と題するYouTube動画を鑑賞し、これを静止画像に変えて分析してみました。
Handler= (AT) Lisa Frick Dog = Hoss von Firsthemp of Devil Brook - "Hoss"
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№2 (エアーにも見えるが、本当はフロントかもしれません。)
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Handler= (AT) Lisa Frick Dog = Hoss von Firsthemp of Devil Brook - "Hoss"
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№2 (エアーにも見えるが、本当はフロントかもしれません。)
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★ 広島市民球場(見出し画像は車窓から)
JR広島駅南口から徒歩10分の場所にある「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(正式名称「広島市民球場」)」において、広島東洋カープ対ヤクルトスワローズ戦を観戦しました。
【賑わう広島駅前】
【アクセス】
この野球場は、外野スタンドも人気のあるホームチーム側(ライト側)の席を多くした左右非対称の構造になっている点で日本では大変珍しい構造とのことです。レフト側がザックリ切り取られていて、レフト外野席にボールが飛んで来ると場外に消えるシーンが多くなるようですが、これは球場敷地傍を山陽本線、山陽新幹線が通過するという設計上の制約を逆手に取り、JR乗客をも球場の観客と見立てて車窓から球場内を窺える構造とのことです。その上、ファウルグラウンドを可能な限り縮小し、観客が選手のプレーをより身近に見ることができるようにもなっています。
【全景の航空写真】
【左右非対称】
また、ゆったりとしたスペースの観客席、フィールド側へせり出した2階スタンド「スカイシート」、スタンドの勾配が1階席8.9~18.6度、2階席29.5度と、国内の一般的な球場に比べて5~10度勾配が緩やかになっていること、鳴り物装備の私設応援団や熱烈なファン向けの「パフォーマンスシート」や「砂かぶり席」、「ボックスフロア」、「パーティフロア」、「ブルペンレストラン」、「のぞきチューブ」、さらには球場の外からタダで見られる「ただ見エリア」などが用意されるなど、多くの人に様々なスタイルで観戦を楽しめるような設備になっています。
【明るいとき】
【7回ごろ】
★ 広島東洋カープ
野村謙二郎監督率いる広島東洋カープは、7月26日試合前段階でセ・リーグ5位、借金14、首位巨人とのゲーム差15と惨憺たる成績ですが、2強4弱なので、ちょっと見方を変えれば「3位中日との差は僅か2ゲーム」とも言えます。
7月25日は、エースのマエケンで巨人軍を撃破したので、今日は余勢を駆ってヤクルトドリンクを飲んでくれるかな。
【試合前の順位 広島とヤクルトの熾烈な最下位争い】
【これは凄い! 広島対ヤクルトの激突】
広島のプロスポーツでは、今年もJリーグ首位に躍り出たサンフレッチェはホントによくやっているけど、カープの方もせめてAクラスに入らないと霞んでしまう。
今日の先発メンバーを見ると、ウン、何とかしてくれそうな予感がします。
【先発メンバー+リリーフ陣】
流石に最下位を争う両チームだけあって、試合は大変白熱した接戦となりました。
【白熱戦】
広島側は、要所で堂林やソヨギがポロポロとエラーして、ピッチャーも集中力をなくしたかな。
これで広島の大敗かと思ったら、有難い、ヤクルト側はランナーがノロノロ走ってホームで殺されるなどの拙攻で応戦してくれたので助かりました。
8回に、滅多に打たない堂林君(ここまで打率2割ちょっと)がまぐれのホームランを打って試合を決めたかと思ったら、その裏の9回に、ピッチャーのニコライオが飛んできたゴロをつかんで1塁に投げようとしたら、1塁手が塁を離れていてカバーも居ないので投げられない。
何と! ピッチャーゴロで同点に追いつかれ、延長戦に突入です。今日の試合の縮図みたいなワンシーンでした。
草野球みたいにハラハラする試合の途中だったけど、延長戦を見ていたら電車がなくなるおそれがあるので、後ろ髪を引かれる思いで帰途につきました。サヨウナラ。
朝になって新聞を見たら、丸のサヨラナラヒットで、何とかカープが勝ちました。ドベ争いに相応しい白熱した泥仕合でした。
来季、カープの監督に迫田監督(高校野球の兄弟監督)を招いて基礎から鍛え直してほしいですね。
