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五行目の先に

日々の生活の余白に書きとめておきたいこと。

6月14日(木)曇後雨:「夢から醒めた夢」

2007-06-15 01:45:59 | 舞台
  今日は朝からどこか落ち着かない。待ちに待ったわがゼミの「必修授業」である、「夢から醒めた夢」の公演が、ついにやってくるからである。

 明日の授業の準備は午前中のうちにちゃんと済ませた。配付資料の印刷もOK。昼食はスコーラムで。音楽のI先生とご一緒する。「英語を勉強するにはどうすればいいでしょうかねえ」などという、今さらな質問にも、先生はいろいろと具体的なアドバイスをくださった。

 4コマの演習は、『反社会学講座』の、日本人のイギリスや欧米への憧れを実証的に揶揄した部分を読む。少し脱線して、イギリスの教育改革がどのように行われ、いかなる帰結に至ったかを詳しく説明する。ゼミの議論の流れには、その時々の味付けがあってもいい。

 授業を終えると、今日の残務整理をする。いよいよ、という気分も高揚する。それこそ舞台は何度も観ているけれど、どこか今までと違った期待感がある。それは弘前という場所で劇団四季の公演が行われることの希少性に由来するのだろう。

 一度宿舎に戻る。急遽ご一緒することになった同僚のY先生を乗せて、車で大学へ。正門のところでゼミ生のAさん、Wさんと合流。お、Aさんは、観劇ということで、しっかりとおしゃれをしてきましたね。まずは腹ごしらえということで、「真そばや 會」へ。Y先生とは何度か来ているが、2人は初めてという。食べ終わると、ちょうどいい時間だ。会場の弘前市民会館に向かう。

 開場の15分前に着いたのだが、すでに駐車場は一杯で、市役所のほうにやっと停めた。入口のところには入場を待つ人が長蛇の列。それだけ地元の人の関心も高いと思うと、何だかうれしくなる。

 入場すると、ロビーパフォーマンスが始まる。様々な扮装をした役者さんたちが歩いていく。3人で、ロビーをうろうろする。2人には、役者さんたちと「握手してみたら?」と勧めたが、ちょっと物怖じしたようだ。

 目の前でハンドベルの演奏が始まる。この劇中の曲を美しい音色で奏でる。途中から子どもも参加する。



 2階のロビーに上がると、奥ではタップダンスが始まり、その手前にで高脚のピエロが観客と握手をしていた。



 このロビーパフォーマンスから舞台本番へという流れは、この作品の大きな魅力のひとつ。これから始まるという期待感が否応なしに高まる。僕らの席は右手ブロックの最前列(発売開始直後に必死で電話して取ったのだ)。客席の中から登場した夢の配達人は、一番通路よりに座っているAさんの目の前に立っている。

 今日ピコを演じるのは吉沢梨絵さん。僕は吉沢さんが劇団四季に入る前、歌手だったころからのファンである。だから、2人には何としてでも吉沢さんのピコを観てもらいたかったのだ。今週ピコはダブルキャストが予定されていて、果たして吉沢さんが出るかどうか、それも朝からドキドキしていた理由である。ポップシンガーならではの、ちょっとパンチの利いた歌い方がいい。

 相手役となるマコは花田えりかさん。この人のマコを観るのは初めてだが、高音の歌唱がとても美しく、しなやかな伸びがある。マコの母役の竹原久美子さんとのハーモニーが素晴らしい。

 若いキャストが増えていく中で、ヤクザ役の野中万寿夫さんが健在なのもうれしい。野中さんのデビル役も観てみたい気はするが、やはりこの人にはヤクザが似合う。味方隆司さんは、以前観た配達人役が、とても知的な感じがしてよかったのだが、今日はデビル。コミカルな役どころもちゃんとこなしてしまうところが上手い。

 一番大好きな遊園地のシーンも、舞台近くで観ると迫力十分だった。ローラーブレードを履いた役者さんたちが舞台上をぐるぐると回ると、その風を感じることができる。様々な小道具と、多彩なダンス。やっぱりこのシーンがいい。

 休憩のところで、Wさんが「これで半分ですか」といった。前半だけでも盛りだくさんだったということだろう。でも、後半こそが物語としては素晴らしいのだ。少しの間、以前観たときの思い出話を語る。

