玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します。

参加のお誘い

2021-04-29 13:52:33 | はじめに

 玉川上水の自然に関心を持つ者として最近の樹木伐採は大変気がかりなことです。玉川上水は羽村から杉並までの20キロメートルをつなぐ緑地で、多くの都民が散策やジョギングなどを楽しむとともに、生物多様性の豊かな緑地でもあります。また江戸時代初期に構築された遺跡としての価値も大きなものがあります。この中で小金井市の区画は桜並木としての保存整備が進められ、桜以外の樹木は皆伐されています。このことは生物多様性保存という観点からは大きな問題として見直しが必要だと考えますが、それ以上に問題なのは小金井以外の場所での伐採も強化され、毎年1000本もの樹木が伐採されていることです。そのために1億円もの予算が使われています。

 これに対して多くの団体や個人が伐採抑制の要望書を出していますが、ほとんど顧みられない状況です。しかし伐採を担当する水道局が策定した「史跡玉川上水整備活用計画」(H21)には基本的な考え方として1)サクラの保存があるのは当然としても、2)地元自治体や地元団体との協働により実施する、3)樹木が環境や景観に貢献していることなどを考慮し、史跡の保全・ヤマザクラの保護と緑との調和を図る、とされており、2)と3)が遵守されていません。

都市緑地である以上、倒木の危険がある樹木の伐採や、上水ですから法面崩壊となる樹木の伐採が必要であることは理解しますが、現状ではそれ以外の樹木が多数伐採されており、生物多様性の保全はいうまでもなく、緑陰を楽しむ多くの都民にとっても望ましくない景観が拡大されています。

 このような状況に対して私たちは科学的な調査に基づき、生物多様性を尊重する植生管理をするよう発信します。またそのためにシンポジウムを開催するなどの活動をします。

 この活動を有効なものとするには多くの方の参加が力になりますので、趣意書と会則をご一読の上、参加していただくことを歓迎します。ぜひご検討ください。

 

玉川上水みどりといきもの会議

代表 高槻成紀

 

関心のある方はどなたでも参加できます。会費は不要です。ぜひ、このブログのコメント欄から申し込んでください。


ある看板

2021-04-28 07:09:26 | エッセー

大塚惠子

久我山に写真のような看板があります。道路問題があった頃からずっと掲げてあります。以前、町会長さんをなさっていた花屋さん(現在は薬屋さん)のビルの壁にあります。絵は画家の方が描かれました。私の好きな看板で、見るたびに、考えさせられ、戒めにしています。

 


「噂の!東京マガジン」

2021-04-18 22:32:44 | 最近の動き
2021年4月18日にBSのTBSの「噂の!東京マガジン」で玉川上水のことを取り上げてくれました。番組では、まず私たち「自然派」が意見をいいました。小金井での伐採の写真を見てスタジオのゲストは一様に「これはひどい」と伐採反対の雰囲気になりました。
 次に「桜派」が登場して、江戸時代から続く文化遺産だということで桜並木が必要、雑木は不要と主張しました。ゲストはどうやらあまり納得していませんでした。
 それに続いてなぜ伐採することになったかという背景を説明し、ほったらかしにして管理をしなくなってから荒れてしまったということや、江戸時代の浮世絵などを紹介しました。そうするとゲストも「そうか、それはそれでわかるな」「難しいな」と少し風向きが変わりました。
 その後で番組が行政に出した質問に対する回答が紹介されました。担当者が出てきて話をすればいいのに、すべて書類回答でした。その文章が「玉虫色」でスタジオからはため息が出て「よくわからん」という声が出ました。
 最後の方で行政に対する我々の意見を聞いた場面が出て、私が「東京都は玉川上水全体を見て地元の調整をすべきだ」ということと「長い目で玉川上水の将来を考えて欲しい」と話したところを出してくれました。ここでは桜派は出てこなかったので、やや不満が残ったかもしれません。
 
