社踏切を渡る。日本ニューホランド岡山営業所の角を左折して国道181号に入り道の駅久米の里を目指した。

道の駅

ガンダム

駅の西側に展示されている巨大なZガンダム。私と同世代と思われる男性が嬉し気に何枚も写真を撮っていた。小学校の頃地元の大松模型店にバンダイのガンプラを予約して全て作り上げたので彼の気持ちは十分に理解できる(笑)。

今回の旅では小回りのきく自転車を駆使し走り回った(一部は歩き)。河辺の桝形跡から道の駅久米の里までを直線で結ぶと約11.5kmになる。途中寄り道したり道に迷ったりしたので走行距離は25kmに達したかもしれない。治安維持の観点から津山城下とその周辺を調査し旧院庄村と旧平野村の類似点を確認できたのは大きな成果だった。

地図

岡山県津山市宮尾の中須賀船着場石灯籠

2018年01月30日 | 
錦橋西詰のすぐ北側、吉井川の土手道沿いに「中須賀船着場石灯籠 ↼40m」の案内標識が出ている。石柱は(旧)久米町教育委員会が平成6年(1994)3月に建立したようだ。

案内標識

標石

石灯籠は昭和44年(1969)10月9日に同町の文化財に指定された。平成17年(2005)2月28日久米郡久米町が津山市に編入され、久米町大字宮尾は津山市宮尾になった。

標柱

石灯籠

中須賀船着場石灯籠
 中須賀は、吉井川の船便を利用し、下流にある備前国との交易をする物資の集積地として、また宿場町として栄えた地で、出雲街道の要衝のひとつであった。
 ここにある三基の灯籠は、航海の安全を祈る為に建てられたもので、出雲街道の両側に伊勢神宮内宮・外宮(明治元年十一月吉日)の石灯籠が、また吉井川沿いには金比羅宮(嘉永七年十月吉日)と刻まれた石灯籠が建てられr、常夜灯として昭和十年代頃まで各家順番で点火していたということである。
 その後、これらの石灯籠は、河川改修によりこの場所に集められ、現在に至っている。
久米町教育委員会

かつて高瀬舟が吉井川を行き来し物資や人を運んだ。鉄道建設によってその役目を終えることになるが、約80年前まで近所の人達が灯籠に点火していたとは驚きだ。確かに備後福山でもその頃までは渡し舟がたくさんあった。

説明板

岡山県津山市神戸と宮尾を結ぶ錦橋(吉井川)

2018年01月28日 | 
旧出雲街道沿いのアキタアパートから西へ約20m進んだ地点に道標と常夜燈があった。石材の劣化が進み文字の読み取りは困難を極めるが「従是 備後三郎舊跡江之道」と彫られている。道標から北へ向かうと院庄館跡(作楽神社)に着く。備後三郎とは隠岐へ配流される後醍醐(廃位)を慕う忠臣・児島高徳(こじまたかのり)のことである。

旧出雲街道

錦橋

あきたクリーニング、愛美容室を過ぎた辺りから住所は院庄から神戸(じんご)にかわる。私はやっと吉井川に架かる錦橋の手前まで来た。錦橋とJR姫新線第二吉井川橋梁との間(河川敷)に美作国の安国寺があったと伝わっている(『院庄構城跡 平成19~23年度市内遺跡確認調査報告書 2013 津山市教育委員会』参照)

橋の銘版(宮尾側)に記載されたKK駒井鉄工所は大阪市発祥の橋梁製造メーカーだが、合併により駒井ハルテックという社名になった。炭素鋼SS41(現SS400)が一等橋の材料に使用されたことがわかる。

橋の銘版

広島県福山市三吉町3丁目10‐8の解体工事

2018年01月28日 | 日記
nanairo隣の建物が解体された(施工業者は拓翔工業)。確か津広商行という名の店だったと思うが、ずっと前は中華料理の紅蘭だった。大西の川向かいは今後数年間で激変するだろう。江文館の隣(中華食材店と赤字で書かれた看板が出ている所)がモスバーガーだったのを覚えているのは40代後半の人迄かな。

解体工事

広島県福山市三吉町4丁目8‐26・どりあん三吉店跡

2018年01月27日 | 日記
深津住宅バス停そば(東橋西詰交差点角)の果物販売店・どりあんが無くなっていた。昔はどりあんの隣が薬局そしてやきとりの店という順で並んでいた。私は古い住宅地図を開いて周辺を調べた際にフレスタ(旧三吉サティ食品館)が東亜林業跡に建っていることに気付いた。

空地

広島県福山市沖野上町2丁目9・パナソニックのテクノストラクチャーの家新築工事

2018年01月26日 | 日記
大杉小児歯科医院の裏手(北東)に共栄店舗がテクノストラクチャーの家を新築。木に鉄を組み合わせた梁を使用するので地震に強いというのがウリ。

新築工事2

沖野上という典型的な干拓地で同様の家を以前にも見たことがある。最新の耐震構造に興味を持つ人は確実に増えているのだ。

新築工事3


野糞が土に還る(笑)

広島県福山市入船町3丁目3の駐車場再整備工事

2018年01月26日 | 日記
株式会社神殿商会倉庫(昨年の秋に解体され駐車スペースになった)北側のケイエースパーキング(明正不動産の管理)が現在工事中である。アスファルトを塗り直すということは隣と合体させて拡張するのだろうか。福山新橋西詰交差点そばに位置することから利用したい人は多いはずだ。

駐車場整備

岡山県津山市院庄・構城址に建つ貞烈純孝島田母子之碑

2018年01月26日 | 
院庄八幡神社石鳥居前から旧出雲街道を西へ約150m進んだ地点(路地入口 ※津山市院庄535側)に「貞孝母子之碑 是より一町」と彫られた石柱がある。細い道を北上すると農地が広がる。

標石

小道

そしてこんもりした場所に石碑が二つ見える(線路の向こうの大きな建物は特別養護老人ホームのどか)。道の右手に建つのが院庄構城址を示す碑である。

城跡

森忠政公が一年ほど滞在した平城について詳しいことは分かっていない。本丸跡と清眼寺との間には藩主のための御茶屋が設けられていたという(『院庄構城跡 平成19~23年度市内遺跡確認調査報告書 2013 津山市教育委員会』参照)。

貞孝母子之碑

私は勝手な想像を膨らませた後、もう一つの石碑に近付いた。これがかの有名な「貞烈純孝島田母子之碑」だ。母子とは島田馬之丞の妻と娘のことを指し、二人が自害した悲しい経緯を今に伝えている。

貞孝母子之碑2