 そう、この作品も実に思い出深いものがある。僕が初めて観たのは、大学2年生のときで、僕にとっては2回目のミュージカルだった(最初に観たのは「ミュージカル李香蘭」)。同級生だったNさんと一緒に、確か青山劇場で観たのだと思う。ピコ役は保坂知寿さんだった。当時Nさんにはミュージカルについて、いろいろなことを教えてもらった。その後も何作かご一緒させてもらった。今僕がミュージカルファンであるのも、Nさんのおかげといっていい。大学を卒業して以来、ご無沙汰してしまっているが、お元気だろうか。

 物語もクライマックスに近づき、ピコが霊界空港の仲間たちに別れを告げるシーン(「愛をありがとう」)では、ピコが涙を流しているのがわかった。何度も演じているプロの役者さんでも、感情移入してしまうほどの場面なのだろう。思わず僕までもらい泣きする。そして、ラストシーンは本当に泣いた。「光」になった人々が、舞台上のライトとして表現され、その中央でピコが「二人の世界」を歌い上げる。何度観ても素晴らしいと思える。

 2人の表情からも、十分に堪能してくれた様子が見て取れた。実質的にはミュージカルは初めてのような2人にとっても、その楽しさが伝わったようだ。指導教員(ミュージカルの)としても、こんなにうれしいことはない。いつの間にか、秋口に青森にやってくる「エビータ」を観よう、といった話しにまでなっていた。小規模で、教員も未熟なゼミであるにもかかわらず、よく頑張って勉強してきてくれたことへの、ちょっと早めのご褒美だったが、喜んでもらえて何よりだ。

 会場を出ると、強い雨が降っていた。車に着くまでかなり濡れてしまったが、それも気にならないくらい、気持ちが高ぶっていた。時間があればあれこれ感想を話すのも楽しかったのだろうが、2人とも家が遠く、しかも明日は朝一で授業があるとのこと。駅と駐車場に送り届ける。

 僕はY先生と「さくら野温泉」へ。割引券で1500円が800円に。岩盤浴を3回繰り返し、温泉につかると実にさっぱりした気分に。楽しいミュージカルを観て、温泉でリフレッシュとは、週の最中には申し訳ないくらいのぜいたくな一日の過ごし方だった。

5月27日(日)晴:「コンタクト」千秋楽

2007-05-27 21:45:40 | 舞台

 朝8時に目が覚めた。ゆっくりと支度をしてホテルを出る。今日もいい天気だ。夏日になるとのこと。淀屋橋駅まで、古い建物の前で時々足を止めながら歩く。駅の地下街の喫茶店でモーニングを食べ、京阪特急に乗る。今度は一番前に陣取る。私鉄最長の複々線区間を先行列車を次々に追い抜きながら走る。


 途中で思い立って丹波橋で下車する。伏見桃山城址に行こうと思ったのだ。だが、駅にも案内図らしきものが見あたらない。仕方なく当てずっぽうに歩く。そのうちに桃山御陵の参道に出た。確か城址は御陵の敷地内だったな、と中へずんずん入っていく。しかし、行けども行けども両側は高い木ばかり。こんなに広いのか。明治天皇陵の前に出る。大きさにもびっくりする。踏み外したら大変なことになりそうな石段をおそるおそる下る。


 JRの桃山駅に行き、そこで案内地図をもらう。なんと城址の入口はうっかり通り過ぎてしまったらしい。今回は縁がなかったと諦めて、奈良線に乗って京都駅へ。駅構内のうどん屋で簡単な昼食を済ませ、京都タワーのみやげもの売り場を覗く。何を買うでもないけれど、どこか昭和の薫りを残すこの手の場所が好きなのだ。

 いよいよ「コンタクト」の千秋楽。決してそうであっては困るが、これがひょっとしたら最後になるかもしれない。一瞬一瞬を観逃すまい、と気合いが入る。何となく客席全体にも緊張感があるような気がする。でも、本来「コンタクト」は肩肘張って観る作品ではない。それこそお酒のグラスを片手に観るのがいいくらい。

 Partアクロバットと倒錯。最も優雅で最もエロティックな場面だ。文句なしの「Well played!」。

 Part抑圧の中でのささやかな抵抗。夢想の中の自由。団こと葉さん演じる妻の表情が素晴らしい。生き生きとしたダンスと、最後の絶望=精神的な死。重苦しい結末だけれど、だからこそ心に響くものがある。

