玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します。

たまゆら草

2021-02-24 08:34:00 | エッセー

春になりさまざまな野草が咲き始めるのは楽しみなものです。その中でも雑木林の下に生える野草には格別のものがあります。以下のスケッチは玉川上水で見られる早春の野草ですが、その多くは初夏には枯れて消えてしまいます。

 

 落葉樹は冬のあいだ、葉を落とすので林は明るくなりますが、気温が低いので野草類は生育できません。春になると木々は葉を開き、あっという間に林は暗くなります。これらの野草は、この、暖かくなって、しかも林が明るいという短い期間に一気に伸びて花を咲かせ、光合成をして地下に物質を蓄えたら、あとは次の春まで地中で眠るという生き方をするようになりました。それは長い進化の間に生まれた実に微妙な生き方です。特殊といえば特殊な生き方です。

 光合成には光と温度が重要な要素なので、暗くても気温が高い時期に盛んに光合成をするような生き方を選んだ植物もあるし、さんさんと直射日光が当たるところでどんどん育つ生き方を選んだ植物もあります。

 さて、早春限定に育つ野草は短い間に消えてしまうので、スプリング・エフェメラル(春のはかないもの)と呼ばれますが、私は大和言葉で「たまゆら草」と呼んではどうかと思います(こちら)。たまゆら草は季節変化の明瞭な落葉広葉樹林という場所での特殊な生き方を選びました。いわば他の植物との競争を避ける生き方を選んだといえます。そのため、直射日光が当たる環境では、これらの野草には明るすぎるだけでなく、他の植物がどんどん伸びるので、競争に負けてしまいます。

 生物多様性の考え方の最も重要な点は、こうした特殊な生き方をする植物を含め、多様な生き方をする生き物の全ての存在を尊重するという点です。それは地球という星に生まれて、気の遠くなるような長い時間をかけて生まれてきた生き物たちに対する敬意から生まれた考え方といえます。そのことはもちろん人の個性、文化の多様性、独裁よりも民主的な政治のあり方などとも重なるものですが、生物多様性はそれらを離れて純粋に価値のある考え方です。世界はそれを尊重し、日本もこの考え方を取り入れることにしました。今では日本における自然保護の最重要な考え方になっています。

 こうした流れを考えたとき、サクラだけを守って他の樹木は要らないからすべて伐るという姿勢の意味を考える必要があると思います。たまゆら草はそのことを教えています。

高槻成紀


追悼 コブシ

2021-02-23 11:41:37 | エッセー

2021年2月3日、毎年今頃になると純白の花を咲かせ、人々に喜びを与えてきたコブシの木が根もとからバッサリと伐られてしまいました。人が人らしいいたわりの気持ちをほんの少しでいいから持っていさえすれば、今頃は花を咲かせていたはずです。でも、再び花を咲かすことはなくなりました。

 そのコブシへの追悼の気持ちをこめて描きました。

2021年3月23日 高槻


伐採は免れたものの

2021-02-22 10:59:45 | エッセー

 喜平橋-茜屋橋間の樹木のことごとくに赤テープが巻かれているのに気づき、これは許されないことと調査をして、そのあたりに一本しかないとか、特に大きいなどの特別の木はなんとか残してほしいとお願いしました(こちら)。おかげでどうにか皆伐は回避されました(こちら)。これが理解されたのはよかったのですが、現状はこの写真のような状態です。

剪定後の状態 2021.2.22

 

 水道局側がいう伐採の必然の理由は、倒木の危険があること、法面の崩壊を誘発することなどです。私たちの目にはそのどちらにも該当しないものが多数伐られました。私たちがお願いしたことのもう一つは、伐る必要があっても、株立ちした樹木の場合、一本でも残して貰えば、小金井のような皆伐状態にはならないから残してほしいということでした。それはなんとか守ってもらえたようですが、しかし現場を目の当たりにするとやはり心が痛みます。

一本だけを残して伐採された株立ちしていたケヤキ

 

 この辺りにごく少ないクヌギにも赤テープが巻かれていましたが、なんとか剪定にしてもらいました。ただ剪定はかなり大胆で、痛々しさは残ります。でも、「雑木」ですから、たくましく枝を再生してくれることを望みます。

選定された大きなクヌギ。直径は1m近くある(中央の黒い木)

 

 結果として、小金井のような惨状にはならず、数メートル間隔に剪定された木が残されて、「林とは言えないものの、なんとか木は続いて生えている」状態です。これが都市に残された緑地の一つのあり方なのでしょうか。おそらく、都市の緑地はどうあるべきかという根本的な問題を考え直さないといけない日が遠からず来ると思います。

高槻成紀


伐られてしまった木

2021-02-21 22:36:35 | エッセー

伐られてしまった木

橋本承子

(小金井玉川上水の自然を守る会)

 

 玄関のドアを開け、目の前の玉川上水を見ると悲しくなります。無残な切り口を見せて並ぶ大小の切り株、切り株・・・・。とうとうここまで伐りつくされてしまいました。桜以外は・・・。

 ここは10年前までは鬱蒼とした緑に覆われ、渋滞の多い五日市街道がすぐ向こうにあるとは思えないほどでした。遊歩道に咲く古木の桜も楽しみでした。桜の花が終わると家の前にはエゴノキの白い花が咲き、新緑の朝にはいろいろな鳥の声が聞こえました。真夏に駅から上水に上ってくるとひんやりしました。そして秋には紅葉も見られ、大量の落ち葉には木々と共に暮らせることに感謝しました。こうして、一年中自然を感じることができる素晴らしいところでした。

 それが「名勝小金井桜並木復活」という目的のため、突然ほとんど伐られてしまったのです。残念でなりません。その目的が「桜以外の樹木の伐採」だとは驚きました。桜並木復活とは、今ある遊歩道の桜を大切に守ることでも、寿命がきた桜を植えかえることでもなく、ここに自然に育った他の木を無くして新たに桜を植え、昔の風景に戻すことだそうです。

 私はなんとか桜以外の樹木を残して欲しいと望む方々と、小金井市にも東京都にも要望を出してきました。しかし「上水の法面を崩壊させる恐れのある木も倒木や枝折れのある木も全て伐採する」という水道局の考えもあり、それが桜並木復活のやり方と相まって現在の無残な姿になりました。ここには何とか豊かな緑を守ろう、生物多様性を大切にしよう、という考えはありません。切り株は痛々しく、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

 大きな問題だと思うのは、ほとんどの小金井市民はこの成り行きを知らないということです。小金井市はアンケートを取り「多くの小金井市民が名勝小金井桜の復活を願っている」と言いますが、アンケートは誘導的だし、その回答数は400件足らずにすぎません。この惨状を小金井市民にも東京都民にも大げさかもしれませんが、できたら世界中の人にも知ってもらいたいと思います。多くの方がここまでひどい伐採を望まないと信じています。

新小金井橋西. 21.2.16 安河内さん撮影