本日の仕事先において、昼休みにたまたま広島県立美術館に入ってみたら、「尊厳の芸術展」が開催されていました。 残念、今日はデジカメ持ってなかった。イマイチな機材だけど、携帯で撮ろうかな。
【県立美術館のロビーから、縮景園の緑が見える】
【会場は、2階 無料です】
【受付】
今から70年前の太平洋戦争の最中に、米国内の12万人の日系アメリカ人が米政府によって強制収容所に収容され隔離されました。
人々は財産を奪われ、3年以上の厳しい生活を余儀なくされました。
そんな暮らしの中で、人々は子供達に学習をさせ、音楽やスポーツ活動をし、廃材などをもとに様々な工芸品を造り、苦しい環境の中でも尊厳を持って生き抜きました。
この展示品を見て、当時の日本人の逞しさ、勤勉性、不屈の精神、創造性に触れ、私なんかもこのままで良いのかと思わずにはおれません。
【撮影可能】
なお、この度の展示品は、次のように分類されています。
第1 生活に必要なもの
【生活に必要なもの】
【良い板がないので、パテで継いでる板】
【作るためのナイフやハサミも作った】
【そろばんも良くできてる】
【椅子と机がすごい】
【やしの葉の葉柄のカーブなど、うまく使ってる】
第2 生活を彩るもの
【人形も凄い】
【地中から掘った貝殻の造花・ブローチ】
【鳥などのブローチ】
第3 生活の記録
【収容所】
第4 故国の文化
【硯は最高級です】
8月に備北オートビレッジに1泊する予定です。ここには今までに何度も来たことがあるけど、三次東ICからどう乗ればいいかとか、泊まる施設にタープは附設されていたかなどを念のために調べたくなり偵察することとなりました。
見出し写真は、私たちが弁当を食べたときに備北丘陵公園内の国兼池の湖畔に佇むハリーです。
以前に、松江道の高野ICまで試走したときに、最短コースで三次東ICに行ったことがあり、今回もう一度そのルートを確認いたしまた。
【三次東ICまでの地図】
東広島市から三次東ICに行くには、国道375を北上し、三次市に入って県道430と交差するとこで右折します。この道の幅は、大体は2車線あるんですが、塩町市街地は狭くなってます。また、芸備線(福塩線)の踏切もあります。
【国道375を、県道430の方に右折】
【芸備線の踏切 福塩線もあるのでここは複線】
塩町で、馬洗川を渡る橋が狭い。午前7時から9時までは一方通行でこちらからは通れない。
【狭い橋 この橋に名前が無い】
馬洗川の橋を渡ってから、旧市街の道(県道431)がやたらと狭い。
【ギョ 対向車が来た】
狭い道はすぐに抜けて、向江田交差点に出た。ここを右折するのが丘陵公園に行く農免道経由の一般道です。でも、私は下和知方面に直進します。
【向江田交差点】
向江田交差点からちょっと走ると上空に工事中の松江道高架橋が架かってます。
【松江道高架橋】
高架橋を過ぎると、すぐに和田小学校の点滅信号機のある交差点に出ます。これを左折して狭い市道を通るのがカーナビにない最短コースです。
【和田小学校交差点】
【交差点を曲がるとすぐ狭くなってる でも離合箇所は結構沢山あるので平気】
近道の市道終点が国道183と交差する四拾貫交差点(セブンイレブンがある)です。
【四拾貫交差点】
四拾貫交差点を直進し、中国道のガードをくぐり、更に松江道のガードをくぐってすぐに左折します。(右折したら松江に行っちゃう)
【左折して中国道へ】
昼は残り物のおかずを詰めた弁当を持参したので、第5駐車場に停めてエントランスセンター国兼付近の日陰で食べました。この付近の芝生の美しいこと… 言いようがありません。見出し写真のハリーの画像をご覧ください。
また、可愛い汽車ぽっぽもやって来た。これに乗るのに300円かかるの惜しんだわけじゃないけど、犬は乗れないということもあって今回はのりませんでした。
【汽車ポッポ画像2枚】
それから、備北オートビレッジに回って予約している常設トレーラー(図の中央付近、複合遊具・ジャブジャブ池・イベント広場の近く)を下見しました。立派な常設タープというか屋根付きテラスが附設されていて、イスとテーブルも有りました。安心です。
【キャンプサイト見取り図】
【トレーラーハウス】
7月13日(土)10:00-11:30 近畿大学工学部広島キャンパスでの公開講座
「ペンから生まれたロボット(ロボティクス学科 柴田瑞穂講師)」を聴講して
★ 近畿大学工学部広島キャンパス公開講座
近大工学部広島キャンパスは、東広島市高屋町にあります。キャンパスを2分するように走っている幅広い公道があります。公道の両側にはモルタルタイルの歩道がありますが、夕方早い時刻から日陰になるので、夏にはハリーの良い散歩コースになります。
【案内図】
【桃李橋 とうりばしを渡って】