 休憩時間に温かいお茶を飲みながら、いよいよだなー、と感慨深く思う。隣りに座っていた初老の女性に話しかけられた。劇場で知らない人に話しかけられるのは初めてのことだ。「コンタクト」は何回目?と尋ねられたので、たぶん1314回目(初演から)くらいですね、と答えたらびっくりしていた。そりゃあそうか。その方は荒川務さんのファンなのだという。こんな会話があるのも「コンタクト」ゆえか

 Part孤独と出会い。きっかけなんて何だっていい。出会えることがすべて。僕は、「コンタクト」全体が好きだけれど、とりわけ今回は黄色いドレスの女とマイケル・ワイリーの物語りを観るためにやってきた。坂田加奈子さんの黄色いドレスの女には、瞬間瞬間で移り変わっていく気まぐれな、しかしだからこそワイリーをはじめとする男たちを魅了してやまない小悪魔的な魅力が満ちあふれている。ワイリーと同様に、黄色いドレスの女の一挙手一投足を凝視する。荒川さんのワイリーは、これまで観てきた加藤敬二さんのワイリーとは違った面白さがある。ちょっとしたユーモアさと、彼女に対するまっすぐで真摯な思いは荒川ワイリーのほうがあるような気がする。どっちも甲乙つけがたいくらい素晴らしいのだが。ラスト近くの「Sing Sing Sing」のパーカッションの音が、心臓の音とシンクロしているんじゃないかと思うくらい興奮した

 カーテンコール。拍手は鳴りやまない。何度も幕が上がり、出演者たちはお辞儀をする。手を振って下がっていってもまだまだ拍手は続く。荒川さんがタップダンスを踊ったり、明戸信吾さんが投げキッスをして、さらに盛り上がる。客席の電気が点いて、送り出しの音楽が始まってもカーテンコールは続いた。最後の幕が下りて、祭りの後の寂しさのような感情が訪れる。隣の女性が「お気をつけて」といって帰っていった。

 今度この作品に会えるのはいつのことだろう(案外すぐだったりして)。オーバーだと思われるだろうが、僕の人生を変えた、いや、少なくとも大きく揺さぶった作品である。東京で観終わったとき、さすがに京都には行けないと半ば諦めていたけれど、思い切って来てよかった。本当によかった。

 京都劇場の入口の脇には、「コンタクト」のダイジェスト映像を流すモニターが設置されている。名残を惜しむ人々が、食い入るように映像に見入っていた。

 まだ帰りの列車までにいくらか時間がある。『建築マップ 京都mini』を片手にいくつかの近代建築を観て歩くことにした。ごく自然に、かなりおしゃれなバイク屋さんがあったりする。と思ったら、現在は「なか卯」がテナントとして入っているようだ。へえ、うまい建物の活用法だな、と感心する。


 東本願寺近くにある伝道院へ。伊東忠太の手によるものだが、現在は修築がままならない状況で、劣化を食い止めるための覆いに隠れてしまっていた。


 烏丸通りに出て、五条方面に歩く。この辺は研究会で何度か泊まった場所だ。畏友Aにコーヒーをごちそうになった喫茶店もちゃんとあったそういえば京都はA君と歩いて回ったときの思い出が多い

 昨日も少しだけ歩いた三条通を通して歩いてみる。面白い建築がたくさんある。それらは元々の用途からは外れて、現在はおしゃれな店舗として活用されている例が多いようだ。今回は限られた時間ながら、今まで見過ごしていた京都の楽しさに触れられたような気がする。

 

 京都駅に戻って、イノダコーヒでケーキセットを頼む。ここのコーヒーが大好きなのだけれど、お店で飲むのは本当に久しぶりだ。研究室用に挽いた豆を買い込む。

 京都駅1822発寝台特急「日本海1号」に乗り込む。湖西線を走っている間は右手に琵琶湖が望める。

 やがて日が落ち、北陸線に入る。B寝台はそこそこ人が乗っている。ちょっと賑やかなくらいがちょうどいい。

 もうそろそろ高岡だ。時間があれば、好きな都市の中でも上位に入る高岡や富山にも寄りたいところだが、それはまたの機会に。そろそろ横になるとしよう。寝っ転がりながら、しばし「せんたくの旅」の余韻に浸ろう。


