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くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

いざ、米沢!の前に→三春の瀧桜

2010年06月01日 | 参陣記
山梨笛吹石和新潟上越、そして、山形米沢
この3箇所に共通するのは・・・そう、今の世で「川中島の合戦」が行われているところです。
その内2箇所、石和上越には参陣したことがあるんですが、米沢には未だ、観戦しかしたことがありませんでした。
そこで今回、休みを利用して行けると判断して参陣願を出したところ・・・やりました!見事、許可状が得られましたので、合戦前日、勇躍して米沢へと向かいました。
けど、ただ家と米沢を往復するだけではつまらない!勿体無い!!と、思ったので、何箇所かに立ち寄ってきました。

行動開始は2日の午前2時過ぎ。
出発は3時と決め、前日に準備を整えて就寝。
あまりに楽しみにしていたのか、行動開始予定の15分前に一端起きたんですが、目覚ましの設定時間前に起きたことが妙に嬉しく、また惜しい気持ちがあったので、あとちょっと、もう一眠り・・・と気が付けば、5時?!

外はすっかり白んでました(爆)

あとで調べてみて判ったんですが、目覚まし(ケータイ)、設定されてませんでした。
どうやら、設定したつもりになっていたようですorz。
もう、乾いた笑いしか出てきません...。
しかし・・・今回は、往復とも単独行動なので、自分以外は困る人が居なかったことが幸いでしたが、もう、びっくりしました。
慌てて身支度を整えて、予定時間よりも3時間近く遅れて6時近くに家を出ました。

今回、米沢には福島口から。
常磐道磐越道を経由して東北道に入り、福島飯坂から米沢街道に入るルートを選択。
家を出、常磐道に入るべく、柏へ向かって国道16号線を走っていきましたが・・・まだ、6時過ぎだというのに若干混んでました。。。
夜中なら、30分程度で行けるんですが、この時は45分近く掛かりました。
日中、いや、それよりも時間掛かってます。
しかし、それ以上に驚いたのが常磐道。
から入ったら、もう、下り線は車でびっしり。。。
辛うじて、いや、何とか流れてはいましたが、水戸を越すまでは平均時速は60km程度でした。
その憂さを晴らしたかったのか・・・水戸を越して、徐々に空いてスムーズに動き出すと、随分と、もう、堰を切ったように勢いをして出して運転してしまいました(^^ゞ

幸い、おまわりさんに捕まることはありませんでしたが・・・結構、エネルギーは使いました(笑)

さて、常磐道をいわきで磐越道に入り、まず向かったのが福島県の田村郡三春町
江戸時代は、秋田家5万石の御領知だったここには、国の天然記念物・三春の瀧桜が有名で、予てより一目見てみたい!と思っていたので、今回、立ち寄ってみました。
最寄は、磐越道の船引三春なんですが、シーズン中は相当混むのか、あちらこちらにその対策用の看板が。
そして、料金所を出ると、経路案内板があちらこちらにありました。
その順路とナビを駆使して、目当ての瀧桜には9時ちょっと過ぎに着きました。
そこは、公園として整備されていて、トイレや売店などがあり、名所目当ての人用に有料駐車場なども設けられていましたが、少し離れているので・・・時間が早く、人も然程多くなかったので、失礼ながら路駐をして観桜しました。
それが、これです。

もう、見事!としか言い様がありません。
とても堂々としていて、風格も感じます。
HPには「散り始めました」とあったんですが、何の、これでも十分過ぎるくらいです。

これも、今冬が寒く、開花が遅かったお蔭なんでしょうか...。

穏やかな春の陽と、長閑な風景に心癒されました。


圧巻の瀧桜を観た次は、いざ、米沢に!と、進路を再び磐越道の船引三春に取ったんですが、その途中、[芹ケ沢の桜]という案内板を見付けたので、それに釣られて行って見ました。
所々にある案内板に従って5分ほど走らせたら・・・着きました、芹ケ沢の桜。

高台の、個人所有の畑に一本、見事な枝垂れ桜が満開を迎えていました。
ここにも、高台の縁一面に咲く菜の花との共演が、実に見事!です。

出来れば桜の直下で!と思ったんですが、斜面が急だったので上り下りがちょっと(^^ゞ...
気持ち的に予定が押してたので諦めて、今度こそ、船引三春から常磐道に入って、福島口の東北道福島飯坂へと目指していきました。

←いざ、米沢!の目次<<<>>>いざ、米沢!の前に→ぶらり秘境駅の旅

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奥羽大遠征の【入口】

2009年09月30日 | 参陣記
相変わらずの長編ですが(^^ゞ
お付き合い下さりまして、誠に恐れ入ります。
ブログの性格上、ここの参陣記へ行くのが少々不便なので、ここに「入口」を設けました。
どうぞご利用下さい。


>>>【往路:盛岡経由

>>>【滞在:行軍開始!

>>>【滞在:祭本番!

>>>【滞在:だじゃく組合の笑撃

>>>【復路:仙北角館出立!(秋田道周り)】

>>>【復路:仙台サイコー!

>>>【復路:旅は道連れ夜は遅し


それにしても...
高速料金に安さには驚きました。
往路は、お盆期間+深夜割引なでも適用されて、東北道浦和から盛岡まで、たったの1,450円。
復路は秋田道を使って、途中、仙台で降りましたが、それでも合計は8,000円前後。
これを同乗者で割ると・・・とってもお得な旅でした!

来夏もこの調子だったら、ネイガーショーだけでも観に行きたいです(笑)

ではでは。
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奥羽大遠征【復路:旅は道連れ夜は深し】

2009年09月29日 | 参陣記
久し振りの仙台で、初めて瑞鳳殿に詣でた後は、私的にはメイン!の牛たんを食べに、市街地へと移動しました。

シンヨー君のナビゲートの下、中心街から少しはなれたコインパーキング(春日町=広瀬通×晩翠通)に車を止めて、いざ!お店へ。

この日は平日だったので、何と無く、気持ち的な余裕と優越感に浸りながら(笑)
日本屈指の規模と長さを誇るアーケード街を歩くこと・・・数十分(笑)
目当てのお店,牛たんの名店【利休】の、アーケード街に在る「サンモール一番町」店に入りました。

時刻は17時を少し過ぎた頃。
中休み後のオープンにぴったりと合せて入れました。
ここで私が注文したのは、ズバリ!牛たん定食。
それを待つこと暫しで・・・・・・・・・!
いよぉ!待ってました、牛たん定食!!

