私が入っている地域の老人用の講座として、「地域の歴史探訪」を受講しました。
【歴史探訪地図】
高見が丘地域センター(旧称「公民館」)に集合し、郷土史研究家のI氏の案内で総勢約20名の老人が近辺の史跡巡りに出発です。
【皆で出発】
最初に訪れたのは「梵字岩」です。なるほどこの岩には梵字が掘り刻まれていて、「光叶」という人名も見える。
【梵字岩】
そばにある東広島市の案内看板には、この地で平賀氏(高屋の地頭)の一族の「名井光叶」という武士が自害した旨ですが、I氏の見解によると「自害したのは光叶の弟であって、ここにこの碑を建立した人が光叶と思われる。」とのことでした。
次に訪れたのが「楽市八幡神社」です。この八幡様は比較的新しいもので、1851年に宇佐八幡宮のご分霊をいただいてきて建てたとのことです。手水鉢などの岩に刻まれた寄進者名から当時栄えていた人が誰かということが解るそうです。
【楽市八幡神社】
神社の北の方向には「あし山」という低い山がありますが、平安時代の歌人の壬生忠見という人が九州の赴任先に向かうときこの地を通っていて、突然雨に降られて道を迷いそうになったとき、北に望む「あし山」を目印にして何とか迷わずに通過できた旨の歌を詠んだことが「芸藩通志」に記録されていて、その記念碑を先月楽市さんという人のアスパラガス畑の一角に建てたとのことでした。
【あし山】
【アスパラガス この時期赤い実が生っている】
【壬生忠見歌碑 表】
ちなみに壬生忠見は壬生忠の子で、二人は百人一首にも入っている歌仙だそうです。
【歌碑 裏側】
本当は、もっと沢山回るつもりでしたが時間が無くなり、これで帰路につきました。帰り道、道を塞ぐ不埒なカマキリに遭遇しました。オー怖い。
【通せんぼ】
高見が丘の町の中の公園の人工河川には、蛍の幼虫とカワニナを放流していて、毎年夏になると無数の蛍が乱舞するそうです。今日は蛍橋の傍を経て地域センターに帰りました。
【蛍橋】