3月30日(雨後晴):「コンタクト」マイ楽

2007-03-31 01:49:40 | 舞台

 11時に家を出て、中央線から中野で東西線に乗り換えて早稲田へ。中野で乗り換える際に一度改札の外に出て、明後日1日の新幹線の予約を2日に変える。

 今回の帰京ではどうしても食べたいものがあった。それはメルシーのラーメン。大学を卒業してからも、どんなに期間が空いても月に一度は食べていたから、ちょっとした禁断症状が出ていた。一応それなりの給料尾もらっているのだから、チャーシューメン(620円)くらい食べてもバチは当たらないはずだが、いつものラーメン(390円)+半ライス(90円)。もっとも、学生の時分には景気のいいときにラーメン+ポークライス(480円=計870円)を食べていた。それがものすごくぜいたくに思え、そして今でも十分ぜいたくである。貧乏性というのは抜けないものだ。たぶん死ぬまで抜けないだろう。

 すぐ近くのヤマノヰ書店へ。このお店は教育書に関しては日本一の古書店だ。職人然とした創業者の先代のご主人は一昨年亡くなられて、現在は息子さんが継がれている。僕もこの店を訪れるのは久しぶりだったが、やっぱりここには欲しい本がある。しばしご主人さんと立ち話をする。お店を継ぐに至った経緯、在庫管理システム(システムエンジニアの息子さんが構築されたそうで、「日本の古本屋」のように、店頭で売れた本がウェブサイトに残っているようなことはないすぐれもの)のこと、古書の価格の決め方といったお話しをうかがった。うちの大学の先生も何人もご存じだった。5冊買う。予算(2万円)ぎりぎりだが、いい買いものだった。

 今回は空いている時間に古本屋回りをしようと決めていた。欲しい本が決まっていればネットで検索すればよいが、やはり買う前に実物をみたいという思いはあるし、ひょっとしたら古書店の棚にある注文した本の隣りに、より有用な本があるのかもしれない。それと、本探しは体調や気分によって左右されるところがある。なんとなくいいな、と思っても、研究へのモチベーションが下がっていると、まあいいか、と棚に戻してしまったりする。背表紙のタイトルを目で追うには集中力も必要で、案外体力勝負なのだ。その意味で今がいいタイミングと思っていた。

 穴八幡にお参りし、大学に行ってみる。改修工事がなってきれいになった大隈講堂を眺める。こんなに白っぽかったけな?ちょっときれいになりすぎた感がある。

 キャンパスに足を踏み入れ、會津八一記念博物館(旧図書館)を見学。不思議とこの建物の中に入ったことがない。学院時代に一度利用した(当時はまだ中央図書館が完成していなかった)くらい。だから、特別展の「大西鐵之助と早稲田ラグビー展」よりも建物の内部をしげしげと眺める。中央部の大階段(横山大観・下村観山の「明暗」が飾られている)の意匠は、現在の中央図書館の階段にも受け継がれているのがわかった。

 常設展示室には、會津八一さんのコレクションが展示されている。會津八一さんは、学院で世界史を教えてもらった長島健先生のお師匠さん。長島先生の世界史は、中国史だけ、おまけに唐時代までというすごいものだった(それが許されていたのが予科の伝統を引く学院のよさだった)が、3年生の時には選択科目を取って、兵馬俑展に行った。會津コレクションの俑をみて、そんな思い出が蘇った。長島先生が亡くなられてから、もうずいぶん経つ。

 演劇博物館にも回る。こちらも近代建築としてとても美しいものである。こちらも建物の細部をみる。傍からみれば、展示をそっちのけで柱だの天井だのをみているおかしな見学者である。『よみがえる帝国劇場展』の図録を買った。

 大学のいいところは、すぐれた近代建築が比較的大切にされる傾向にあること、それと無料で気兼ねなく眺められることである。早稲田に限らず、東大、慶應、一橋あたりはキャンパスに行くだけで楽しい。わが弘大も、もうちょっと旧制弘前高校の建物などを保存するべきだった(小さな外国人教師館が一棟移築保存されているのみ)。 

 中央図書館で数点の資料をコピーしてから神田川を歩いて面影橋へ。折しも桜が満開。ここの桜は川が深く掘り込まれているおかげで、ぐっとせりだすように咲く。あちこちでカメラを構える人の姿が目立つ。学生のころから大好きだった光景だ。こんなにいいタイミングで眺められるとは思わなかった。

