とある看護師の迷宮組曲

とある救命看護師。迷宮を彷徨い、雑記を綴ります。
管理者:T-okayama、TakoShun

増加する硫化水素自殺

2008年04月29日 23時55分04秒 | 医療・職場
昨年何月か忘れたが、ワタシはある患者を受け持った。
それは、風呂場で硫化水素ガスを発生させ自殺をはかった人の家族だった。
ちなみに本人はその場で即死。

守秘義務の手前あまり詳しくは話せないのだが、
この患者を収容するために現場に急行した消防士・警察官
そしてドクターカーで出動したうちの先輩看護師も中毒症状が出た。
うち何人かは入院している。

ワタシが受け持ったのは入院した次の日の日勤だったが、
まずベッドに近づくと鼻をつく刺激臭、よくよく嗅ぐと硫黄の匂いなのだろうが
あまりに危険なので故意に近づいて嗅ぐのはやめた。
こちらの二次被害を防止するためにアイマスク・予防ガウンなどで防護しながらの受け持ちだ。
さながら重度の熱傷患者を受け持っているようだった。

最近毎日この硫化水素の自殺が日本のどこかで起きている。
一日たりとも空白はない。
それがどれだけのことか。

まず、この硫化水素ガスの人体に与える影響はものすごい。
高度が濃ければ数回の吸入で死に至る。
どういう毒性かというと、うーんと簡単に言うと、
細胞に直接作用し細胞の呼吸を止めてしまう。
青酸カリの作用と同じだ。
当然密閉した空間ですることになるので、本人を救おうと密閉空間の中に入れば
即二次被害に陥る。
先のワタシの受け持ちの例でも家族が3人運ばれてきて、
一人はなんとか回復したが、一人は意識不明(その後脳死状態)、
一人は数日後に息を引き取った。繰り返すが本人はその場で即死だった。

ほんの少しの想像力でいい。働かせてほしい。
いつかそのうちに無関係の人がこの自殺の被害にあうことが予測できるだろうか。
この現状が続けば、確実に、誰かが無駄に犠牲になる。
それだけは避けるべきだ。
よく飛び降り自殺でまきぞいになる人がいるが、
確率で言えばこちらの方がはるかに大きく、危険だ。
一度に多くの人が被害にあう可能性も大きい。

要はこの方法、自殺の方法としては最低ということだ。
自分の命どころか、他人をも確実に巻き込む。
今まさに自殺を考えている人に他人のことを考える余裕はないのかもしれないが、
自分の命を絶つ判断ができるのであれば、これは避けるべきだ。

他人を巻き添えに、自分は勝手に死んでいくのであれば、それほど罪深いことはない。
そしてそういう人たちを看護するワタシたちも深い憤りの中で仕事をすることになるのだ。

perfume

2008年04月25日 13時06分37秒 | メロディ
ちょっと暗い話題だったので久しぶりに記事一日2アップしてみよう。
今度は旬の明るい話題。

さてさて、このところ大ブレイク中の"perfume"。
公共広告機構のCMでちょっと気になったが気持ちの中で放置、
最近テレビ露出が激しくなり「ポリリズム」を歌っていて、
「あれ、これリサイクルのCM?」「そうだよあの曲だよ」
そんな感じでamazonでCD/DVDをゲット。
ワタクシこれと決めると早いのです。

ワタシが"perfume"を気に入った理由をいくつかあげるとまずはテクノポップ。
ま~"perfume"を少しでも知ってる人なら分かると思うが、
80年代を思わせるような曲調が最近にない「古き良き新しさ」を演出している。
テクノとかエレクトロとかその辺の区別はワタシには分からないが、
テクノと言えば大御所は「坂本龍一」とか「細野晴臣」を思い浮かべる。
あの頃はまだテクノ調もアナログチックでどこかベース音がひとつ足りないみたいな
聴き心地でそれはそれでま~いいのだが、やっぱり90年代のPOPSに耳が慣れてしまっている
世代としてはどこか寂しげだ。
中田ヤスタカの作る"perfume"の楽曲はそんな"かゆいところ"に手が届く。

