玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します。

講演 玉川上水の林と野鳥

2021-07-11 05:44:04 | 最近の動き

玉川上水の林と野鳥

 

鈴木浩克

 

今日は玉川上水の林と野鳥について以下の3つの項目を話したいと思います。

玉川上水でみられる野鳥の紹介ですが、まずなじみの深い留鳥(一年中見られる鳥)から紹介します。

 このほかにも、キジバト、ドバト、オナガ、カワラヒワ、ハシボソガラス、最近ではハクセキレイ、ホンセイインコなども一年中みられると思います。これらは「留まる鳥」と書いて留鳥と呼ばれていますが、実はまったく移動しないわけではないことが判っています。井の頭自然の会で毎月一回おこなっているラインセンサス調査の結果を見てみますと

ヒヨドリもシジュウカラもエナガも「一年中見られる」というのは正しいのですが、7月、8月には減少し、そしてまた冬には増加しています。ヒヨドリは昭和45年(1970年)までは、東京では秋冬しか見られない鳥で、昭和45年以降、春夏にも見られるようになり繁殖するようになったそうです。どのように移動しているのか?正確なことはわかりませんが、越冬しに東京に来ているヒヨドリが多いことがわかります。シジュウカラやエナガなども繁殖が終わった後、7月、8月は必ず個体数が減少していますので、一旦繁殖地を離れる時期がある、ということは間違いないと思います。

 

次に夏鳥(冬は東南アジアで過ごし、春になると日本に来て日本で繁殖する鳥)を紹介します。

夏鳥で玉川上水周辺で繁殖しているのはツバメ、そして日本で一番小さな猛禽であるツミくらいしかいません。(ツミも近年は減少傾向です)。繁殖している夏鳥は少ないものの、玉川上水沿いの井の頭公園では毎年多くの種類の夏鳥が通過していくのが観察されています。

 ゴールデンウィーク前後には、玉川上水では一通りの夏鳥を見ることができます。この他にもヤブサメ、キビタキ、センダイムシクイ、エゾムシクイ、メボソムシクイ、サンショウクイ、アオバズク、ホトトギスなどは毎年記録されています。井の頭の玉川上水沿いで観察している私や私の仲間は、玉川上水の細いけれど連続する緑地は渡り鳥の通り道になっていると考えています。

上空からの写真を鳥の気持ちで眺めてみると、緑地には休むための枝がありそう、餌がありそう、水がありそうに見えます。旅の途中で休むのであれば、コンクリートのほうへは行かず、やはり緑地を頼りにして移動するだろうと思います。毎年見られる夏鳥の他にも、大変貴重な種もいままでにたくさん記録されてきました。

 

野鳥にとって繁殖地と越冬地が大切なのはもちろんですが、旅の途中の中継地というのも無くてはならないもので、玉川上水や玉川上水に隣接する緑地はその役割を担う貴重なものだと思います。

 そのあと冬鳥(ロシアで繁殖し秋に日本に越冬しに来る鳥)や旅鳥(日本で繁殖も越冬もせず、通り過ぎていくだけの鳥)、漂鳥(日本国内だけで繁殖地と越冬地を移動する鳥)など、玉川上水でみられる鳥を紹介しました。

 

次に玉川上水を考えるうえで、無くてはならないのが野鳥と樹木との関係です。野鳥は樹木をどのように必要としているのか?を考えてみたいと思います。

 

このように多くの項目で野鳥は樹木を必要としています。中でも「食糧を生み出す」という面で、玉川上水は多様な樹木の蜜や木の実、草の実、昆虫が豊富で、人が入り込まない環境なので落ち葉溜まりなども充実し、一年を通して野鳥たちに食糧を与えています。このように多様な樹木があるということはとても重要なことです。植物の種類が多様だと木の実の食べごろの時期がずれるので、長い期間、野鳥たちは食べられます。

しかし、下の写真のように樹木をサクラ1種類だけにしてしまうと、5月だけサはクランボが豊富ですが、それ以外の季節に食べる木の実は何もありません。サクラが成長すれば、見た目の「緑」は増えますが、野鳥の多様性が回復にはなりません。

玉川上水みどりといきもの会議でおこなった杉並、三鷹、小金井、小平の野鳥調査でも、サクラだけになった小金井は羽数、種類数、多様度指数など低い結果となっています。いきもの会議のブログに詳しい分析が載っていますので、ぜひそれも見てください(こちら

 下の図は井の頭自然の会の若手である中学3年生の栗田昊和君が昨年おこなった研究の結果です。昨年コロナによる休校の期間に自宅から見える電柱でのシジュウカラの繁殖を観察し、どのような餌を何回運んだか調べたものです。この観察の結果、巣立ち間際で餌の需要が高まる次期には、1日に200~250回の餌運びがあり、餌の内容は、「青虫」と「その他のイモムシ」が71%を占めることがわかりました。

 5月の玉川上水は、周辺で繁殖する小鳥の幼鳥たちの声で満ち溢れます。それは、ちょうどその時期には玉川上水にはイモムシなど昆虫が多く発生し、また外敵から身を隠しやすいうっそうとした環境があるからです。

最後に、玉川上水周辺の古い野鳥記録と現在を比較してみたいと思います。

 成蹊大学の生物部が残した記録、日本野鳥の会が昭和29年(1954年)に残した記録やアサヒタウンズの本『玉川上水 水と緑と人間の賛歌』(1991)に記載された永井さんの記録などをみると、13種類もの夏鳥が周辺で繁殖していたことがわかります。

 

 

これに比べて、現在、玉川上水近辺で確実に繁殖しているのはツバメ1種だけです。ツバメは営巣場所も人工の建造物ですし、餌も飛びながら虫を捕えるので、樹木に依存しない鳥です。

 下の写真は昭和16年(1941年)の武蔵野市の空中写真ですが、五日市街道と井の頭通りの間はほとんど畑と屋敷林になっています。

こちらは令和3年(2021年)の武蔵野市の同じ区域です。

 見比べてみると樹木と土が失われ、大部分の面積が宅地とコンクリートになっているのが分かります。

 この成蹊大学生物部の記録に部長である鈴木一郎さんが書いた前書きがあります。

『(前略)一般の人々の間には、我々の仕事を以って単に蝶々を追ひかけ廻す事位にしか考へて居ない人が多少ある様であるが之は大きな誤りである。生物を採集し或は生態を観察する事は生物の有する特質、特性を知って自然の理法を理解し、それによって人類の進むべき方向、持すべき態度を暗示される事すらあるのである。これら動植物の可憐な形態に接することは、人間の情操的方面をも豊にするのであるから、我々の仕事は科学であると同時に藝術でもあると云ひ得るのである。』

 この記録が出版されたのは昭和17年(1942年)11月ですから、真珠湾攻撃の4か月後です。ここから日本は戦禍に突入していったので、このメッセージを残した鈴木さんも、おそらく野鳥観察どころではない日々だっただろうと思います。

 現在、比較的平和な時代に生きる私たちは、科学であると同時に芸術でもある自然から学び、進むべき方向、持すべき態度を考えなければならないと思います。現在わずかに残っている緑地をこれ以上失ってはいけないと思います。野鳥たちのためだけでなく、人間が豊さを感じながら生活するためにも玉川上水の自然環境を守り、次世代に継承していくべきだと思います。