 神保町での古書渉猟は成果なし。ヤマノヰで当たった分、もういいか、という気持ちになっていたせいかも。昔から僕は神保町とは相性がよくない。お店が多い割には、欲しい本に当たらない。早稲田の古書店街のほうが僕好みの本がある。

 夕方6時半、僕にとっての「コンタクト」千秋楽(本当の楽日は明日)。観るほうとしても気合いが入る。どんなシーンも見逃すまいぞ、といった気持ちで舞台上のフラゴナールの絵をみつめる。

 もう何度も観ているのに、ひとつひとつの動作が新鮮に感じられるのがこの作品の面白いところ。かなり細かい小道具が多用されるので、小さなハプニングや失敗といったものが散見される。しかしそれらを何事もなかったように片づけていくところがプロの技である。段取りひとつ間違えただけで、芝居が大きく崩れてしまう。そんな繊細さはどの舞台にもあるが、とりわけこの作品にはそれが際だっている。

 幕間にスタンプラリーの景品のストラップをもらう。これで2つめ。「あと5つでチェスができる」といったところだが、さすがにこれは無理だ。

 今日はとにかく黄色いドレスの女に集中する。今回の公演で観た5回のうち、4回は坂田加奈子さんのイエロードレスだったが、回を重ねるごとにその表情の豊かさに魅了された。ダンスに誘おうとする男たちを寄せ付けない高慢そうな顔、ワイリーさんにダンスを教えるときの母親のような顔、ピンボールの台からワイリーさんを見下ろすときの小悪魔的な顔、ダンス・シーンでの恍惚とした顔、一切ことばを発することのない役(イエローとしては)であるにもかかわらず、その表現するところは実に多彩だ。そして、「Simply Irresistible」の中での、「シャキーン」という金属音とともにワイリーさんをみつめる目力の圧倒的なこと!僕ならたまらず死んでしまうな、間違いなく。

 今回の2人のイエローは、いずれもとっても素敵な女性を見事に演じ上げていた。できれば酒井はなさんのイエローをもう一度観てみたかった。京都、行けないかな。いやいや、この辺にしておこう。

 公演プログラムにも書かれているが、PartⅢのテーマのひとつは、勇気である。一歩先へ踏み出す勇気。吹っ切れるまでのためらいや臆病さといった部分は、この作品が好きな人がもっとも共感する部分なのではないか。それと冷めた日常生活の中に隠された熱気を引っ張り出すこと。それができたら素晴らしいのだけれど、なかなか難しい。その辺のニュアンスの表現について、加藤敬二さんの演じるワイリーさんは、やっぱり最高だと思う。もっとも、加藤ワイリーは、なんだかんだいってもはじめからカッコよくて、イエローに選ばれる(のはワイリーさんの願望なのだが)のは当然といった感もするのだけれど。

 カーテンコールも盛り上がった。とにかく拍手を続けた。気分的にはまだ拍手していたい。ますます、この作品が大好きになった。終わってしまうのが残念でならない。でも、僕自身も一歩先に踏み出さなくては。

 とはいえ、時間は確実に動いている。劇場前の大きな看板も、2週間前は「コンタクト」だったが、今は新作の「ウィキッド」のものに変わっている。

 すぐに家に帰るのはもったいない気がして、竹芝桟橋でしばし向こう岸を眺めつつ、余韻に浸る。ちょっとした強がり?だけれど、「コンタクト」のような作品は
独りで観るほうがいいな。他人に気兼ねなく物思いにふけることができるので。

 海からの風が気持ちいい。今をときめく越中詩郎に「維震の風」が必要なように、僕には「東京の風」が不可欠だ。


3月28日(晴):ドクター・カウフマン

2007-03-29 01:14:21 | 舞台
 午前9時55分発の高速バスに乗って盛岡へ。最近東京に帰る際には青森・八戸を電車で回って帰ることが多かったが、いかんせん本数が少ない。その点1時間に1本のバスのほうが時間の融通は利く。

 盛岡で昼食。駅ビルフェザンの地下にある「らーめんの千草」でねぎラーメンを食べる。ここのラーメンは鶏ガラダシのさっぱりしたもの(チャーシューも鶏肉)で、盛岡乗り換えのときにはよく行っている。お昼どきで混んではいたが、予定列車にゆうゆう間に合った。バスのダイヤは遅延を想定して乗り換え時間を30分に設定してあり、通常はそれよりもさらに10分ほど早く着くので、こうして食事を摂ることができる。