【メディア館】
【ハリーの散歩道 西日が遮られ5時前から木陰になる歩道 頭上を横切っているのが桃李橋】
前回、6月8日(土)に、公開講座の「惑星科学~月について学ぼう」を聴講させていただき、目から鱗のワクワクするような楽しい「お勉強」を体験させていただきましたが、今回は、「ペンから生まれたロボット」を受講させていただきました。
【公開講座】
【ペンから生まれたロボット】
受講料無料にもかかわらず、大学事務局からご丁寧な案内状と案内図を事前に送ってきていただきました。誠にありがとうございます。
★ 講義の趣旨とカレル・チャペックの『ロボット(R.U.R.)』
この講座の説明文には、「ロボットという言葉は、小説家カレル・チャペック氏の戯曲から生また。本講義では、様々な著作家が生みだした想像上のロボット技術と現在の科学技術とを比較しながらこれからのロボット技術の可能性について考える。」となっていました。
そこで、カレル・チャペックについて事前に調べてみたら、次のようなことが分かりました。
① 第2時世界大戦の頃にチェコスロバキアで最も人気のあった国民的作家
② 戯曲『ロボット(R.U.R.)』において、「労働」を意味するチェコ語: robota (もともとは古代教会スラブ語での「隷属」の意)から ロボット という言葉を作ったと言われているが、カレル・チャペック自身は「兄ヨゼフが作った言葉」と主張している。
③ 彼は、ロボットと言う言葉を生み出したことに少々苦い思いを抱いていて、「歯車、光電池、その他諸々の怪しげな機械の部品を体内に詰め込んだブリキ人形を、世界に送り出すつもりは作者にはなかった」と述べている。
★ 実際に講義を聞いて ン … 柴田瑞穂先生は男性だった
初めに 本日の講義内容
① ロボットとは ② 工学としてのロボット ③ ロボットのこれから
講義中に「?」マークがでたら皆で考えて参加する。
第1章 ロボットとは
元々、ロボットはペンから生まれたもの・・・人間の想像力
カレル・チャペック戯曲『ロボット(R.U.R.)』 「労働」を意味するチェコ語: robota
人間の労働の代わりのイメージと、ロボットは、「悲しい」を最初に作った。 これが大変にセンセーショナルであった。 その後、アイザック・アシモフ(生物学者)が「我はロボット」を書き、ロボットのイメージが変わった。
すなわち、ロボット3原則
第1条 人間を害しない。 第2条 人間の命令に服従しなければならない。 第3条 ロボット自身の体を守らなければならない。
時系列的に見て
R.U.R.1920年、機械式コンピューター1936年、我はロボット1950年、産業用ロボット1961年
(日本では)
鉄腕アトム 1950年、ドラエモン 1961年
第2章 工学としてのロボット
「機械」「電気・電子」「情報」の総合でロボティクスがなっている
(工学としてのロボット)
【極めて簡単な水中ロボット】
第3章 ロボットのこれから
好奇心と想像力
コンピューターが、安価で小型化している
加速度センサーなどのセンサーも同様
加工機械も同様なものができてきた
★ ワンコは、非機械のロボット?(私見)
犬好き人間である私が、ロボットについて考えるとき、ロボットよりもっと先にワンコがいるじゃないかと、ワンコについても思いを巡らさないわけにはいきません。
1957年11月3日、ソ連のR-7ロケットに乗って1匹のライカ犬が宇宙に旅立ち、初めて宇宙飛行(片道飛行、帰還しないことが前提の旅)した生物として世界中で話題となり、米・ソの宇宙開発戦争の幕開けとなりましたが、犬族は長い歴史の中で、人の手足となり、また、命をかけて人に成り代わって様々な役割を果たして来ました。
猟犬、番犬、害獣駆除犬、ソリ犬、荷車引き犬、牧畜犬、回収犬、山岳・水難・災害救助犬、軍用犬、警察犬、警備犬、麻薬・危険物探知犬、盲導犬、介護犬、セラピー犬、愛玩犬、スポーツ犬などです。
馬、牛、象なども限られた範囲・機能で働いて人類に貢献してきた家畜は他にもあるけれど、これらの動物は現代では列車、自動車、バイク、荷役機械、農・林機械などにほとんど取って代わられています。
犬だけが、多様な分野で今でも大活躍をしているオールマイテーの働く家畜ではないかと思います。カレル・チャペックが恥じた「機械の部品を体内に詰め込んだブリキ人形」のロボットの以前に、実は「生けるロボット」としての犬がすでに存在し、人の労働や暮らしを補い、潤わせてくれていたと考えます。
そしてこの「生けるロボット」としての犬は、人のごとくに心を持ち、人と共に喜び・悲しむ存在で、人も犬に心を通わせます。だから「フランダースの犬」には、何度見ても泣かされてしまいます。
【働く犬たち】
【ロボット犬のこと、言ってるんじゃないよ】