それに付随するのはメンバーのダンス・特に振り付け。
無機質的で、見ていて飽きない。
メンバーの曲への入り込み方が半端ではなく、近未来的な楽曲の雰囲気と絡まって
ステージは3人の織り成す小宇宙と化す。
そうかと思えば、機敏さの裏にどこか人間的で抑揚がある柔らかい動きを見せる。
入り込んでるので、表情も豊かで魅せられる。
さすが幼い頃からアクターズで鍛えてだけあり。
そこはプロ。
"魅せる"アーティストとしてうまいと思う。

さらにメンバー3人の背景がワタシのツボをつく。
目標とするのが"SPEED"でアクターズスクール広島(沖縄ASとは関係ないが)の出身とあれば
過去にSPEEDに過剰すぎるほど傾倒した人間として放ってはおけない。
徳間ジャパンというレコードレーベルも良い。
これがavexだったらおそらく見向きもしていないかもしれない。

さらにさらに、所属事務所のアミューズと言えばサザンの事務所ではないか。
超マニアックなサザンの楽曲に「TO YOU」という曲があるが、
その歌詞の中に"心にamuse~♪"という部分がある。
これは1978年デビュー当時から所属していたアミューズのことだ。

そういった色々なものが重なり、現在世間の波に乗ってしまい、CD収集中。。。

ま~最後になりますが、そりゃ~ワタシも男の子ですので、
お気に入りの子がいまして、はい。
「かしゆか」、あの子カワイイね。
結局それかよ!
はい、おしまい。

光市の事件

2008年04月25日 12時28分55秒 | 社会情勢・風刺
99年に起きた光市母子殺害事件の差し戻し控訴審判決が出た。
結果は死刑。
個人的には当然の判決だと思う。

この事件が注目を浴びたのはその事件概要の残虐性と犯行時の犯人の年齢からだ。
また死刑廃止論で有名な弁護士によるプロパガンダ的な要素もそれに追随した。
年齢は18歳と一ヶ月。
死刑適用ギリギリの年齢ということだ。
だが、判決は年齢は理由にならないとした。
これも、当然の判断だと思う。

この裁判の最大の皮肉は死刑を回避するために差し戻し審において弁護側が主張した
荒唐無稽・現実無視で信憑性もなく突拍子もない驚くべき陳述の数々が、
死刑判決を回避する最後の砦である「反省の情」をなきものにしてしまったということだ。
本当に被告に反省の情があったかどうかは別の問題としても、
その主張が責任を回避したものとみなされ、つまりは反省していないということになり、
それが死刑判決の原因になってしまったのは、
死刑を回避するべきの弁護側が死刑判決を出させてしまったようなものであり、
これはまさに逆効果以外の何ものでもなかったように思える。

裁判の現実に目を向ければ、これが高裁の無期懲役判決の差し戻し審であることを
考えれば従来の主張を繰り返しても極刑が出るのは避けられないものだったという見方も出来るのだが。。。

いずれにせよ、弁護側は当然のように即日上告したので、判決の確定にはもうしばらく時間がかかりそうだ。

この事件における遺族の本村さんの胸中は察するに余りある。
日本は法治国家であるが故、弁護側の主張があるのも理解できなくはないが、
遺族の気持ちを逆なでにしたり、世間の認識からあまりにも外れた主張は受け入れることは出来ない。
そしてその批判は形を変えて死刑という形で被告人に浴びせられる。

