とある看護師の迷宮組曲

とある救命看護師。迷宮を彷徨い、雑記を綴ります。
管理者:T-okayama、TakoShun

これが、オトナのマナー

2007年03月30日 10時24分21秒 | 医療・職場
なんてしょこたんが言っているが、確かにそう言われなければ
そんなん知らないよとか、ワタシの勝手でしょ的な言い訳がまかり通ってしまう
世の中になっているのだと感じる。
道徳が学校の教科として成績がつくようになるなんてニュースも飛び込んできている。
そんなニュースを聞いて「道徳をどう解く?」なんてくだらないシャレしか
思いつかないワタシもワタシであるが。

さて、そんな抽象的な道徳に対して国数社理の成れの果ての
知識科目である医学もまた道徳同様抽象的な概念で成り立っている。
医療界の中には常識なんてものはあってないようなもので、
実は医学というそれ自体全てが未解明に等しく、病院の医師どころか
権威のある医学者でさえもある事象に対して見解が異なることもしばしばだ。
センカンドオピニオンなんてことが存在すること自体その業界が不確定要素に
満ちていることを暗示している。

噂のタミフル。
タミフルはインフルエンザの特効薬として承認・認可され一時はありとあらゆる
インフルエンザに処方されていた。
このタミフルの製作や販売に関わるスイスや米国の製薬会社、
果ては米有名政治家の裏話については机の端に置いておくとして、
異常行動が果たしてタミフルと因果関係があるのかないのか、
そこのところがハッキリしないのが今の医学の限界だ。

ワタシの職場でもインフルエンザの患者さんにタミフルが処方されていた。
実際に受け持ちだったためワタシが飲ました記憶もある。
その患者さんは元気に退院されたがその後になり異常行動が報道され始めた。

そもそもインフルエンザはタチの悪い風邪って言う他に形容しようがない。
そのほとんどはほっとけば3~5日程度で治る。
まぁ高熱も出るし、伝染性が強いし小さい赤ちゃんや高齢者がかかると
命に関わることがあるからからこれだけ社会問題になっているのだが、
命に関わるのは他の風邪からの高熱も同様で本質的にはやっぱり「風邪」なのだ。

そう考えるとタミフルは本当に必要なのか、疑問が沸いてくる。
確かに命に関わる高齢者などからインフルエンザの脅威を排除する必要は
ありそうだが、10代20代の若者に処方する必要があるのか。
事実、この報道がなされてからタミフルが処方されないために
亡くなった青年層の話は聞かない。処方以前だって聞いたことがない。
(無知なだけか?それともお決まりの情報操作か?(笑))

一方で異常行動だって、高熱が出れば異常行動が出るのは知られているが、
タミフルと異常行動の因果関係は分からないままだ。
分からないのに10代のみに限定した禁止を出す厚労省の苦渋の決断。

無知か、情報操作かなんて書いたが、そもそも報道されてきたのが最近過ぎて
それまでは社会の関心がなかったから表に出ていないだけの可能性もある。

そんなこんなあらゆることを考えると結局タミフルとは世間を騒がせるだけに
存在したように思えるのはワタシだけなのだろうか。
日本にばかりに輸入されいる裏に米政治家の陰謀があるなんて話が出てくる事態、
人の命に関わることを考えると相当にクレイジーな話だ。

この問題、槍玉にあげられた厚労省が今後どういう対応をとるのか。
そして医学会の見解はどうか。

官民の癒着は税金を納めるオトナ達のマナーとして排除されるが、
医療業界の民民癒着はワタシ達の勝手でしょ的なイメージが拭えない。
普通の会社なら提携やら共同事業やらで大きな利益をあげられるが、
医療なんて極めて公的に近い立場の現場にもその影が見え隠れするのは・・・。

ぜひぜひ、しょこたんに医療に関わるオトナのマナーを提言していただきたい。

賃金一部未払い問題

2007年03月26日 10時56分13秒 | ふと思ったこと
給料未払いなんてまさか自分に起こるなんて思ってもみなかった。
そんなリア・ディゾンもビックリな話。

といっても話は簡単で、まず給料日にワタシは銀行へGoした。
給料なんていつも同じようなもんなので記憶にある残高に今月の給料を足して
だいたいこんなもんかなぁ~と思いつつカードのために別の通帳に振り込んだり、
駐車場代金振り込んだり、親に仕送り振り込んだりしていたわけだ。
で、最後に自分の財布に入れる金を下ろすのだが、その時まで通帳を入れたりしないようにする。
一度に何度もATM使うときは最後に通帳使えば記帳は一回で終わるからだ。
だいたい振込みも連続で出来ればいいのに。。。
で、いつものように最後に財布用にお金を下ろして通帳の残高を見ると
1万円ちょっとしかない。

なぜだ?