久し振りに頂いた牛たん(定食)は、もうぉ、うんまい!です。
昼食抜いてきたので、その旨さは一入。
しかし、運転手なので、ビールが飲めなかったのが痛恨事orz...。
この時、心底「仙台にもう一泊したい!いや、しよう!!」と思いました(マテマテ)

久し振りの牛たんを堪能し、(店内の)テレビでたまたま見たNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の紹介番組(とりわけキャスティング)に大興奮してお店を出、再びアーケード街へ。
なるほど,いまの大河がちゃっちいワケだ(苦笑)
途中、私は仙台名物というお茶屋お饅頭(冷凍)を買い、まつもちゃんやマコ殿も、それぞれ物資の補給を済ませてから車に戻り、後ろ髪惹かれる思いで仙台を後にしました。
(シンヨー君とは駐車場で別れました。)

短時間では有りましたが、仙台の街は活気があって賑やかで、緑が多くて整備されていて、史跡も近くに在って、とっても気に入りました。
首都圏みたく、何かを買い求めるのにあっちこっち行かなくても、市街地に来れば何でも揃いそうなところが、特に。
赤字必死の地下鉄も建設中で、ますます利便性は高まりそうです。
残念ながら、仕事の都合上、転居するわけには行きませんが(^^ゞ
是非是非また来てみたいです。
いや、また来ます。

さて、大満足!の仙台を後にして、次に向かうのは・・・各自の自宅。
3日間に渡る奥羽大遠征も早最終盤。
仙台から東北道に乗った頃には陽もとっぷり暮れて、往路と同じく、景色が全く楽しめない、漆黒の夜の中を首都圏へ。

途中、不気味にライトアップされている白石城には驚きましたが(苦笑)
あとは、概ね順調に,渋滞などに巻き込まれること無く、往路に走った道なので、「いつ、どこまで行けば・・・」という不安感も無く(笑)
所々で休みながら、それぞれの御宅までお送りして、無事、大遠征を完了させました。

全走行距離は・・・恐らく、1,500kmになるかと思います。
(前回、3年前の一関唐梅館への参陣の時の走行が1,000km強でしたから。)
これだけの距離は、確かに大変でしたけど、面白くて楽しかったです。
それもこれも同乗していただいた方々のお蔭です<m(_ _)m>
独りでは、決して出来ません...。
いや、したくはない・・・ですね。

機会とメンバーが揃えば、次は東海道を攻めてみたいと・・・思います。

ではでは。
ここまでお付き合いくださりまして、ありがとうございました。

あっ、そういえば...
往路,第一目的地へ向かうべく、外環道路を走っていたら、隣車線で玉突き事故が発生しました。
いやぁ、久し振りに目撃しましたよ、事故の瞬間を。
赤信号で急停車した車に、後続(デミオ)が間に合わずに突っ込んだんです。
結構な勢いで突っ込んだんで、後続車の前(エンジン部)は「く」の字にひしゃげて、煙が出てました。
幸い、前に突っ込んでいったので、私たちに被害が及ぶことはありませんでしたが、信号待ちの間、まさか火でも吹くじゃないの?!と、ちょっとドキドキしてました。
けど、なんとか、目撃した限りでは、双方の運転手とも外傷などは無かったように思われます。
喧嘩にもなりませんでしたし(苦笑)
いや、しかし...
実は、その車線(追い越し)を直前まで走っていたんです。
その時の後続車がこの車だったかは定かではありませんが、一歩間違えば・・・それは、私だったかもしれません。

外環道路を走ったことがある方はお解りでしょうが、この道は、一部パイパスかされていて信号もさほど多くなく、特に夜などは空いてて、とっても走りやすいんです。
また、(私的には)トンネルもあったり外環道からの照明が近未来的な感じがして、とっても好きな道でもあります(笑)
事故時、時刻は深夜0時過ぎだったので、やはり交通量は少なく、どれもこれも結構のスピードで走ってました。
ええ、ご多分に漏れず私も(--ゞ
しかし、私はある程度車間はとってました。
一方、事故車は、あまりゆとりが無かった様に記憶しています。
ですから...

運転する皆さん、車間はとっても大事ですよ
十分とって、運転しましょう。
あと、停車予告
(ポンピングブレーキ)を実践しましょう。
車は、急に止まれませんから。


ではでは。

[終]


【復路:仙台サイコー!】<<<>>>【奥羽大遠征の入口】
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奥羽大遠征【復路:仙台サイコー!】

2009年09月28日 | 参陣記
昼前に角館を発ち、所々休みながら、仙台入りしたのは15時過ぎ。
当初の予定だと、仙台入りをしたら真っ先に牛たんを食べる!つもりだったんですが、この時間に行くと中休みをしている可能性があったので、まず先に、瑞鳳殿に向かいました。

秋田道錦秋湖S.A.の眺め。
敷地奥にある森は、い~いロケーションです。(笑)



今まで、仙台には何度か来たことはありますが、瑞鳳殿に来たのは今回が初めて。
流石、仙台藩の礎を築いた伊達家三代を祀る御廟所。
謐然とした雰囲気に入ると、自然と背筋が伸び、心引き締まる思いがしました。

背高く林立した杉に囲まれた石畳を進み、受付を済ませ、

(順路に従って)まず参詣したのは、藩祖権中納言政宗公の御霊屋(廟)「瑞鳳殿」。

さすがは、奥州の覇者にして伊達陸奥守62万石の礎を築きし政宗公の御霊屋。
政宗公への崇敬の念を籠め、御家の威信を掛けたであろう御霊屋は、思わず嘆息してしまうほどにご立派で、実に見事な造り。

漆黒の基調が、様々な色彩を際立たせて、豪華絢爛さを引き立てている様に感じます。

残念ながら、御霊屋の中を見ることは出来ませんでしたが、聞くところによると、年に一度、御開帳的に中を見られる機会があるようです。
出来ればその時、是非とも来て見たいです。
なお、政宗公は地下に眠っている(埋葬)されているそうです。

御霊屋の周りには、政宗公に殉じた人々の宝篋印塔が並んでいました。

柵が設けられていたので、石塔を直に見ることが出来なかったのがとっても残念でした(解説板はあります)が、その多さに、主君として、一身を捧げる程に魅力的な人物であったと、改めて感じられました。

政宗公への参詣を済ませた後、次に、廟所外にある資料館へ入りました。

ここには、戦災に遭った伊達家三代の御霊屋の再建に際して行われた(学術研究)調査で判明したこと等が展示,紹介されています。
今まで、この発掘調査に関することは、資料(書籍)を読んだりしたことはありますが、実際目にするのはこの時が初めて。
かの有名な、政宗公着用の代表的な甲冑から、数々の副葬品,はたまた、血液型から身体的特徴を元に復元された復元容貌像まで見られて、さほど広くは無い資料館でしたが、結構充実した無い様で面白かったです。
しかし、採取された遺品などから、血液型に死因まで特定できるとは、科学の技術とはすんごいです。。。
(政宗公と孫の綱宗公は、共に癌で亡くなっていますが・・・やはり、癌は遺伝することを、改めて知らされた気がします。)

少し足早に巡ってしまった感があるので、また今度、機会があればじっくりと、展示資料などを見て回りたいです。

この後、順路に従って、2代忠宗公が眠る「感仙殿」と、3代綱宗公が眠る「善応殿」へと向かいました。
順路の逆流防止に設けられた自動ドアがあります・・・が、なんだかちょっと複雑です(苦笑)


