昼前に角館を発ち、所々休みながら、仙台入りしたのは15時過ぎ。
当初の予定だと、仙台入りをしたら真っ先に牛たんを食べる!つもりだったんですが、この時間に行くと中休みをしている可能性があったので、まず先に、瑞鳳殿に向かいました。
秋田道錦秋湖S.A.の眺め。
敷地奥にある森は、い~いロケーションです。(笑)
今まで、仙台には何度か来たことはありますが、瑞鳳殿に来たのは今回が初めて。
流石、仙台藩の礎を築いた伊達家三代を祀る御廟所。
謐然とした雰囲気に入ると、自然と背筋が伸び、心引き締まる思いがしました。
背高く林立した杉に囲まれた石畳を進み、受付を済ませ、
(順路に従って)まず参詣したのは、藩祖権中納言政宗公の御霊屋(廟)「瑞鳳殿」。
さすがは、奥州の覇者にして伊達陸奥守62万石の礎を築きし政宗公の御霊屋。
政宗公への崇敬の念を籠め、御家の威信を掛けたであろう御霊屋は、思わず嘆息してしまうほどにご立派で、実に見事な造り。
漆黒の基調が、様々な色彩を際立たせて、豪華絢爛さを引き立てている様に感じます。
残念ながら、御霊屋の中を見ることは出来ませんでしたが、聞くところによると、年に一度、御開帳的に中を見られる機会があるようです。
出来ればその時、是非とも来て見たいです。
なお、政宗公は地下に眠っている(埋葬)されているそうです。
御霊屋の周りには、政宗公に殉じた人々の宝篋印塔が並んでいました。
柵が設けられていたので、石塔を直に見ることが出来なかったのがとっても残念でした(解説板はあります)が、その多さに、主君として、一身を捧げる程に魅力的な人物であったと、改めて感じられました。
政宗公への参詣を済ませた後、次に、廟所外にある資料館へ入りました。
ここには、戦災に遭った伊達家三代の御霊屋の再建に際して行われた(学術研究)調査で判明したこと等が展示,紹介されています。
今まで、この発掘調査に関することは、資料(書籍)を読んだりしたことはありますが、実際目にするのはこの時が初めて。
かの有名な、政宗公着用の代表的な甲冑から、数々の副葬品,はたまた、血液型から身体的特徴を元に復元された復元容貌像まで見られて、さほど広くは無い資料館でしたが、結構充実した無い様で面白かったです。
しかし、採取された遺品などから、血液型に死因まで特定できるとは、科学の技術とはすんごいです。。。
(政宗公と孫の綱宗公は、共に癌で亡くなっていますが・・・やはり、癌は遺伝することを、改めて知らされた気がします。)
少し足早に巡ってしまった感があるので、また今度、機会があればじっくりと、展示資料などを見て回りたいです。
この後、順路に従って、2代忠宗公が眠る「感仙殿」と、3代綱宗公が眠る「善応殿」へと向かいました。
順路の逆流防止に設けられた自動ドアがあります・・・が、なんだかちょっと複雑です(苦笑)
さて、二君の御霊屋は、瑞鳳殿から少し離れたところに並んで建っています。
その造りは、瑞鳳殿と遜色無いほど立派で、漆黒を基調としていて色彩鮮やかで、大変豪華なんですが、どこか落ち着きの造りをしています。
↑感仙殿と善応殿↓
ただ、些細なところで違いが見受けられて、とても興味深くて面白かったです。
えっ?!あっ、例えば...
瑞鳳殿と感仙殿には“九曜紋”が用いられているのに、善応殿には“三つ引両”が用いられているのは何故か?!とか。
伊達家三代の廟所に、突然6代も後胤の周宗公と斉義公の廟所があるのか?!とか・・・ですね(^^ゞ
さて...
二君が亡くなられた頃は殉死が厳しく禁じられていたので、代わりに、供養の為に奉納された宝篋印塔が、御霊屋の一段下に並んでいました。
ここは、先ほどの瑞鳳殿とは違って柵など無かったので、まつもちゃんと2人、隈なく見て回りました。
それこそ、御霊屋よりも真剣に、シンヨー君とマコ殿が唖然とするほど、熱心に見てました(^^ゞ
(今だから言いますが、2人のことはすっかり忘れていました(ぇ))
いや、しかし!石塔を侮る無かれ!