 ニュートラルに見て多くの人は自然派に共感を持ったのではないかと感じましたが、それはわかりません。
 私(高槻)としては小平玉川上水を守る会で昭和時代に大きな貢献をされた庄司徳治さんに取材してもらったので、それを出してくれるよう強くお願いしたのですが、時間制限のために断腸の思いで削除したということで、残念でした。
 いずれにしても、多くの人はこれまで「桜並木があることの何が問題だ」と思っていたわけで、これを見て「そういう問題もあるのか」と思ってくれたら番組を作ってもらった意味は十分あると思いました。(高槻記)

三鷹で一番高い山

2021-04-08 17:17:29 | エッセー

三鷹で一番高い山

加藤嘉六

 2003年から玉川上水の写真を撮り始めましたが、最初に撮った水路の中の写真だけでは枚数が足らないと思い、玉川上水や分水の周りの古い農家や畑、屋敷林を撮ろうと狙いを定め、流域を探し回りました。そんな中で出会ったのが、三鷹で一番高い山裾にあった16代続くという農家の大きな屋敷でした。

 その屋敷の裏山には、写真のエノキの大木と根本には個人が持つには立派な造りの鳥居と稲荷がありました。

その後この裏山の頂き付近から撮ったものが次の写真で、絶好のチャンス待つために何度か通った記憶があります。15年ほど前の初冬のうっすらと朝焼けした空に、後方の白く冠雪した富士山。手前に丁度富士山のような三角形の形をした、どっしりとした瓦屋根を持つ、白い壁の農家の佇まいが印象的な風景でした。

 都会とは思えない里山の風景に出会えたと思いました。この場所に、半年ほど前にも近くまで行きましたので確かめましたが、今でも変わらずに保たれていました。私にとってはいつまでも残って欲しい風景です。

 ところで、この辺りは玉川上水でも特殊な場所になります。玉川上水は、太宰治入水体発見場所に近い新橋辺りから、左岸の先の神田川の低地を避けるために右へ左へと蛇行します。そして右岸には小高い山が現れます。一つ目の(下層に下末吉ローム)山です。ここは昔から法面の崩れが見られ、修復工事をしない所を探すのが難しいほどです。

 山の斜面を流れ下った雨水が玉川上水に流れ込むために法面が崩れるのではないかと思います。左岸は南側が高いのと、樹木が繁っているために光があたらず、霜などの影響で崩れ易くなったのではないかと思っています。そしてその先が上記した三鷹で一番高い山で、2つ目の下末吉ローム土を持つ山です。

 この二つの山の成り立ちを説明するには、武蔵野台地(北は荒川、南は多摩川)の成り立ちを説明しなければなりません。武蔵野台地は200万年前から7万年位前までは浅い海でした。西の奥多摩山地から流出した礫や砂が海に堆積し、土台となる上総層(神田川椿山荘前で見ることが出来る)が造られ、氷河の発達により海面の低下、陸化して、西は高く、東は低い扇状地が形成されました。武蔵野台地で一番高い狭山丘陵は50万年前からの富士山や、箱根火山、八ヶ岳などの噴火により、その灰が積もった多摩ロームと呼ばれる層に6万年前の武蔵野ロームや2万年前の立川ロームが積み重なって出来ています。同じように他地区も火山灰が降灰しましたが、扇状地を流れる古多摩川が堆積したローム土を流し去ってしまいました。ここでは下末吉ローム(12~13万年前)と呼ばれる火山灰の上に武蔵野ローム、立川ロームがその上に重なっています。古多摩川の流路の変化が影響していると言われています。

* * *

 タイトルを「三鷹で一番高い山」としましたが、「そんなところがあったかなー」という感じる人が多いと思います。ただ、西に見える日本一の富士山を眺めながら、畑仕事や日々の暮らし、季節や時代の変化を感じながら、16代も住み続けることが出来たということは、得難い住みやすい場所だったのだと思います。