この事件はワタシが高校を卒業し、大学に入ったすぐ後に起こった。
そういう意味でも記憶に残る事件だ。

この事件の顛末を見守りたいと思う。

中学生パラダイム

2008年04月20日 02時06分46秒 | 記憶の彼方
昨日中華街にご飯を食べに行った帰りに、溢れる修学旅行生を見て、
同期のすーさんが一言。

す 「修学旅行行きたいな・・・」

修学旅行のあのドキドキした感じはあの時だけ。

私 「確かに・・・もんもんとしてたなぁ」

そう、"もんもん"。
これが正しい表現だ。


「女子部屋」とか「枕投げ」とか「入浴時間」とか「席順」とか。
あらゆるものが"もんもん"としていた。
なぜそこまで、というほどだ。
もうここには書けないくらい。
ま、書いちゃうけど
要は誰々が生理中とか、下着が透けてるとか、胸がどうとか。
いやぁ~まさにいわゆる『中二病』真っ只中。
夜になれば集まって「女体談義」である。
「好きな子は誰?」とかそういうレヴェルを超越した、
アダルトビデオも真っ青な談義。
これを通してやがて来る初体験の準備・準備_φ(.. )

確かに、すーさんの言う通り、この歳になりもはやあの頃は過去のお祭りだ。
苦しいこともたいしてなく、楽しいことのみを追求した時代。
貴重な共有体験と共に、今はない青春の甘酸っぱい味を残している。

きっとそこで、人間の汚い部分も含めて、"人を思い、考える"ってことを学んだんだと思う。
それが、中学生っていう時期なんだ。きっと。

マッサージ、プライスレス

2008年04月19日 14時03分05秒 | 医療・職場
90年代初頭(だっけか?)まで、男子看護学生には「産科婦人科領域」の臨床実習がなかった。
その理由は説明なぞしなくともご想像の通りなのだと思う。
・・・が、いつの頃からか、良いか悪いか世の流れに乗り男子も当然のように妊産婦との
関わりを余儀なくさせられるようになった。
看護師という資格の中の「療養上の世話」の中には「傷病者並びに"産褥婦"」という名称が
特筆して挙げられている。
産科領域を知らない男性看護師は果たして看護師として
どうなのかといった議論があったかは別として、
単に机上の男女平等論に流されただけの気もする。。。。

さて、ことの本題はそういった看護師フェニミズム文化とは対照的に
学生の頃の淡い思い出にさかのぼる。
短大時代の同級生のRYOZO♂くんはその産科の実習で思いもかけない面白いことをしてくれた。
これは病院での臨床実習ではなく、学内の実習での話しだ。

ある日、母性看護の実習で、ひとつの課題を自分で決めて
それに関して産褥指導をするという実習があった。
皆はそれぞれ沐浴指導や栄養指導などを選び、手作りでパンフレットや
小道具を作り産褥婦役の学生に指導の練習をするのだ。
ワタシは確か、沐浴指導を選び、リアルな赤ちゃん人形を使って実際に入れてみせるのをやった。

ここで隣のクラスだったRYOZO♂の実習内容が風の噂で伝わってきた。
彼と同じクラスの女子による証言をまとめてみよう。

まず母性の先生が今回の指導で皆が何をやるかを挙手させる。
「沐浴やる人~?」「はぁい」
「栄養指導は~?」「はぁい」
みたいな。
そこで、「乳房マッサージやる人~?」「はぁい」
「はい、○○さんと○○さんね。。。」
その中に、申し訳なさそうに手を挙げる一人の学生。。。
「あ、RUOZO♂くんもね」
先生華麗に当然のようにスルー。

さて、ここでなぜ彼は手を挙げたか。
それは前の講義にさかのぼる。
ここで先生が聞いているのは実習を始めるまさにその時であり、
同じような指導の計画を立てて来た人同士をグループ分けしているところなのだ。
つまり彼の大きな間違いはその前の授業のときに起こった。
何をやるかを事前に計画してそれを提出済みなのだ。
なぜか彼はそこで「乳房マッサージ」を選んでしまったのだ。
ここで後日聞いた彼の言い訳・・・

「どうして選んでしまったのか、分からない」

兎にも角にも、悲惨な実習が始まる。
ものすごいリアルな女性の上半身(腕なし、柔らかい乳房付、乳首ピンク色)の模型がある。
それを前に褥婦役の女友達を前に説明しながら乳房をひたすらもみ続ける彼。。。