これは貴重な“一級史料”ですから、とっても面白いんです!!
見れば見るほど、知れば知るほど興奮してきます!!(ぇ)
それなのに...
御霊屋ほど関心が向けられず、少々ぞんざいな扱いをされているので、石塔の劣化や汚れが目立つのが残念でした。。。
今度来る時は、(砂取りの)箒や刷毛、(拓取り用の)和紙やスプレーを持って行こうと思います(マテマテ)
ちなみに...
石塔の一番目には一門筆頭格の石川家(伊具郡角田領主)があり、とても人気がある片倉家は「一家」(一門の次)に属するので、石川家の石塔から数えて大体9塔目くらいにひっそりと、目立たずあります。
あと、サンドウィッチマンの伊達みきおの家は、片倉家と同じ「一家」(坂本領主大條伊達家)なので、きっとあると思います!
この時、情報が乏しかったので探せませんでしたが(笑)
片倉家と同じ「一家」に属しているので、多分、ここから5,6番目くらいに。
この他、感仙,善応両殿と並んで設けられていた妙雲界廟(9代周宗と11代斉義夫婦の墓所)に詣でて、瑞鳳殿域を後にしました。
全体的に、ちょい足早に見て周ってしまったので、今度はしっかりと、必要用具を持って行きたいと思います(マテマテ)
ちなみに。
広瀬川沿いの山(経が峰)を切開いて設けられたこの廟所は、戦略家の政宗公が有事を考慮したのでは?!と、邪推したくなるほど、配置や造りをしているように感じました。
さながら、瑞鳳殿が本丸で、感仙,善応殿の域が二の丸、三の丸といったところでしょうか(笑)
しかし、これらの貴重な文化財が戦禍で失われてしまったことが、返す返すも腹立たしいです。
えっ?!怒りの対象は誰かって!?
それは勿論!無策な当時の日本政府です。
さてさて、その怒りはちょっと置いておいて・・・っと。
気分を変えて、牛たん食らいに市街地へと向かいました!
【復路:仙北角館出立!(秋田道周り)】<<<◇>>>【復路:旅は道連れ夜は深し(終)】
当初の予定だと、仙台入りをしたら真っ先に牛たんを食べる!つもりだったんですが、この時間に行くと中休みをしている可能性があったので、まず先に、瑞鳳殿に向かいました。
秋田道錦秋湖S.A.の眺め。
敷地奥にある森は、い~いロケーションです。(笑)
今まで、仙台には何度か来たことはありますが、瑞鳳殿に来たのは今回が初めて。
流石、仙台藩の礎を築いた伊達家三代を祀る御廟所。
謐然とした雰囲気に入ると、自然と背筋が伸び、心引き締まる思いがしました。
背高く林立した杉に囲まれた石畳を進み、受付を済ませ、
(順路に従って)まず参詣したのは、藩祖権中納言政宗公の御霊屋(廟)「瑞鳳殿」。
さすがは、奥州の覇者にして伊達陸奥守62万石の礎を築きし政宗公の御霊屋。
政宗公への崇敬の念を籠め、御家の威信を掛けたであろう御霊屋は、思わず嘆息してしまうほどにご立派で、実に見事な造り。
漆黒の基調が、様々な色彩を際立たせて、豪華絢爛さを引き立てている様に感じます。
残念ながら、御霊屋の中を見ることは出来ませんでしたが、聞くところによると、年に一度、御開帳的に中を見られる機会があるようです。
出来ればその時、是非とも来て見たいです。
なお、政宗公は地下に眠っている(埋葬)されているそうです。
御霊屋の周りには、政宗公に殉じた人々の宝篋印塔が並んでいました。
柵が設けられていたので、石塔を直に見ることが出来なかったのがとっても残念でした(解説板はあります)が、その多さに、主君として、一身を捧げる程に魅力的な人物であったと、改めて感じられました。
政宗公への参詣を済ませた後、次に、廟所外にある資料館へ入りました。
ここには、戦災に遭った伊達家三代の御霊屋の再建に際して行われた(学術研究)調査で判明したこと等が展示,紹介されています。
今まで、この発掘調査に関することは、資料(書籍)を読んだりしたことはありますが、実際目にするのはこの時が初めて。
かの有名な、政宗公着用の代表的な甲冑から、数々の副葬品,はたまた、血液型から身体的特徴を元に復元された復元容貌像まで見られて、さほど広くは無い資料館でしたが、結構充実した無い様で面白かったです。
しかし、採取された遺品などから、血液型に死因まで特定できるとは、科学の技術とはすんごいです。。。
(政宗公と孫の綱宗公は、共に癌で亡くなっていますが・・・やはり、癌は遺伝することを、改めて知らされた気がします。)
少し足早に巡ってしまった感があるので、また今度、機会があればじっくりと、展示資料などを見て回りたいです。
この後、順路に従って、2代忠宗公が眠る「感仙殿」と、3代綱宗公が眠る「善応殿」へと向かいました。
順路の逆流防止に設けられた自動ドアがあります・・・が、なんだかちょっと複雑です(苦笑)
さて、二君の御霊屋は、瑞鳳殿から少し離れたところに並んで建っています。
その造りは、瑞鳳殿と遜色無いほど立派で、漆黒を基調としていて色彩鮮やかで、大変豪華なんですが、どこか落ち着きの造りをしています。
↑感仙殿と善応殿↓
ただ、些細なところで違いが見受けられて、とても興味深くて面白かったです。
えっ?!あっ、例えば...
