20年前に初めて往診で伺って以来、家族のようにお付き合いをさせていただいてきた患者さん(I先生)が、7/8(金)午前1時37分に亡くなった。97歳だった。
兆しはあったので、「いつその日を迎えることになっても」と覚悟はつくっておいたはずだった。
が、いざその時を迎えてしまった今、ふと何度も「もう会えないんだ。もうお顔見れないんだ。もうお話しできないんだ。もう先生に頼りにしてもらうこともなくなってしまったんだ」という寂しさの感情の波がとめどなく押し寄せてくる。
意識して何か別のことを考えていないとすぐにその思いが頭をよぎって、悲しくて寂しくて涙が込み上がってくる。
そんな私の様子をI先生がみたら、
「先生にご迷惑をかけて申し訳ない。ごめんなさい」
と言われる姿が容易に目に浮かぶ。
やっとつらさから解放されて、安らかに召されようとしているのに、余計な心配をおかけするわけにはいけない。
いつまでもこんな状態でいてはいけないとわかっているけど、先生と歩んだ20年の歳月は、思い出が多く、深く、重く、愛おしい。
なるべくはやく心を立て直すので、先生、少し時間ください。心配しないで。
初めての往診で施術が効いて驚いてくださったときから今日まで20年間ずっと、こんな私にとても信頼感を持ってくださり、最後の最後まで往診に伺うことを楽しみにしてくださっていた。
この1ヶ月の間は、もう施術という施術はできなくなり、今までのような会話のキャッチボールはむずかしくなってきていた。
おなかや背中、手や脚をゆっくり撫でたりさすったりするくらいしかできなかった。
一緒にいるあいだ、目をつむっていたかと思えば、私の顔をじっと見守るようにながめてくれていたりした。
先生に触れていた左右の手のひらは、先生の浮腫んでしまった左の前腕や手、細くこけてしまった体幹や脚の感触を記憶している。
いつしか退室する際は
「せんせ、じゃまた○曜日きますね〜」
といいながら、横になっている先生をぎゅ〜っと抱きしめてほっぺを合わせてすりすりするようになった。
「ありがとぅ〜 ありがとう〜」
最後の往診となった7/5(火)もそう言ってくださっていた。
寂しくてつらいけど、先生がこれでやっと楽になれて安らげる世界に解放されたんだと、先生のことを優先して思えば、現在を素直に受け止められて心穏やかに送ってあげられる。 はず。
7/12、最後のお別れをしてきます。
最後にもう一度お顔をみれますね。
先生が困らないよう、安心して旅立てるよう、笑顔でお別れできるようにがんばりますね。
I先生は小学校の先生をずっとされてきて、その生涯を終えるまでずっと教えることに情熱的な素晴らしい方でした。
大好きです。