・・・。


完全にアホだ。

見たかった・・・心の底から見たかった・・・
ある意味、公然と行われているセクシャル・ハラスメント事件。

彼が実際の病院実習で産褥婦さんの乳房をもみもみしたかは、定かではない。

過失は末端へ

2008年04月12日 20時33分49秒 | ふと思ったこと
日航機のニアミス事故で管制官二人の第二審判決が出た。
結果は一審を覆し逆転の猶予付きの有罪判決。
管制官側は共に上告する方針。

一方、イージス艦「あたご」の事故では事故当時の末端の見張り員は訴追されず、
当直士官及び艦長が海難審判の対象となることが決まった。

さて、これらのことを我々看護師で考えてみる。
看護師には業務上の注意義務である「結果予見義務」と「結果回避義務」がある。
 例えばわたくしごとだが、最近重症患者を受け持ったときに鬼のように
輸血を使う機会があった。
もしも、数ある輸血のパックの中に違う型の輸血が混じっており、
さらに確認ミスでそのまま投与してしまったら・・・
さらにさらに、輸血後の副作用に気がついたのが30分後で
患者は溶血性のショックに陥り、数時間後に死亡したら・・・
わたしは刑法上の業務上過失致死罪に問われることになる。

輸血の投与までには多くの確認過程を要する。
緊急で投与する場合、まずは患者の血液型を確認するため採血をし、
臨床検査技師が血液型の確認試験を行う。(表試験・裏試験・・・懐かしい*1)
さらに実際に輸血に使う製剤と患者の血液の血漿と赤血球部分を交差適合試験にかける。
臨床検査技師が交差適合試験を行い凝固や溶血が起こらないのを確認する。
この両段階で、患者の取り違えが起こる可能性もあるのでダブルチェックをする。
検査をパスすると、輸血が病棟へ届く。この段階でも輸血パックと番号・血液型の照合を
少なくとも2回行う。(血液検査室から出すときと、病棟に届いたとき)
さらに、受け持ち看護師とリーダー看護師が投与前の確認を行う。
ここまできてやっと患者へ投与される。
だが、実際にここまでやってもミスは起こる。

そして、交差適合試験でミスがあり、それが原因だと判明すれば"検査をした"
臨床検査技師は処罰される。
交差適合試験は合っていても、投与時に患者ミスやパックの取り違えミスが起こると
"投与をした"看護師が処罰される。

いずれにしても実際に処罰されるのは末端の医療スタッフだ。
つまり、行為を行った本人である。

これはどういうことかというと、主任や看護師長などは事故においては
刑事責任は問われないのだ。
無論、病院内では管理責任を問われることはあるかもしれない。
だが、社会的・刑事的に責任を負うのは末端の行為者だ。
有罪が確定すれば例え執行猶予がついても「前科一犯」の犯罪者である。

当然、その背景には死に至った患者がおり、
我々、医療者はその結果責任を負う必要がある。

これには患者側、医療者側双方に立った考え方を見てみる必要がある。
医療者が医療側にのみ立った考え方をすると傲慢な医療になり、
患者が患者側にのみ立った考え方をすると医療者は何も出来なくなる。

誰だって裁判で有罪判決を受けたくて医療を行っているわけではないのだ。

大切なことはミスが起こったときに、同じミスが二度と起こらないようにすること。
そのためには実際に行為を行ったものは正直に何が起こったのかを話す必要がある。

ちなみに上述の管制官の話では、アメリカでは管制官は免罪され、
その代わりに洗いざらい正直に話すシステムがある。
これが、日本に馴染むシステムとは思えないが、
看護師としては少しは参考にしてもよさそうだ。
また日本の医療の中には公務員もいる。
公務員であるか否かは、業務上の民事責任を考える上では重要になる。

まぁ「責任」なんてものは医療に限らず
あらゆる業務に共通するものなんですがね。車の運転とか。。。


*1・・・看護の前に卒業した衛生技術学科(臨床検査)の病院実習を思い出す