自分の想定している残高と、今通帳に書き込まれた残高が合わないのだ。
おかしいだろ、これは。

このからくりは翌日出勤したらあっけなく分かるわけで、
要は事務のミスで夜勤とか時間外とか深夜特別とか手当てが一切払われていなかっただけなのだ。
不足分は4月にまとめて振り込まれるらしい。

それならそうと先に言ってくれなきゃ困るじゃないか。
危うくカードの支払いが未納になるところだったではないか。
もしそれが原因で未納になり、それが高じてブラックリストに載ったら
病院は損害賠償を支払ってくれるのかとか、意味もなく思ったりする。
そして一回でブラックリストに載るわけないだろ、と自分でつこっむ始末。
でも、コンビニに払いに行くのは面倒だ。

でも、さすがに1万円ちょっとじゃ月末の保険とか車やパソコンのローンとかで
残高不足になることは必至なので仕方がないので別の口座から6万ほど
移す破目に。ったく、面倒くせぇったらありゃしない。
給料日なんだから、銀行も混んでるんだぞ(綾瀬はるか風に言う)
とか車の中で独り言。(キモ

4・5万振り込まれないだけで、この状態じゃ末期状態の会社なんかでよくある
3ヶ月給料未払いとか、ワタシはキレてしまうのではないだろうか。
百姓一揆ならぬ看護師一揆とか起こすなら大いに賛同しようではないか。
あるわけないか。
実際にそうなっても冷めた自分がいるに違いない。
冷めたピザはレンジで温めればホカホカになるが、
ワタシはレンジで温めたら卵みたいに爆発しそうだ。

なんだか自分で何を書いているのか分からなくなってきた。

今月はほんの少しだが、ボーナスも入るしまぁよしとしよう。

安楽死、あなたは賛成か

2007年03月23日 12時45分26秒 | 医療・職場
短大時代にディベートでこの議題があがったことがある。

安楽死には積極的安楽死と消極的安楽死のふたつがあり、
この両者の違いをまず説明する。

積極的安楽死
薬物を投与するなどの積極的方法で死期を早めること。いわば医療の名の下に行われる自殺幇助ということになり、社会からの心理的抵抗は大きい。
また、日本を含む多くの国では刑事犯罪として扱われる。

消極的安楽死
無意味な延命治療、努力をしないで死に致しめること。尊厳死を保つ意味からも合理的で社会的に認知されており、実際の医療現場でもひろく行われる。
自然に死を迎えるという意味でナチュラルコースとも。

例として、呼吸の停止した患者に人工呼吸器を取り付け、その後自発呼吸がないのに取り外すのは積極的安楽死となる。
最初から人工呼吸器を取り付けない(心肺蘇生法を施さない)のは消極的安楽死である。ほぼ同等の行為でありながら
片方は認められていない行為となるため、救命・延命をどこまで行うかは事前によく検討して合意を形成しておく必要性が高い。

以上wikipediaより引用。


さて、ここでただ安楽死についてごにょごにょと説明してもつまらないので
興味のある方は別途調べていただきたい。

今回ワタシはこの議題が短大のディベートであがったときに、
実にクラスの7割以上が積極的安楽死に賛成したことを問題にしたい。
正直、これは驚きの現象だった。

ディベート当日、ワタシは積極的安楽死に否定論者の一人として議論に加わった。
ワタシを含む否定的な論者の基本理論は積極的安楽死=殺人、自殺幇助ではないかと。
医療者はどんな場合においても生命を尊ぶべきであり、
たとえ耐えがたい苦痛などの事情があってもそれをどうにか緩和できる手段を用いて
最大限の努力をするべきである。積極的安楽死は最後の一線を越えてしまっている。
というもの。
一方賛成論者は、患者にとってはもう他に苦痛を緩和する手段がない場合に
同意の下に行っているのだからあってもいいではないか。
つまり、否定論者が言う「最大限の努力」をし尽くした結果もう手段がないから
認めてもいいのではないかというものだ。
患者のことを何より思っての優しい意見であると思う。

さて、このディベートを聞いていた一人の学生が終了後にこんな意見を述べた。
否定論者は医療者を中心として話を進めている。賛成論者は患者中心に話を進めている。
だからいつまでたっても平行線だと。

