たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

盛岡の旧町名(材木町・茅町)

2011-10-04 | ぶらり盛岡
(26) 材木町(ざいもくちょう)

盛岡駅から北上川に架かる旭橋を渡って左折した所が材木町で、現在の町名も、材木町のままである。



材木町の街並み




材木町は,古くは岩手町といったが,承応4(1655)年に材木町と改められた。その後,柾(こば)町と呼んだ時代もあったが,文化年間になって材木町と定められた。

北上川の春木場が対岸の木伏(きつぷし)にあり,材木商が盛んだったことに由来。また,当地から岩手山がよく見えたため,あるいは岩手郡各村からの移住者が多かったため,岩手町と称したともいう。








材木町の永祥院にある酒買地蔵は、 商売繁盛の守り本尊として知られており、 酒買地蔵尊祭が行われる。




永祥院



永祥院前の案内板



(27) 茅町(かやちょう)

材木町に続く北の町並みを古くは久慈町と呼んでいたが,文化9(1812)年に茅町と改められ,萱町とも書いた。久慈町と称したのは,久慈方面からの移住者が多かったためという。盛岡28町の最西端にあたり,茅町側の夕顔瀬橋のたもとには夕顔瀬惣門が置かれ,秋田・鹿角街道口の番所の役割を担っていた。
夕顔瀬橋は,洪水の度に流失したので,明和2(1765)年に北上川の中に大きな石で中島を築き,橋桁を高くして架橋したもで,関東以北にこれに匹敵する橋がないといわれた。旭橋側が材木町で、夕顔瀬側が茅町になる。




茅町を通るチャグチャグ馬ッコ




旭橋から見た夕顔瀬橋と岩手山





現在は材木町・茅町を含めて材木町と呼び、材木町のメインストリートを「いーはとーぶアベニュー」と呼び、宮沢賢治とその作品にちなんだ6つのモニュメント、石座、星座、音座、絹座、花座、詩座と名付け並べている。




石座



星座



音座



絹座



花座



詩座



材木町では、昭和49 年に、約430mの通りを歩行者天国にして路上買物市とする「よ市」をスタートさせ、毎年4 月から11 月の毎週土曜日夕方に開催されている。盛岡では材木町の「よ市」が始まると春を感じ、「よ市」が終わると冬の到来を感じます。












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啄木の盛岡中学時代の歌

  行く秋の杇つる落葉を憐れみて、あはただしうも追ひし門出や。
 
≪盛岡中学校校友会雑誌 第3号(明治35年12月)≫ 「白蘋」名で9首 (その5)

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