さて、二君の御霊屋は、瑞鳳殿から少し離れたところに並んで建っています。
その造りは、瑞鳳殿と遜色無いほど立派で、漆黒を基調としていて色彩鮮やかで、大変豪華なんですが、どこか落ち着きの造りをしています。

↑感仙殿と善応殿↓

ただ、些細なところで違いが見受けられて、とても興味深くて面白かったです。
えっ?!あっ、例えば...
瑞鳳殿と感仙殿には“九曜紋”が用いられているのに、善応殿には“三つ引両”が用いられているのは何故か?!とか。
伊達家三代の廟所に、突然6代も後胤の周宗公と斉義公の廟所があるのか?!とか・・・ですね(^^ゞ

さて...
二君が亡くなられた頃は殉死が厳しく禁じられていたので、代わりに、供養の為に奉納された宝篋印塔が、御霊屋の一段下に並んでいました。
ここは、先ほどの瑞鳳殿とは違って柵など無かったので、まつもちゃんと2人、隈なく見て回りました。
それこそ、御霊屋よりも真剣に、シンヨー君とマコ殿が唖然とするほど、熱心に見てました(^^ゞ
(今だから言いますが、2人のことはすっかり忘れていました(ぇ))
いや、しかし!石塔を侮る無かれ!
これは貴重な“一級史料”ですから、とっても面白いんです!!
見れば見るほど、知れば知るほど興奮してきます!!(ぇ)
それなのに...
御霊屋ほど関心が向けられず、少々ぞんざいな扱いをされているので、石塔の劣化や汚れが目立つのが残念でした。。。
今度来る時は、(砂取りの)箒や刷毛、(拓取り用の)和紙やスプレーを持って行こうと思います(マテマテ)
ちなみに...
石塔の一番目には一門筆頭格の石川家(伊具郡角田領主)があり、とても人気がある片倉家は「一家」(一門の次)に属するので、石川家の石塔から数えて大体9塔目くらいにひっそりと、目立たずあります。
あと、サンドウィッチマン伊達みきおの家は、片倉家と同じ「一家」(坂本領主大條伊達家)なので、きっとあると思います!
この時、情報が乏しかったので探せませんでしたが(笑)
片倉家と同じ「一家」に属しているので、多分、ここから5,6番目くらいに。

この他、感仙,善応両殿と並んで設けられていた妙雲界廟(9代周宗と11代斉義夫婦の墓所)に詣でて、瑞鳳殿域を後にしました。

全体的に、ちょい足早に見て周ってしまったので、今度はしっかりと、必要用具を持って行きたいと思います(マテマテ)

ちなみに。
広瀬川沿いの山(経が峰)を切開いて設けられたこの廟所は、戦略家の政宗公が有事を考慮したのでは?!と、邪推したくなるほど、配置や造りをしているように感じました。
さながら、瑞鳳殿が本丸で、感仙,善応殿の域が二の丸、三の丸といったところでしょうか(笑)

しかし、これらの貴重な文化財が戦禍で失われてしまったことが、返す返すも腹立たしいです。

えっ?!怒りの対象は誰かって!?
それは勿論!無策な当時の日本政府です。

さてさて、その怒りはちょっと置いておいて・・・っと。
気分を変えて、牛たん食らいに市街地へと向かいました!

【復路:仙北角館出立!(秋田道周り)】<<<>>>【復路:旅は道連れ夜は深し(終)】

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奥羽大遠征【復路:仙北角館出立!(秋田道周り)】

2009年09月27日 | 参陣記
今年初出陣かつ初参陣となった戸沢氏祭も無事に終え、ついに復路の日。
前夜、寝ずに結構飲んだのに、ヘンな時間に起きてしまったので、朝早く(6時頃)の、誰もいない武家屋敷を散策。

ところどころで、竹箒で掃除している人などがいましたが、まだ、寝静まっている武家屋敷は、何とも言い難いよさが有りました。

祭会場の下流でもある桧木内川の土手縁は、桜並木になっています。これが一斉に咲いたら・・・そ、想像も着かぬほどきれいなんでしょうね...。

この後、予約していた時間に、自称レストランで前日と同じ朝食を食べてから、2日連続で行った居酒屋の隣にある温泉に行きました。

朝7時から開いているこの温泉ですが、流石に早すぎるのか、私が入ったときは、お客は私だけでした。
お蔭で、のびのびゆったりと、気持ちよく入れました。

なお、お湯は無臭透明で、塩っ気がありました。

温泉で一っ風呂浴びてから、身支度を整え、同行する方々には9時に集合を呼びかけ、チェックアウトしてから武家屋敷群へ。

角館に着いてからリハまでの時間、ちょこっと観て回りましたが、今回は、屋敷内が公開されている青柳家を重点的に観るべく向かいました。

当初の予定では、1時間程度で観終わって出発できるだろう・・・と考えていたのですが、いざ、行ってみるととんでもない!
とてつもなく広く、また、観応え十分!・・・というより、これほどまですごい資料館は、初めて観ました。

やはり武具類に目が行くのは仕方が無いです(笑)

衣裳、甲冑などから、当時の人々が如何に小さかったかが窺えます。

院内銀山や阿仁銅山等、秋田佐竹領内は鉱物資源が豊富でした。ゆえに、権力闘争が絶えませんでした...。

小野田直武は、秋田蘭画の第一人者として、『解体新書』の挿絵を描いたことでも有名で、武士としても、分家の臣ながら本家当主義敦公の知遇を得て活躍するも、権力闘争の闇に呑まれて不遇の死を遂げてしまいます。

また、学芸員のセンスのよさにも舌を巻きました。

この他にも、ここ青柳家には『解体新書』の原本である『ターヘル・アナトミア』が展示されていますが、日本には、九大医学部の図書館とここ青柳家で展示されているモノの二冊しかないそうです。
しかし...
数々の、豊富なお宝(史料)といい、広大な、三千坪の敷地といい...
あ、青柳家、恐るべし!です。


この後の予定もあってので、少し足早に回りましたが、それでも、予定よりい30分以上オーバーして、ここを出、角館を発ちました。
今度時間があったら、ネイガーショーと武家屋敷をじっくり観て回りたいです...。

さて、行きは盛岡経由して来ましたが、帰りは秋田道を使って,復路は仙台在住のシンヨー君を乗せたので、仙台観光をすべく向かいました。

【滞在:だじゃく組合の活躍】<<<>>>【復路:仙台サイコー!
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奥羽大遠征【滞在:だじゃく組合の笑撃】

2009年09月26日 | 参陣記
戸沢氏祭での、我等の出番が終了後、(株)正義の味方による秋田のヒーロー・ネイガーショーが始まります。

我等の寸劇を観る様に命じられていた小学生たちは、ここで解散させられましたが、客席(ブルーシートの上)には、いつの間にか大勢の人々が!
流石は地元のヒーロー・ネイガーです。

このショー、ウワサには聞いていましたが・・・もう衝撃的過ぎです!
お伝えしたいことは山ほどあるんですが、とてもとても書ききれませんし、文章にするのが難しいので、簡単に概略だけ(^^ゞ

まず、悪役が面白い!