人間は他者を100%理解することはできない。
しかし理解しようとした結果、部分的に相手の立場に自分を置き換えることはできる。
そこには想像力が必要だ。
想像力の欠如は人間の判断を大きく誤らせる。

さて、ここからはワタシの個人的な意見として積極安楽死、
その行為自体を誰かがするのだと考えた場合、ワタシは反対の姿勢を取らざるをえない。
だが、一方で死刑には賛成してしまう矛盾。
なぜここで死刑が出てくるのか。そこがこの問題の本質であり、カギになる。

今現在は積極的安楽死は刑法上違法であるが、仮にいくつかの条件の下合法になるとしたら、
"合法的に人の命に関わるという行為"という点において死刑となんら変わりはない。
手を下した人物は殺人・自殺幇助の罪から合法的に守られるのだ。
だからここではこの両者を同列に扱ってみる。
まぁ死刑囚は病気でもないし、死を望んでもいないので一概に同列に扱うことには
異議があるかもしれないが・・・。

どちらの行為にしても手を下した人物は日本の法律には守られるが、
自分自身の固い決心をはっきりと持っていないと罪悪感にさい悩まされることになりかねない。
そのため死刑執行はボタンが複数あり、複数の人数で執り行う。
自分がやったという罪悪感からの逃げ道を作っておくのだ。

そういう経緯を含めると自分には今生命が宿っている人に投薬することに
どうしても心理的抑制がかかってしまう。
それが反対の本当の理由なのかもしれない。

もちろん、仕事としてやれということになればできるだろう。
だが、それはワタシの仕事が義務というある意味非常に強制的で、
またある意味非常に不都合で流動的な行動形式に左右されているからに他ならない。
義務を否定しているわけではないが、
そこにはワタシ個人の私情を挟むことは許されないのだ。
私情を挟むと義務は成立しない。
大地震が起きたらといって、患者をさておき自分の家族の元へそそくさと
帰ることは許されないのだから。

看護師としてやらなければならない仕事となってしまえば、やらざるを得ない。
どうしても出来なければ職場を変えるしかない。
私情と職務は別。
教師にしても、警察官にしても、その辺はなんら変わりはない。


ディベート終了後の教授の言葉が思い出される。
「もし、あなたがすることになった場合、あなたにその行為が出来ますか?」

横浜近隣グルメ~元町の雰囲気イタリアン~

2007年03月22日 22時50分46秒 | おいしい
今日はイタリアンのお店を紹介すことにする。
第2回は横浜元町にあるVISCONTI(ヴィスコンティ)だ。

この店はまず雰囲気が良い。(写真参照)
関内方面から元町へ車を走らせると社会保険横浜中央病院があり、
その並びの一角にこじんまりと佇むお店。

扉を開けるとお店のおじさんがカウンター席へ案内してくれる。
今日は念のため予約をしていった。
店内はさほど広くはないものの、テーブル席はひとつを残してほぼ満席だった。
テーブル席は結構キツキツなので、今日は予約の時点でカウンターをお願いした。

お店を主に切り盛りしているのはおじさん二人だと思われる。
一人はワタシと連れを案内してくれたキャップを逆にかぶって店内を
ちょこちょこと動き回るかわいいおじさん。
もうひとりはカウンターの奥でダンディーに構えて釜でピザを焼くおじさんだ。
他にも若い女の店員さんが一人と、厨房の奥にコックさんが一人いる。

前菜はタコとまぐろのカルパッチョを注文。
切り下ろされたマグロとタコがお皿を2等分するように置かれ、
その上からオリーブやビネガーのドレッシング、そして縦切りのネギがのっている。
これがめちゃくちゃンマイ。
マグロにはわさびソース、タコには梅ソースがのっているが、
クセがなく、辛味も酸っぱさも口に残らずいくらでも食える。

ピッツァは水牛のモッツァレラチーズのマルゲリータ
そしてパスタはカルボナーラ

ピッツァはモッツァレラとオリーブのうまさが絶品で、
しかもダンディーなおじさんによって平たく伸ばされる生地が超うまい。
カルボナーラはクリーミーで塩辛くなく、マイルドでくどくない。
カルボナーラは大抵くどくて後半はウップスって感じになるが、
軽いホイップのようなホワイトソースは口当たりが軽いのでぺろりと食べてしまう。
鼻先に近づけるとワインの香りが。