瑞鳳殿と感仙殿には“九曜紋”が用いられているのに、善応殿には“三つ引両”が用いられているのは何故か?!とか。
伊達家三代の廟所に、突然6代も後胤の周宗公と斉義公の廟所があるのか?!とか・・・ですね(^^ゞ
さて...
二君が亡くなられた頃は殉死が厳しく禁じられていたので、代わりに、供養の為に奉納された宝篋印塔が、御霊屋の一段下に並んでいました。
ここは、先ほどの瑞鳳殿とは違って柵など無かったので、まつもちゃんと2人、隈なく見て回りました。
それこそ、御霊屋よりも真剣に、シンヨー君とマコ殿が唖然とするほど、熱心に見てました(^^ゞ
(今だから言いますが、2人のことはすっかり忘れていました(ぇ))
いや、しかし!石塔を侮る無かれ!
これは貴重な“一級史料”ですから、とっても面白いんです!!
見れば見るほど、知れば知るほど興奮してきます!!(ぇ)
それなのに...
御霊屋ほど関心が向けられず、少々ぞんざいな扱いをされているので、石塔の劣化や汚れが目立つのが残念でした。。。
今度来る時は、(砂取りの)箒や刷毛、(拓取り用の)和紙やスプレーを持って行こうと思います(マテマテ)
ちなみに...
石塔の一番目には一門筆頭格の石川家(伊具郡角田領主)があり、とても人気がある片倉家は「一家」(一門の次)に属するので、石川家の石塔から数えて大体9塔目くらいにひっそりと、目立たずあります。
あと、サンドウィッチマンの伊達みきおの家は、片倉家と同じ「一家」(坂本領主大條伊達家)なので、きっとあると思います!
この時、情報が乏しかったので探せませんでしたが(笑)
片倉家と同じ「一家」に属しているので、多分、ここから5,6番目くらいに。
この他、感仙,善応両殿と並んで設けられていた妙雲界廟(9代周宗と11代斉義夫婦の墓所)に詣でて、瑞鳳殿域を後にしました。
全体的に、ちょい足早に見て周ってしまったので、今度はしっかりと、必要用具を持って行きたいと思います(マテマテ)
ちなみに。
広瀬川沿いの山(経が峰)を切開いて設けられたこの廟所は、戦略家の政宗公が有事を考慮したのでは?!と、邪推したくなるほど、配置や造りをしているように感じました。
さながら、瑞鳳殿が本丸で、感仙,善応殿の域が二の丸、三の丸といったところでしょうか(笑)
しかし、これらの貴重な文化財が戦禍で失われてしまったことが、返す返すも腹立たしいです。
えっ?!怒りの対象は誰かって!?
それは勿論!無策な当時の日本政府です。
さてさて、その怒りはちょっと置いておいて・・・っと。
気分を変えて、牛たん食らいに市街地へと向かいました!
コメント、ありがとうございます。
ただ、毎度毎度レスが遅くなりまして申し訳ございません。。。
娘さん、あっついですね!
北陸から仙台まで、高速バスを使っていくとは...す、すごいです。
仙台はいい街ですから、きっと住み心地いいと思います。
それに政宗公が入ってくれば、もう、堪らないと思います。