 東京駅に降り立つと、本当に暖かい。すぐにコートはトローリーバッグと一緒にコインロッカーに放り込んで丸ビルへ。ロフトで「ほぼ日手帳」の下敷き(150円)を買う。同じようなものは100円ショップにもありそうなものだが、ここは「純正品」で固めよう。1階部分では色とりどりのチューリップが目を楽しませてくれた。  

 有楽町までぶらぶら歩き。電気ビルの地下の床屋で散髪。これまで1600円でやってくれる床屋で済ませてきたが、もうすぐ新年度だし、ちゃんとしたところで切ってもらう。マッサージをしっかりやってくれたので、それほど高いとも感じなかった。

 先日と同様、三信ビルへ。いよいよ完全閉鎖が迫ってきた。ビル前の桜の花が咲き出して、名残りを惜しんでいるかのようだった。

 ニューワールドサービスは、連日盛況で、夕方にはほとんど食べものや飲みものがなくなってしまうとのことで、立ち寄らずに周囲の写真を撮影する。僕としてはこの間ハンバーグの食べ納めをしたつもりなので、もう十分。 夕日が西側のガラス窓に反射して、上部の装飾がとてもきれいにみえる。こういった造形美はいったん壊してしまうととうてい取り戻せないように思えるのだが。

 日比谷公園側は、すでに1階部分が作業用の塀で囲われている。ただ、わざわざ「記録作成用」との断り書きが貼ってあるので、すぐに解体に着手というわけでもなさそうだ。それでも、テナントがすべて立ち退いて、空き家になったビルがいつまでもそのままにされるはずはない。かなり時間をかけた「記録作成」が、どのような成果を生み出すのか、注目したいところだ。

 例によって例のごとく、四季劇場・秋へ。観るのはもちろん「コンタクト」。今回はC席(万が一行けなくなったときのリスクを考慮して安い席を押さえた)で、さすがに舞台が遠い。オペラグラスを片手に観る。

 この作品は、役者の歌がないばかりか、科白も必要最小限に抑えられている。あくまでも表現の中心はダンスなのだ。そんな中で、僕にとってとても印象に残る科白がある。PartⅢで、主人公マイケル・ワイリーのカウンセリングを行っている、ドクター・カウフマン(ほとんど声だけの登場で、バーテンダー役の俳優が声色を変えて演じる)のワイリーへのメッセージだ。長くてちゃんと覚えていないのだけれど、だいたいこんな内容だったような気がする。

   「誰だって孤独を感じることはある。みんな同じなんだ。孤独を苦にし、絶望する。自分はひとりぼっちで、他人から愛されたり他人を愛することなんてできないと決めつけてしまう。自分が孤独なのは、自分に欠点や欠陥があるせいだと思っている。でも、マイケル、そんなことはないんだよ、解決可能なことなんだ」

 かなりうろ覚えな感じもする。この場面、陽気なバーテンダーが、一瞬だけドクターの深刻な声色を使い、再びバーテンダーの口調に戻る。明戸信吾さんの役者っぷりが冴える場面なのだが、陽のキャラクターも、陰のキャラクターも、ワイリーの心の奥底を見透かしているようで、こちらまでドキッとする。

 この科白が重要なのは、PartⅢの冒頭に流れる「You're Nobody Till Somebody Loves You」という曲(タイトル)とのつながりがあるからでもある。既存の曲をつなぎあわせながら、よくもまあひとつのコンテクストをしっかりと作り上げているなあ、とあらためて感心する。本当に芸が細かい。細かさついでにもうひとつ挙げると、ワイリーが自分の部屋から街へ飛び出した際のビリヤードの球がぶつかりあう音や、「Sing Sing Sing」のパーカッションの音などは、心臓が鼓動を打つ音に似て、否応なしに緊張感が高まる。これが何とも心地よい緊張感なのだ。こんなことは、この作品を健康的に楽しめる人にとってはどうでもいいことかもしれないけれども。

 ドクターの科白は、せっかくだからちゃんと聞き取りたいなあ。チャンスはあと1回ある。

 劇場を出て、浜離宮沿いの道を「You're Nobody~」なんかを歌いつつ歩く。久しく来ないうちに汐留のあたりも高架の歩道などが完成して、ますます進化した感がある。刻々と風景が変わっていく様に、東京らしさを感じる。見渡せば、工事途上のビルの上のクレーンも目立つ。バブルさながらだな、と思う。