そして、客イジリがスゴイスゴイ(笑)
ネイガーと戦う以上時間掛けてます
ある意味、ノリはとってもいいんです!けど、観客温め過ぎです(笑)
ちなみに、この日の悪人カマドキャシ(通称:キャッシー)にまつもちゃんが連れ去られ、怪人ボッコレタマグラを呼ばせられるハメに。←多分、確信犯(ニヤニヤ)

また、ショッカー的戦闘員のホジーネは、小学生級の、やったら絶対お母さんに怒られる!ようなマネばっかりします。
例えば・・・短パンをハイレグにしたり、(P)起しているように中からグイ!ッと持ち上げてみたりで、もう、やりたい放題。

なるほど・・・小学生に解散令が出される訳だ(爆)
きっと、首都圏とかテレビなどであんなことしたら、絶対直ぐ止められます
それと、岩手から来た怪人も、なぜかずーっと吉川晃司のマネ(動き)をやってました。

挙句に、きれいな若い奥さんを見つけてちょっかいだしてました(笑)
た、確かにきれいな若妻だった(爆)

これはもう、絶対一度は見たほうがいい!です。
特に、悪人はオトナ好みです。
ただ、北東北3県からは出ないで欲しいです。
これ以外に出たら、よさが絶対薄まります。

それと、主役のネイガーについては...
カマクラ・ナックルなる武器が一番驚いた。

多分、カマクラ状の発泡スチロールの先端が、ピカッと眩く閃光したので・・・その原理が、いま、とっても知りたいです。

そんなこんなで、1時間近くのネイガーショーは、終始笑いっぱなし。
この後の握手会には左馬之助殿もしっかり並んで、ネイガーと、岩手から来た岩鉄拳チャグマオーや、悪人ドモとバッチリ記念撮影してきました。

私も一枚、岩手から来た怪人と、吉川晃司のポーズで撮りました(^^ゞ

来年は、寸劇に出なくてもネイガーショーだけは観に来たい!と、正直思いました(笑)

この後、役場の方が手配された車で、陣所の市西木支庁まで戻って武装解除。
ここで、毛虫丸殿と左馬之助殿は帰路につかれ、残った我々は、一旦宿に戻ってインターバルを置いてから、再び昨夜の居酒屋へ繰り出して、この日の疲れを癒しに行ってきました。

やっぱりパフェは外せません!


最後に。
祭会場の河川敷公園のあちらこちらにロープが張られていて、なんだろう?!と気になっていたんですが...
この前、桧木内川が大雨で増水して、園内の至る所に被害を及ぼしたそうで、堤防が壊れていたり、基礎がめくれ上がっていたりと、その爪痕を残していました。
西国でも大水害がありましたが、改めて、自然の偉大さを感じました。。。

あっ、ちなみに。
ネイガー含めて、武器から怪人の名前まで秋田の方言などを捩ったもので、その運営会社は(株)正義の味方と言います。
また、悪人ドモは「明日の秋田を駄目にする」“だじゃく組合”という組合の組員達です。
いやはや...
みちのくプロレスといい、このネイガーといい、東北地方恐るべし!です(笑)

お酒も美味しいしね(笑)

【滞在:祭本番!】<<<>>>【復路:仙北角館出立!(秋田道周り)】
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奥羽大遠征【滞在:祭本番!】

2009年09月25日 | 参陣記
今年初参陣した戸沢氏祭
元々は、地元の人々のお盆の行事として、新成人を主役に立てて行う祭だったようです。
そこに我々県外人も盛り立て役として駆け付け、寸劇なども披露することになっているのですが...
せ、台詞が全く頭に入ってない(アハハ)
立ち位置等も曖昧で、なんだかシドロモドロの中、会場到着から20分ほどして、始まってしまいました。

今回寸劇に登場したのは...
戸沢盛安=シンヨー君
戸沢家女武将=マコ殿
小夏=あゆみちゃん
戸沢家家臣×2=地元の方々

太閤秀吉=毛虫丸様
秀吉付き小姓=あゆみちゃんのお連れさん

北条方御大将=左馬之助殿
北条方家臣=火勢の鳥殿
北条方くの一=まつもちゃん

そして、私はこの北条方家老を仰せ付かりました。
脚本を手掛けたあゆみちゃんから届いて台本を読んだ時、私は直ぐに悪代官=得意な(マテ)企み多分な家老を求めている?!(笑)と考えて、とりあえず、ご期待に添えるように準備をしたんですが...
あら大変!
左馬之助殿(御大将)の顔を見た瞬間に、覚えていた全てがストンと消えて真っ白に。
あー・・・えーっと・・・と考えているうちに、何とか断片的に台詞が復活してきて、何とかその場を凌ぎました(^^ゞ
しかし、続いて登場したシンヨー君(盛安公)が柱(パイプ)に頭(兜)をぶつけて、
“カキーン”というい~い音を響かせてから、それに気を取られてせ、台詞や所作がorz...。

一度歯車が狂うと、もう・・・止まりません,連鎖の嵐で(^^ゞ

殺陣で相対する方の並び順が違ったり、殺陣中、左馬之助殿に「最終兵器」として渡すはずのクラッカーが、袴の内でコロコロと移動して中々取り出せなかったり・・・と、もう、冷や汗の連続でした。
面目次第も無く(_ _ゞ
一式自分の役回りを終えて袖に引き下がりましたが、もう、後のことはあまり覚えていません。
いつの間にか、寸劇が終わってました(爆)

僅か20分足らずの寸劇なのですが、もう、一日分の労働をし終えた感じがします。

しかし、これで何気兼ねなく、ウワサに聞いて気になっていた超神ネイガーショーを、最前列の端っこで、とりあえず目立たぬように大人しく座って見てきました(爆)

p.s.
イベント終了後、ネイガー共々武者衆にも撮影依頼が。
特に、今回くの一で参陣したまつもちゃんには(小中学生の)女の子たちが、衣裳や演技(仕草)に関心があったようで、興味津々に話をしたりしていました。
もうちょとしたら、どこかでコスをしているかも・・・しれないですね。
その時の再開が、楽しみです。

【滞在:行軍開始!】<<<>>>【滞在:だじゃく組合の活躍
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奥羽大遠征【滞在:行軍開始!】

2009年09月24日 | 参陣記
今年初めての出陣は、これまた初めて来た秋田仙北(旧西木村)の戸沢氏祭
前夜の宴のお酒も残らず、朝は快適に目覚め。
最上階の(一応)レストランで朝食を取り、身支度を整えてから本陣を発ち、陣所の在る仙北市西木庁舎(旧西木村役場)へ,9時頃に入りました。

