「なんだ、この演技は。けっ。映画が台無しだ」
誰かが言った。
だが、それは本当に台無しなのだろうか。
今日は男性の興味と野心のお話。
例によって映画の場合、我々は映画館に赴き、完璧な映画を期待し、求めていると考えられる。
だが、精巧でかつリアリティーを追求したところで、本当にそれが得られるのか。
ワタシたち人間の求めるものは本当に精巧なものだけなのか。
なにひとつとして文句のつけようなのない「モノ」を経験することは
我々にとってどのような意味があるのだろうか。
ケーブルテレビを夜中に見ていると素晴らしい番組に出会う。
「MONDO21」というチャンネルは、ひたすらと「男」のツボをついてくる。
昼間は主に麻雀やパチンコ、鉄道や食べ物などが中心に構成され、
夜中はひたすらピンク色に染まる。
なかでも「I Loveぷるる~ん娘」という番組はすごい。
ひたすらおっぱいを流し続け、おっぱい企画で始まり、おっぱい企画で終わる。
内容は非常に稚拙だが、司会の3人の女の子が全く、何を気にすることなく
上半身裸で番組を進めていくのがなぜかおもしろおかしく、
エロイ気分には不思議とならない。
あの番組を作っている人は、まじでバカだと思う。
バカになりきらなければあんな番組は作れない。
長々と話したが、この辺はどうでもいい(笑
で、そんなケーブルテレビのチャンネルのひとつに「旅チャンネル」がある。
内容はひたすら「旅」。
国内外問わず、「いい旅・夢気分」みたいな番組を延々とやり続けるのだ。
ここでも夜中に面白い番組を見つけた。
その名も「美女と湯めぐり」。
内容は毎回若い女性が全国を巡り、その地の宿と温泉を紹介するというもの。
そのレポートがなんとも言えないのだ。
下手くそ。しゃべれば噛むし、台詞は棒読みだし。
「情報」という意味においては全く見る気にならない。
だが、番組が進んでいくうちにその気分が変わっていく。
そう、つまりは温泉のシーンは全部脱いじゃうのだ。
そーかそういう番組だったのか。
なるほど。しゃべりが半端なわけだ。
話は変わる。
黒澤明の「天国と地獄」を見たことがあるだろうか。
近年色々とリメークの話を聞くが、ワタシはやはりオリジナルを見るに限ると思う。
社長の息子とその運転手の息子が社長宅で遊んでいる。
すると社長のところに電話がかかってくる。
「息子は預かった。返してほしくば身代金を・・・」
ところが社長の息子を呼んでみると庭から顔を出した。
なんだ、いたずらか。
そう思った途端に、社長夫人が運転手の息子がいないことに気がつく。
しかし、社長は翌日に会社の運命を左右する重大な契約を控えていて、
金は出せないと言う。
すがろうにもすがることの出来ない運転手。
数百人の社員を路頭に迷わせるかもしれない運命を握る社長の苦悩・・・
この緊迫感はいまだにどの映画を見ても経験することはできない。
まさに日本映画を代表する秀逸な作品だとワタシは思っている。
「精巧な映画」とはまさにこのことだ。
夜中のピンク番組と世界の黒澤を比べるな、と言いたくなるが、
ワタシは大きな意味で考えたとき、どちらも男性のツボを見事についていると言える。
それは、緻密に精巧に作られた映画には、「精密性」という男性の本能をくすぐる
要素が盛り込まれている。
例えば、鉄道マニアに男性が多いのは電車というものが非常に緻密に出来ているからだ。
時刻表とそれ通りに運行される正確さと時間的な連続性、
車体ごとにナンバリングされ、一方で路線ごとに異なるバリエーションと規則性。
他にも多くの要素が男を鉄道の虜にさせる。
だが、その逆に「美女と湯めぐり」には「しっかりしてくれよ」と
声をかけたくなる一方、美しい裸体に眼を奪われるのだ。
こんなことを言ってはあらゆるところからひんしゅくを浴びそうだが、
美女は、美女であればあるほど、しゃべらない方が良い。。。。。。。気がする。
ここで誰もが思うだろう。エロであればそれで良いのか、と。
答えは「否」だ。
MONDO21には他にもそれこそAVのような番組もたくさんある。
だが、あくまでそれはエロだけだ。
はっきり言ってつまらない。
その辺を歩いている中学生くらいなら泣いて喜ぶかもしれないが、
それは思春期だからだ。
稚拙というものは精巧に見せようとして初めて成立する。
最初からハダカでは「精巧」も「稚拙」もあったものではない。
美女と湯めぐりが単なるエロではないのは、あくまでも「旅番組」だからである。
そういったエロを含めた一種のリアリティーの追求においては、
稚拙であればあるほど興味深く見れるのは不思議というほかない。
その理由を考えてみた。
頭のなかで黒澤映画並みへの変換作業を行っているというのはどうだろうか。
そうすることで、下手な演技もそれを頭の中で演出する楽しみが生まれる。
よく考えれば以前好きだったSPEEDがそうだった。
音楽性という意味で言えば「他にあるだろ」と思う。
だが、SPEEDの4人の頑張る姿を自分の多感な時期に投影することで、
その音楽に感情移入していたと思うのだ。
そこには「プロ」を意識しているけど、どこかなりきれない「葛藤」があったのだ。
序論の映画の話。
「なんだ、この演技は。けっ。映画が台無しだ」
だが、その演技が稚拙であればあるほど、
自分の頭の中では理想が出来上がり、面白くなっていく。
そこが分かってくると、下手くそな演技もきっと、許せるようになってくるに違いない。
