とある看護師の迷宮組曲

とある救命看護師。迷宮を彷徨い、雑記を綴ります。
管理者:T-okayama、TakoShun

イメージと先行と同情と共感と右肩の痛み

2007年06月29日 13時19分32秒 | 社会情勢・風刺
人間はイメージの生きものである。

誰かが言った例えに、こんなものがある。

「ある村の話。
ある山をはさんでこっち側と向こう側に二つの村があった。
片方の村では羊の子供を一生懸命に育てていた。
もう片方の村では親にはぐれた狼の子供を一生懸命育てていた。
狼は村人に育てられながら少しずつ狩りを覚え、
一人前になって隣町の羊を見事に捕らえた。
狼を育てていた村人たちはよくぞ捕らえた、これで山に返しても生きていけると
大喜びした。
羊を飼っていた村人たちは羊が死んで、悲しみの境地に陥った」

事実としてはたったひとつなのに、人間が色づけすることで全く違う事実ができあがる。
どちらの側に立つかによってその出来事の見え方が180度変わってしまうのだ。
これはある意味とても恐ろしい。
人は見方によって善にも悪にもなりえることになる。
片方の意見だけを聞いて事実を先行認定するのが早計なのは言うまでもない。
だが、所詮それも人間が考えただけの産物に過ぎない。


凶悪な犯罪が多い昨今、それに伴い加害者への厳罰化傾向は世論の流れである。
妻と娘を殺された挙句に姦淫された光市の事件の被害者感情に目を向ければ、
当初遺族男性が言っていたように「司法が厳罰を下さなければ私が殺すまでです」との台詞に共感せざるをえない。

逆に冷静に事件を見つめるならば、
ワタシ達は所詮当事者ではなく、当事者にしかない感情というものがあるとも思う。
その遺族感情に共感しての、「厳罰化」なのであると考えられる。

判決の際にさだまさしの詞を引用したことで知られるある元裁判官は
厳罰化すれば凶悪犯罪が減るか?との質問に対して「少なくならない」と断言する。

一部の資料によれば厳罰化によって減るのは軽犯罪と性犯罪だけであるという。

確かに、交通犯罪を中心とする「過失犯罪」は厳罰化することで
注意喚起しそれが事故を減らすことは考えられる。
ところが、凶悪な犯罪を犯す者は始めから捕まれば厳罰が下ることが予想でき、
犯罪の厳罰化はより巧妙な組織犯罪や個人の逃走を助長する危険もある。

そしてワタシが気になるのは被害者が加害者に「殺したい」と言ってしまうのは
仕方ないにしても、ニュースなどのコメントで直接的には言わなくても
死刑になってしまえ的なニュアンスの発言が散見されることだ。
そういうコメントが世間に与える影響も小さくはないのだから。
むしろ大きい。

同情と共感は違う。
当事者ではない人の、被害者がかわいそうだから、殺してしまえという思想が広く広がることで、
被害者であれば何も言っても何をやってもよいという考えが生まれないか。

まずは冷静に事実を見つめ、山のこっち側村とあっち側村がどう感じているのか、
判断することが大切なのだろうと思う。


全然関係ないが、右肩が痛い