さすが北東北と言うべきか...
庁舎の窓を開け放ち、冷房を一切使用していない事務スペースを尻目に(^^ゞ
唯一?!冷房の入っている応接室(控室)に通されて暫し休息(待機)。。。
この間、この日の流れを役場の方から説明を受けたり、祭会場を視察しに行ったり、着甲(身支度)を始めたり、昼食を取ったり・・・と、3時間ほどまったりと過してから、お昼過ぎに、役場の福祉バスに乗って、行列の出発地点に移送されました。
↓こんな感じで。

※自前甲冑を持っていない私は、今回、惟新さん甲冑をお借りして参陣しました。
これは、3年ほど前の岩手一関(東山)の唐梅館以来で。。。
誠に有難く、また、懐かしくもありました...。

さて、行列の出発地点は、陣所の市西木庁舎から北西に2kmほど離れたところに在る真山寺というお寺さん。
ここは、かつて戸沢家や佐竹家などの領主が祈願所とし、開祖は弘法大師とも言われる由緒あるお寺さん。
ただ、このお寺さんの由緒などよりは、境内にドンと聳える乳公孫樹が有名で、なんでも、樹齢は600年余もあるとか。
ひょっとしたら、今回の主人公である夜叉九郎盛安公も見ていたかと思うと・・・ちょっと、感慨深くなります。

さて、出発地の真山寺では「ささら」と呼ばれる神楽の様な伝統芸能が(奉納)披露されていたので、暫しこれに観入っていました。

あまり、こうした伝統芸能を間近で見ることはいままで無かったんですが、それなりにストーリー性があって、中々興味深くて面白かったです。

(舞い疲れた獅子たちを、雀(?!)が元気付ける為に賑々しく、観客を交えて囃し立てたり・・・というのもありました。)

このささらが終わった後、少し間を置いてから、床机に腰掛けていた人々がワサワサしだしたので、「はて、なんだろう?!」と思って付いていったら、隊列を組み始めたので、慌てて我等も混じり、真山寺を出発しました。
(ご、号令くらい欲しかった(^^ゞ)

行列は、新成人が務める殿様と侍女を先頭に、家も疎らな長閑な田舎道をのんびりと、かつて戸沢家が拠点とした門屋城址(三嶽神社)まで行軍。

ここで出陣の儀式を執り行うべく、暫し止まって休息となりました。

城口には祭壇が設けられ、その前に殿様(新成人)らが、炎天下の陽射し思いっきり浴びながら、マイクを当てても聞き取れないほどか細い声の神職に合せて、儀式は厳かに進められていました。

一方我々は、涼しい日影でまったりと、地元の方々が用意してくれた麦茶を飲んで休んでいました(笑)
ありがたやありがたや(_人_)
ちなみに...
残念ながら、ここでのインターバルがどのくらいだったのかが判らなかったのと、城口を塞ぐように祭壇が設けられていたので、城内に入ることが出来なかったのですが、城下の見取り図などを見るに...
小高い丘の上に設けられた城は、小規模ながらも、前面に川,背後に山を備え、地の利を活かした要害のようです。


さて、ここでどのくらい経ったか...
神事も無事滞りなく行われたようで、今度もワサワサと、誰が号令を掛ける訳でなく、なんと~く列を為して、行軍が開始されました。

今度は祭(寸劇)会場の桧木内川河川敷の公園まで、田圃の間の道を行軍しました。

つい最近まで、特に東北地方は日照不足が心配されていましたが、何の因果か、この日は雲一つ無い快晴!
見渡す限り、長閑な光景が広がる中、門屋城址からは、農民装束を身に纏った地元と小中学生と、姉妹校の文京区本郷の小学生が行軍に参加。
それはさながら・・・そう!百姓一揆みたいです(笑)

いやしかし、行列のボリューム感は増して、中々に見応え有って面白いです。

この一同で「年貢減免!」・・・じゃなかった、「エイエイオー!」と勝鬨上げたら、さぞかし迫力あったでしょうね(笑)

さて、門屋城址から祭会場まで、数十分掛けて入ってきたのですが...
か、観客が少ない(^^ゞ

聞けば、去年はもっと居たそうなんですが・・・仕方有りません、この日は平日(月)ですから。
それを見かねてか?!
行軍の後備を成していた小中学生に、引率の先生が...
「遠くから来てくれた方々が、郷土の英雄,戸沢盛安にまつわる寸劇を披露してくれます。地元の人間として、是非観ましょう。」
...と、動員を掛けていました。
オホホ(--ゞ...
いやはや、嬉しいやら恐縮する緊張するやらで(^^ゞ

結局、その子達はピシッ!と行儀よく体育座りして、我々の寸劇を観てくれていました。


さて、この後、緊張の寸劇が始まります!(笑)

【往路:盛岡経由】<<<>>>【滞在:祭本番!

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奥羽大遠征【往路:盛岡経由】

2009年09月23日 | 参陣記
前半は奥羽へ遠征して、戸沢氏祭に出陣。
後半は、毎夏恒例の謙信公祭(上越)に出陣して参りました。
しかし、ただ出陣するだけでは全く持ってつまらなくて勿体無いので、それぞれ、往復でいろいろと立ち寄ってきました。

まず前半(16日~18日)は、戸沢氏祭に参陣すべく、秋田仙北へ出陣。
今回、初めて一関以北(秋田入初)へ攻め込むのに、共に参陣するマコ殿とまつも殿の麗しき女性お二方と一緒に行って参りました。

首都圏を(最後に)発ったのは16日の午前1時。
往路は盛岡廻りで,時折渋滞している上り線を尻目に、東北道を直走ること7時間。
一番最初は盛岡城を攻める予定だったんですが、もう一つくらい「城攻めしたい」ということになり、私の頭の片隅に記憶していた志波城(古代公園)にまず向かいました。

ここは、律令時代に築城された東北経営(蝦夷討伐)の最前線・・・でしたが、近くを流れる雫石川の氾濫などで、僅か10余年足らずで役目を終えた哀れな城なんですが...
広いとにかく広いんです。

通常、歴史祭などで訪れる城(址)は、石垣が立派に聳える堅固な造ばかりですが、志波城は(いわゆる)平城で、堀も浅く城壁も低く、攻めるに容易く護るに難い城ですが、(平城)京の様に幅広い大路があり、政庁(址)もあって、防御よりも律令政府の権威を示すのに重点を置かれた城・・・という印象を持ちました。

↑北大路と政庁正殿↓

なお、発掘調査や復元作業は現在も鋭意進行中の様で、この完了が、とても楽しみです。


ここ、志波城を1時間近く散策した後、次は盛岡城へ向かいました。

流石は南部大膳大夫本家20万石の御城。

見事に組まれた石垣と、幅広い堀は、見慣れているとはいえ(笑)
見る者を威圧し、攻めるに難く護るに易い立派な造りです。
流石に県都の中心部に城址があるので、周りはビルに囲まれていますが、一箇所,開けている西側の眺めは、実に素晴らしかったです。

本丸址にあるこの台座には、日清戦争で活躍した旧主南部家当主利祥候の騎馬像があったそうですが、太平洋戦争で徴用されてしまったそうです。
全く...