誰かが言った。
だが、それは本当に台無しなのだろうか。
今日は男性の興味と野心のお話。
例によって映画の場合、我々は映画館に赴き、完璧な映画を期待し、求めていると考えられる。
だが、精巧でかつリアリティーを追求したところで、本当にそれが得られるのか。
ワタシたち人間の求めるものは本当に精巧なものだけなのか。
なにひとつとして文句のつけようなのない「モノ」を経験することは
我々にとってどのような意味があるのだろうか。
ケーブルテレビを夜中に見ていると素晴らしい番組に出会う。
「MONDO21」というチャンネルは、ひたすらと「男」のツボをついてくる。
昼間は主に麻雀やパチンコ、鉄道や食べ物などが中心に構成され、
夜中はひたすらピンク色に染まる。
なかでも「I Loveぷるる~ん娘」という番組はすごい。
ひたすらおっぱいを流し続け、おっぱい企画で始まり、おっぱい企画で終わる。
内容は非常に稚拙だが、司会の3人の女の子が全く、何を気にすることなく
上半身裸で番組を進めていくのがなぜかおもしろおかしく、
エロイ気分には不思議とならない。
あの番組を作っている人は、まじでバカだと思う。
バカになりきらなければあんな番組は作れない。
長々と話したが、この辺はどうでもいい(笑
で、そんなケーブルテレビのチャンネルのひとつに「旅チャンネル」がある。
内容はひたすら「旅」。
国内外問わず、「いい旅・夢気分」みたいな番組を延々とやり続けるのだ。
ここでも夜中に面白い番組を見つけた。
その名も「美女と湯めぐり」。
内容は毎回若い女性が全国を巡り、その地の宿と温泉を紹介するというもの。
そのレポートがなんとも言えないのだ。
下手くそ。しゃべれば噛むし、台詞は棒読みだし。
「情報」という意味においては全く見る気にならない。
だが、番組が進んでいくうちにその気分が変わっていく。
そう、つまりは温泉のシーンは全部脱いじゃうのだ。
そーかそういう番組だったのか。
なるほど。しゃべりが半端なわけだ。
話は変わる。
黒澤明の「天国と地獄」を見たことがあるだろうか。
近年色々とリメークの話を聞くが、ワタシはやはりオリジナルを見るに限ると思う。
社長の息子とその運転手の息子が社長宅で遊んでいる。
すると社長のところに電話がかかってくる。
「息子は預かった。返してほしくば身代金を・・・」
ところが社長の息子を呼んでみると庭から顔を出した。
なんだ、いたずらか。
そう思った途端に、社長夫人が運転手の息子がいないことに気がつく。
しかし、社長は翌日に会社の運命を左右する重大な契約を控えていて、
金は出せないと言う。
すがろうにもすがることの出来ない運転手。
数百人の社員を路頭に迷わせるかもしれない運命を握る社長の苦悩・・・
この緊迫感はいまだにどの映画を見ても経験することはできない。
まさに日本映画を代表する秀逸な作品だとワタシは思っている。
「精巧な映画」とはまさにこのことだ。
夜中のピンク番組と世界の黒澤を比べるな、と言いたくなるが、
ワタシは大きな意味で考えたとき、どちらも男性のツボを見事についていると言える。
それは、緻密に精巧に作られた映画には、「精密性」という男性の本能をくすぐる
要素が盛り込まれている。
例えば、鉄道マニアに男性が多いのは電車というものが非常に緻密に出来ているからだ。
時刻表とそれ通りに運行される正確さと時間的な連続性、
車体ごとにナンバリングされ、一方で路線ごとに異なるバリエーションと規則性。
他にも多くの要素が男を鉄道の虜にさせる。
だが、その逆に「美女と湯めぐり」には「しっかりしてくれよ」と
声をかけたくなる一方、美しい裸体に眼を奪われるのだ。
こんなことを言ってはあらゆるところからひんしゅくを浴びそうだが、
美女は、美女であればあるほど、しゃべらない方が良い。。。。。。。気がする。
ここで誰もが思うだろう。エロであればそれで良いのか、と。
答えは「否」だ。
MONDO21には他にもそれこそAVのような番組もたくさんある。
だが、あくまでそれはエロだけだ。
はっきり言ってつまらない。
その辺を歩いている中学生くらいなら泣いて喜ぶかもしれないが、
それは思春期だからだ。
稚拙というものは精巧に見せようとして初めて成立する。
最初からハダカでは「精巧」も「稚拙」もあったものではない。
美女と湯めぐりが単なるエロではないのは、あくまでも「旅番組」だからである。
そういったエロを含めた一種のリアリティーの追求においては、
稚拙であればあるほど興味深く見れるのは不思議というほかない。
その理由を考えてみた。
頭のなかで黒澤映画並みへの変換作業を行っているというのはどうだろうか。
そうすることで、下手な演技もそれを頭の中で演出する楽しみが生まれる。
よく考えれば以前好きだったSPEEDがそうだった。
音楽性という意味で言えば「他にあるだろ」と思う。
だが、SPEEDの4人の頑張る姿を自分の多感な時期に投影することで、
その音楽に感情移入していたと思うのだ。
そこには「プロ」を意識しているけど、どこかなりきれない「葛藤」があったのだ。
序論の映画の話。
「なんだ、この演技は。けっ。映画が台無しだ」
だが、その演技が稚拙であればあるほど、
自分の頭の中では理想が出来上がり、面白くなっていく。
そこが分かってくると、下手くそな演技もきっと、許せるようになってくるに違いない。