とある看護師の迷宮組曲

とある救命看護師。迷宮を彷徨い、雑記を綴ります。
管理者:T-okayama、TakoShun

人の生命と運命

2008年05月25日 09時53分39秒 | 医療・職場
汝 神に見放されし時 自らの手で運を掴め


ワタシの勤務する救命センター内には、
重症の方が入るEICUの他に、比較的状態が落ち着いてきたり、
そもそも気管内挿管などが必要ない方が入るEHCUという病棟がある。
スタッフは月ごとの持ち回りのためワタシのチームは今月はEHCU、
来月はEICUというように切り替わっていく。

さてそのEHCU(Emergency High Care Unit)で、バイクの交通外傷で入院、
主病名は外傷性血気胸という方と話したときのことを少しお話しする。

その方はバイク事故の際に胸を強く打ったため胸腔内に出血があり、
その上肺に吸った空気が胸腔の外、皮下や外部に漏れてしまう「血気胸」という病態である。
そのため漏れた空気や血液が肺を圧迫(圧排)し呼吸不全に陥る。

この状態に対して何をするかっつーと、要は漏れ出た空気や溜まった血液を外へ
逃がしてあげる必要があるので、胸にドレーンを入れる。
ドレーンは簡単に言うとチューブだ。(胸腔ドレーン)
しかも、生理的には胸腔内は陰圧のため、それを維持するために水封する必要がある。
ブスリ、と肋骨の間にぶっとい管を入れるのだ。
しかも入れるときはトロッカーカテーテルっちゅう、
なんていうの、剣みたいな槍みたいな、もうオモチャとしか言いようのない
ものがチューブの中に入っててそれを突き刺す。(表現はまさにコレ)
これの挿入は何度見ても痛い。痛すぎる。。。。
麻酔なんて表面だけだからね。

っていうか、この辺の説明はいらん。
医療関係者なら分かると思うし、今回のトピックスに関係ないので。。。

事故にしろ病気にしろ、ワタシは医療者として「運」というものを考えるようになった。
その方に言ったワタシの言葉。
「本当に、運がよかったんです」

患者さんは「なぜ?」みたいな顔をした。
こんなにつらい思いをしているのに。
少し身体を動かすだけで痛いのに。。。

しかし、ワタシは続けた。
ここには同じような交通事故でたくさんの患者さんが来ます。
でも、中には頭を打って出血してしまい、何ヶ月も意識が朦朧としていたり、
自分で呼吸が出来なくて機械が変わりにしていたり、
背骨を折ってしまって一生首から下が動かない状態で過ごすことを余儀なくされたり・・・
でも、○○さんは今治療をしっかりすれば確実に元の生活に戻れます。
痛み止めを使っても使っても・・・それでも痛いけど、これを乗り越えれば確実に治ります、と。

「そっか・・・運が良かったんですね。。。」

ワタシは基本的に、安易に頑張ってとは言いたくない。
だってもうすでに頑張っているのだから。

逆に頑張る前にブーブーいう人もいる。
そういう人にはまた別の関わりが必要だが。

その患者さんは、何度か話しているうちに
今の状態にとても前向きさが感じられたのでそういう話をした。
中にはそんな人のことなど関係ない、とにかく痛みをどうにかしれくれという方もいる。
でも、それはそれで仕方がないと思う。
痛いものは痛い。
胸に管を刺され、抜けないように糸で結ばれているのだ。
ワタシなど、人差し指のササクレでわめいている。
痛みや病態を受容することにも時間が必要だ。

とにかく、その患者さんとはそういう話をした。

つくづく、「運」というものは冷徹だと思う。
その人はまだ若い。30代。
これからの人生のほうが長いだろう。
中には10代そこそこで命を落とす人もいる。
違いはほんの少しだ。
ブレーキをほんの0コンマ何秒速いか遅いかかもしれない。
事故の時に前に乗っていたか、後ろに乗っていたか。
座席を倒していたかどうか。
些細なことが、その後の人生を大きく狂わすことになる。
想像ではない。
実際に目の前にいる患者さんがそうなのだ。
それはもう、「運」だったとしか言いようがない。