天気のいい、日曜日の午前中に来たので、城址内では胡弓に興ずる人や、上半身裸になって立派なモンモンを惜しげもなく披露して(自分の)子どもたちと遊ぶ父親,木陰のベンチで朝からいちゃつくカップルなどなど、とても長閑で開放的な雰囲気でよかったです。

三の丸址に建立された櫻山神社。
お手水場には、南部家の紋,向かい鶴が出迎えてくれます。



この後、盛岡を昼頃に発って向かったのは乳頭温泉

温泉好きには堪らない!秘湯へ向かったのですが...
地図上では、秋田街道田沢湖からそう遠く感じなかったのですが、ナビも看板も、随分遠くへと誘い、目指す【鶴の湯】へは、途中、県道から(看板に従って)入った結構急峻な砂利の山道を、凡そ2.5Km程登り切って、漸く辿り着きました。

道幅はそれほど狭くないので、さほど苦ではなかったですが、結構な台数の車と行き交ったので、どんだけ賑わってるんだろう?!と思ってたら、駐車場は結構埋まってました。

また、温泉内にも、よくもまぁ、ここまで来ましたね・・・と、自分のその内の1人ですが(笑)
秘境にも関わらず、休日と言うこともあってか、とっても賑わってました。
中には、この後、近くの温泉にも行く!なんて、気合の入った人(グループ)もいました。

ここの露天は、一部が混浴になっています。
あまり多くは語りませんが、だだ一つ言える事は、男性(しかも中年以上)ばかり・・・でした(苦笑)
しかし、ここまで来た甲斐があった・・・と思うほど、とっても気持ちよく、い~いお湯でした。

これは内湯です。
ただ、湯上りに身体を流す掛け湯がないので、温泉成分が付いたまま、宿のある角館へと向かいましたが、暫くは、車の中が硫黄臭かったです(苦笑)

大自然に囲まれた秘境の湯屋で2時間ほどゆったりと過してから、漸く、今回本陣がある角館へと向かいました。

ただ、この時昼食をまだ取ってなかったので、途中で見つけた“森の駅”でみそたんぽを食しました。

一緒に焼かれていたでっかい岩魚の塩焼きにも惹かれたんですが・・・やっぱり名物を、と選んだのですが、もう、大正解!
とても香ばしく、甘さ加減も程好くて、もっちもちしていて美味かったです!

そんなこんなで、角館に入ったのは16時過ぎですから・・・首都圏を発って、実に17時間ほど掛けて来たことに・・・なります(^^ゞ

角館の本陣「角館プラザホテル」
本陣入りを済ませてから、参陣者は揃って、リハを行うべく、ここから10kmほど離れた旧西木村の桧木内川河川敷の公園へ。

流れの速い清流の音と、何も無く静かな、気持ちよく“田舎に来た!”感が味わえるここで、本番に向けた簡単な流れなどを確認してから、再び本陣(角館)に戻り、待ってました!前夜祭へと繰り出しました(笑)


前夜祭は、本陣近くに在るいい雰囲気のお店で。

我々が通されたのは蔵の中に設えられたお座敷。
ここで、種々の酒肴と様々な話題に興じて、翌日の本番に向けた英気を養いました。

ただ...
私はいつも通りに途中から省エネモードになってました(^^ゞ

【奥羽大遠征の入口】<<<>>>【滞在:行軍開始!
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8月の、とても濃い1週間。

2009年08月24日 | 参陣記
前半は奥羽へ遠征して、戸沢氏祭に出陣。
後半は、毎夏恒例の謙信公祭(上越)に出陣して参りました。
しかし、ただ出陣するだけでは全く持ってつまらなく勿体無いので、それぞれ、往復でいろいろと立ち寄ってきました。

いや、むしろメインは祭よりもこっち(立ち寄り旅)ですね(笑)

前半の奥羽への出陣では...
往路は盛岡廻りで,志波城盛岡城乳頭温泉(鶴の湯)と巡り、本陣の角館では武家屋敷を堪能。

復路は秋田道廻りで、錦秋湖(S.A.)→仙台(初の瑞鳳殿牛たん)と立ち寄ってきました。


また、後半の謙信公祭では、列車の旅を堪能。
往路は越後湯沢(六日町)から,全て在来線で向かい、途中、上越市大島区のところてんを食らってきました

久し振りの赤備と、(石和以来)久し振りの真田家((今回は弾正幸隆隊))で行列と合戦を成し遂げた翌日、復路は信越線の妙高号に揺られて長野へ出て、松代川中島と巡り、

甲越両勢が、この川中島で戦うの原因ともなった善光寺に詣でてから、帰って来ました。
長野駅のキオスクで見付けました!

これも、鉄道の旅をしたお蔭ですね(笑)

これだけ濃い一週間は、初めてかもしれません。
前半は(気の置けない)グループで、後半は独りでそれぞれ周りましたが、それぞれ面白く、とても充実した行程でした。

これからは暫く自重して(笑)
また、どこかの祭を観たり出たりしたと思います。
ただ...
来年の謙信公祭は、どうなるんでしょう。
そして、どうしよう?!参陣するの。
合戦の舞台が今年変わって、とてもよかったと思いますが...
もう、この辺りが潮時かな?って、考えています。
上越市内は、大方攻略しましたしから(笑)

尤も、来年には来年の風が吹くかもしれませんが(^^ゞ
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上越(謙信公祭)からの帰国

2008年08月26日 | 参陣記
先日載せました通り、2日遅れですが...
新潟県上越市謙信公祭に、2年ぶり4回目の出陣して参りました。
以前参陣した折は、(まだ)お盆の時季に開催されていたので、その時滞在していた栃木の親戚宅とを往復したのですが、前回から開催が8月の第4土曜日になったので、初めて自宅から、しかも車で往復しました。
ただ、ガソリン価格高値を付けている昨今、独りでは少々苦しいところがあったので、埼玉からお2人にご同乗頂き、復路と往路、それぞれ観光しながら行って来ました。
また、いろいろな方々と久しぶりにお会いできて、とても楽しくて嬉しい3日間でした。

このレポは、後日掲載する予定なので、詳細はそちらに譲るとして...