値段もさほど高いわけでない。
車なのでワインが飲めないのが惜しかった。

今回の注文
・タコとまぐろのカルパッチョ 1600円
・水牛のモッツァレラ マルゲリータ 1500円(くらい。記憶曖昧)
・カルボナーラ 1200円(だと思う)
すみません、値段ちゃんと覚えてくればよかった。

夜勤の眠さを言葉で例えると

2007年03月20日 17時53分20秒 | 医療・職場
たまには仕事の話を。

最近おっさんになったワタシとしては夜勤の休憩2時間では到底足りない。
一時期中途半端に寝るくらいなら休憩室で座りながらウトついてた方がマシ!
とか意味の分からない理論でそれを実践していたが、このところは仮眠室で
足を伸ばして寝るようにしている。
当然ウトウトしている時よりは起き上がるのに努力と根性がいる。
だが、身体が睡眠を欲しているのだ。

特にキツイのは2連続深夜勤務の2回目、いわゆる2深目というやつだ。
前の日そんな感じで休憩取り、朝仕事終わりに帰って昼間3・4時間寝てから夜勤へ。
あ~早く明けないかなぁと儚い希望的観測を抱きながらの仕事となる。
さらに悪いことに夜勤が一番忙しいのは明け方から朝にかけてだ。
採血が始まるとそこはもう戦場の様な光景になる。

言葉でなんか例えられない。
もう死ぬほど眠いのだから。

致命的な医療ミスは大体こういった明け方から朝にかけて起こるらしい。
そりゃ~当然だ。
眠いけれども、集中するところは集中していく。
だから、明けるとクラゲのようにタラタラとロッカーへ向かうのだ。
同期の子とエレベーターを降り、ふと気がつくと人気のない病院。

「あ、今日は日曜なのね」
曜日感覚ゼロ。

・・・合掌。

ジョークと都市伝説は永遠なり

2007年03月15日 17時36分42秒 | ふと思ったこと
最近、「となりのトトロ」のサツキとメイは物語中盤で実は亡くなっていて、
あの話自体お父さんが作った挿話である、という都市伝説がワタシの耳に伝播してきた。
調べてみるとこの都市伝説自体はネット上で散見することが出来るが、
ことの顚末を詳細に述べた親切なサイトはあまりなく、これは確かめるしかないと
実際にTSUTAYAで借りてトトロを見てみた。
ま~なんというか、結果的には眉唾物の都市伝説に過ぎなかったワケだが・・・。

医療の世界にも都市伝説は多く存在する。
関節をポキポキ鳴らし続けると後に関節が腫れてきて治らなくなるとか。
金粉を全身に塗って放置すると窒息で死ぬとか。
考えてみると大抵の都市伝説は死ぬとか身体の変化に対するものが多く、
医学に関するものがその多くを占めると考えられる。
人の命や身体に関わることだから容易に確かめることもできず、
それが都市伝説化の遠因になっていることは確かなことだろう。

さて、そしてそういった都市伝説、果てにはただの医学ジョークといわれる
分野には殊更下品なネタも多く、とりわけ思春期真っ最中の中学生が
囁くようなものも多い。
そして多くの成人がその伝説の真偽を謎にしたまま大人になっているのだ。

エッチの最中に膣痙攣であそこが抜けなくなり、合体したまま救急車で
担ぎ込まれるというのはその典型。
この話の真偽はどうなのか、あえてここには書かない。

さて、ワタシも聞いたことのある小粋なジョークをここで紹介しよう。
これは検査科の学生や医学生の間で聞いたことのある人はいるかもしれない。
看護ではあまり関係ないから聞かないかな。



ある日の病理学の実習。


今日は自分の口の中の細胞を顕微鏡で観察する。


自分の口腔内を綿棒でこすり、それをプレパラートに載せて観察する。


ある女子学生が教科書にない細胞を見つけ、教授に聞いた。


「先生、この細胞はなんですか?」


教授は顕微鏡を見ながら答える。


「うん、これは精子だね」


おわり。

横浜近隣グルメ~下町のハンバーグ~

2007年03月08日 21時29分57秒 | おいしい
横浜を中心にワタシが食べたおいしいものを紹介するコーナーがやってきた。
その名も「横浜近隣グルメ」←も↑も今決めた

記念すべき第一回は野毛にある「洋食キムラ」だ。
野毛と花咲町に2店舗ある。

ワタシは花咲町の方に入った。
店内はこじんまりしていて座席も少ない。
どうやら野毛店のほうがメインというか大きいらしい。
昼の12時少し前に入ったが、座席には老人が一人とサラリーマンが2人の計2組。
ワタシと弟(調理師志望)は店内の一番奥のテーブルへ。
これで一階はほぼ満席。
さて、初めて来た店だし、とりあえず定番のハンバーグを注文。