深く考えに考えようと思えば、いくらでも哲学的に考えることができる。
だが、それではこちらの身体がもたない。
これも悪い表現だが、どこかで「他人のこと」と思わなければやってられない。

さて、運と言えば高校時代に尊敬する数学の先生が教えてくれた
トイレの落書きを思い出す。


汝 カミに見放されし時 自らの手でウンを掴め


トイレの紙も、人の生命も、同じ「運」なのだと思う。
「この世」という意味においては、トイレットペーパーも、
ワタシ達の命も「単なる物質」ということに変わりはない。
人間が勝手にその命を大切だと思っているだけだ。

そういう不条理の中で、ワタシ達は生きている。

情報、操る人の極意

2008年05月21日 23時12分41秒 | 社会情勢・風刺
最近、車でPerfumeばっかり聴いていて(しかも投げやりにやや爆音気味)、
ついこの前暑いからちょこっと窓を開けていたら、
通りがかった女子高生にチラっと見られた
彼女がその後どう思ったかは定かではないが、
「こっちは明けで寝てないんだ、Perfumeくらい聴いてええやないかバカヤロ」と、
思ってしまったワタシの"主観"はともかく、"客観的に"は相当病んでいると言うほかない。

と、言うわけで、今日は人間のもつ感情の永遠のテーマ、主観と客観のお話。

「堕胎は犯罪である」という事実を知らない人は結構多い。
単純に、妊娠した結果正当な理由なく胎児を死なせた場合、
妊娠週数に関係なく刑法により処罰される。懲役ウン年という判決が下る。

ところが、法律というのは抜け道があるのが常で。
一方には母体保護法という法律もあり、
出産によって母体の健康を著しく害するおそれのある場合などに限り、
母体保護法指定医が本人の同意の元、人工妊娠中絶を行うことができ、
その場合は処罰されないのだ。
この母体保護法上の「正当な理由」の中に「経済的事由」が含まれているため、
事実上人工妊娠中絶は無法状態に行われている。
たった一言、役所が経済状態を調べるわけでもない届出のみで、
法律が適用されているのだ。

ちなみにワタシは人工妊娠中絶に反対も賛成もしていない。
今のご時世、例えどんなに身勝手な理由でさえ、それを咎める理由も見当たらないからだ。
新しく生まれてくる生命、お腹の赤ん坊の尊さはもちろん分かっているつもりだが、
だからといって中絶は絶対にダメ、と言えるほど感情的になっても
それはそれで別の問題が生じてきそうだからだ。

ワタシのことはともかく、人間というのは自分(達)の都合のいいように、
言葉や文章、そもそも事実を捻じ曲げる傾向がある。
例え現実に起こったことをありのままに話していてもどこかに「主観」が
入ってくるのはつき物なのだ。

そして、情報を少しでも操る人間はそれを理解するべきだ。

看護師も情報を扱う。
医療の世界では医師も看護師も「Sデータ」「Oデータ」と言い(*)、
日常の業務で使用しない日はない。
主観的なものは患者から得られた発言や見た目(蒼白とか体熱感とか)から得られる情報、
客観的なものは血圧とか中心静脈圧とか検査データとか。。。
誰が見ても同じと言われる情報だ。

では、このような客観的な情報に主観が全く入っていないかといえば、
そんなことはない。
必要と思われる情報を取捨選択している時点で主観が入っている。
どんな情報が必要で、何が一番大切か。
それは情報を取ったものの主観であり、客観的なのはあくまでも数値や文字そのものだけなのだ。

つい先日のこと、夜中にエッチなサイトを見ていたら、
突然地震が襲ってきた。
これは日本人の性だろうか、当然のようにNHKをつける。

NHKは声高に言う。
NHKのニュースはもっとも客観的だと。
そして、多くの国民もそのニュースの信頼性には絶大の信頼を寄せている。(と思われる)