歴史祭の見学では、我が街の祭に毎春行っているのですが、参加となると・・・一昨年の岩手県一関市唐梅館以来だったので、種々戸惑うことが多かったです(^^ゞ
しかも、噂でしか知らないガクトの連年参陣でどうなることやら・・・と、思っていたのですが、私の知る限り何事も無く終了しました。
今回は、友人知人の多くがスタッフとして祭を支える側にあったので、とても心強く、助けられ、お蔭で存分に楽しました。
その奮迅努力に、篤く感謝感謝ですm(_ _)m

一番憂慮されていた天候も、曇天で風が強く吹いていたので快適に、さほど体力の消耗無く終えられました。
予報されていた雨も、合戦が終って陣所(体育館)に戻ってきてから降り出して、セーフでした。
(けど、武田勢は退きまでには間に合わず,一様に濡れて帰ってきました。)

ガクトの参陣に関しては、賛否両論あるのでそれも後日のレポに譲りますが、盛り上がった点で言えば、よかったんじゃないのかな?!と、思います。
少なくても、私の知っている謙信公祭の中では。

p.s.
先々週の夏休みから、いろいろと行って来た総決算としての行って来た上越。
その余韻に暫く浸っていたいですが、朝の痛勤電車に揺られると、一気に吹き飛んでしまうのが哀しいところです。。。

♪ピンポーン
画像は4年前のもの。とりあえず...です。
ちなみに、左側の信玄公はbayfm78の看板番組「BAY LINE 7300」の火曜DJ・有村昆(通称アリコン)です。
そう、これを見てなんかおかしいなぁ・・・と思ったら、武者行列の休憩場所であるここ春日山公園にはこの時、簡易トイレも露店も無く、とても静かで落ち着いてたんですよね(苦笑)...。

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2年ぶりの謙信公祭

2008年08月14日 | 参陣記
本当は、初陣の時に仰せつかった「(懸り乱龍の)旗持役」が、孤独だけど目立つので魅力的だったんですが、武将役に昇格したので敬遠して、今回もまた、上杉勢一般で応募しました。
前回はそれで武田勢後備の山県三郎兵衛昌景隊に配されましたが、今回は...

新発田隊

...に、配されました。

前回の山県隊には、三郎兵衛昌景役の真下殿を始め、山内殿、碓井殿といった、知り合いの時代祭巧者がいて安心しましたが、今回はどういった方々とご一緒することになるやら...。

今から楽しみであり、緊張もします。

ちなみに...
新発田隊って、どのあたりだったけ?!


(ケータイからの投稿なので、後日、加筆修正する予定です。)
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いざ日野へ![蝦夷新選組として/入組への道]

2008年06月07日 | 参陣記
今回、紗霧殿と紋次郎。殿よりお声掛け頂き、とても素敵な出会いが出来、久方ぶりに祭へ参加して、気持ちの良い思いもさせていただきました。
しかし...
ここ最近、地元の時代系祭含めて見学ばかりだったので、撮影する事には手馴れていたのですが、逆の立場には不慣れになっていて、せっかくの雰囲気を自分のデジカメに収め損ねていました。
そこで、今まで撮った様々な情景を織り交ぜつつ、今回蝦夷新選組に帯同されていた方々(藤誠様,鹿月うさこ様)や、紗霧殿,美琴殿が撮り溜めた画像を頂戴し、掲載いたしました。

この場を借りまして、厚く御礼申し上げますm(_ _)m

ちなみに、我等が入組したのはエゾシンセングミですが...
観衆の女の子に副長が「これ、なんて読むか知ってる?!」と、クイズを出すと、その子は「エミシ」と回答。

・・・いやまぁ・・・間違っちゃぁいないけど・・・
ひょっとして、今、学校の授業(日本史/平安時代)でタイムリーだったから出た答えなのかも。
そう考えると納得なのですが、ある女の子は...
「エビ」って、組旗を見て言ってました。
漢和辞典を紐解くと、これは確かに惜しい!けど、きっと、蛯原友里「蛯」と勘違いしたのでは?!と、推測されます(笑)
けど、組士の間ではこれが妙にツボに入って、以後,事有る毎に「エビシンセングミ」と、名乗っていて、先にクイズを出した女の子に答えを教える時も、副長は愉しげに「エビっていうんだよ♪」って、とても愉しげに答えていました。

今回,2年前の石和以来、久方ぶりに団体で参陣をした時代系祭ですが、衣装や隊伍の組み方,行軍中の所作に至るまで、随所にこだわりが見られ、これがよりモチベーションを高めましたが、それ以上に、将官三役の御人柄にも惚れ込んだ,とても稔りある出陣でした。

将官御三役は、この翌週に函館渡島支庁)にて行われる五稜郭祭でも大活躍をされたとか。
山海の珍味を求めに「いらっしゃい♪」とも言われましたので、いつの日か,本物の北海道へ行ってみたい!と、強く思いました。

いざ日野へ!は、以下の通りに進行(/--)
集合!>>> 駆足!!>>> 休メ。>>> 出発!>>> 前へーッ!>>> 応宴成功!


p.s.
後日,榎本総裁から感状が届きました。

此度の参陣に対して、そして、果てしない飲みっぷり(ノリ)に過分なお褒めを賜りました。
名誉なることです(笑)
これよりは、総裁のご懸念無き様,風邪と刀傷にはくれぐれも気を付けて、次回以降の働きに備えたいと思います。

((終))
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いざ日野へ![蝦夷新選組として/応宴成功!]

2008年06月06日 | 参陣記
久しぶりに、大勢の観衆の注目と歓声を浴びて、よい心持で日野市役所から本陣の高幡不動尊までバスで帰陣。
寺務所内の詰所に戻ると、午前中に千体地蔵堂内で撮影をした集合写真が出来上がっていたので、これを総裁より頂戴し、武装解除の合間,総裁服や土方服,大鳥服に袖を通し、その気分だけ味わってきました。

この後、我々の中ではメインの“宴”(後夜祭)を行うべく高幡不動の駅前へ。
紋次郎。殿哲坊殿とで先遣隊として出向き、折りよく空いていた【魚民】の奥座敷に本陣を据え、将官以下組士一同の到着を以って、開始!されました。
その時,時刻は18時。
一応、2時間の制限があったのですが、比較的(座敷は)空いていたこともあってか、延長が認められ、気付けば・・・22時過ぎまで居ました。

実は今回この会は、定年で引退する「土方さん」のセレモニーも兼ねていたのですが、土方家からも一目置かれる“蝦夷の土方さん”にはファンも多く、その存在感を行軍中に十分判ったので、同席の満場一致で「(引退は)もったいない!」と,来年以降もご出馬を!と、願ってきました。
大人気の土方副長。か,カッコよすぎます...
そうしたら、来年お声掛けくださった折には是非是非,張り切って参陣致します。

この他,自己紹介や五稜郭祭北海道の魅力を存分に聞いて、彼の地の攻略を夢見つつ...久しぶりに愉しい宴!でした。
ただ...
海の幸,山の幸が豊富な北海道から上京された将官の御三方には、【魚民】の、特に料理は物足りなさ過ぎた...かも(^^ゞ

ジンギスカンとかも、美味いんでしょうね...
何せ、山海の名物を聞いただけでもう、卓上の料理へ箸が行かなくなってきましたから...。
この前、参道口に良さ気な居酒屋があったので偵察に出向いたのですが、残念...地下一階にあるそのお店はこじんまりとしていて、とても15名ほどいる我等を収容できないので、断念しました。
ここならまだ、酒食面でご満足いただけた・・・かもしれません。

我等はいつも通りだったのですが、将官方には、今まで日野へ出陣しても、こうして後夜祭などを開いたことがなかったそうで、(我等のノリも含めて)とてもご満足いただけたようです。