まずはサラダが出てきた。
細かいことだがサラダはドレッシングが完全に混ぜられて絡まっているのがよい。
ただかけているだけだとドレッシングと野菜のバランスが合わなくて
すげー濃い部分が出来ちゃったりする。
ワタシはそれが嫌なので、均等に混ざっているサラダに感動。。。

さてメインのハンバーグはドミグラスソースにたっぷりつかり、
貝の形をあしらった鉄製の容器に卵が落とされて出て来た。写真参照。
この店テレビや雑誌でよく紹介されているらしいのだが(ワタシは見たことない)
ドミグラスソースがかなりワタシ好み。
濃厚で焦げみの効いたソースが卵によってまろやかになる。
またハンガーグのきめ細かさはかなりのもので柔らかい。
しかしながらたまねぎの歯ごたえは残っている。
だから以前にここで紹介した長野の「ココット」に比べると感触が少し残る感じ。

お皿には余計なものは一切なく、ひたすらハンバーグとライスをほうばる。
それがまた街の洋食屋っぽくていいではないか。

メニューにはチキンやポーク、カレーなんかもあった。
このソースからするとシチュー系はかなり期待できそう。
今度は「タンのビーフシチュー」を食べてみたい。

今回の注文
・ハンバーグセット(サラダ、ライスorパン) 1210円

墓参り

2007年03月07日 21時49分54秒 | 行ってきた
4連休を利用して田舎の墓参りに行ってきた。
夜中に実家を出て朝方福島へ。
昼過ぎに向こうを出て先ほど帰った。

行きはこの冬一番の寒さというだけあって小雪がちらつきどうなるかと思ったが、
日中は暖かかったのでいいドライブだった。

何年ぶりだろう、墓参りに行ったのは。
ばーちゃんも元気そうだった。
大正4年生まれの齢92。
なんでそこまで元気なのか。
いや、ある意味ワタシより元気。
よく食うし。

ニュースを見れば北朝鮮があーだこーだと言っている。
まるで戦前の日本だ、なんてよく聞く例えだが、本当のところはどうなのだろう。
戦前の日本をリアルに生きたうちのばーちゃんはどう思ってるのか。

いやいや、次に会ったときには聞いてみたいものだ。
デモクラシーな意見が聞けるかもしれない。

船乗りとお勉強の話

2007年03月06日 14時04分36秒 | 記憶の彼方
古くからの友人に船乗りがいる。
というと加山雄三を想像するかもしれないが、彼は港の清掃員だ。
でも、船乗りには変わりない。

彼との出会いは小学校3年生だった。
そして付き合いは今も脈々と続いている。
彼はワタシの友人の中でもひときわ勉強嫌いで有名だ。
成績はあえて言わないが、自他共に認める学業不良っぷりだった。
が、それは大人になった今ではあまり関係ない。
一方で地主の息子のため津々浦々にコネがあり、
そういった経緯も含めて今の職場にいる感じだ。

だが、彼は単なるおぼっちゃまではない。
勉強以外には極めて鋭い洞察力と類稀な行動力を見せる。
人生、勉強だけが全てではないと教えてくれたのは彼だ。
自分の好きなこと、やるべきことができる彼を
ワタシは時々うらやましく思うくらいだ。

さらに特筆すべきは人に優しいことだ。
今ではどこぞの不良のおっさん風な風貌をしているが、
目上の者に対する敬意とか、人生の後輩への優しさ、
友達を大切にする心は、どの人からも特に年配の人から慕われる所以だろう。


看護師は職業上勉強は欠かせない。
生涯学習する職業だ。
常に新しい見地で医療を見ていく必要がある。
そういう意味では今の自分はまだまだ半人前のさらに半分のその半分くらいだ。

もちろん、勉強が全てではないが、患者を守るためにはまず勉強だ。
それが自分を守るためにもつながるという皮肉。
患者のために尽くすことが、すなわち看護師としての自分を高める。
ここで主語を間違えると大変だ。
勉強する動機。
それが何なのか。
ふと本を開くとき、思うことがある。

だが一方でそんなことを思うのは逃避でないかとも思う。
ごちゃごちゃ言ってないで勉強しろ、自分。
頑張れ、自分。


「24時間眠い男」
最近のワタシ