が、実際はNHKだって記事を書いている人がおり、
それをチェックする人がおり、判子を押す人がいる。
客観的というニュースそのものが主観の塊なのだ。

大体、例えば何かの揉め事が起きたとき、
「自分は中立だから」というヤツが一番うさんくさい。
だが、気持ちは分かる。
何を言ってもどちらからも責められるからだ。
客観的な意見などない。意見は全部主観なのだ。


ではでは、客観的って、どこに存在するのかな?
わかんないや、エヘ。

久しぶりの2連休。
さて、PerfumeのDVDでも見ようかな。(終わってんなオレ

ビリダーのツボ

2008年05月16日 01時08分22秒 | 行ってきた
短大時代からの同級生、RYOZO♂とビリヤードに行った。
ちなみにRYOZO♂は11階・消化器センター(消化器外科・内科)のナースマン。
前に行った時は二人とも夜勤の"明け"だったのでグッタグタだった。
もう入る球なんてほとんどなし、全部クッションボールになって、
9ボールが全く終焉を迎えられないという事態に。。。

今日はRYOZO♂くんもワタシも休みだったので、
学生時代に一週間おきに通っていたワタシの実家近くのビリヤード場へ。
前回とはうって変わって爽快な球突きに終始し、満足満足。

写真はRYOZO♂。
この球はきっちり入れておりました。

ビリヤードは集中力と正確さの勝負。
軸になる手がどれだけ安定しているか、
キューをどれだけまっすぐに前に出せるか。
コツは肩の力を抜くこと、でしょうかね。
単純なものほどやり込んでしまう人間の心理。

今回はワタシの勝ち。
9ボールが9勝6敗(だっけ?)、8ボール3勝1敗。
次回はどうかな。。。

寝む。。。

2008年05月13日 03時15分01秒 | 感情主観
日勤後にちょっと係りの話し合いに出ていたら、

23時超えてしまい、一人寂しく帰ろうと思ったところ・・・

あら、同期のすーさん(イケメン)。

どうやら、BURNセンターの夜勤勤務中の同期とだべっていたようで。

よし、飯でも食いに行くべ。

ジョナサンで語るは至極真面目な仕事のマニアックな話。

すーさんはかなり変だが、思考回路は似ている。

彼は賢い。

賢い人、さらに諦めの悪い人は、物事に結論を出せない。

ワタシように面倒くさがりはすぐに結論を出す。

だが、思考回路は似ている。

他の人がひくくらい、変なことをしたり言ったりするところも、似ている。

しかも、しつこい(笑)

だから、今日も気がついたらこんな時間なワケで。

それにしてもすーさんはおもしろい。

イケメンのくせに、生意気な。

20世紀少年-20th century boy's-

2008年05月07日 16時52分47秒 | ふと思ったこと
大学時代の研究室で面白いから読んでみてと言われて読み始めた。
それが、浦沢直樹原作「20世紀少年」だ。

まぁ中身は読めば分かる。
そして、その筋が好きな人ならきっとはまる。
それが、20世紀少年だ。

今年、映画の3部作のうち第1作が公開される。
http://www.20thboys.com/
堤幸彦監督だそうだ。
ケンジ役には唐沢寿明。
オッチョ役に豊川悦司。
ユキジ役に常盤貴子。
今のところ配役は申し分ない。

またすでに決まっている役者さんの中でワタシの注目は、
フクベエ役の佐々木蔵之助、木戸美津子役の洞口依子かな。
この二人は普通に、ファンなのだが。

さて、問題は映画の中身だが、堤監督の作風が
あの20世紀少年の独特のストーリー、
壮大な世界観とマッチするかどうかが最大の争点となる。
合えばものすごいものができるだろうし、
合わないということになれば、「やっぱり原作のほうが・・・」とお決まりパターンとなる。

だが、ワタシはあの世界観を醸し出すには、逆にコミックとはまったく別と考えるようにしたい。
コミックの世界観を映画でそのまま出すのは無理だ。
頭の中で切り離して、ひとつの新しい映画として、観るようにしたい。

まずは、1作目。
楽しみに待つのみである。