一昨年の秋以来、久しぶりに参陣した時代系祭でしたが、やっぱり楽しい!ですね(笑)
来年も機会がありましたら是非に,蝦夷新選組として日野へ馳せ参じたいですし、この他にも、(今年中に一回くらいは)どこかへ出陣したい!と、また目覚めてしまったようです。
そうすると...目指すはやはり,上越か...な。


なお、高幡不動から自宅(千葉)までは何分遠いもので...
将官の御三方と固い握手と再会を約し、宴の本陣を,後ろ髪引かれる思いであとにして、自宅最寄駅までの終電リミットの電車(22:30/高幡不動始発の急行新宿行き)に乗車。
ここから、千葉県市川市の都営新宿線本八幡駅経由で帰るべく、その乗換駅の笹塚をまず目指しました。

酔いと疲れからの眠気に襲われつつも、乗り過ごさないように,新宿線でぐっすり寝よう・・・と懸命に起き続け、30分掛けて漸く到着。
ここで、隣のホームに停車中の本八幡行きに乗れば間に合うのです・・・が!?
停車しているはずの電車がない?!んです。
一体どういうこと?!と思い、時間と乗換案内を確認してみると......
げっ!!一分遅れていた京王を待たず、無常にも新宿線は行ってしまった・・・ようです。
この状況を早く認識していれば、ここで降りずにそのまま新宿に出て、日暮里で乗り換えればまだ望みはあったのですが、それも、電車が動き出してから気が付いてたので、時既に遅し......。

さっきまでの酔いも眠気に一気に醒めて、慌てて乗換案内で経路を確認して、結果,九段下で東西線に乗換えて、何とか帰宅することが出来ましたが、最後の最後まで、この日はバタバタしっぱなしでした。。。

一部の方々はオールをしたようですが、私も,次の日が休みだったらお供しました・・・けど、さすがに(^^ゞ

<<< 蝦夷新選組,前へーッ!<<<>>> 蝦夷新選組の行程。>>>

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いざ日野へ![蝦夷新選組士として/前へーッ!]

2008年06月05日 | 参陣記
中止になった午前中の行軍路は、高幡不動駅の周辺でしたが、午後は、日野本町の市立日野第一小学校が始点。

ここから、川崎街道を150mほど進んで甲州街道に出(川崎街道入口)、日野宿本陣八坂神社日野駅東口前を回って市役所通りへ出て、市役所へと向かう、約2.2キロ程の行軍路。

その沿道には大勢の人が詰め掛けていて、甲州街道では対向車線を走る車から,日野駅では、高架橋を走る中央線の車内からも、熱い視線と歓声が沸いていました。

佐倉にも参陣する幕末勢(幕末刀義会)は、新選組と戦って、観衆を大いに沸かせてくれます。けど...

ただ、それゆえにか,それとも、過去に誰かが局中法度を犯したのか、抜刀や勝鬨,パフォーマンスの類は、事前に定められた場所以外は禁止!という、厳しいお達しが。
以前はもっと自由で、遊び心もあったと思うのですがね...↓な感じです。

時代系祭では、観衆との絡み,一体となって盛り上げるのが魅力の一つなので、こうまで自由さや遊び心が無いのには、正直,ちょい寂しさと物足りなさを感じました。
また、毎年変わると言う内容や行軍路にも、ちょっと、一貫性の無さを感じます...。
も少し、行政や警察などどの連携を強化して、自由さが復活すると、もっとも魅力的で面白い祭になるのでは?!と、思うのですが(^^ゞ...。
(行軍中,警備の警察官各位には、警備課長から「行列を圧縮するよう」にとの指示が飛んでいました、警視庁側は、幹線道の甲州街道などを長く封鎖したくない・・・という思惑(考え)があるようです。遊び心が無いですね...。)

勝鬨すら自由に出来ないもどかしさはありますが、沿道のボルテージは(それでも)高く、何もしなくても熱狂的!でした。
これに釣られて我等も、「荒井郁之助」(紋次郎。殿)の気合の入った勝鬨の号令一下,心底より声を張り上げて...

“我等、蝦夷新選組,ここにあり!”

...と、存分に誇示してきました(笑)
また、日野駅近くの【いなげや】前は、この祭唯一のアピールポイント。

各組とも力が入ってます。

顔を赤く塗った会津藩奴隊は、市職員で構成。毛槍の芸は見事でした。

そこで我等も,一般三人衆の「田村銀之助」考案の型を披露。
それはどういうものか,説明しよう!
「榎本総裁」以下将官2人が洋式抜刀を行って進み、三人衆の「相馬主計」が“アボルタージ”(接舷攻撃!)と号令。
続いて、勝鬨頭の「荒井郁之助」が勝鬨の掛け声を上げ、一同がこれに続いて「エイエイオーッ!」と,天高らかに拳を上げて叫ぶのです。
榎本総裁,かっこいいです(/--)
これに、観衆の皆さんは大きな拍手と歓声を下さいましたが、何より嬉しそうだったのは、発案者の「田村銀之助」でした(笑)

この後、行軍路は市役所通りに出、長い上り坂を登って、終着地の日野市役所へと向かいました。
この間は、勝鬨もアピールポイントも無いからか、観衆も少なくて静かで、粛々と行軍していましたが、途中,登坂し終えて、【新選組のふるさと歴史館】辺りに差し掛かった頃、我等と共に移動する女の子数人を確認。
年の頃は・・・間違いなく10代なその子たちは、将官3人に留まらず、我等1人1人の名札を見ては興奮(・・・というか、萌えてたのか?!)していて、三人衆の「相馬主計」が一言,
「マニアックな子達ですね(^^ゞ」と感心するほど、熱かった!です。
さすが新選組祭,さすが、蝦夷新選組。
この他、お手洗いに行きたかった!以外は概ね順調に(笑)
お昼にお茶を飲み干し、日野駅前でも缶入り緑茶が配られていたので、ついつい貰い、飲んでしまったので...
終着の日野市役所で、十重二十重に集まった観衆の皆さんに向けて、気合十分な着到の名乗りを上げられました!

そして、行軍はこのままフェードアウトして終了。
陣所の高幡不動尊へ行くバスが出るまでの時間,自由と為ったので、お手洗いに行った後,暫しまったりと...
出店の玉こんにゃくを食べたり、構内を巡ったり、記念撮影に興じたり,見学に来ていた三浦介星友殿やわんわ殿と挨拶を交わすなどして過ごしていました。

宣伝試飲で無料配布していた炭酸スポーツドリンク。2,3時間後に効果が現れるということですが...

それからどのくらいか...
いつの間にか出ていた薄日が傾きかけ、西の空から黄金色に染め始めた頃,全軍に帰陣の号令が掛かり、市役所前の交差点近くからバスに乗込んで、高幡不動へ。
道が混んでいたのか、結構な時間掛けて向かいました。
ただ、幸い座れたので、眠気に襲われて危うく討死するところでしたが、何とか持ち応え、楽々と快適移動ができました。

<<< 蝦夷新選組,出発!<<<>>> 蝦夷新選組,応宴成功!>>>

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